尊敬する教官の弟殿ということもあり、私は幾らかの期待を抱いてIS学園1年1組の扉を開いた。
目の前には冷静沈着な教官が腕を組み動じずと山のような雄大さと揺るがない信念を見せていた。私が心の底から敬愛してやまない教官の姿だ。私が目指すべき人である。祖国で見た姿となんら変わりない。
教官が日本で学校の教師をしていると聞いたときは、是非にその学校に入学したいと熱望していたが、まさか現実になるとは夢にも思わなかった。所詮は軍人でしかない私が平和で争い事とは無縁の日本の地に足をつけるなど誰が思う。誰も思わないだろう。私にはそんな知名度ない。
この悪く言えば平和ボケした国で、教官のような世界最強まで上り詰めた女傑を輩出するのだから分からない。それほどまでの教官の生まれた場所が日本の中でも治安がよろしくなかったのか、それとも良い師に出会われたのか。矮小な私には想像することしかできない。
それにしても窓側の席に居る女は何者だ。白目剥いて涎垂らしているぞ。
クラスの中で目立つのは危険そうな女と教官の弟殿だ。教官の弟殿なのできっと想像を絶する強大な力を持っていることだろう。そう思って弟殿に視線をやれば、なんとも頼りない男だ。教官とは似ても似つかない本当に姉弟なのかと疑いたくなる頼りなさだ。
いいや、判断を下すには早過ぎる。情報をよく吟味してからでも十分間に合う。一見頼りなさそうな様子に偽装して相手の油断を誘っているのかもしれん。あのいかにもド素人を装っているのは、真の実力者を見極める手段の可能性もある。
だとすればなんと策士であるものか。いいや、単純に見たままなのかもしれない。私の考え過ぎもありえる。教官がドイツで教官をしていたときはよく弟殿の話をしていた。クラリッサが「姉と弟の禁断の恋ですね」と言って半殺しの刑にあっていたこともまだ記憶に新しい。教官の話す弟殿は基本的に溺愛され守られていることがよく分かった。つまり、強さとは無縁というものだ。
それを根拠にしてみれば弟殿が強くあることはないだろう。しかし、もしかしたら爪を隠し持っている可能性もある。
試してみないことには判断できない。接近し、軽くぶっ叩いてみれば弟殿はいとも簡単に床に転がり落ちてしまった。
「この程度か。この程度が教官の守りたいモノ?」
ほ、ほう……弱いな。これはマズい。マズ過ぎる。咄嗟に冷静ぶってしまったが言い様がないほどにマズい。
抵抗する暇もない。後方から殺気を感じた時には全てを悟ってしまった。首にかかる腕が誰のものであるかなど考える必要もない。1人しかいない。私が知る限り1人しかいない。
首を瞬間的に圧迫される。それも圧殺するかのような力のかかり具合だ。さらに腹部も締めあげられる。身体中の酸素を搾り出されて、新しい酸素を取り入れることもできずに意識を飛ばされてしまう。
1組と2組の合同授業。IS学園に来て初めての授業が合同授業だとは。私的には教官からの個人レッスンを所望する。今は心証が悪いために教官からの指導は受けられないと思われる。早計だった。教官の弟殿をぶっ叩いたのはマズかった。アレが一番の悪手だと言わざるを得ない。わずか十数分前の自分をぶっ叩いてやりたい。
自分自身の若さゆえの過ちに溜息が出る。その過ちのせいで、さっきから鬱陶しい視線が常に付きまとってくる。殺気や怒気に塗れているのを隠さない直情的な視線だ。
「隙を見つけて切り捨ててやる。だから一夏、そんな顔をするな」
チラリと盗みみれば、篠ノ之箒がこちらに暑苦しい視線を向けてきていた。注目を浴びることに快感を感じる質ではないのだが。
「そうよ。ソイツの頭を蹴っ飛ばしてやるわよ」
腕を組んで憤る凰鈴音。私の頭を蹴飛ばそうと企んでいるようだ。愚か者めが。言わなければチャンスもあったろうに、言ってしまえば警戒されて実行も難しくなろうて。というか、向かってくるのなら逆に蹴飛ばしてやろう。衝撃でパージしてしまったら申し訳なく思うが。
「くぅ~。どーしてわたくが1組で一夏さんが3組なのでしょう。もしも今日の授業が1組と3組の合同授業なら、わたくしのスペシャルで2000回の華麗な動作をお見せすることができたというのに」
遠くの方でよく分からない独り言を大声で呟くセシリア・オルコット。大声で呟くとは矛盾の孕んだ奴だ。それにしても、何がどう2000回でどのように華麗な動作を見せてくれるのか少々気になる。機会があれば是非見せていただきたいが、教官が模擬戦をセシリア・オルコットと凰鈴音にやらせた為に意外にも早く見ることができた。模擬戦の相手は1年1組の副担任だった。結果は見るに堪えないものだ。教師が負けて落ち込んでいる姿は衛生的じゃない。情けなさすぎる。教官の罵倒が稚拙なのは、それほど情けないことの表れなのだろう。私も喰らったことがあるのだが、教官の罵倒は心に突き刺さるから受けたくはない。
教官の罵倒の後には授業が始まる。ISの基礎の基礎でしかないISの歩行訓練だ。実際は歩くのではなく高速ホバー移動なのだが、これは素人にとって存外難しい。ISの機動のほとんどはイメージによって行われる。頭の中に陸を滑るイメージを上手く掴めなければ永遠に動きだすことができないだろう。私も初めてのISでは上手く動かすことができずにクラリッサに足かけしてマウントで殴りつけたほどだ。アイツが馬鹿にしたように笑うのが悪い。
専用機持ち達が指南役となって素人同然の生徒たちに教える。これは中々に勉強になる内容だ。自分で行うことと相手に教えることでは難易度はかなり違う。行うことは自分の身体と頭で実行するために自由自在だが、相手は相手で自分とは違う人格と考え方と適正を持つ。その全くの他人にイメージを掴ませるための説明は、相手のレベルに合わせた言葉を駆使する必要がある。
教科書に書かれているような説明を行い、後は個々人の理解度に合わせて説明を変えたりつけ足したりする。べらべらと余計なことは言わない。説明を脱線させても意味はない。必要なのは理解を促すための情報のみだ。
手とり足とり指導をしていれば、何故だか教官の弟殿が尊敬の眼差しを向けてきていた。それから、拙くはあるが指導を始め出した。私の指導を参考にするのではなく教官の指導を参考にすべきだと注意したい。しかしだ、喧嘩腰の凰鈴音や、超がつくほど一方的なセシリア・オルコットを参考にしなかったのはベストとしか言いようがない。
正午の時間なると生徒達は食事に向かっていく。このIS学園の学食なるものは絶品だと言われているので、彼女たちが駆けて行く姿も納得できる。嵐のように消えよくクラスメイトたちを見送りつつ、さて自分はどうするべきかと頭を悩ませる。学食で食事を取るべきなのだろうが、生憎空腹を感じてはいない。たとえ空腹であったとしても耐え抜ける。教育の賜物だろう。人権ガン無視であることを除けば。そもそも私が人権を語っていいものか。まぁ、いいか。一応人間だからな。
腹が減っていないと手持無沙汰になる。飯の時間に飯を食わないでいると正午を無為に過ごすことになる。かと言ってトレーニングをするのも違う気がする。教官の弟殿もいなくなったことだし、ひとまず学園内を見て回ろう。
ふらりと当てもなく校舎内を散策する。生徒たちが学食に集結しているためか、校舎内はやけに閑散としていた。たまに生徒とすれ違うこともあるのだが、所詮は見ず知らずの他人同士なので会話なくすれ違って終わる。
「ボーデヴィッヒ」
どこをと考えずに歩いていると、背後から首根っこを掴まれ空き教室に引き摺り込まれた。油断していたつもりはなかったのだが、敵に背中を取られてしまった事実から油断していたと思われてしかたがない。いいや、気が緩んだのは事実だ。名前を呼ばれた時に安心してしまった。何故と言えば、教官の声だったからだ。
だがほっとしたのも束の間。首に絡みつく腕は段々と首を締め上げ始める。慌てて腕をペチペチと叩いてギブアップするが無視される。
「私の大事な大事な一夏に手ぇ出してんじゃあない」
お怒りのご様子で大変申し訳ありません。申し訳ございませんので、直ちに締め付けを緩めていただけると大変うれしいのですが。
「いいか? 一夏に謝罪しろよ。土下座しろよ」
背後から底冷えするような声で謝罪を迫られる。当然と言えば当然なのかもしれない。教官は弟殿をとても大切にしているのだ。守っていく、と言っていたのだ。踏まれた蛙みたく悲鳴を上げながらも必死にタップを続ける。
ようやく気道確保できたときには教官はいなくなっていた。一瞬空白の時があった気もしなくもないが、その間に教官は姿を眩ませたのだろう。まさか平和ボケしていると言われる日本国内で、敬愛する教官からの襲撃を受けると誰が思う。私ですら思わなかった。
とにかく教官が仰るように謝罪をしなければならないだろう。今の時間は難しいだろう。弟殿がどこへ向かったのかも分からないのだから。狙うのなら放課後だ。
しかし謝罪の方法に土下座を指定されてしまったが、土下座の方法が全く見当つかない。方法についてはネット検索でもするか。
放課後は無事に単独行動の弟殿を呼び止めて土下座することができた。地面に這いつくばって地に額を擦りつけて許しを請う謝罪方法は首を差し出しているようにも見えてしまう。耳の奥でギロチンの鈴が鳴る錯覚に頭を振って追い払う。
土下座をして、ひと段落ついたので弟殿と会話をする。思ったままを口にすれば弟殿は申し訳なさそうな顔をしたり、苦笑したりして対応してきた。
確かに弟殿は守りがいがあるのかもしれない。まさしく守ってくださいと構えている気がする。腑抜けていると言えば大層に腑抜けている。言い方を変えれば相手を信頼し生殺与奪権を委ねている大物とも捉えることもできる。
しかし……いいやなんでもない。
会話を楽しんでいると、急に弟殿が頭を抱えて蹲り呻きだした。何事かと思ったが考察している暇はなく、弟殿の衣服に手を伸ばしてポケットというポケットを探る。もしかしたら薬か何かを持っているかもしれない。
考えた通りに薬を見つけ出すと、次に思い浮かぶのはそれと薬を流し込むための水も持っているかもしれないという期待だ。今度は弟殿の鞄を開ける。これまた考えた通りに水の入ったペットボトルを見つけ出す。
弟殿の口をこじ開けて薬を放り込んで水を流し込む。これでいいはずだ。弟殿も安心したように意識を手放したことを見るに、きっとおそらくこれでいいはずだ。
しかしこのまま地べたに放り出したままにしておくのは忍びない。弟殿を肩に担いで保健室に直行しよう。できるだけ素早く及び目撃されることなく向かう必要がある。この状態を変に勘繰る人間が目撃すれば要らん反感を買ってしまうかもしれない。特に教官に目撃されれば有無を言わせてもらえないままに意識を刈り取られてしまうかもしれん。
急ぐしかないが、生憎保健室の場所なんて検討がつかない故に時間がかかるかもしれない。
周囲を警戒しながらも迅速に廊下を駆けて行く。見つかればよからぬ噂が立つ。それはこの小さな世界で生活するには致命的に成り得る。
見つからないように動きながらどこにあるかも分からない保健室を目指す。せめて案内板はないものか、と注意深く周囲に目を走らせるがそれらしきものは一切ない。舌打ちしたくなる。
「あらあらまあまあ。男の子を抱えてどうかしました?」
舌打ちするべきか悩んでいるところを突くように、何者かに発見されてしまった。振り向き様に意識を奪い去ってしまうか、と振り返ってみれば目の前にいるのは車椅子に乗った女性だった。制服を着ていないことから生徒でないことはすぐに分かる。教師だろうか。
「もしかして道端で倒れていたのかな?」
どう説明すれば誤解を生まずに済むかと考えていれば、向こうから助け舟を出してくれた。その船に乗らずにはいられない。その船が泥船じゃないことを祈りつつ乗り込むことにした。
「そのとおりでございます」
「……変にかしこまり過ぎなのが気になるけど。うん、織斑くんだね。こっちにおいで。保健室で休ませた方がいいから」
車椅子の教師についていけば無事に保健室についた。どうやら車椅子の教師は保健養護教諭のようだ。不自由の身でありながらテキパキと動き回って無事に弟殿をベッドインさせることができた。
「織斑先生の方には私の方から言っておくよ。織斑先生は弟さんのことになると暴走するから。それだけ弟さんが大事なんだろうけど、視野が狭くなって耳も悪くなっちゃうからね。ちゃんと君のおかげで無事に保健室に居ることを伝えておくから。ええと……確か、ボーデヴィッヒさんだったよね。心配しなくていいからね」
車椅子の教師が安心させるような柔らかい表情を浮かべるのを見るに嘘は言っていないだろう。任せても問題はないはずだ。
そう思って安心したのだが、後日おかしな内容の新聞のせいで懸念していたことが現実になってしまった。おのれ。