IS ぎきょーだいになりましょう   作:ネコ削ぎ

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織斑千冬だが

 幸せな生活を満喫できているという実感がある。常に幸福が含まれた吐息は身体の芯まで幸せで満たされているからだ。

 見ているだけで、触れるだけで、声を聞くだけで、声をかけるだけで、どのような接触であっても全てが幸せに感じてしまうことは、きっと私自身が一夏という毒素に染まりきってしまっている証拠だ。

 幸せの青い鳥は結局は近くに存在している。私の場合もそうだ。義務から始まった関係はいつしか私の幸せであることに気がつき、今の私は幸せのためだけに生きているという。そこにはもう義務なんて責任感の重圧はない。背中には何も圧し掛かることなく生きているこの身を喜ぼう。幸せに気がつけた幸福に微笑みを浮かべよう。

 寮の管理人室にある小さなテーブルの上には自ら腕を振るった冷製パスタ。それをキラキラとした瞳で見つめている一夏は可愛らしい唯一の家族でしかなかった。世間が騒ぎ立てる重要人物にはどうしたって見ることなんてできない。世界を震撼させた世界でたった1人しか見つかっていないISを稼働させられる男性。雲の上にでも飛び上がってしまいそうな評価なんぞは所詮は一夏を知らないつまらない人間達の戯言でしかない。アイドルであったって世界を揺るがす天才だって、生身の姿を見ていれば近所にも居そうな人間でしかなくなる。

 一夏が冷製パスタを食べ始める。

 考えてみれば、私が料理などという行動をするようになったのは一夏が事故に遭ってからだ。それ以前は両親の蒸発を受けて気を張り続け、篠ノ之道場での鍛練に集中していて、食事など店屋物か弁当かのどちらかでしかなかった。育ち盛りの子供には偏った食事であり、愛情など全くない淡泊な食事でもあった。一夏はそれらの心に味気ない食事を前にして泣きだしてしまったのが料理を勉強するきっかけだ。

 剣道に集中している暇のなくなった日々。最初は全てにおいて上手くいかなかった。竹刀は綺麗に触れても、包丁は上手に扱うことができない。初めて切った野菜は獣に引き裂かれたかのような断面を晒すばかりで、テレビで見るような綺麗な断面にはなり得なかった。

 炒め物は黒焦げになる、味噌汁は味噌が溶けきらない、味付けは無味か濃すぎるかのどちらか。料理にかかる時間も膨大で、とてもじゃないが続けられる自信がなかった。

 こんなものを食べるくらいなら弁当を買ってくる方が早い。そう思って何度も包丁を置きそうになったものだが、一夏は嬉しそうに食べてくれるから続ける気持ちをなんとか維持することができた。作った私でも不味いと酷評できてしまうものであっても、一夏は文句の言葉もなく食べきってくれる。弁当の時は食べきれずに箸を置いてしまう一夏が、私の料理とは呼べない料理を食べきってくれる。それだけが私を支えてくれていた。投げ出したい気持ちを抑え留めてくれた。その結果が今だ。

 料理が楽しいと感じるようになったのはやはり一夏がほにゃりと笑って嬉しそうに食べてくれるからだろう。この笑顔を前にしてやる気が湧かない訳がない。一夏も私がウキウキと料理をするのを見て触発されたのか料理を始め、私の教えを受けながら段々と料理ができるようになった時は、一夏の成長に感動したものだ。姉弟で料理するということが楽しいことだったので2重に感動してしまった。

 幸せな世界にいる。私は確かに幸せだ。

 パスタを食べ終わった後も暫く一夏と談笑する。後ろから一夏を抱きしめる。腕に収まった失いたくない暖かさをぎゅっと抱きしめるとホッとする。この暖かさを失えば2度と同じモノは得られまい。

 織斑一夏。私のたった1人の弟だ。それ以上の情報は必要ない。

 この学園に居るもう1人の一夏。篠ノ之一夏。束の弟だという少年。私の一夏と瓜二つな外見を持っている謎の男子だ。

 あまりにそっくりな姿を初めて見た時は、頭の中が真っ白になって呼吸が止まるかと思った。衝撃が全身を駆け抜けて私の体組織を狂わしたのだ。

 篠ノ之という名前を受けて、箒の方で束に問いただした結果は箒の兄妹であるということだった。

 私としては一切の納得が出来ずに別口で束に問いただしてみれば、束の奴は心底篠ノ之一夏を大切に想っていることが伝わってきた。あの家族に対しても無関心でいられるような奴が、明らかに血の繋がりのない他人を弟として愛情を注いでいるなどとは。束の心中の変化が気になるところだったのだが、それよりも一夏と全く違わない容姿について聞いたみなければならなかった。

「正しい答えなんて持ってないよ。私はただ拾ってきただけなんだからさ。道端で転がっていただけ。いっくんにそっくりな見た目してたから興味本位で掬い上げただけ。名前だって私がパッと名付けただけだよ。男の子の名前なんて太郎や次郎くらいしか知らなかった。だからといってソレを名付けるのは味気ないから、それ以外で知ってる名前を付けた結果が一夏。本当の名前は知らない。記憶喪失という奴みたいでね。いまだに戻ってないみたいだよ。まぁ、戻ったところでどうにもならないけどね。ドラマやアニメの中の記憶喪失と、本当の記憶喪失は全く異なるものみたいだからね。パッと記憶が戻って今まで通りの生活ができるなんて都合の良いものはないみたいだよ。実際は、過去の記憶は記録でしか感じられなくなる。だから記憶を取り戻したところで何も変わりはしない。あるのはまるで他人のような自分の過去を抱え込んで生きていくということだけ。だから、私の一夏は今を生きてくれればそれでいいんだよ」

 分かったことは少ない。篠ノ之一夏が記憶喪失であることと、束の奴から大層愛されていることのみだ。

 だけど、納得できたこともある。私の一夏は今を生きてくれればそれでいいんだよ。その言葉だ。

 

 

 

 一夏が部屋に戻って後は眠るだけとなった。幸せな1日だったと断言できる。ぐっすりと眠ることができるはずだ。幸せに包まれながら眠れば明日も爽やかな朝がやってくることだろう。

 しかし、社会人たるもの早々に眠ることなどできるはずがない。来週の臨海学校のための準備というものがある。既にほとんどが片付いているのだが、それでも当日までは気が抜けない。

 仕事が片付いた時には日を跨いでしまっていた。余程の夜更かし好きでなければ既に眠りについている時間帯だ。かくいう私も多少睡魔が襲ってきている。

 そんな時だ。ラウラが訊ねてきたのは。

「教官。緊急の連絡があります」

 そう言って管理人室に入り込んできたラウラは何故かIS学園の制服を着ていた。表情は真剣そのものでありながらもどこか焦りを感じさせてくれた。その焦りが何故か私に小さな不安をもたらした。深夜の中での連絡というものは大抵が悪い知らせとされる。常識的に夜遅くに連絡してくるものなど居ないからだ。

「なんだ?」

 ドイツに滞在せざるを得なかった時の教え子はいまだに教官と呼んでくる。いつまでも引き摺っていてくれるなと注意しても変わらない。意志が固いのだ。だがIS学園に来て、公式に一夏と付き合うようになって雰囲気は変わってきている。人間見を帯びてきているというべきだろう。ただの冷静沈着な軍人がよくも変わったものだ。

 その教え子が焦っているのだ。何を焦ることがあるか。焦りを見せるようなことが起きてしまったということか。

「湯浴みより帰還してからかれこれ4時間が経ちますが……一夏の姿が見えません」

 連絡は私の小さな不安を増大させた。ラウラが焦りを見せることの意味が分かってしまった。

「こんな遅くにか」

「はい。ただ、ISのコア・ネットワークは繋がっているので位置情報は取得できています。しかし、プライベート・チャンネルの方は繋がりません」

「場所が分かるか。教えろ」

 一夏が行方不明になった。攫われたのか。過ぎった考えはすぐに否定できた。コア・ネットワークが繋がったままでは攫ったところですぐに発見できる。プロならばそんなヘマしないだろう。

 となると、考えられるのは一夏自身の意思で行方をくらませたということだろう。あり得ないと否定したくなる。

「データを送信します。場所はそう離れてはいません」

 仕事用のノートパソコンに送られてきた位置データを見る。場所は確かに離れてはいない。そして、一夏自身の意思で飛び出していったことが理解できてしまった。そして、暫くは安心しても良い場所で動きを止めているようだ。

「分かった。お前はそのまま待機していろ。篠ノ之や凰には現状を話してやれ。ただし、行動を起こすことは禁じる。これは完全に私と一夏の問題だ。それ以上は大きくならない。だからこそ、家庭の問題に首を突っ込まれたくない」

 付き合っていると豪語するラウラは自身が今回の件から弾き出されてしまったことに不満を含んだ視線を向けてくるが、睨みつけることで黙らせる。

 家庭の問題でしかない。姉弟間に時たま生じる不和でしかないのだ。他人が引っ掻き回せば傷が広がって取り返しがつかなくなる。

 すぐにパンツスーツに着替え夜のIS学園を出る。警備の関係もあり、外を出歩くことは変に勘繰られてしまうのだが、こちらは常に信頼されるように動いている。信頼はこういうときに役立つのだ。現にIS学園の管理局に外出の旨を伝えればあっさりと承認されるのだ。

 ここからIS学園の外を出る為に愛車のバイクに跨る。一夏は車を苦手とするために私はバイクを購入した訳だ。あくまでも足としてしか使わないので、走れることと取り回しの良さだけを条件に購入したバイクなので総排気量は大したことない。

 行き先は一夏が潜伏している場所の近くにある公園だ。昔、一夏がそこでよく遊んでいた場所だ。

 深夜の町並みにバイクのエンジン音だけが響き渡る。

 目的地にたどり着くと、私はすぐさまケータイを取り出して、ある人物に連絡を取る。今回の姉弟間の問題を大きくしてくれた全ての元凶だ。

 元凶は暫くすると車でやってきた。なんてことはない乗用車が公園の入口で停車すると、久しぶりに姿を見たソイツは既に仕事も終えて眠って良い時間のハズであっても気にせずに白衣を着込んでいた。まるで、先ほどまで仕事をしていたみたいに就寝の片鱗も見せていない。もしかしたら眠っていなかったのかもしれない。

「やぁ、お姉さん。こんな夜遅くのお呼び出し。他人の迷惑を考えてみたらどうだね?」

 一夏が先生と呼ぶ女は迷惑だと口で言いながらも、迷惑そうには見えない足取りと態度だった。

「なら迷惑そうな態度でもするのだな。ちっとも迷惑そうには見えないぞ」

 いきなり本題には入らない。軽い会話から本題にシフトしていく。たとえ相手が私と一夏の仲を裂こうとする者であってもだ。

「それは失礼しました。しかしながら明らかに迷惑の色を乗せてくるのはよろしくないと思った次第さ。ちょっとした大人の対応と言って欲しいな。気遣いという奴ですね。そう言った意味では、渡した手紙も一種の気遣いとも取れるかもしれんな」

 逸る気持ちを抑えて、切り出すタイミングを見計らっていれば相手の方から本題への入口を指し示してくれる。やはり端から呼び出された理由を察していた。いいや、私が電話をかけるより早くこの状況に置かれることを知っていたな。

 あの手紙といい、一夏の失踪といい、この女の態度といい。全て手のひらで転がしてのことでしかないのだろう。

「あの手紙は善意からの手紙であることだけは知ってほしいな。偽りに甘んじてしまっている憐れな2人を助け出すためのね」

 ぺろりと舌を突きだして茶目っ気を演じる女。とても私よりも年上とは思えない。30半ばだろうにずいぶんと幼稚な動きをする。

「憐れな2人か。確かにそうかもしれないな。親に見捨てられた子供だ。本来得られるモノもなく生きてきた身は憐れなのかもしれない」

 血を分けた肉親の不誠実な行いに、私は血の繋がりがもたらす強い結束を虚偽と断じ信頼どころか信用することもできなくなった。それは確かに憐れだ。

「そうじゃないでしょ。私が手紙で書いた内容は。真実を書き記した。そして忠告もしてあげた。それなのにお姉さんは嘘偽りの世界に浸ることを選んでしまった。抜け出して真実に生きる真っ当な道への道標を見てみぬふりしてしまった。だからこそ、私は善意を持ってお姉さんの弟に全てを話してあげましたとも。手紙にしたためた内容をそのままね」

 善意と語る女の目には確かに他人を転がして遊ぶような悪意は存在していなかった。私の目からしてみても、目の前の人物には汚れきった感情の一片も感じることができなかった。全くの善意から発している言葉であり、視線であり、雰囲気であった。しかし、その瞳に私を映してはいるが、善意の矛先は私にはない。別の誰かだ。言い換えれば、この女は知らぬ間に悪意を振りまいているタイプとするべきか。それとも1つことにしか目を向けないだけか。どちらにしても巻き込まれた側からしてみれば堪ったものではない。

「そのせいで一夏は失踪した。キサマが原因でな」

「当然だよ。少年くんは騙され続けていたわけだからね。お姉さんは騙し続けていたんだ。分かってんでしょ。ずっとずっとずーーーーーっと前から。少年くんが本物の織斑一夏でないことくらい」

 

 

 

 

 学校の階段から転がり落ちて意識不明。

 一夏が病院に運ばれたと知った時は息が止まった。そのまま心臓までもが止まりそうになったのだが、担任教師に早く向かうように、と言われて呼吸を取り戻し、勉強道具を回収する余裕もなく高校の門を出ていった。夕暮れの町並はまるで、これからの悲運を暗示するかのように日が落ちていく。ジワジワと迫りくる闇の訪れは、私そのものの心を表しているのではないか。

 病院へたどり着いた時には汗でべたべたになったいたが、そんなことを気遣ってなどいられなかった。両親に見捨てられた事実に、さらに弟に置いていかれるのではと孤独の恐怖が押し寄せるのだ。身体の芯から冷え切って骨も筋肉も凍り付かせてしまいそうだ。

 だからこそ少しでも早く一夏の安否を確認しなければならない。一夏が無事であることを確かめなければならない。

 そう思って受付から聞いた場所へと急いだのだが、若手の女性医師に今日は出直すようにと追い返されてしまった。家族なのだから近くに居させろ、と訴えても帰れの一点張りだった。

 それから一夏と面会できたのは数日経ってからだ。面会を許されない間はたまたま階段から落ちた一夏を目撃したらしい箒から真相を聞きだそうとしたり、面会を求めて病院に足繁く通うが追い返される日々だった。

 ようやく一夏と面会できるとなり私は重荷が取れた気分だった。置いていかれることはなかった。一夏は私と一緒にいてくれるんだ。

 しかし、数日ぶりに見た一夏は何かが違っていた。

 私を見るなり怯えた目をして、控えていた女医師に助けを求める視線を向けたのだ。何故と疑問を浮かべた私に対して、一夏の隣に控えていた女医師は安心させるように一夏の頭を撫でると、私を別室へと案内してくれた。

「残念なお知らせです。弟さんは記憶喪失です。自分が何者であるか、貴女が何者であるか。それが分からなくなっています」

 最初は女医師の言っていることが理解できなかった。記憶喪失などと信じることができなかった。

 だってそうだ。

 あの一夏は、あの一夏は全くの赤の他人じゃないか。私の弟である一夏ではないじゃないか。

 記憶喪失なんて生易しいものじゃない。全く同じ姿をした全く別の他人じゃないか。それを一夏と言われても違うとしか答えることができない。でも答えることなんてできない。だって、それは私が一夏にも置いていかれたということに繋がってしまうから。私が独りぼっちになってしまったことの証明となってしまうから。

 女医師に連れられて一夏の部屋に戻ると、私はすぐさま一夏にしか見えない子供を抱きしめた。敵意がないことを守ってあげることを伝えるために優しく抱きしめた。

 本当ならきっと違うと騒ぎ立てることもできた。触るも汚らわしいと拒否することもできた。

 それなのに私は目の前の子供を抱きしめる以外の選択肢を持ち合わせていなかった。だって、どんな理由があるにせよ実の弟に置いていかれてしまった私には、目の前の一夏とそっくりな子供を抱きしめることでしか心の安定を保つことができないのだ。

「良かった。一夏、無事で良かった」

 たとえ偽物であっても、私はまだ独りぼっちじゃない。これから一緒に生きてくれる偽弟がいる。それだけが小さな救いなのだ。

 だから私はこの子供を一夏と呼んで愛するのだ。肉親に見捨てられた憐れな私に残ったのは他人となった弟だけだ。この子にも見捨てられてしまえば、もはや私は生きていくことなんてできやしない。

 後日、見舞いにやってきた箒を目にした私は泣きだしそうになりながらも新しい一夏に紹介した。

「篠ノ之箒だ」

 私から一夏を奪うきっかけを作った少女だ。そして、私と同じで一夏の惨状に心痛めてしまった可哀想な少女だ。責めたくても、責めてはいけない少女なのだ。

 新しい一夏との生活は、私に確かな変化をもたらした。今までは一夏を守るのは力しかないと剣道一筋でやってきたのだが、一夏を守るには近くにいて愛情を注ぐ以外に道はないと常に側にいて守るようにした。

 記憶を失った一夏は多くのことに怯え、傷つき、泣いていた。知らない自分について強要されるのだ。自分を否定されているのと変わらない。幼子には酷な仕打ちだろう。私はその度に一夏を抱きしめてあやし続けた。だって、私に残されたたった1人の家族なんだ。姉弟なんだ。私が守らなければ、愛さなければ見捨てられてしまう。

 だから必死になんでもやった。不慣れな家事を学び、料理を覚え、他者との繋がりを作り、敵となるものを減らしていった。

 もちろん剣道も続けてはいるのだが、時間は限られる。既に私は一夏中心の生活をしていた。ほんのわずかな時間に竹刀を振るい力を付ける。

 一夏と生活する内に、私は目の前の一夏が私の大切な弟であると無意識に想うようになってきていた。本物とか偽物とかそんなちゃちなことに悩んでいた自分が情けなるくらいに目の前の一夏との生活を謳歌していたのだ。

 ああ、記憶など戻らなくてもいい。この子は私の弟なんだ。私を置いていかないでくれる優しい弟なんだ。

 

 

 

「騙していたことは認めよう。血の繋がりを言えば確かに一夏は本当の弟じゃない」

「そうだね。その通りです」

「だけど、今日まで暮らしの積み重ねは一夏を大事な弟と思わせてくれている。私としてはそれで十分だ」

「それは自己満足でしかないじゃないか。酷い人間だ」

「元はキサマが起こしたことなのだろう。あの時に一夏の治療を担当していたキサマがすり替えた。あの子をどこから連れてきたのかは分からないが」

「どこから連れてきたかなんて忘れましたよ。そのような些事を覚えている意味もないですようし。本物もどこにやったかなんて忘れたよ。あんまりに損傷が酷くて見捨てたか、顔を変え記憶を消してどこかのガキの患者とすり替えてしまったか。まぁ、全ては終わったことですから気にすることもありません」

「そうだな。全ては遅い。今更嘆いても仕方がない。糾弾することも時期外れだ。だから私はそのことについては追及をしない」

「それはけっこうなことで。しかし、今回の件では追及すると取れる発言をどうもありがとう」

「何故放っておかない。今更に介入して平穏を引っ掻き回す真似をするんじゃない」

「そんなの決まってるでしょ。お姉さんと少年くんが停滞を決め込んでしまっているからだ。いつまでもぬるま湯に浸かっていないで、はっきりする必要があるわけなのだよ。偽りから救いだす。そう言ったでしょう?」

「私達の仲違いをみたいとでも言うのか?」

「私はそれを望んではいないけど? それよりも少年くんのところへ行ってあげたらどうだい。私も帰って眠るから」

 そう言って背を向けて歩き出した女。滑らかな動きには一切の恐怖がない。平常運転のままだった。

「ああ、そうだった。もしも仲直りができたら少年くんに伝えて。キミの片頭痛は私の薬が原因だから。ドMじゃなければ薬の服用はお勧めできないと。あれは定期的に頭痛を起こさせる魔法の薬だからね」

 片手を気だるげに振って遠ざかる女の背中に、私は助走をつけて飛び蹴りをかました。

「必ず伝える」

 砂地にうつ伏せに倒れるのを見届けて私はバイクを押して公園から立ち去った。

 ケータイでメールを打ち込んで、私は自宅へと向かうことにした。

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