夢を見ていた。
夢を見ていた。
夢を見ていた。
夢を見ていた。
夢を見ていた。
泣いている女の子がいた。
寄りそう男の子がいた。
泣いている女の子は泣き続け、寄りそう男の子は明るい笑顔で慰めていた。
夕暮れの公園での一幕。
歯を食いしばる男の子がいた。
男の子を想う女性がいた。
男の子は脱却を望み、女の子は停滞を望んだ。
日常の中の一幕。
女の子が両腕を突きだす。
階段から転がり落ちる男の子。
日常での予想もしない一幕。
泣き崩れる女性。
いまだに目を覚まさない男の子。
いつまでも停滞するような一幕。
閉じ困る女の子。
姿を見せられない男の子。
知らずに閉じ籠る一幕。
それは誰の夢なのか。
それは誰の夢なのか。
それは誰の夢なのか。
それは誰の夢なのか。
起きたら身体中に不快感が張り付いていた。寝汗で肌がべた付いている。汗を吸って張り付いてくるパジャマが気持ち悪くて脱ぎたくなる。
上体を起こして深呼吸をする。段々と夏本番に向かいつつあるだけあって空気も若干の暖かさを含んでいて、取り込んだ外気で身体の中まで温かくなっていきそうだ。
髪の毛まで汗で湿っている中での起床は気分的に最悪だ。1日気分が優れないままに終わりそうだ。
思わずパジャマを脱いでしまおうかと考えたが、隣ですやすやと眠っているラウラがいつ起きるのか分からないために、この場で脱ぐことはできない。セクハラと思われたらIS学園に居られない。ゴミ屑を見るような視線を受けてまで滞在はできないですから、自分。
仕方がないのでシャワー室で身体の不快感を流してから着替えよう。脱衣所で着替えれば見られないはずだ。
チラッとラウラを見ればまだ眠り続けていてくれる。真っ裸で眠っているのが毎回気になるけど眠ってくれている。服を着て寝てくれると色々と安心できるのだけど。注意しても止めてくれないから諦めるしかないが。
着替えを持ってシャワー室に入り。綺麗さっぱりにしてから出てくる。汗ではなく冷水で濡れた髪の毛をタオルで拭く。
不快感が流れ落ちていくと、少しだけ頭の中がクリアになっていく。冷水浴びると冷静になれる。おかげで寒くて風邪引きそうだ。仮病という名前の病気でサボりたくなってきた。
時計を見ると午前4時。年寄りか。若者の起きる時間じゃないっス。
IS学園指定の純白の制服を着込んで、何もすることもないのでベッドの上に腰を下ろす。世界各地から代表候補となるべく、その先の代表となるべく集まってきた生徒達のための部屋だけあって、ベッドも高級感溢れる寝心地の良さだ。疲れていると1発で意識を刈り取られてしまうほどに。
ひとまず上体を横たえてみたけど、眠気なんてちっともやってこない。一応は睡眠時間は十分に取れたみたいだけど、寝起きの悪さのせいで快眠という感じではなかった。
夢を見た気がする。どんな夢だったかはこれっぽっちも覚えていないのだけど、悲しい夢だった気がするし、楽しい夢だった気もするしで本当に何も覚えてない。
「夢見るなんて初めてかも」
夢を見ることなんて1度もなかった気がする。それこそ覚えていないだけかもしれないけど。都合の悪いことを忘れてしまうのが人間でそれこそ人間賛歌なのだ、なんて訳の分からないことは言わないでおく。ラウラが寝返りを打ったのにドキリとして言えなかったとは口が裂けてまで言わないことじゃないけど、今は言わない方が賢明なので言わないでおく。
ラウラは6時きっちりに目を覚ますので、後2時間は何もしない暇な時間を堪能することになるので、その間にぼんやりとしていよう。
臨海学校までのカウントダウンも残り3日と迫ってきている。金、土、日と進んでいけば月曜日には日差しに照らされた青色の海でバカ騒ぎをする未来だけが見えている。残念なことに海は初めてなのでどれほどのバカ騒ぎかは判断がつかない。小学生の頃は夏になると千冬姉さんと一緒にプールに出ることしかなかったのだ。何故ならボクは車が大の苦手だからだ。だからこそ遠出はほとんど不可能という致命的な問題を抱えている。車以外の移動手段は取れるから、実は遠出できるんだけどね。おかげで千冬姉さんは未だに車を持っていない。バイクは持っているらしいけど、家にはバイクのバの字もないので、それも不確かな情報だ。隠し持っているのかもしれない。家の地下とかに。
金曜日ともなるとクラスもそわそわを通り越してぞわぞわしている中で、今日も千冬姉さんの授業に耳を傾ける。
IS関連の授業は最初に比べては理解できるようになったと自負している。勉強の賜物と言いたいところだけど、多くがラウラのおかげ。淡々と取っつきにくい態度とは裏腹に説明上手で教え上手なラウラの追加講習は、ボクの知識をレベルを徐々に引き上げてくれている。
さらにラウラ主催のIS実技講習もボクの実力を微々たるものだけど引き上げてくれている。
授業以外には稼働させることもないと思っていた灰式は授業以外にも週3で稼働している。ラウラのIS実技講習のおかげだ。箪笥の肥しになることもなく元気に飛び回っていますよ。あのオーバーキルこそが醍醐味みたいな過剰な威力のビーム砲『火砲参式』が実は威力調節可能と知ることができたのもラウラのおかげだったりする。ちなみにフルパワーで撃つと3発しか撃てないらしい。逆に言うと3発も撃てるという恐怖の事実だ。3度目の正直だったり、2度あることは3度あるだったり、3度の飯よりたったりするのだ。日本人は3が大好きだ。ボクも3は好きだったりするけど。第三部完とか言ってみたい。言うと負けフラグが立ちそうだけど。そしてあの守護霊はボクと非情に相性が悪い気がする。
そして、ラウラのIS実技講習に参加しているのはボクだけではない。
「いい加減に当たりなさいよ!!」
鈴が衝撃砲を唸らせる。砲身も砲弾も見えない不可視の砲撃は、されどラウラの前では脅威とは映らないようで回避されてしまっている。不可視なのでいくら頑張っても映ることはないんだろうな。
ラウラは手加減で相手していることがよく分かる。余裕綽々に衝撃砲を回避し続けていく。冷静で無駄のない回避行動はカッコよく見えるものだから、ラウラに随分と気を許している。
かと言って浮気をしているわけじゃないことだけは弁解しておく。誰にとは言わない。鈴とかは言わない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!!」
何故か武器を捨てて素手で勝負に出始めた鈴のラッシュ。ラッシュの速さ比べでもするかと思いきや。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!」
ラウラはただ軽やかに避けるだけという裏切り行為。まさしく張り合いがない。時を止めるとか使わないで勝ったらつまらんよ。
スイスイと軽やかにラッシュを避けきったラウラが「潮時だな」と呟き、ワイヤーブレードを展開して鈴を突き回して練習試合が終了した。
何度も行われている練習試合にして黒星の連続を貰った鈴が目に涙を溜めながら降りてくる。普段快活でちょっぴり強きな鈴だけにドキドキしてきた。降りてくるなり飛びついてくるものだから受け止めて頭を撫でましてみた。撫でポとかないから。浮気でもないから。降りてきたラウラに何故か頭を撫でられているけど撫でポでも浮気でもないから。
「なんで1発も当たらないのよ、チクショー」
「下手だからだろう。私と一夏が付き合っていることを知って引っ付くな」
「出会いがあれば別れもあんのよ。一夏が受け入れてくれたってことはアタシにチャンスあるってことでしょ」
「あるわけがない」
「わけない……じゃないでしょうが!! 決めつけんな!! 勝者面するな!! 勝ち誇った顔してんじゃないわよ!!」
「とにかく離れろ。一夏と付き合っているのは私だ。貴様に引っ付かれることによって夫の不貞を疑われてしまう」
「付き合っているどころかゴールインしちゃってるし!?」
「愚か者。結婚を前提にお付き合いさせていただいているのだ。そこまで考えずにしてどう付き合うというのだ」
まさかの結婚を前提とした重い付き合いだとは欠片も分からなかった。そもそもラウラからそれを感じることもできなかったというのに、今になって実は私はと言われても困る。今後の付き合い的に非情に困ってしまう。そもそも夫じゃないんだけど。
「だとしても!! だとしても夫発言は早計過ぎじゃないの。ああ、ちょっと来たばかりの箒が固まっちゃってる。目があっちこっち行っちゃってる!? 動揺しちゃってるけど!?」
「え!? ああ……すすすすえ永く幸せにお暮しくださいませお客様!?」
会話的にカオスな空間に参戦してしまった箒が訳の分からないことを喋っている。ボクとラウラの付き合い飛び越した夫婦仲を祝福されてしまったんだけど。これは箒からのお許しが出たと考えてもよいのだろうか。だとすれば後は千冬姉さんの許可を得ればめでたくゴールインする。いいや、ラウラの方の親族やらなんやらからの許可も得なければなるまいて。いいや、そもそも夫婦になると決定したわけじゃないんだから、先々進む必要はないはずだ。
「ありがとう。一夏のことを必ず幸せにしてみせる」
ボクがラウラを幸せにするんじゃなくて、ラウラがボクを幸せにする。男としてどうなのかと非難されそうだ。理想のヒモ生活の始まりだぜ。プライドを捨てねば到底受け入れられない未来に涙が出そうだ。
「ちょっと、ちょっと箒さーん。動揺して認めちゃってんだけど。ここは意地でも抵抗すべきとこじゃないの。アンタは本当に藁の盾過ぎてアタシも心配になってきたんだけど」
崩れ落ちる箒を必死に支える鈴。
冷静さを崩さないままにボクの側にいるラウラに、それを受け入れているボク。
これが今のボクの日常だった。
「どうだ。今日は自信作と言っても過言ではない出来だ」
テーブルの上には自信作と言って憚らない冷製パスタが鎮座していた。最近は夜も段々と蒸し暑くなってきている中での冷製パスタは食欲をそそる。
パスタから顔を上げると誇らし気な顔をしている千冬姉と目が合った。視線が重なればニコリと笑みを向けられるので、ボクも思わず笑顔を返してしまう。千冬姉さんマジックの前には鉄壁の防御なんて風に吹かれて飛んでいく葉っぱと変わらない。
フォークを手に取っていざ実食。千冬姉さん曰く、自信作である冷製パスタ。千冬姉さんが作る料理は常に自信作であるために疑うことなく自信作である。簡単に言えば絶対に美味しいということだ。
食べてみれば思わず笑みがこぼれてしまう。美味しくてほっぺが落ちるとはこのことなり。やはり千冬姉さんの自信作は本当に自信作だ。個人的に称賛の嵐で100点満点以外の点数をあげられない。所詮ブラコンなのだな。別に何の問題もないけれど。
千冬姉さん主催の食事も終了すれば後は家族水入らずの団欒の時間だ。学園という一種の閉鎖空間の中であってもホームシックに陥らないのは千冬姉さんが常に同じ空間にいてくれているからだろう。感謝感激雨あられの嵐だ。天気的には常に晴れがいいけど。
「明後日には臨海学校だな。1日目は自由時間だ。初めての海だからといってはしゃぎ過ぎてバテるなよ」
頭を撫でられる。ボクが海を前にしてはしゃぐ姿を想像したのかクスリと笑みを浮かべている。ボクの良く知る千冬姉さんの姿だ。生徒を前にしたときの鋭さはない。家族にだけ見せる本当の顔。最近はその笑顔を見るだけでホッとしてくる。身体の内側からポカポカしてきて安心できてしまうだ。
「大丈夫だよ。だって千冬姉さんがいるでしょ」
だから大丈夫なのだ。
「まぁな。私にとってお前は目に入れても痛くない大事な弟だ。何かあったら助けてやるさ」
「何かあったらすぐに千冬姉さんの名前を呼ぶよ。だって千冬姉さんのことは大好きだからね」
「私もだ。ところで……ラウラとはどうだ?」
「どう……って?」
「変なことはされていないか?」
「特には。助けられてばっかり」
「助けられてか。アイツはあの振る舞いの割には世話焼きの面もあるみたいだからな。問題は常識に少々の偏りがあることくらいか」
「確かにね。でも奇行が目立つという風でもないから問題ないよ」
たまに素っ裸で部屋をうろつく程度だ。たとえ発育不良であっても目のやり場に困ってしまう程度の非常識なだけ。本人には欠片も羞恥心がないのか、ボクとばっちり視線がぶつかり合っても一切気にしてくれない。それどころか、裸の付き合いという奴か、と言ってくる始末。ちげーよ。
「薬が変わったと聞いたが。どうだ、少しはよくなったか?」
ボクの頭を撫で続けている千冬姉さんが不安げに問いかけてくる。そういえば、先生が千冬姉さん当てに手紙を書いたんだった。内容は知らされていないけど、きっと薬のことについて書かれていたのだろう。モノが変われば暫くは心配されてしまうだろうけど、今までと何ら変わりのない事態に心配は無用と言いたくなってしまう。変に千冬姉さんを心配させたくないのだ。
「何1つ変わらない。ただ薬が変わっただけかも。先生からの手紙に何かしら書かれていたと思うけど……何が変わったんだろう」
「あの手紙か。薬の……薬の効力と処方理由が書かれているだけだが、薬学の知識のない私には何が何だかさっぱりだ。正直、いくら理由を手紙でしたためられてもチンプンカンプンさ。ただ、新しい効力の薬が処方されたことくらいしか分からない」
申し訳なさそうに溜息を吐いた千冬姉さんの顔は見えない。いつの間にか背後に回り込まれてしまい抱きしめられていたからだ。千冬姉さんの腕が首を回って抱き寄せてくるので、抵抗しないままに抱きしめられる。背後に感じるぬくもりにホッと息が出る。
「こういう時は専門家を信頼して託すしかないのが辛いな」
ギュッと強く抱きしめられる。千冬姉さんの声は本当に辛そうだった。
「そうだよね」
回された腕に不自然なほどに力が籠っている気がした。普段と何かが違う気がした。声に違いを感じてしまった。
千冬姉さんが不安を感じている。薬の話でだ。前からたまに口にする話題でしかないはずなのに、今回に限っては不安が前面に出てきている気がした。
気のせいかもしれない。そう思うのは簡単ではない。なにせ千冬姉さんのことを前から見ているのだ。ちょっとした変化に目を逸らせるほどの淡泊な姉弟じゃなかった。
もしかして、先生の手紙に書かれていた内容と関係があるのだろうか。説明された通りに薬が効いていないとか。それとも他の何かだろうか。
分からない。全く分からないままに、ボクは千冬姉さんに抱きしめられ続けることになった。
その日の夜だった。部屋に戻り、ラウラが風呂から帰ってくれば後は寝るだけの状況の中で、ケータイに電話がかかってきた。常にマナーモードにしているケータイは最小限のバイブレーションで着信を知らせてくれる。
ケータイを手に取って着信を確認すると、ディスプレイに『先生』と表示されていた。珍しいを通り越して初めての先生からの着信だった。そもそも電話番号を教えた覚えがないのだけど、かかってきた以上はどこかのタイミングで電話番号を知ったのだろう。
電話に出てみれば、ケータイから先生の声が聞こえてくる。もしもし、という言葉で始まるのがいかにも日本人らしく、あの先生でも常識的に使用する言葉なのかと感心してしまう。
「夜分遅くに電話して申し訳ない、少年くん」
謝罪から入る電話にゾクッとした。先生、もしや悪いモノでも食べてしまったのですか。そう問いかけたくもなる。常識を意図的に落っことしてしまった振る舞いをする先生からは本当に想像ができない。
「どうかしたました」
それでも表面上は冷静に対応する。通話の相手の顔が見えない電話は、たとえ相手が知り合いであっても緊張してしまう。表情を認識できない会話というものは声音だけで相手の感情を判断しなくてはならないから恐い。また、ちょっとした声音が相手に誤解させることになるので恐い。
「どうかしたもなにも。少年くんが無事かどうか心配になりまして」
電話越しの相手は奇妙なことを喋った。
「心配? どうしてですか?」
心配されるようなことはしていない。そもそも先生が心配する内容が分からないし、先生がIS学園内でのボクの行動を知るわけがない。だから心配される原因が分からない。あるとすれば薬の件だけだが、いくらふざけることのある先生でも患者に不確かな薬は処方しないだろう。
「そりゃあ織斑千冬がキミを酷く罵って挙句に手を上げているのではないかと思ってね」
その言葉の意味はもっと分からなかった。