ラウラと病院に行き、その帰りに適当にファミレスで食事を取ったのは既に昨日のことのようだ。実際に昨日のことだ。いつもと違う昨日だったことだけは確かなので記憶に残りやすい昨日だった。
ファミレスでメニュー選びに悩んでいるラウラは年相応の女の子らしさがあってホッとした。人間らしさって大事だよね。
そんなラウラがメニューを決めた後になって、変な不良が声をかけてきてひと悶着あった。なんでもロリコンらしくて、ラウラをナンパしようとしたらしい。すぐにラウラの繰り出す暴力という名の雨嵐で難破させられていたけど。救いはファミレスが血に染まらなかったことくらいだ。
「ラウラと一緒に病院デートしただと。私だってしたことないのに」
そのことを箒に話してみたら絶叫された。絶叫されて抱きしめられ頭を撫でられた。抱しめることと頭を撫でることの意味が知りたかったりする。
「決まっている。付き合っているからだ」
もはやボディーガードにしか思えないほど四六時中マークしているラウラが当然のように答える。ついでに箒を引きはがしてボクを引き寄せてくる。憐れ箒。
「た、確かに。私と一夏は付き合ってなかったから病院デートはできなかったが、だからと言って納得できるわけがない」
「納得は求めていない。一夏と付き合うことにお前の許可が必要とは思えんしな」
「確かにそうだ」
え、そこで素直に引き下がるの。
「だが千冬義姉さんが納得しているのか。ちゃんと認めているのか? 認められていないのに付き合うことなどできるはずがないだろ」
だから素直に引き下がったのか。ボクが言うのもなんだけど他力本願過ぎやしないだろうか。本当にボクが言えた義理じゃないけど。
ラウラは涼しい顔してボクを抱きしめ、怒りやら嫉妬やらで燃えている箒は必死に千冬姉さんの名前を出して状況を打破しようとしている。
「残念だが既に認められている」
衝撃の事実だ。箒や周囲のクラスメイトだけでなくボクまでもがラウラを振り返ってしまった。抱きしめられている関係上、ラウラの顔がアップに映り込んできた。すごく……美しいです。
「そうでなければ、私と一夏が同室になれるわけがなかろう」
そういえばラウラは新しい部屋割りを持ってきていた。新しい部屋割りということを考えれば寮の管理人が新しく取り決めたものだろう。そして寮の管理を任されているのは千冬姉さんだったと思う。考えるに確かに千冬姉さんからの許可がなければラウラが同室になることはあり得ない。もしかしたら、山田先生を誑かした可能性もなくはないけど、翌日の山田先生に何の外傷もなかったことを思い出してみると、本当に千冬姉さんの許可を受けたのだろう。だって、日々の生活でも千冬姉が極端にラウラを遠ざけようとしていないのだ。
「な、何故だ。何故に千冬義姉さんは許したのだ!?」
「知れたこと。信頼されているからだ。お前なら……まぁ、色々と大丈夫だろう、と信頼されたのだ」
信頼されていると言えば信頼されていると台詞だ。千冬姉さんがどういう信頼を寄せていたのかは推測するしかないけど、周囲のクラスメイトの可哀想な者を見る視線から読み取れる意味は良い意味ではないはず。あのオルコットでさえ憐みの込められた視線を向けている始末。
そういえば最近オルコットは大変危機感を覚えているらしい。それもそうだろう。篠ノ之の隣にいたはずの男子が女子だったのだから。クラスの違うディスアドヴァンテージに四苦八苦しながらもデュノアと鎬を削っているとのことだ。情報源は布仏さんから話を聞いたという相川さんからだ。どこまで脚色されているか分からないけど、大体はその通りなのだろう。
「それはすごく信頼されてるね~」
唯一暖かい言葉をかけてあげているのは件の相川さんだ。明るくて嫌味を一切感じさせない爽やかフレッシュな言葉に、ラウラが胸を張って「そうだろう」と誇らし気にしていた。ボクは黙秘権を行使しているので、誰も信頼の本当の中身について言及することはなかった。知らぬが仏だ。ドイツに仏がいるのか分からないけど仏なのだ。
IS学園で行われるみんな大好きな行事。臨海学校。海に行って楽しんだり勉強したりするイベントだ。海と言えば水着であることを考えれば、周囲が臨海学校で着る水着の話をするのは当然の流れだと思う。あのラウラでさえも水着の話をしてくるのだ。清純とエロ、どちらの方向で行くべきかと。面倒だから清純系エロでいけばいいんじゃない、とかなり適当なことを言ってしまったけど、本人が真面目に頷いてしまったので取り返しがつかない。
箒も箒で、今度の休みに一緒に水着を見に行かないかと誘ってきている。ごめん、その胸の巨砲の誘いの方が凄いんだけど、なんてセクハラ紛いなことは絶対に言わない。言いたくなるほどに誘われているわけでもないし。迷惑しかかけていない箒に劣情を抱くほど屑ではない。迷惑かけまくっている時点で屑な気もしないでもないけどそこは目を瞑っておこう。箒がどんどん迷惑かけてくれたって構わないって言ってくれていたのだから。
鈴の方もみんな揃ってでもいいから一緒に水着を買いに行こうと誘ってくれた。快活な鈴は身体全部を使って猛アピールをしてきて行きたいオーラを出していた。それがもう可愛らしくて思わず頭を撫でまわしたら、子供扱いしてんじゃないわよ、と何故か逆に頭を撫でられてしまった。箒といい、ラウラといい、鈴といい、ボクの頭頂部には人を魅了する変な成分でも出ているのか。
結局のところ週末に3人と出かける約束をすることになった。
ボクとしては千冬姉さんと出かけたかったんだけど、千冬姉さんの方は何か用事があったようで済まなそうに断りを入れられてしまった。とっても残念だ。残念過ぎたので、夕食はボクが料理を作って一緒に食べた。千冬姉さんが嬉しそうに食べてくれるのを見ると作って良かったと思う。
終末は水着を買いに出かけることで予定が決まったので、土曜日に関しては午後に自由を謳歌することに決定した。予定は未定ではあるのだけど絶対に変更することのない絶対的な予定になるのだから未定であっても未定ではない。
そう思って土曜日の午後を過ごそうとしたら篠ノ之に捕まってしまった。
「よお。ちょっと話でもしないか」
篠ノ之はそう言ってボクを引っ張る。タイミング的にちょうど箒や鈴やラウラがいない。狙ったんじゃないかってくらいのベストタイミングだ。かくいう篠ノ之の方もいつも一緒なオルコットやデュノアがいない。
「あの2人はどうしたの?」
「ああ。なんか勝負水着だどうだとか言って2人して出かけて行ったな。競泳水着でも買いに行ったんじゃないか」
さすが朴念仁で巷を賑わせている篠ノ之だ。もはや朴念仁とか鈍感とか馬鹿にする以前の問題な気もしてきた。今までどうやって生きてきたのかが不思議なくらいの知識のなさだ。恋愛絡みの知識に関してのみ不足しているのかもしれない。たまに料理の話で盛り上がることもあるのだから、恋の駆け引きだとか人間の理不尽なほどの移ろいについてだけ弱いのかもしれない。そう思えばいいや。
「あー……うん、そうだね。それよりもどうしたの?」
「いやぁ、たまには男同士で話がしたいと思ってさ」
「うーん。まぁ、いいけどさ」
篠ノ之との会話は多岐に渡った。互いに共感できる分野の料理から始まってIS学園での生活やISの訓練について。篠ノ之は同性との会話に酷く飢えていたようで、口を開いたらあれやこれやと話が止まらずに、どちらかと言えばこちらは聞き役に徹していた。
篠ノ之はクラスのこととなるといかに鈍感であるかが分かるようなことばかりを口にしていた。オルコットとデュノアが妙に近いこと、突然暴力を振るわれたり、もの凄い威圧してくること、オルコット特性の形だけは立派な料理をお見舞いされてしまうことなど。ちなみにお見舞いはこちらの言葉選びではなく、篠ノ之が口にしたことだ。お見舞いという言葉選びに隠されているのは一体何なのかとても気になるところだ。
「うーん。よく分かんないよな。妹だっていう箒の方も真面に話したことないから分からないけど、女子の考えていることって本当に分からないよな」
篠ノ之は特に関心があるようには聞こえないような言い方をする。実際にそこまで今日がないのかもしれない。なにせ、少しでも興味があるようなら朴念仁の誹りを受け続けることもないはずだから。
「箒の方が妹なんだね」
「らしい。
世界を震撼させた篠ノ之束。その弟らしい篠ノ之。篠ノ之はどう思っているのだろうか。
「篠ノ之はさあ、確か記憶喪失なんだよね」
「おう。織斑もそうだろ」
「うん。いつの間にか記憶を失ったみたいだから、それ以前の記憶については何にも分からないんだ。篠ノ之もそうなの?」
「そうだな。俺も記憶を失う前のことは分かんないな。ただ、分からなくてもいいと思っているから気にはならないな。たまにどんなのだったのかな、とは思うけど縋りつくほどのことじゃないかな」
篠ノ之はなんてことないように言っている。だけど、ボクはその言葉をなんてことないうように聞き流すことはできなかった。できるはずもなかった。
「分からなくていいの? 気にならなくていいの?」
おかしい。そんなことあるなんて信じられない。だって、もしかしたら全てがひっくり返ってしまうかもしれないのに。それなのに無関心でいられるなんて考えられない。
「分かったらそれはそれでいいと思うけど、分からないならそれでもいいっていうのが本音だぜ」
「ボクはそうは思わないよ」
「なんでだ? だってたとえ記憶を取り戻したとしても、記憶を失ってから過ごした日々は消え去らないだろ。記憶を取り戻しました、じゃあこれからはその通りに生きていきます、なんて薄情に生きれる人間なんていないと思うぞ」
「逆だよ。記憶を取り戻してしまったからこそ、今まで通りには生きられなくなることもある。周りの人との関係とか、自分自身の立ち位置の喪失とか。恐いことだらけだよ。気にせずにはいられないよ」
「……大丈夫だと思うぜ。織斑先生も箒も凰もラウラも受け入れてくれんじゃないか。だってあんなに織斑のことを大切にしてくれているんだ。早々崩れるもんじゃないだろ」
ボクとは違う。前向きで困難に負けない意志の強さを感じさせる篠ノ之。だから苦手だ。箒達がやるように頭を撫でてくることが更に苦手だ。みんなどうしてボクの頭を撫でてくるのかが分からない。弾もたまに撫でてくる始末だし。野郎に撫でポなんてないんだからね。異性にされても撫でポはないけどさ。
「凄いね。どうしてそこまで強く考えられるのさ」
「別になんでもない。ただ束姉が俺を守ってくれたから。大事な弟だって言ってくれたからさ。それ以上もそれ以下もない。想ってくれている人がいるだけで十分だと思っただけだぜ」
そういって笑う篠ノ之はやっぱり苦手だ。カッコよくて強い人だから。その姿や態度が、ボクよりも織斑一夏らしく見えてしまうのだ。もしかしたら、まさか、と怯えさせてくるから。
先生から貰った新しい薬は前の薬と同じで、片頭痛の時の痛みを緩和することしかできていなかった。だからいって飲まないという選択肢はないのだけど、この痛みとおさらばすることができないと分かると残念で仕方がない。
しかし、全く同じということではない。前の薬と違って副作用に悩まされることないだけでも十分に成果があると言っても差支えないかもしれない。
「ふむむ。それでも結局は片頭痛を治せるものではないのだろう。その先生とやらはあまり役に立たないな」
新しい薬の入った袋を摘み上げた箒が湯気の立つ湯呑に口を付ける。胡乱な目で見つめていることを見ると、新薬と偽った今まで通りの薬だと考えていそうだ。同じ値段だったことを思い出すと偽る意味が分からなくなるけど。儲けられないじゃないか。
「とは言うけど、その先生がいなきゃ一夏は片頭痛の痛みをダイレクトに受けるわけなんでしょ。恨み節をぶつけるにはさすがに駄目じゃない」
摘ままれた薬の袋を鈴がひったくって中身を確認する。白と青のカプセルタイプの薬だ。
「なんていうか。やっぱり普通の薬とあんまり変わんないわね。もうちょっと変わり種な見た目にしても良い気がするんだけど。たとえばクマとか」
「熊ってお前。誰が喜ぶんだ。木彫りの熊が好きな奴くらいだぞ」
「リアルな熊なわけないじゃないの。デフォルメされたクマに決まってんでしょ。少しは物騒な思考回路を閉じなさいよ」
「閉じている。あの頃から私の思考回路は一夏一色なのだ。というわけで一夏、これは自信作の卵焼きだ。あーん」
「ちょっとあんた。それ味見したのよね。大丈夫な味してるのよね。オルコットみたいな形だけじゃないでしょうね?」
「失礼な。味見をした結果に出せると判断したまでだ」
机の上に並べられた重箱。日本人の中でも美しい箸捌きを見せる箒が卵焼きを摘み上げてボクの口元に持ってくる。
寮の食堂のテーブルを陣取っての夕食。献立は全て箒と鈴によって作られ、何故か重箱に敷き詰められた状態で出されている。今日は祝いでもあるのかと勘ぐってしまったけど、祝うことなんてないものだから、ボクは卵焼きを堪能しながらも首を傾げるしかなかった。この卵焼きは砂糖が入っているので甘い。お菓子みたいだ。
「甘く作ったんだね」
「ほう。確かに甘いな。お前らしい甘くて役に立たない味だな」
ボクの隣を陣取って卵焼きに箸を伸ばすのはラウラだ。相変わらずほとんどの時間をボクに引っ付いて過ごしている。飽きないのだろうか。飽きたら近くにいるわけないか。
「なら食うな。私はあくまで一夏の為に作ったのであって、おまえみたいなのには作っていない」
箒がラウラの近くにあった料理を全部ボクの前に移動させた。箒さん。こんなには食べられないのでシェアする形でお願いしたいのだけど。
思わず箒を見上げてみれば頭を撫でられた。
「安心しろ。全部一夏の分だ。好きなだけ食べてくれ。鈴、話を聞け!! 勝手に食べるんじゃない!!」
視界の端から手を伸ばして卵焼きを食べていた鈴が怒られていた。箒がカッコよく話している最中の出来事だからそれはもう怒ることだ。鈴は知ったことではないとしれっとしているけど。
「作り過ぎてるから他人が食べても問題ないでしょ。よほどの大食らいじゃなければ無理だから。うーん……甘い」
「なら食べるな」
ぷりぷりと怒ってそっぽを向く箒。作った卵焼きを甘い甘いと言われ続けたことが箒を不機嫌させる。甘い卵焼きも悪くないと思うのだが、言葉の受けてがどう捉えるかに関してはなんとも言うことはできない。人間同士の感性の違いは理解し難い部分だ。だから黙っているに限る。またの名を臆病とも言う。五月蠅いな。
「一夏、もっと食べなさいよ。ほらほらほら」
鈴がから揚げを摘まんでボクの口元まで持ってくる。美味しそうなので状況を気にせずに食べる。案の定美味しい。
「美味しいでしょ。アタシの自信策なんだから」
いやいや、どう見ても箒が作った奴でしょ。そう思ったんだけど、鈴の手元にタッパーがあることを見た。箒が重箱を持ち出したのに対して、明らかに安物なタッパーがあるはずもないので、鈴が用意してきたものだろう。
「い、いつの間に!?」
「アンタが料理本見ながら四苦八苦している間によ」
「さらに言えば私も料理を作った」
参加してくるのはラウラで、彼女の手元にはラッピングされたチョコレートが置いてあった。料理関係でラウラが参加してくるのは多少の場違い感を覚えたけど、作ってくるものの場違い感も凄かった。場違いというか時期違いと言った方がいい。
「りょ、料理?」
「それはさすがにタイミングが違うと思うんだけど」
箒と鈴もおんなじ思いだったみたいだ。誰だってそう思うだろうけど。
「馬鹿者め。その傲慢さが視野を狭めていると知れ。ラッピングしたチョコレートが必ずしもバレンタインデーだと思うんじゃない。これはあくまで男女の付き合いの中での好きな人に食べてもらいたいから作ったお菓子でしかないのだ」
ごもっともなことを小馬鹿にしたように言ってくるラウラは、2人のことを鼻で嗤ってボクにチョコレートを渡してきた。渡された以上は食べるしかないので、ラッピングを剥ぎ取って一口食べる。よりによっては何故にハート型という疑問と一緒にチョコレートを咀嚼する。甘すぎず、かと言って苦過ぎるわけでもないちょうどいい塩梅のチョコレートだ。繊細な匙加減を追及したとお見受けいたす。
ラウラ特製のチョコレートが美味しくて頬が緩む。この幸せは得難いものかもしれないと思えば、篠ノ之とのやり取りも頭の片隅に吹き飛んでしまう。