超克騎士の前日譚<プリクォール>   作:放浪人

7 / 12
 前回より約二ヶ月。大変お待たせしました、申し訳ありません;
 既刊分を漸く読破、現在最新刊をちまちまと読みながら少しずつ書き始めている次第でございます;
 とりあえず今回は、一応の予定であった珠雫のお話……え、それなら読破しなくても書けた?……さ、さあそれでは参りましょう!

 あとどうでもいいことですが、当面はウザラストロ(!)節前語りは本人不在でありません。
 ザラストロの英雄スクスク成長日記でも書いてるんでしょう(!?

 それではどうぞ。今回も今回で、二部編成の内の前編になります。


珠雫篇 Ⅰ:邂逅の一滴

 一人の少女の話をしよう。

 恵まれた環境に生まれ、才能にも愛された、お姫様のような少女。

 

 その少女には三人の兄がいた。

 

 一人は、類稀な才能を生まれ持ち、将来を嘱望される神童。

 一人は、名門の一族に生まれながら最底辺の才能しか持たず、存在自体を黙殺された落伍者(おちこぼれ)

 一人は、前代未聞の才能とそれ以上の常人ならざる精神を備え、多くの者を畏怖させる怪物(バケモノ)

 

 

 少女が三人の兄に抱いた抱く想いは、それぞれ異なった。

 

 神童たる次兄に対し、少女が思ったことは『不可解』だった。何故あんな怪物に進んで近づくのか、何で立ち向かっていくのか、少女には心底解らなかった。

 

 落伍者たる末の兄に対し、少女が向けたのは『親愛』だった。くだらない周りの人間の中で唯一人、彼は上辺の言葉で飾らず真摯に向き合い、そして優しく触れ合ってくれた、大切で大好きな(ひと)

 

 怪物たる長兄に対し、少女が抱いたのは『恐怖』だった。怖い恐い(こわ)(こわ)い。何なのだコレは、こんな人外が自分と同じ血を持つ人間だというのか――理屈を通り越した、本能が訴える恐怖。記憶にはないが赤子の頃など、彼が近くを通っただけで怯えて泣いたと言う。

 

 

 

 そんなある日、それまで恐怖の対象としか捉えて来なかった長兄に対して、少女は新たな感情を抱くこととなった。

 少女が最も慕う末の兄が、彼の元で暮らすようになった――そう知ったことが、総ての始まり。

 

 先ず感じたのは、それまでと同じ『恐怖』――その名を聞いただけで身体は震えた。ただそこに在るだけで周囲の有象無象を威圧し、あの総てを見極めるような瞳が、己を射抜く。それを思い浮かべただけでも、少女は耐え難い恐怖に晒された。

 

 次に思い浮かんだのは『疑問』――なんで、なんでなんで、どうして? 知ってはいた。あの兄がいつからか、おぞましいあの怪物に憧れていることを。何度も近づかないでと忠告しても、終ぞ聞き入れられはしなかったが。

 そんな兄に、思わずにはいられない――なんで私ではないの、と。

 

 そして至ったのは『嫉妬』――こんなに彼を好きな自分ではなく、あんなおぞましい怪物が選ばれたことへの、幼いながらも烈しい妬心だった。一時的にとはいえ、あの恐怖を忘却できるほどの。

 それが子供らしい幼稚で身勝手なものであっても、幼い彼女にそれを自覚し自制することなど、できよう筈もなく。

 

 

 そうした感情がうねり入り混じり――その末に、少女は決意した。

 

 

 それでも、少女が決意を行動に移すには、時間を要した。

 これが丸きり考えなしの子供だったなら、話を聞いた途端に飛び出していただろうが、幸か不幸か、少女は幼いながらに聡明で、だからこそ兄を求める『想い』以上に、恐怖に怯える『理性』と危険から遠ざかろうとする『本能』が働き、その足を幾度も踏み止まらせた。

 

 少女の想いが足りないと言うべきではない。如何に賢かろうと――否。なまじ賢いからこそ、無知な子供よりは明確にあの怪物の恐ろしさが分かるのだ。

 無謀な蛮勇ではなく、恐怖による後押しとはいえ己を抑えて堪えることが出来たことで、その将来を嘱望すべきだろう。

 

 

 それでも、兄の喪失から幾許かの時間が経った頃――遂に彼女は立ち上がった。

 

 助け出さねば、取り戻さねば――大好きな兄への想いと彼の心を掴んだ相手(怪物)への嫉妬から、少女は止めようとする使用人の言葉など耳にすら入れず、家の敷地にある怪物の棲家――黒鉄 統真の離れへと向かった。

 

 

 冬の寒さもいよいよ完全に失せ、桜の花が咲き誇る季節のことである。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 その日もいつも通り、統真と一輝は鍛錬に勤しんでいた。

 

 時刻は既に昼過ぎ。従者である桜は、春休みも終わって三学期が始まったことにより登校しており、離れの主である統真とその庇護下で生活している弟の一輝だけが庭にいる。

 

 

「フッ――――」

 

 

 庭に立つ統真は素振りに取り組んでいる。もっとも、その手に握られているのは竹刀ではなく、いつかの鍛錬でも使われていたものと同じ、刀身に当たる部分にいくつもの重石――重さは増量――を付けた鍛錬棒だったが。

 そんな代物を、しかし当の統真はまるで普通の竹刀と変わらないかのように振っている。その動作には一糸の乱れもなく、一つの完成されたフォームを体現していた。

 

 そして――――

 

 

「…………(ジーィ)」

 

 

 そんな兄を、一輝は縁側に正座してじっと――いや、ジィーッと見つめていた。

 別に怠けているのではなく、桜に組まれたトレーニングをやり終え、残った時間を次の鍛錬のための休息と、そして『あること』に注ぎ込んでいるに過ぎない。

 

 

「フッ――――」

「……………………(ジィーーーィ)」

「フッ――――」

「………………………………(ジジィーーーーーィ)」

 

 

 一回一回、極めて基本的な素振りを、しかし心身ともに一糸の乱れもなくこなす統真の所作を、一輝はただただ視て(・・)いる。まるで、何かを見極めようとするかのように。

 

 

「――一輝」

「えっ」

 

 

 すると、徐に素振りを止めて構えを解いた統真が一輝の方を振り向く。

 一瞬、自分の視線が煩わしかったのかと慌てる一輝だが、すぐに素振りがちょうど終わっただけだと分かり、落ち着きを取り戻した。

 

 

「な、なに? 兄さん」

「いや。『先日』以来、お前が俺を視て(・・)いることが多かったのでな。

 何か気になる点でもあったか?」

「う、ううん! ただ兄さんの鍛錬を参考にしていただけだから!」

 

 

 慌てて何でもないと言う一輝に統真も「そうか」と頷きながら鍛錬棒を置くと、今度は大小二本の竹刀を手に取り、小さい方を一輝に向けて差し出した。

 

 

「始めるぞ」

「! はいっ!」

 

 

 『稽古』の開始を指すその言葉にパアッと顔を明るくして、一輝は庭へと飛び出した。

 

 

 

 それから一時間弱、統真による一輝の剣の稽古は行われた。と言っても、まだ桜の監修の元で身体作りの段階にある一輝に何か特殊なものを教える訳ではなく、その内容は実用的でありながらも年齢に相応した基礎的なもの。

 それでも、一輝にとっては少し前まで縁遠いものにさせられてきたものということもあって、取り組む姿勢は生来の気質も加わり極めて真剣なものであり、また自分を認めてくれる人物――まして目標である統真に直に教えてもらえるということは、稽古の内容を抜きにしても教え子である一輝にとってこの上なく意気込みを持たせることだった。

 

 

「ヤァッ!」

「勢いだけがあり過ぎる。相手をしっかりと見据えろ」

「はいっ!」

 

 

 今の時点では『一輝が打ち込んでそれを統真が受け止め、姿勢や力の入れ具合といった部分を指摘して少しずつ矯正していく』という無難な流れとなっている。

 統真と会うまで一人で剣道の真似事をしていたことからできてしまった一輝の変な癖や間違った部分を直していくというのが、鍛錬を監修している桜の意図だった。

 

 ……と言っても、稽古をしてもらっている一輝にそうした計画性は全くなく、今はただ向かい合う兄の指摘を一つ一つ取り入れつつ、全力の打ち込みをしているだけだったが。

 

 

 ――そうして打ち込みの回数が百を越した頃には、一輝は全身を汗だくにし、ゼエゼエと荒い息で呼吸していた。

 

 

「一旦ここまでだ。身体を休めろ」

「は、はいっ……」

 

 

 そんな統真の指示に素直に従い、ふらふらとした足取りで一輝は縁側の方へと戻っていく。

 

 ただの打ち込み稽古なら疲れはしてもここまで消耗することはないのだが、相手は他ならない黒鉄 統真である。稽古であろうと真剣に臨む彼と相対するだけでも常にプレッシャーに晒され、黒鉄の道場などでは一回りも年上の門弟ですらそれに威圧されて動けなくなる者が大半である。

 

 この稽古では桜の言もあってなるべく抑えるようにしているが、それでも齢6歳の子供は本来なら恐怖で泣くか、場合によっては失神したりもする程度ではあるので、そこに自ら飛び込んで行かなければならない一輝にとっては、実は肉体よりも精神の負荷が遥かに大きい。

 それでも体力の限界まで打ち込みを続けられたのは、一輝の統真への信頼と、真剣に向き合ってくれる彼の期待に背きたくないという想い、そして朧気ながらも「この程度で怖気づいていたら一生この兄には追いつけない」という考え故だった。

 

 

 一輝が縁側に着いて腰を下ろした頃には、統真は手に持った竹刀をそのまま振るっている。総量200キロの鍛錬棒というインパクトはないが、その動作の一つ一つに無駄はなく、かつて一輝の心を奪った時よりも更に洗練された剣がそこにあった。

 

 ――そんな兄の姿を見つめながら、一輝は『あること』を思い浮かべる。

 

 

(『兄さんを見る』……どうすればいいんだろう)

 

 

 それは『先日』――一輝が曽祖父である大英雄・黒鉄 龍馬と引き合わされた日、その曽祖父から贈られた助言にして忠告。それは、それまではひたすらに統真を憧憬していた一輝に、そこからの脱却を促す楔でもあった。

 

 ……とは言っても、言われたからとて具体的にどうすればいいかなど分かるはずもなく。その境遇や抱く目標故に同年代より思慮深くなり大人びている一輝だが、歳相応に頭を捻って悩んでみたところで答えは思い浮かばない。

 

 なので、今のところは言葉通り『統真を観察する』ことで、一輝なりに『理想の黒鉄 統真』ではなく『在りのままの黒鉄 統真』を見極めようとしていた。

 

 ――もっとも。

 

 

「フッ――――」

(……やっぱり凄いなあ。兄さんは)

 

 

 当人にしてみれば何でもないだろう、ただの素振りにすら一々感動しているのだから、その目的が成し遂げられるのはまだまだ先のことなのだろう。

 

 

 

 ――そんな落ち着いた状態が変化したのは、それから少ししてのことだった。

 

 

「む」

「?」

 

 

 休憩を挟んで再び稽古に取り組んでいた二人だったが、竹刀を振るっていた手を統真が止め、徐にある方向に視線を向けたことで中断される。

 その方向には黒鉄家の本邸があり、そして林で区切られている本邸とこの離れを繋ぐ道がある。なので、そちらに視線が向くということは――――

 

 

「あ、桜さん」

 

 

 統真に続く形で一輝が同じ方向に目を向けると、今や馴染みとなった人物がちょうど林の出入り道に立っている。学校帰りと思しい制服姿の桜だった。

 そこに誰かいるのか、膝に手を置き身体を屈めながら、すぐ隣に何かを語りかけている。そしてその場所をよく見ると、銀色の『何か』が林の影から飛び出ていた。

 

 

(……? 見覚えがあるような……)

 

 

 その光景と、『何か』に見覚えがあることに一輝が首を傾げていると、しかし答えは次の瞬間には明かされることとなった。

 

 何故なら、林に隠れている『何か』を一瞬で抱え上げた桜が、それをこちらに見せながら走ってきたのだから。

 

 その『何か』とは――――

 

 

 

「見てください統真様、一輝さん! 珠雫さん拾いました!」

「は、はなしてぇ!」

 

 

 

「…………へ?」

「…………」

 

 

 嬉々とした表情で5歳くらいの子供を軽々と抱き上げながらこちらに走ってくる桜と、その手の中で必死にもがく銀色の髪の少女――そんな異様な光景に理解が追いつかず、間抜けな表情と声を一輝は零してしまう。

 統真の方も、一見すると落ち着き払っているように見えるが、僅かに片方の眉が釣り上がっている。彼なりの呆れの表情だった。

 

 そして、

 

 

「お、お兄ちゃん! たすけて!」

「……シ、シズク?」

 

 

 銀色の『何か』――ツインテールに結い上げられた綺麗な銀色の髪を持つ少女の正体が、他ならない自身の妹であると知り、驚きと戸惑いをありのままに晒すしかなかった。

 

 黒鉄家の長女にして末の妹。即ち統真と一輝のどちらにとっても妹である黒鉄 珠雫こそが、その少女の正体だった。

 

 

「いやぁ、何やら林の影に子供がいたので声を掛けてみたんですが、どうにも警戒されてしまいまして。

 という訳で、逃げられる前に確保して強制連行しました♪」

「どういう訳だ戯け」

 

 

 悪びれもせず言ってのける桜にすかさず突っ込む統真だが、腕の中に飛びっきりの美幼女を抱き抱えてご満悦な今の桜には全く効いていないらしい。

 

 もっとも、その美幼女は必死にジタバタと暴れて桜から離れようとしているのだが。

 

 

「うぅ~! は、はなしてぇっ!」

「はぁ、可愛いですね~。長くてサラサラな銀髪とかクリッとした翡翠の瞳とか、お人形さんのような可愛さです。柔らかい抱き心地と女児特有の甘ったるい匂いも素晴らしいですね。

 あ、もちろん一輝さんは一輝さんでちゃんと可愛いですから安心してください!」

「あ、ありがとうございます……?」

 

 

 そう言われても、子供と言えど男である一輝が可愛いと言われても嬉しいとは思えない。

 というか、目の前で妹を抱き抱える親しい人物が顔をだらしなく緩めていては、何とも言えない気分になるしかない。ついでに言えば発言も聞き様によっては危ういものを感じさせる。

 

 そんな感傷から目を逸らす訳ではないが、実際問題として何故妹がここにいるのかは分からず、一輝は取り敢えずそっちに意識を向けた。

 

 

「えっと……シズク、なんでここに?」

「そ、それは……お兄ちゃんが……」

「? ぼく?」

 

 

 そう言い淀む妹に一輝は首を傾げるが、その疑問は桜によって解消された。

 

 

「ああ、珠雫さんは一輝さんに会いに来たんだと思いますよ?」

「ぼくに……ですか?」

「ええ。ほら、一輝さんここに来て以来、ずっと私達と一緒だったじゃないですか。きっと会えなくて寂しかったんですよ」

 

 

 そう言って「ね~?」と珠雫に親しみを込めた笑顔を向ける桜だが、当の珠雫はというと「うぅ……!」と唸り声を上げながら必死にそっぽを向いている。

 どうやらファーストコンタクトで即行拉致という蛮行により、幼い珠雫が桜に対して苦手意識を抱いてしまったらしい。当たり前だが。

 

 それはさておき――桜の指摘で、この離れに来てから目の前の妹と顔を合わせる機会がなかったことを思い出し、一輝はこの状況の遠因が自分にあることを理解した。

 

 

「ご、ごめんねシズク。ぼく、兄さん達に剣を教えてもらうことに夢中だったから……」

「う~……」

 

 

 そんな兄の謝罪に、しかし妹は可愛らしい唸り声を上げながらプイッとそっぽを向くことで答えた。

 

 と言っても、その表情は「怒っている」というよりは子供らしく「拗ねています」といったもので、目尻には涙が水玉を作り頬が赤くなっている辺り、予想外のこの状況への気恥ずかしさから、本心とは真逆の反応をしてしまっているだけなのだが。

 

 そうした珠雫の内心を早くも察したのか、彼女を抱き抱えている――加えて、彼女がそんな反応をしている一因でもある桜は苦笑を零すが、そうした反応をされた一輝にそこまでの機微は察せようはずもなく、そっぽ向く妹にどう償えばいいのかとオロオロしている。

 

 

 ――……これだけだったなら、きっとこの状況は、やがて機嫌を直した妹が兄を許して仲直りをするという、微笑ましい流れになっていたことだろう。

 

 だがしかし、この場にはもう一人の人物がいた。

 それもこの状況に対して、図らずも致命的な影響力を持つ人物が。

 

 

「あまり責めてやるな、黒鉄 珠雫」

「ッ!?」

 

 

 それまで沈黙を保っていた統真は、徐に珠雫にそう語りかけた。

 

 

「親しい間柄だったお前に何も告げずにいたのは、確かに一輝の不義理だろう。が、それを非難するというのなら、そも一輝を独断でここに連れて来た俺こそが先に咎められるべきだ。

 己が行動に微塵も後悔するところはないが、しかしお前のような者への配慮を失念していたのは紛れもない事実であり、そして俺の不明だ。

 故に、先ずは俺が詫び――……む?」

 

 

 自身の半分にも満たない歳の妹に対しても真摯に向き合い、己達の非を謝罪しようとする統真だが、それは彼らしくもなく途中で途切れる形となった。その顔には訝しむ様子が浮かび、歳の離れた妹に目を向けている。

 

 というのも――――

 

 

「う、ぁ、あ……!」

 

 

「あ、あれ? えっと、珠雫さん……?」

「シ、シズク……?」

 

 

 その統真と向き合っていた――向き合わされていた珠雫の変調を察し、桜と一輝が彼女に呼びかけるが、それに対する反応はない。

 実際、この時の黒鉄 珠雫には、大好きな兄――と、初対面の彼女を問答無用で捕獲した馬鹿娘――の声は届いていなかった。

 

 幼いながらに端整さと愛らしさを両立させている顔は、全体が大きくひきつけを起こしていた。色白の肌は血の気を失ったかのように青白くなり、翡翠のような双眸は見開かれて散瞳状態、口からは引き攣ったような呻き声だけでなく、カチカチと上下の歯がぶつかる音も鳴っている。

 

 総じてその様子は――恐怖に晒された者のそれでしかなかった。

 

 

「あぅあぅあぅあぅあぅ……!」

「シズク!? どうしたの!?」

「……統真様、妹さんに何やらかしてたんですか。珠雫さんメチャクチャ怯えてますよ。身体中の筋肉と電気信号がとんでもないことになってるんですけど」

「……思い当たる節がないとは言わんが」

 

 

 そんな妹の異常に一輝は当然の反応として慌てふためき、桜は「あー……どうせどこかで無自覚に怯えさせたんだろうな」とほぼ己が主の有罪を断定して統真にジト目を向けた。当の統真も案の定、思い当たるところはあったらしい。

 

 そうしている間にも、長兄(魔王)に見据えられた哀れな()の状態は悪化していく。こう、ビクビクがブルブルになり、今は既にガクブル状態だ。

 

 そして、遂に恐怖が極限に達したらしい黒鉄 珠雫は――――

 

 

「――ひぅっ」

「む?」

「えっ」

「あっ」

 

 

 ――桜の腕の中で気絶した。

 

 

『……………………』

 

 

 沈黙――統真も桜も一輝も、ぐったりしてしまった小さな少女を見て、そうなるしかなかった。

 さしもの統真でもこの事態は想定の外だったらしく、片方の眉毛を吊り上げて怪訝な表情を浮かべている。

 気絶した珠雫を抱き抱えている桜は、よもやの事態に固まってしまっている。

 

 そんな中、あるいはこの中で珠雫と唯一関わりを持っていたためか、一輝だけはいち早く正気を取り戻し、

 

 

「シ、シズク? シズクーーーーーーーーッ!?」

 

 

 必死に妹の名を呼ぶ一輝の声だけが、離れとその周辺に響き渡った……。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――今でも、黒鉄 珠雫は鮮明に覚えている。覚えさせられている。

 

 記憶になんて残したくなかったけれど、できれば跡形もなく忘れてしまいたいけれど――脳裏に、記憶に、本能に、魂に刻まれてしまった恐怖は消せない。

 

 

 それは、今から一年前のこと。

 何気ない日だった。いつも通りの平凡で平穏で、当たり障りのないままに終わるはずだった一日。

 

 その日は、大好きな一つ上の兄が風邪で寝込んで遊べなくなった。子供心にも兄が心配で、また一緒にいたい気持ちから看病をしようともしたのだが、使用人達には止められ、母からも「風邪が移るから」と言われてしまい、それは適わなくなった。

 

 不貞腐れた彼女は、あまり好きではない屋敷の者達への当てつけも兼ねて、普段から「入らないように」と注意されていた『屋敷の離れに続く林』に入った。

 何のことはなく、自分を兄に会わせてくれない者達を困らせてやろうという、子供らしい稚拙な仕返しだった。兄以外の人間と会いたくない、という気持ちもあったが。

 

 林に入り、離れへと続く道を少女は進んだ。

 元来が臆病な普段の彼女ならそんな行動には及ばないのだが、この時の彼女は、虫の居所の悪さが妙な大胆さをその内から引き出していた。

 加えて、風邪で寝込んでいる兄に、自分一人で出入り禁止の離れまで行って来たのだと、ちょっとした冒険譚と自慢話を持って行ってあげようという、彼女なりの気遣いと見栄も、一種の奮起の役割を果たしていた。

 

 

 ――それが、『あんなもの』を目の当たりにする原因になるなどとは、知りようもなく。

 

 

『――……?』

 

 

 しばらく歩いている内に、彼女は違和感に気づいた。

 それは、人の気配。幼くも既にBランク相当の魔力を発現している伐刀者の卵であるからこそ、無意識に彼女はそれを感じ取った。

 

 誰か自分以外にこの先にいるのか――人見知りの性で身を僅かに強張らせるのと同時に、折角の探検に水を差された気分になり、不機嫌さから頬を膨らませた。

 それでも、同時に「自分以外に誰がいるのだろう」という好奇心から、彼女は林の出口が見えてくると、その近くの木陰に身を隠して離れを窺った。

 

 

 そこにあったのは――――

 

 

『――――』

 

 

『ぐ、ぅ、ぁがぁ……!』

『ごほっ、がふっ……』

『腕……腕がぁっ……!』

『助けて……助けて……』

『ば、化け物っ……!』

 

 

 死屍累々――そんな表現が相応しいだろう。ざっと見て数十にも及ぶ大人達が地に這い蹲って、苦痛に満ちた呻き声を上げたり、口から血を溢していたり、有り得ない方向に捻じ曲がった腕や足を抱えたり、恐怖に顔を引き攣らせながらうわ言を呟いている。

 

 そんな、大の大人でも目にすれば愕然となる光景がそこにあった。それが、弱い4歳の幼い少女に何の衝撃も与えないはずはなく、身体は硬直し、思考は一時的に停まり――そして、なまじ聡明であるがために珠雫はこの状況をある程度理解することができた。

 

 戦ったのだ。この大人達と、誰かが。そして、自分はその現場に足を踏み入れてしまった――それを理解した直後、彼女は自身の置かれた現状を幼いなりに理解し、そしてごく当たり前の恐怖を抱いた。

 

 だから、硬直していた体を動かして、急いでその場から離れ来た道を戻ろうとし――しかしそれよりも早く、彼女の視覚と聴覚は、『それ』を捉えてしまった。

 

 

 

 『それ』は――――

 

 

 

『あ、ああ、あなた! こ、こんなことをして、ただで済むと思っているんですかぁ!?』

 

 

 ――先ず、その言葉が珠雫の耳に届いた。決して聴き心地が言い訳ではない、それなりに年を取っていると思しい男の声だった。

 不快な気持ちと共に珠雫が「どこかで聞いたような……」という考えを浮かべながら、身をすっぽりと隠していた木陰から、顔だけを晒すようにして、声のする方を見る。

 

 そこにいたのは、二人の男――厳密には壮年の男と、そんな男に向かい合う一人の少年だった。

 

 男は恰幅のよさを通り越して肥満体系というべき図体で、背の低さがそれを余計に強調している。悪趣味な赤いスーツにハット帽、その帽子の下に、恵比寿を醜くすればこうなるような顔をしている。そしてその顔は、何かへの動揺と恐怖から引き攣り、余計にその顔面の不細工さを強めていた。

 その顔を見て程なく、珠雫はそれが、一族の祝いの場などによく来る、黒鉄家に連なる家の人間であったことを思い出した。

 別に覚えたくて覚えていた訳ではなく、彼女の記憶力が優れていることと、あの不快な恵比寿面が、他の親戚にも増して嫌いだったから印象に残ってしまっていただけだった。

 

 その姿を見たくなくて、珠雫は視線を自ずと、その男の視線の先――彼と向かい合っている少年の方へと移した。

 

 

 ――後に「なんでそこで見るのを止めなかったんだろう」と、後悔することになるとは知らずに。

 

 

 男に対する少年は運動でもしていたのか、長袖長ズボンと殆ど肌を晒さない黒のトレーニングウェアを身に纏い、背中まで伸ばした黒髪は白い帯で一つに束ねていた。

 まだ幼さを残す容姿は、しかし男達を見据える鋭い視線と、その顔に浮かぶ厳然とした表情により打ち消され、凡そ子供らしさをそこから窺わせることはない。

 その姿はむしろ――――

 

 

『わ、私はあなたのお父様の側近で、ご先代様にも尽くしてきた者なんですよ!? その私に刃向かって、こ、こんな……!』

『…………』

 

 

 喚きたてる男の言葉に、しかし対峙する少年はこれといった反応もなく沈黙を保っている――心成しか、その表情にあった険が僅かに深まったように見えたのを除けば。

 

 反応を示さない相手に、男は調子づいたのか――それとも恐怖心を誤魔化すためか――語気を強めた。

 

 

『大体ねえ! あなた自分の立場を分かってるんですかぁ!? あなたのような妾腹(めかけばら)の私生児、その魔力がなかったらこの家の長男として迎えられるなんて本来は有り得ないんですよ!?

 その恩を忘れて、家の方針には逆らって身勝手な振る舞いを続けて、恥知らずにも程があるでしょぉ!?』

 

 

 まだ幼い珠雫には男が口にした難しい単語は分からなかったが、その内容が相手を侮辱する類のものであることは、何となくだが理解できた。

 それに対して不快さを覚える珠雫だが、当然そんなことは知りようもない男は、声を荒げながら言葉を続ける。

 

 

『だから、だからねぇ!? 私自らこうして出張って、礼儀知らずのあなたに世の中の厳しさというものを教えてあげようとしたんですよぉ!?

 それを、それをあなた――――一人で全員倒すなんて、おかしいでしょぉ!?』

 

 

 そう言う男は、もはや涙声だった。その理由は、正しく彼が口にした内容そのものだろう。

 少年が離れを背に負い、男達がそれに向かい合うという立ち位置からしてうすうすは分かっていたことだが、この惨状を作り出したのは少年であったらしい。もっとも、男の言葉を聞けばどちらに根本的な非があるかは明白だが。

 

 

『50、50人ですよ!? 選りすぐりの騎士50人を、子供一人が全滅させるなんて有り得ませんよ!!

 なんなんですかあなたはぁっ!!!』

 

 

 もはや先程までの言葉とは趣旨すら履き違えた内容を泣き喚く男。しかし言いたいことを粗方ぶちまけたからか、大声を出した反動で荒く呼吸をし、怯えきった目で少年を見ている。

 

 そんな男に、少年は――――

 

 

 

『――終わりか?』

 

 

 

 その一言――年甲斐もなく喚いていた男の声に比べれば淡々として小さなはずのその一言が、しかし遠目に窺っていたはずの珠雫の耳にも、まるで目の前で言われたかのようにはっきりと届いた。

 

 

『――ッ!?!?!?』

 

 

 そしてその瞬間――言葉では表現しきれない『何か』が、黒鉄 珠雫を襲った。

 

 途端に身体が冷気に晒されたかのように震えだす。手が震え、足が震え、視界までがぐらぐらと揺れる。

 全身から嫌な汗が吹き出し、瞬く間に口内は唾液が干上がって喉がカラカラになった。

 なんだ――なんなのだこれは。しらないこんなものしらないしりたくないやめてこわいこわいたすけてこわいこわいおにいちゃんたすけて!!

 

 

 ――そんな傍観者たる少女の異常には気づきようもなく、二人は二人で会話を続けていた。

 

 

『――へ、ぇ』

『そちらの言葉は終わったのか、と聞いた。

 ……ならば今度はこちらが答えよう、赤座 守』

 

 

 何を言われたのか理解できないのか、間抜けな顔を晒した男――赤座を、少年は正面から(しか)と見据えた。

 見据えられた赤座が「ひっ」と短い悲鳴を上げ震え上がるが、そんなものは眼中にないとばかりに無視し、答を示した。

 

 

『ああ、なるほど。お前の言葉自体(・・・・)は道理だ。

 俺はたかが(・・・)魔力の有無で己の優劣を定義する気などないが、この家(黒鉄家)に招かれたことにおいては、確かにその点が最も起因したのだろう。それは紛うことなき事実だ。

 この身は妾腹の子、正道に(あた)わぬ成り立ちから生まれた私生児――それもまた事実だ。弁明弁論の余地はないし、俺もまたその指摘に思うところはない。ありのままの事柄、語られて恥ずべきところなど俺にはないからな』

 

 

 そう返す少年には、その言葉の通り自らを恥じるような様子は微塵もなく、どこまでも淡々と事実を述べ、そして堂々としている。

 身を竦ませ腰を引かせている赤座と見比べれば、誰もが子供と大人の関係を逆に幻視することだろう。

 

 

『恩知らずに礼儀知らず――ああ、耳が痛いな。確かに俺は求められ、そしてそれに応じた結果としてここにいる。おかげで、それまでは知れなかった多くの事柄を知ることもできた。

 衣食住に関しては言うに及ばず。親が子を養うのは当たり前と言う意見もあるだろうが、そうした観点からしても俺は些か以上に微妙な立場であると自覚はしている。ましてや、その親である男を親とも思わないような言動をし、あまつさえ反目しているのだ。本来なら当に勘当されていてもおかしくはないのだろう』

 

 

 更に続く少年の言葉の内容は、しかしその堂々とした物言いに反して相手の言い分を認め受け入れるものだった。

 

 すると、そんな少年の発言を屈服とでも受け取ったのか、赤座はその顔に卑しい笑みを浮かべ、

 

 

『そ、そう! そうですよその通りですよぉ! それが分かっているのなら――――』

『ああ、故に――覚悟はあるぞ』

『……へ?』

 

 

 直後の少年の切り返しに、またも間抜けな恵比寿面を晒した。

 そんな赤座を見据える少年の立ち振る舞いに、何ら変わりはなく――――

 

 

『目当てが俺の魔力であるにせよ、この家の庇護下に身を置いているのは事実。それを承知の上で我を通すのだ、勘当放逐は元より、万人に指差され下劣畜生と糾弾を受ける覚悟など当にできている』

『な――――』

 

 

『無論――こうして武威に訴えられる覚悟もな』

 

 

『ひっ……!?』

 

 

 ――次の瞬間、少年がその身から放ちだした闘気に当てられ、赤座がいよいよ腰を抜かしてその場にへたれこんだ。

 

 

『50人? 選りすぐり? 知らんぞ。例えこの世総ての軍勢を嗾けようと俺は負けんし屈しない。

 そんな有象無象は、俺が負ける理由になどならん』

 

 

 そしてそれは、距離を置いて見ていた少女もまた同じ。己に向けられたものではないにも関わらず、ただその闘気を認識しただけで、彼女の肉体は恐怖への抵抗を放棄した。

 

 ――そんな相手の様子などお構い無しに、少年は言葉を続ける。どこまでも堂々と、しかしそこに段々と苛烈さを加えて。

 

 

『それと――ただで済むと思っているのか、だと? 思わんな。なればこそ常に覚悟し備えている。

 故に――当然お前も覚悟があるのだろう? 赤座 守』

『へ――ぇ――――?』

『身勝手で礼儀知らずな恥知らずの俺に、拳を以て世の道理を叩き込む――なるほど、頷けはする。

 言葉を尽くそうと(すべきことを)しなかった不精は気に入らんが、俺も俺なりに、人の世が言葉の語り合いだけでどうこうできる程に単純ではないと知っているつもりだ。

 そして得てして、言葉での語り合いよりも拳での殴り合いの方が(マコト)に通じるとも、な』

 

 

 そこで一旦言葉を切ると、少年は一歩足を踏み出した。

 

 

『故に、だ――俺は殴り返すぞ』

『――――』

『お前達にとってはそちらの道理こそが正しく奉ずるべきものなのだろうがな、どうにも俺にはそれが受け入れられん。未熟な身ゆえの無知は自覚しているつもりだが、それを置いても、迎合する気になどなれん。

 だから抗うし、殴り返す。当然だろう』

 

 

 ――更に一歩。

 同時に、相対する赤座の顔を見て、少年の顔が僅かに顰められる。

 

 

『何だ、その顔は。貴様にもあるのだろう、覚悟が。

 お前も人で俺も人、生きた時間の長さや身分、ましてや魔力だの伐刀者だのという『瑣末なもの』をかなぐり捨てれば、お互い身一つ意志一つの対等な人間だ。ならば後は、それ(意志)を賭けて戦うしかないだろうが。

 俺には俺の譲れない意志がある、それを貫く覚悟がある。ならばお前にもあるだろう。なんら特別ではない――『人間が持って当たり前のもの』なのだからな』

 

 

 ――そんな暴論を語りながら、また一歩。

 

 

『ああそれとな、赤座 守。事前に言っておくが、俺はお前など知らんぞ』

『――――は?』

『親父殿の側近だとか、老害共(先代達)とどうだとか、そんなことは知らんと言っている。お前がどこぞの王だろうが聖人だろうが、俺が向き合い殴り合うのは『赤座 守という一人の人間』だ。

 だから――お前もそんなくだらないもの(・・・・・・・)はとっとと捨てろ。邪魔だろうが、拳を振るうのに』

『――――』

 

 

 醜い恵比寿の顔はいよいよ顔面蒼白を越して土色と化していた。それだけでなく、涙に鼻水に涎までもが垂れ流されているのだから、もはや滑稽を通り越して見れたものではなかった。

 しかしそんな赤座の顔を一瞬も逸らすことなく見据えながら、少年がまた一歩近づく。

 

 

『どうした、何をへたれ込んでいる。さあ立て、お前にも先達としての――いや、赤座 守としての矜持があるだろう。

 そもお前は、お前にとっての道理に反するこの俺を糾しに来たのだろうが。ならば糾せよ。お前の倒すべき()はここにいるぞ。

 俺は俺の意志()を、お前はお前の道理(正義)を通す――これはそのための殴り合い(戦い)だ。加減など、手心などあっていい筈はない。

 そんなもの、俺の前に立ちはだかり向かい合う相手(赤座 守)への侮辱だろう』

 

 

 その言葉に、卑しい赤座への当て付けといった悪意は微塵もない。どこまでも真剣、どこまでも真摯――己には覚悟はある、ならば当然相手にもあるはずだ。

 己は何ら特別なことをしているのではない、人としての最低限の当たり前をしているに過ぎないのだから――と。

 

 だから、目の前の赤座にもそれはあるはずだ――あってくれという思いから、己が気概を込める。

 

 ――そして、遂に少年は赤座の前に立った。

 

 

『さあ見せるがいい。お前の気概を、お前の覚悟を。こんな餓鬼にただ言われるだけなど、男としての、人間としての、赤座 守としての矜持が許さんだろうが』

『ひ――ぃ――ぁ――ぁ――――』

 

 

 しかし――やはりと言うべきか当然というべきか、赤座 守という男に少年が望む気概(覚悟)などはなく。

 その身は向き合って拳を握ることはおろか、座り込んだ地面から立つこともできない。

 

 ――それでも、少年(魔王)は手を抜かない。

 

 

『や、やめ――――』

 

 

 必死になって漸く搾り出したらしい掠れ声の懇願空しく、そして――――

 

 

 

『お前の覚悟を、俺に示せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』

 

 

 

 少年の一喝と共に、掲げられ握り締められた拳は真っ直ぐに赤座目掛けて振り下ろされ、そのまま――――

 

 

『ひ――ぃ――ぅ――――ぁ』

 

 

 ――赤座は気絶した。

 少年の拳は、そんな赤座の正しく眼前で止められている。

 

 

『…………』

 

 

 そんな相手をしばし見据えていた少年は程なくして構えを解き、それからまた暫くは倒れ臥した赤座を見下ろすと、深い溜息を吐いた。

 その顔には落胆とも悲嘆とも取れる表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 ――その一連の出来事を、木陰にへたれ込んでいた珠雫は、余さず見届けた――見届けさせられた。

 最初の内は珠雫自身の意思で盗み見ていたものが、途中からは身体が強張って逃げたくても逃げられず、遂には腰が抜けてその場に座り込んでしまったことから目を逸らすこともできなくなって、最後まで見届けてしまった――それが顛末だった。

 

 そんな巻き添えを食った哀れな少女は、あの暴威に晒された赤座や倒れた騎士達程ではないにしろ、こちらはこちらでひどい有様になっていた。

 恐怖で引き攣った顔に加えて、流れ出た涙と鼻水のせいで人形のように愛らしかった顔はぐちゃぐちゃだ。座り込んだために足やスカートも土塗れとなっている。

 

 もういやだ、かえりたい、お兄ちゃんに会いたい――そう、現実逃避によって生じた思考の海に身を委ねようとした珠雫だが、

 

 

 

『――おい』

『――――』

 

 

 

 掛けられたその声に、思考の海は一瞬で凝結し、黒鉄 珠雫は無理矢理陸の上へと引き上げられることとなった。

 望んでではなく、反射行動として体を跳ね上げながら顔を声のする方へ向けると――――

 

 

『大丈夫か。先程からそこにいたようだが』

 

 

 ――そこに、魔王がいた。

 その何もかもを見通し貫くような漆黒の双眸が、彼女を見据えていた。

 

 それを理解し、認識した瞬間――彼女の精神は一気に限界を突破して、

 

 

『む?』

『――きゅう』

 

 

 遂に意識を手放した。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 ――ふと、黒鉄 珠雫は目を覚ました。

 

 

「――……?……」

「あっ、シズク! 目が覚めた!?」

「……おにい、ちゃん……?」

 

 

 うっすらとした意識の覚醒――ぼんやりと朧気な思考が最初に認識できたのは、自身を見下ろす大好きな兄・一輝の顔だった。

 

 

「よかったぁ……急に気絶したから心配したよ」

「……?……???」

 

 

 安堵の溜息を吐く兄の姿に、何故そんな反応をするのかと疑問を抱くが、すぐにどうでも良くなり思考を放棄した。

 お兄ちゃんがいる。大好きなお兄ちゃんが傍にいてくれている。それだけで十分だ。お兄ちゃんさえいてくれるなら、もう何も怖くない――ただただ、その幸福に浸っていたくて。

 

 

「大丈夫? どこか痛くない?」

「……うん。だいじょうぶ」

 

 

 不安そうな顔まで浮かべて心配してくれる兄の気遣いが堪らなく嬉しくて、自然と顔が綻ぶ。

 するとそんな自分の様子に安心したのか、兄も安堵の笑みを浮かべた。とても優しくて、自分を気遣ってくれる柔らかな笑顔。

 ああ、これだ。この顔が見たくて、自分は――――

 

 

(――あれ?)

 

 

 ――そこで、黒鉄 珠雫は違和感を自覚する。

 

 なんだ? 何かが違う。兄の笑顔は大好きで、他のことなんてどうでもよくなるけれど……それでも、今の自分には他に何かがあったような気がする。

 

 重要な、それでいて――とてもとても恐ろしい何か。

 

 カチリ――と、頭の中で音が鳴ったような錯覚を覚える。すると、機能不全だった思考が、徐々に働きを取り戻し始めた。

 

 

「ぼくは兄さんと桜さんに知らせてくるから、ちょっと待って……シズク?」

「ぁ――ぁ――――」

 

 

 少しずつ、少しずつ――一時的にとはいえ忘却できていた『何か』が、意識の裏側から甦りを果たそうとする。ベキリ、ベキリと、幼いが故に脆い意識の防壁が、容易く破られていく。

 それに呼応して心拍数が急激に早まる。ドキドキなんて可愛いらしいものではない、ドクンッドクンッドクンッと、痛さすら感じる程の音量と速度の心臓の鼓動が、身体を伝い耳に響き渡る。

 

 それと同時に、黒鉄 珠雫の思考もまた否応なく一気に稼動する。そしてその思考に脳のフィードバックでもたらされた最初の情報は――――

 

 

 

『あまり責めてやるな、黒鉄 珠雫』

 

『俺は殴り返すぞ』

『さあ見せるがいい。お前の気概を、お前の覚悟を』

 

 

『お前の覚悟を、俺に示せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』

 

 

 

 ――それはそれは恐ろしい、魔王(黒鉄 統真)の暴威だった。

 

 

 

「~~~~~~~~ッッッッ!!!!」

「シズくふぉぇっ!?!?」

 

 

 

 最悪のフラッシュバックが思考に投影された瞬間、その恐怖にいても立ってもいられず、兄の懐へ飛び込んだ。

 勢い余って諸共に畳の上に倒れこむが、そんなことは気にもならない。まだまだ逞しいとは言えない兄の、しかしこの世の何よりも安堵できる胸元に縋りつく。

 

 ただただ、兄に抱き締めてもらいたくて。

 そうすればきっと、あの恐怖にも耐えられると思うから。

 

 

「おにいちゃぁん……!」

 

 

「――――」

 

 

 ――図らずも、鳩尾に妹のヘッドバットを直撃した上に床に叩きつけられた最愛の兄が、一発KOで悶絶しているとは気づけずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃――この事態をもたらした原因たちはと言うと。

 

 

「やっぱり統真様が原因じゃないですかアイタタタタタタタタ!! 指! 指が頭蓋骨に食い込んでますイタタタタタタタ痛いですって!!」

「お前には言われたくない。この未成年略取誘拐犯めが」

 

 

 (統真)がやらかした従者な馬鹿娘()に容赦ない制裁(アイアンクロー)を下している最中だった。




 二ヶ月ぶりとなる更新ですが、いかがだったでしょうか。
 前回までが一応物語の核心に若干触れる内容だったので、当面は基本的に原作キャラ達との触れ合いを描いた日常的な話がメインとなります。

■珠雫回……?
 そういう訳で(?)、第一打者は珠雫。いやぁ、ロリズクちゃんはかわいいなぁ(白目
 作者のせいで思考が5歳児じゃないだろうと思えるかも知れませんが、うん、まあ、芥子粒程のlightリスペクトということで(目逸らし 作者としては「聡明で年齢よりも大人びた思考をしているけど、恥ずかしがりやな性格でプラマイゼロ」という認識です。
 そんな彼女の統真への印象は、まあ内容の通り。というか基本子供には対面一発で怖がられます、統真は。
 なお、原作ではこの時点の珠雫には異性としての恋慕はないというのが作者の認識ですが、この世界では本人が子供ゆえに無自覚なだけで片鱗はあった、という感じです。でもってそこに誰かさんが余計なことを……(ぇ

■屑恵比寿
 原作の顔面一発じゃ物足りなかったので魔王節論破で精神破壊。殴ってないけど被害はこっちの方がひどいという設定(シレッ
 本当は黒鉄家の元凶と言える玄馬でも出して殺し合わせようかとも思いましたが、別の使い道ができたので赤座に。
 あとちなみに、作者は赤座の担当CVさんは全然嫌いとかじゃないんで。話の流れとキャラ考察上そう表現しただけなんで;仮想世界の聖騎士は嫌いだけど(ヲイ

■魔王節
 久々に長々と語るオリジナル主人公。そして何気にこれが初シャウト。相手赤座なのにぃ……(ギリィ
 あとこいつ、この時点だと小学5年生なんだよなぁ……(遠い目
 なお、今回の統真の言い分を簡略にすると「先に殴りかかってきたんだから俺も殴り返すぞいいな」という…………アレ?

■霊装は……?
 作中では基本的に「珠雫の回想」というスタンスで描いたので分からないですが、珠雫が来る前に騎士50人とやり合った際は出してました。赤座とのタイマン?では、赤座が威圧に呑まれて霊装すら出せなかったので、統真も対等に素手で挑んだという感じ。まあ、ヒットしてたらワンパンなので霊装の方が被害少なかったりしますが(ぇ



 最後に改めて。二ヶ月に及ぶ更新停止、お待たせしてしまったことを心からお詫びいたします。またそんな体たらくにも拘らず更新が出来ていなかった間にもこの作品をお読み頂き、あるいはお気に入り登録して頂いた読者の方々、感謝感激の限りです。

 今後もどれくらいのペースで更新していけるかは、諸々の要素から作者自身も判然としませんが、暖かい目でお見守りいただけたら幸いです。

 それではまた次回に。
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