ナザリックの赤鬼   作:西次

16 / 18
 あまり話に動きがない展開になってしまいましたが、時間を置きすぎるのも問題かと思い、この時点で投稿させていただきます。

 次話で原作4巻分は終わらせます。ちょっとは書き溜めもありますので、今回ほど待たせないで済むと思うのですが。

 ともあれ、お楽しみいただければ幸いです。
 ご意見、ご指摘などがあれば、お気軽に感想欄をお使いください。



第十六章 棍棒外交・中編

 リジンカンにとって、父親に当たるウォン・ライの存在は大きなものである。

 お互いに無視できない存在というか、異様なほど親近感を感じるときもあった。親子であるのだから、当然であるかもしれないが――。

 しかし、だからといって、やることなすこと全てを把握しているわけではないし、感性の違い、価値観の違いは互いに容認している。

 距離を置くことの重要性も、自然と理解しているのである。親子だからこそ、冷静にならねばならぬこともある。お互いに微妙な部分を突くには、適切な時期というものがあるのだ。

 リジンカンは賢明であったから、それが今でないことはわかっていた。

 

「まあ、色々と事情は複雑だし、なにやら親父殿は忙しそうだが、今の俺にはどーにも出来んことさ」

「気楽だねー」

 

 リジンカンは、美味そうに杯をあおった。酒の量に上限はない。尽きることのない酒瓶を、彼は持っているから。

 すでに、ここはクレマンティーヌの監禁部屋ではない。闘技場の一角を借りて、彼は美女と闘争を肴に大いに飲んでいた。

 闘争による『試し』は、多くのサンプルを提供する。モモンガも有用性を認めていたから、ナザリック内での腕試しはある程度許容されていた。結果として、実際どれだけ実用的な戦いをしているかといえば、そうとも言えぬのが現状ではあるが。

 

「実際、気楽なモンさ。俺は親父殿と違って、他人のために思い悩むことなんてない。自分自身のことで手いっぱいだからな。――こうして、身内の殴り合いを査察するのも、仕事の一環というわけだ」

 

 物は言いようというもので、別にリジンカンの業務として割り当てられたことではない。ただ、彼なりに空き時間の暇つぶしとして、酒を友にしながら適当に鑑賞しているだけだ。

 闘争と言っても、守護者同士がやりあうような本格的なものではなく、湧いて出てくる雑魚たちの戯れを、上から見下ろしていたようなものである。

 

「……酒を飲みながら言うことかな? 随分余裕ありそうじゃん」

「そうかな? ――どうかな。俺にはわからん。酒を飲むのも、剣を振るうのも、俺にとってはいつものことだ。余裕のあるなしは関係ない」

 

 リジンカンにとって、それは日常である。思い悩むのも、自己嫌悪に酔うのも、酒に酩酊するのも――。あるいは、主君に奉仕するのも、彼にとっては息をするのと同じようなものだ。

 ただ、ここにはクレマンティーヌという部外者がいる。彼女には何のしがらみもなく、言うことなすことナザリックの常識から外れているのだが――。その話し相手をすることが、リジンカンには不思議と快かった。

 

「で、どうだ。ここで少しの間過ごしてみて、思うところがあるだろ?」

「逃げる気は失せたよ。今は、あんたに師事する。望むならなんだってしてやるから、まだしばらくは私の相手をしてくれる? ……鍛錬を積めば、さらに上を目指せるかもしれない。その糸口くらいは、つかめた気がするからさ」

 

 クレマンティーヌの方も、今ではリジンカンとの交流に、何らかの利を見出しているらしい。

 冗談交じりに言った剣術指南だが、一度やってみると、彼女はのめり込む様にそれを求めた。

 リジンカンは、指導者として、それなりの仕事をしたつもりでいる。美人に求められれば、彼とて無下にするのは難しい。男としてではなく、師として求められるというのも、これはこれで一興であった。

 

「まあ、指導してほしいというなら、それに応えるのも、やぶさかじゃないが。何でもする、なんて言うもんじゃないぞ。――嫁入り前の娘は、自分を大事にするもんだ」

「……はん。本当に初心なんだ? 今時、貞操どうこうなんて流行らないよ?」

 

 クレマンティーヌの返事を聞くと、リジンカンは杯を持つ手を下ろした。うっすらと浮かべていた笑みさえ消して、真顔になる。ほんの軽口のつもりだったが、無神経な言葉であったかもしれぬ。

 

「流行る流行らないじゃない。そうやって、自分を傷つけようとするな。……女は、自分を幸せにしてくれる相手にだけ、身を任せればいい。お前さんほどの器量なら、いい男なんてより取り見取りだろう。――その中で、納得できる奴だけを、相手にすればいいんだ」

 

 リジンカンは、大真面目だった。普段の軽い雰囲気とは違って、本気で言っているのがわかる。

 それだけに、クレマンティーヌもつい、口が滑ってしまった。言わなくてもいいことを、口にしてしまったのである。

 

「――今さら、なんだよ」

「……うん?」

「私の貞操なんて、もうどこかに行っちゃったよ。この体に、花嫁としての価値なんて、あるもんか。……男がそういうとこ、気にするのは何となくわかるけどね。女にとっては、過ぎてしまえば何でもないことなんだよ。そうだ、私は辛くなんてない。だから、必要なら何だってする。――本気だよ」

 

 リジンカンは、自身の非礼を認め、詫びねばならないと思った。真摯な想いには、誠実さで答えるのが道理だろう。そして誠実であるならば、最も率直な形で謝罪せねばなるまい。

 

「申し訳ない。傷つける意図はなかったというのに、嫌な思いをさせてしまった。――この通りだ、許してほしい」

 

 彼は、頭を下げて謝った。さて、その行為は誤りであったのか。むしろクレマンティーヌを困惑させ、驚かせた。これほどの強者が、この程度のことで頭を下げるのかと。

 

「ちょっと、やめてよ。何それ、本気?」

「偽りのない、本心の言葉だ。俺は愚かな男だ。その愚かしさからでた言葉で、辛いことを思い出させてしまったのなら、許してくれ」

 

 クレマンティーヌは、男のあしらい方を知っているつもりだった。

 己の強さに媚びる者、外見に惹かれる者、誰彼構わず発情する者――。いずれにおいても、彼女は適切に処理できる自信があった。

 だが、誠心から謝罪する男への対応については、惑わずにはいられない。そのような相手とは、出会ったこともなかったから。

 

「俺は女心がわからん、本当にな。――クレマンティーヌ、お前さんは、自分を卑下しなくていいんだ」

「――何を」

「過去に傷つけられたから、汚れたからと言って、それが何だっていうんだ? 今のお前は綺麗だよ。誇ってもいいくらいの美女じゃないか。……そんな女の貞操なら、十分以上に価値があるとも。それはどこにも行っていない。今だって、ここにあるじゃないか」

「……わかんない。私にはわからないよ」

 

 クレマンティーヌの困惑は深まるばかりで、まともに受け答えさえできなかった。この場限りの、瞬間的な思考停止に過ぎないが――男女の交わりにおいては、それが決定的な場面を引き寄せることもある。

 

「貞淑であることの源は、自らが作り上げてきた誇り。自尊心が元だと言って良い。そしてお前にはそれがある。そうでなくて、どうして剣を取ろうとするだろうか。――自身の力で自分を守ろうとする意識、自立の意志がなければ、そうはなるまい」

 

 己を卑下する者は、誰も守ってはくれない。己自身を否定する様な輩に何を尽くしても、たいていは無駄に終わるからだ。

 そうした存在に、なってほしくはないとリジンカンは思う。これほどの器量良しが、自己否定に走るなど、悲しすぎるではないか。

 ゆえに目の前の女性に対する称賛を、彼は惜しまない。美女には違いないのだから、なおさら言葉に力も入ろうというものだ。

 

「まあ――それはそれとして、こいつは余談だが。剣を置き、闘争から離れたお前は、極上の美女と言って差し支えない。男として、これほどの女性の相手ができるなら、それは栄誉というものだ。この点については、誰にはばかることなく誇っていいぞ」

 

 リジンカンの声に、甘みが帯びてきた。聞くものの耳をとろかせるような、美声である。

 クレマンティーヌは生娘ではないが、思わず一瞬、頭がくらくらとした感覚を覚えた。男慣れした彼女が、くらむような魅力的な声音。それを、彼は備えている。

 

「猫でもかぶってたの? あんた」

「猫に例えるなら、お前さんの方が似合うな。――性根は気高く、不屈で、闘争を恐れぬ。そして外見は愛らしく、時に麗しく、見る者をひきつけてやまない。……これは、俺の本心だよ」

 

 女慣れしてないとか言ったくせに、すらすらと賛辞を述べ腐る。詐欺師じゃなかろうな――と、クレマンティーヌは、そう思わずにはいられなかった。

 

――口先だけで、絆されそうになるなんて。

 

 それとも、これは何かしらの魔術なのか。いま彼女は、ひどくリジンカンが魅力的な異性として映っていた。胸の奥に、ほのかに暖かい感情を抱く程度には。

 

「口説くのやめてくれない? 調子狂うんだけど」

「話を振ったのはそちらだろう? ――まあ、ちと言葉が過ぎたか。いや、良い意味で刺激的な女性が目の前にいるんだ。愚かな男が興奮するのも仕方がないと、割り切ってくれ」

 

 節度をわきまえて接する。それは変わらないからと、彼は言った。耳を這うような、甘い口調で。

 ああまったく、信用できたものではない――とクレマンティーヌは思う。

 

「うん。今さらだが、良いもんだな。初心な女と交わす会話は、男に色々なものを考えさせる」

「何が! 私を弄んで楽しいの?」

「そうやって感情を表すのは、自分に価値を認めているからだ。誇りがあり、自尊心が残っているから、真心を向けられると真剣に向き合おうとする。やはり確信したよ、クレマンティーヌ。この程度の言葉で揺れ動くんだから、お前は己を肯定したがっている。難しく言えば承認欲求というやつだが……簡単に言えば、愛を求めているんだな」

 

 あるいは、餓えていたのかな? とリジンカンは言った。思いやりを受け取ることに慣れていないものは、単純な好意さえ素直に受け取れないものだ。

 

「でも、そうやって、好意を向けられていく内に気づくんだ。自分は本当に価値のある人間で、後ろめたい想いを感じずに、ありのままに生きていてもいいのだと。……気づいているか? クレマンティーヌ。お前、泣いてるぞ?」

 

 クレマンティーヌがとっさに頬に触れると、確かにそこには涙の跡があった。涙を流していたことに、今になってようやく気付いた。

 

「良い涙だ。鏡があれば、自身の本当の無垢な顔を確認出来たろうに、惜しいことをした」

 

 リジンカンは、微笑んでいた。まことに、喜ばしいものを見つめるように、何かしらの祝い事を寿ぐように。

 

「もう、そろそろ認めてもいいんじゃないか? 自分自身を大事にして、愛してやれよ」

 

 己を愛す。自己愛は、全ての基本である。自らを大切にできない者に、どうして救いがあるだろうか。自らを進んで傷つけるもの。それに手を差し伸べて、報われることはあるのだろうか。

 いや、報われずとも、リジンカンは哀れむ。哀れむが故、言葉を尽くす。

 

「そうやって、感情のままに泣ける奴は、素直になっていいんだ。あるがままに人に接して、交わす言葉に喜びを感じられるなら――そういう奴は、生きていていいんだ」

 

 無理矢理狂気に染まることなんてない。生のままに受け止めよ。クレマンティーヌ、貴女は美しい。リジンカンが、そう言った。

 

「……生きていて、いい。なんて、言われるまでもないよ。……当たり前じゃない」

「まさに。どうか、その気持ちを失わないでくれ。当たり前のことを、当たり前に求めることだ。そして可能ならば、幸福になってほしい。――今の貴女を見たら、親父殿だって賛同するだろうよ」

 

 幸福になってほしい、などと。これまでのクレマンティーヌの生涯で、言われたことがあっただろうか。

 類似するような言葉さえ、彼女は聞いたことがなかった。生きていていいんだ、という当たり前のことにさえ、胸が高鳴るような感覚を覚えるのは、どういうことなのか。

 

「わけわかんないよ。――なんで、そんなこと」

「美人に言葉を尽くすことを、俺は惜しんだりしない。言わなければわからないし、伝わらないからな。……だから、言わなくてもわかるだろうとか、察してくれるとか、そんなことは期待しない。――まあ、無駄口が多いことの言い訳だな、これは」

 

 自ら動いて、自ら示して、初めて意味があるのだと、リジンカンは言った。

 それが彼なりの哲学なのだろうが、クレマンティーヌにとって、それは新鮮な刺激であった。

 驚くほどに。熱を持つほどに。新たな感情が、彼女を突き動かすようだった。

 

 

 

 

 

 リジンカンがクレマンティーヌの相手をしているうちに、闘技場の演目は趣を変えていた。

 

「おお、こいつは珍しいな。――コキュートスが、衆人環視の元で剣を振るうらしい」

 

 とたんに、リジンカンの目が輝きだす。なんとなくそれが、クレマンティーヌには面白くなかった。まるで、自分の時間が奪われたようで。 

 

「誰?」

「おお、そうか。外部の者は知らんでも当然だな。……コキュートスとは、このナザリックでの指折りの実力者だ。一番はモモンガ殿だが、まあ、三番か四番を争うくらいには強い男だよ」

 

 クレマンティーヌには、モモンガとモモンをつなげるほどの情報は持っていない。ただ、二番目は誰なのか、と思うくらいだが、強者の闘争には興味がある。

 見取り稽古も兼ねて、リジンカンと一緒に観覧するくらいはいいか、と考えた。

 

「ほう、相手は差し詰め軍隊か。即興だろうが、隊列を組んでそれなりの装備もしている。――如何なる心変わりか、ともあれ見ごたえはありそうだぞ?」

 

 クレマンティーヌの目には、武装した骨の馬にまたがる、勇壮なスケルトンの一隊が映っていた。その周囲を固めているのは、禍々しい――死の騎士(デスナイト)の群れだった。数にして、総勢三十名ほどになる。

 

「コキュートスの力量なら、苦戦はしまいが……。仮に、あの軍隊がきちんと指揮されて動いたとしたら、相当面倒くさいことになるな」

 

 さあ見物だ、とリジンカンは言った。

 実際、開始の鐘が鳴らされてからは、食い入るように二人は魅入った。

 

 

 

 

 コキュートスは武人である。さらに言えば求道者であり、鍛錬は呼吸と同じものと心得ている。

 刀を振るう。ただ振るのではなく、足の運びから、腰、腕への連動。周囲への影響を考えた立ち回りなど、彼にとっては本能に近い感覚で最適解を導き出す。

 ある種の優雅ささえ感じさせる、鮮やかな演舞。戦闘というべき形にすら、なったと言えるかどうか。

 

「……圧巻だな」

「――すごい」

 

 一対三十。その圧倒的な数の差を、ただ純粋な力の差で覆す様を、二人は見ていた。

 最後の一体を屠ったコキュートスは、刀を一振りしてから、それを鞘に収めた。納刀まで油断なく、立ち振る舞いには隙が無い。ここから何者かが奇襲したとしても、彼は即座に対応して見せるだろう。

 それだけの確信を得るくらいには、コキュートスの武威は示された。部外者であるクレマンティーヌなどは、見ているだけで精神が消耗したようで、若干息が上がっている。

 

「レベルが違う。……次元が違うね。妬ましいとさえ、思わないよ」

「それほど、見事だったか?」

「見事なんてもんじゃないって。……自分には、どうしたってたどり着けない境地。それを、見た気がする。本当に、すごいよ」

 

 クレマンティーヌの正直な感想である。称賛と言ってよい。一太刀に込められた力、斬撃の技術、あらゆる要素が高次元であり、自身との差を感じずにはいられない。

 そうした彼女の反応を見て、リジンカンは一言添えずにはいられなかった。

 

「まあ、戦えば俺が勝って見せるがね」

 

 苦し紛れの言葉には、聞こえなかった。

 状況からして、捨て台詞に聞こえても仕方がないはずだが、リジンカンの声に陰りはない。ごく自然に、自信に満ちた声で言う。

 

「俺とコキュートス。純粋に数値で比べれば、強いのはアイツの方だろう。腕力でも体力でも……瞬発力、敏捷性、様々な部分で俺はアイツより劣っている。実際、戦ってみれば、コキュートスには押されっぱなしの展開になるに違いない。――だが、最後に立っているのは、俺の方さ」

 

 リジンカンは酒を一息で飲み干し、杯を置いて席を立ち歩みだす。彼の発言の意図すらつかみ取れない、クレマンティーヌにとっては戸惑うばかりの展開だが、制止も出来ぬ。

 

「ちょっと!」

「ついてこい。勝者をねぎらいに行くぞ」

 

 コキュートスとやらに、会いに行くのだと。彼女は、それだけを理解した。

 会って、どんな話をするつもりだと、問いただすことさえできなかった。それくらい、彼の歩みは早かったから。

 

 

 

 

 

「オオ、リジンカン。見テイタノカ」

「ああ、見せてもらった。気合が入っているな? まあ、モモンガ様から仕事を任されたと聞いているし、気張りたがるのも無理はないが」

 

 たかぶった気を発散させるのに、闘技場を利用したと考えるなら、まさに彼らしい。リジンカンは、コキュートスが高揚していることを正しく読み取った。

 仕えるべき御方から、仕事を任されたことが誇らしく、同時に不安でもあるのだろう。本戦の前準備として、軽く慣らしていたとみるべきか。

 ともあれ、緊張をほぐす手段として、闘争を用いるのがいかにもコキュートスらしく、リジンカンはそれが可笑しかった。

 

「肩の力を抜け。モモンガ様は、無体なことはなさらない。無理もさせはしないさ。――自然体で挑んで、戦い抜けばいい」

「シカシ、失態ハ許サレヌ。コレガ実質、コノ世界デノ初任務ナノダ。失敗デ終ワラセテハ、ナザリックノ面子ニ関ワルノデハナイカ?」

「取り返す手段くらい、親父殿が考えてくれるさ。――重要なのは、力を尽くすことだ。油断をしないことだ。考えつく限りの、あらゆることを思い、悩んで、答えを出すことが肝要である。結果は問題ではないと、俺はそう思うがね」

 

 コキュートスは、悩んでいる様子を見せた。彼なりに、この度の任務を重荷に感じているのは確かだろう。

 だが、それに押しつぶされるほど、ヤワな気性はしていない。ただひたすらに、力を尽くすべき。そう言われれば、改めて納得も出来た。

 出来ることをするしかない。出来ないところは、補ってもらえばいいのだ。助け合うことまでは、モモンガは禁じなかった。それが、コキュートスへの救いとなる。

 

「言ッテクレル。タヤスイ仕事デハナイノダゾ?」

「たやすい仕事なら、わざわざコキュートスに任したりはせんだろうよ。ま、気負うな。俺にできるのは助言くらいだが、疑問に答えることくらいはできる。不安要素があるなら、言ってみろ。真摯な意見というやつは、これで結構役に立つもんさ」

 

 リジンカンは不敵にも、そう言って見せた。相談事があるなら乗ってやると。

 コキュートスは、ここまで言ってくれるなら、甘えるのもいいかと思わぬではない。だが、ここは自身の力だけで乗り切りたいという考えもあったから、即答はできかねた。

 代わりに口にしたのは、後ろにいた彼女の事。リジンカンの影に隠れるようにしている、クレマンティーヌについて、言及した。

 

「部外者ノ彼女ニ聞カセテ良イ話カ?」

「どうせしばらくはナザリックから出られん。ま、俺の方が離しはしないがね。――で、話を逸らすなよ。俺とお前の仲だろう」

 

 溜息を吐いて、コキュートスは頭を振った。リジンカンの前で、思い悩むのも無駄だと悟ったのだろう。

 心にしこりがあるのなら、ここで吐き出しておくのもいい。コキュートスは、そんな気分になれた。

 

「リザードマントノ模擬戦ニ、主将トシテ参加スルコトニナッタ。自身デ軍勢ヲ率イ、戦ワネバナラヌノダガ――自ラ剣ヲ振ルッテハナラヌ、トイウ。何分、軍ヲ率イルノハ初メテノコト。不安ハ隠セヌナ」

「ああ、なるほど。直接斬り合いに行けば、早々に終わる話だが。……わざわざ軍勢を用いるのは、お前の軍才を計りたいんだろう。軍事的才能というやつは、ともかく場数を踏ませなければ判断できんものだからな」

 

 クレマンティーヌの見る限り、リジンカンは、いたって横柄であった。

 そうでありながら、嫌味を感じさせない雰囲気を作って見せるのだから、たまらない。言葉の粗さとは裏腹に、いちいち所作に品があり、本物の美丈夫とはこうしたものか――と感嘆したくもなる。

 

「まあ、不安と言っても色々ある。時間はあるんだろう? 可能な限り付き合ってやるから、一つ一つ言ってみると良い」

「フム。スルト、マズ考エネバナラヌコトトシテ、彼我ノ戦力差ニツイテダガ……」

 

 コキュートスとリジンカンは、語り合った。戦力比1:3の意味合いと活用方法について、事前の準備と偵察について。現実の戦力の運用として、正面戦力と遊撃戦力の兼ね合いから乱戦時の対応について――。

 ともかく、逐一話し合って、もっともらしくリジンカンはアアだコウだと語って見せた。

 

「適当に言ったが、どうあれ試してみることだ。失敗したところで、教訓さえ得られればモモンガ様とて罰したりはするまいよ。――まずは、気楽に構えることだ」

「トハイエ、緊張感ハ持ツベキダ。ソウデハナイカ?」

「お前は真面目過ぎる。もっと余裕を持て……と言いたいが、初仕事では難しいかもしれんな。よし、なら、俺もついて行ってやろう。傍で見ていれば、助言も出来ようしな」

 

 モモンガ様には、俺の方から話を通しておこうか、とリジンカンは言った。

 

「出来ルナラ願ッテモナイガ、許サレルノカ?」

「目はあるとも。なんにせよ、試みて損はなかろう? ――俺も興味があることだし、お前の助けにもなれるのなら、こちらとしても無理を通してみたくなるものさ」

 

 自分から申し出たことなんだから、最悪でも叱責を受けるのは俺だけで済むと、リジンカンは言った。

 

「俺だけが、言いたいことを言い切った気がするな。お前の方からは何かないのか?」

「一番ノ問題ハ、今話合ッタバカリダガ。……ソウダナ。ソコノ人間ニ、如何ナル興味ヲ抱イテ、ココマデ連レ回シテイルノカ。聞イテモ良イカ?」

 

 ここでクレマンティーヌに話題が移る。彼女自身にとっては戦々恐々の展開だが、リジンカンは努めて明るく言った。

 

「雄の習性というやつだ。深くは聞いてくれるな」

「……フム。ナルホド。イヤ、野暮ナコトヲ聞イタ」

「いいさ。何度も言うが、俺とお前の仲だろう。もっと踏み込んだ話をしてもいいんだぞ?」

 

 何がナルホドなんだ、とクレマンティーヌは突っ込みたかったが、口にするほどの勇気はなかった。

 リジンカンは、平気で冗談を言う男である。話をしていて分かったが、女心を乱すのを好む癖すらある。

 そうしたロクデナシであるから、彼女はなるべく彼の言葉をまともに受け止めないようにしよう、と思っていた。真摯であるからこそ、正直に受け止められない、とも言える。

 

「クレマンティーヌ。お前も見学に来るか?」

「――は? いやいや、なんで」

「特に深い考えはないさ。……少しくらいは外に出てみれば、気分転換になると思ってな。嫌なら、自室に引きこもっていればいいが」

 

 どうする? といたずらっぽくリジンカンは言った。やっぱりこいつは、気まぐれで女を振り回す、ろくでもない男に違いない。

 

「はいはい。付いていってもいいんなら、私も行くよ。――今は、あんた以外の奴と絡めるほど、気分的に余裕もないしね」

「そいつは結構なことだ。後は、モモンガ様の許可をいただくだけだな」

 

 前提として、その問題があるというのに、リジンカンは気楽に言ってのけた。まるで断られること等、ありえないとでもいうように。

 それがまた、クレマンティーヌにとっても、あるいはコキュートスにとっても、不思議な事であったのだが。

 

 

 

 

 

 

 さて、実際にモモンガの立場からしてみれば、リジンカンの申し出はなかなか面白く映る。

 

「模擬戦の際、コキュートスの側についててやりたいと? お前がか? リジンカン」

「ああ、何か不都合でもありますかね、モモンガ様」

「……ふむ、それはコキュートス次第だな」

 

 リジンカンからの提案とはいえ、模擬戦に連れて行くのはコキュートスである。だから、この場には彼もいた。彼は彼で落ち着かない様子だが、いかに口を開くべきかで迷っている。

 

「どうせお前の方から言い出したのだろう? コキュートスが面白そうなイベントに参加するものだから、自分も混ぜろというわけか」

「まあ、間違っちゃいませんが……」

 

 クレマンティーヌは、流石に自室へと戻らせているが、それ以外の部分でリジンカンは自重するつもりはない。モモンガの真意を問う。

 

「ともあれ、コキュートス次第という。それはいかなる意味で?」

「どうもこうもない。模擬戦という場で、本当にお前を必要としているのか。賑やかしの余興くらいの認識なのか、どうか。――その真意を知りたい」

 

 モモンガの視線が、コキュートスを貫く。彼にとっては比喩ではなく、本当に貫かれているように感じているかもしれない。おずおずと、恐縮しながらも姿勢を正して口を開く。

 

「コノ度ノ申シ出ハ、リジンカンノ方カラ提案シタ物デハアレド――。考エマスルニ、彼ノ存在ハ、模擬戦ニオイテ役立ツ部分ガアルト思ワレマス」

「具体的には?」

 

 モモンガは、無益で曖昧な答えを許さない。そうした厳しさをもっているように、コキュートスには感じられた。

 事前にリジンカンと協議したとはいえ、自身の言葉が通じるだろうか――とも思ったが。

 しかし彼とて、戦う前から怖気づく様な男でもない。淡々と考えを述べる。

 

「マズ、違ッタ視点ガ得ラレマス。リジンカンノ感性ハ、私トハ違イ、アル意味自由デス。私ダケデハ気付カナイコトニ、気付クカモシレマセン」

「だから助言を求めるにはもってこいだと。――うむ、他には?」

「私ノ傍ニ、人間ラシキ人物ガ、親シソウニ接シテイル。リザードマンニ、他種族トノ融和姿勢ヲ見セル例トシテ、モットモワカリヤスイ形式デアルカト考エマス」

 

 よくよく考えている、とモモンガは感心した。きっとこの言葉を口に出すまで、ひどく悩み、熟慮の上に熟慮を重ねたに違いない。そうした努力を、認めてやりたくもあるが。

 同時に、それだけでは足りぬ、とも思う。外部勢力に対する以上、誠意と同じくらいに、相応の狡猾さが求められるのだ。

 

「……融和、融和か。そうした言葉がコキュートスの口から出てくるというのも、驚きだが。しかしそれだけでは理由が弱いな。模擬戦は確かに親善目的という名目だが、比重としてはナザリックの利益の方が重い。……この場合は、情報を得ることや、実戦経験を積むことなどだな。融和姿勢は今後見せていけばいいことだし、今回の件は、せっかくお前だけに任せたことだ。それを横から割込ませるなら、もう少し利益の上がる提案であってほしいと思うが」

 

 モモンガは、コキュートスに不安を持っているわけではない。むしろ逆である。

 模擬戦で主将として用いる以上、そこには信頼がある。モモンガはコキュートスに仕事を任せて、学ぶべきことを学び、勝敗はどうあれ結果を出してほしいと思っていた。彼には成し遂げるだけの力がある、とも。

 第一、自分の力で成し遂げた、という実感こそが、彼にとって一番の報酬になるだろうと見越してもいる。他人の言葉で誘導されての結果であれば、そうした実感は薄かろう。それでは、あまりにも残念ではないか。

 リジンカンを割り込ませるなら、せめてこれらの懸念を吹き飛ばすだけの利益か、論理的な根拠が欲しいと、モモンガは思う。

 

「どうだコキュートス。私を説得して、リジンカンをどうにか連れて行ってみるか? これはこれで、難しいミッションかもしれんぞ。ここで退いても、お前の失点とは考えないことにするが……さて。まだ言うべきことがあるなら言うと良い」

 

 モモンガが見たいのは、守護者の成長性、とでも呼ぶべきもの。彼らの自由意志、精神の柔軟性を確かめておくのが第一。そこから明確な未来を思い描き、計画性をもって動いていけるか、否か。

 コキュートスならば、ひどいことにはなるまい、とモモンガは楽観している。

 特に根拠はないが、そもそも信頼とは感覚的なものだ。見知らぬ他人ではないのだし、これくらいは過剰な期待とは言えまい。

 だから、モモンガはここからコキュートスが明確な根拠を提示してくれると思っているし、己を納得させてくれると信じたかった。

 

「モモンガ様、そいつはですね――」

「リジンカン。ココハ私ニ任セテホシイ」

 

 リジンカンを押しとどめるように、コキュートスが言った。彼なりのケジメというものだろう。とはいえ、そう大したことを考えついたわけではなく、ただ誠実に、正直に思うところを述べるだけだ。

 

「申シ上ゲマス。……恥ズカシナガラ、私ハ個人戦術ニハ一家言アル身ナレド、集団戦ニ関シテハ、サホド見識ガ広クハアリマセヌ。ユエ、ソウシタ方面ニモ明ルイ、リジンカンヲ傍ニ置ク事デ対応シタイ――。要ハ、彼ヲ我ガ軍師トシタイノデス。軍ノ運用ヲ学ブナラバ、軍師ノ助言ヲ如何ニ現実ニ落トシ込ムカ? コレヲ実践スルノモ、有意義デアルト考エマス」

 

 コキュートスの主張は正しいが、それだけなら先ほどの言葉の焼き直しである。モモンガは無言で続きを促した。

 

「彼ハ自由ナ部分モアリマスガ、基本的ニ見識ハ広ク、発想モ柔軟デス。知恵者デミウルゴス、アルベドノ両名ハ、気軽ニ戦場ニ連レ出スノモ気ガ引ケマスガ――ソコナ男ハ、色々ナ意味デ扱イヤスク、頼リヤスイ。今回ノ件デ連レ回スナラ、彼ガ最適ノ人選デアルカト愚考致シマス」

「同意する。――それで? 頼りやすく連れまわしやすいことが、どのような利点を生むのだ? 私にもわかるように、説明してほしいな」

 

 さらなる重圧が、コキュートスに圧し掛かる。モモンガの発言には、それだけの重みがあった。もちろん、当人は気づいていないだろうが。

 ともあれ、それに負けじと、コキュートスは一呼吸置いてから話し始めた。

 

「戦ハ、戦場ダケデハアリマセン。戦ニハ、終ワッタ後ノ処理ガアリマショウ。模擬戦デアルナラバ、勝者ヲ労イ、敗者ヲ納得サセル場ガ必要ナハズ――。思イマスルニ、ソウシタ場デハ、賢イ知恵ヨリモ、共感ト慰メガ必要ニナルカト」

「……詳しく聞きたい。続けよ」

「模擬戦トイウ形態デアレバ、直後ニ死傷者ト環境ノ被害ノ確認、治癒ガ終ワレバ結果報告ナドノ時間ガ必要ニナリマショウ。オ互イニ、顔ヲ突キ合ワセテノ話シ合イニナルデショウ。……私ハ、主将ヲ仰セツカッタノデスカラ、ソノ場ニモ出席スルノガ筋トイウモノ」

 

 そう言われればそうか、とモモンガも思う。コキュートスは勝敗の心配よりは、そうした戦後の話し合いに苦手意識を持っているらしい。

 確かに、単純な武人には不慣れな分野だろう。戦場での助言役はおまけ。リジンカンを使う最大の目的は戦後――少し砕けた言い方をすれば、反省会での立ち回りを助けてほしいのだ。

 

「そうだな。単純な戦争なら、蹂躙して支配して従え、という簡単な流れになるんだが。……体裁を整えてしまった以上、お行儀良くせねばならんな」

「オッシャルトオリ。私ハ無骨ナ武人ユエ、不器用ナ態度デ接スルコトニナルデショウ。至ラヌ所ガ出ルカモシレマセヌ。――ソコデ、リジンカンノ人付キ合イノ良サニ、期待シタイノデス」

「……デミウルゴスやアルベドでは、知性が鋭すぎて相手も緊張するか。リジンカンは陽気な男だし、リザードマン相手でも分け隔てなく接することも出来るか……? いや、確かにその通りだ。よく考えたものだ、コキュートス。感心したぞ」

 

 ここまで聞けば、コキュートスが真剣に彼を必要としていることも、理解できた。自分に足りないものを把握する。単純だが、認めるのはなかなか難しい。さらに必要なものを認め、上司に向かって謙虚に申し出るのは、もっと難しいことだ。

 社会人として経験のあるモモンガは、経歴が立派で能力のあるものは、プライドも高いことを知っていた。そういう手合いは、他人の長所に嫉妬したり、助力を侮辱と取るような相手もいる。

 

――すごくできる奴は、妙なところにこだわったりするからなぁ。コキュートスがそんな奴でなかったのは、実にいいことだ。

 

 これだけでも十分な成果と言えるが、さらに実戦で試すことが出来れば、重ねて有意義であろう。モモンガとしても興味深い。

 よって、許可することに決めたが、形式というものがある。

 

「なるほど。よくわかった。……主将であるお前が、どうしても必要だというのであれば、許可しないわけにもいくまい」

「デハ」

「強調しておくが、リジンカンの申し出だから許す、というのではない。この件を任せたのは、あくまでお前だ、コキュートス。そのお前が強く推すから、許可するというのだ。それを確かに理解せよ」

 

 今回の件に限っては、コキュートスがリジンカンの上位者であり、直属の上司となること。これを強調すべきだった。上下関係をあいまいにして、なれ合いの仕事をさせると、まずろくなことにならないと、社会人としての経験から言う。

 

「ああ、はい。……わかっていますとも」

 

 モモンガは、コキュートスではなく、リジンカンの方を見やった。

 彼の面目を鑑みて、自重して動け、と釘を刺すように視線を向ける。わかってくれるかどうか、いまいち不安だったが、リジンカンは正しく理解したらしい。肩をすくめて見せた。

 

「アリガタク!」

「よい。お前が必要だと思うもの、戦力以外であれば、融通は利かそう。――さて、他にないのであれば、改めてウォン・ライに伝えねばならんな。彼には模擬戦の最終案を通達する役目があるし、土壇場で変更案を突き付けるのもアレだ」

 

 そういえば、ウォン・ライは直前の調整のため、今日もリザードマンの集落を訪れている。出てからしばらく時がたっているし、あちらも順調に進んでいるだろうか。

 コキュートスのためにも、問題なく話し合いがまとまればいいが――と、モモンガはそう思っていたのだが。

 流石に、何の問題もなく、とはいかなかったのである。

 

 

 

 

 

 ウォン・ライは、その情報をどう処理すべきか、一瞬悩んだ。

 

「……その数に、修正する余地はないのですか?」

「ない。出陣させる戦士の数は、10名が限度だ。よって、そちらも30名のアンデッド部隊を用意すると良い。――何か問題があるのか?」

 

 シャースーリューは、不思議そうに言った。こちらを偽る意図はなく、ただ真実を述べているだけだという態度。

 その純朴な姿勢には好感を持つが、口にした情報は捨て置けない。ウォン・ライは大いに問題だと主張した。

 

「少なすぎる。模擬戦の規模としては、まだ大きくしたい。最低でも100対300の試合にしたいのですが」

「それでは、集落へのダメージが大きくなりすぎる。非戦闘員まで動員しなくてはならなくなる。――戦争を仕掛ける意図がないのなら、こちらの事情もかんがみていただきたいが?」

「……リザードマンの人口は、100人の戦闘員も確保できぬほど、危険水域にあると?」

「どうとってもらっても結構。ただ、我々としても過度の負担は避けたい。俺を族長と認めてくれるなら、俺が責任を持つ民たちにも、理解を示してほしいと思う」

 

 わかってもらいたいと、シャースーリューは付け加えた。おそらく、集落では模擬戦自体が批判の対象なのだろう。

 そんな面倒に関わりたくない。そう思われては、人員が少なくなるのも当然か。

 

「はいそうですか、と引き下がっては、主に顔向けができませんな。……なるべく大きな戦いであってほしいのです。派手に打ち合ってこそ、戦いの中で生まれるものがある。私は、そう信じておりますので」

「何と言われようと、こればかりはな。族長とて、何もかもを自由にできるわけではない。俺は、奴隷を従えているわけではないのだ」

 

 ならば、とウォン・ライは切り出した。

 

「それでは、こちらから戦力を貸し出しましょう。そちらの命令に従うよう調整した兵を、90体ばかり預けても構いません。受け入れてくださるならすぐにでも――」

「無用だ。理解の及ばぬものに、命を託すのは勇気がいる。……10名だ。この数は覆らん」

 

 シャースーリューは頑なだった。模擬戦とはいえ、命のやり取りには違いない。だからこそ、頑なになる理由もわかるのだが――。

 

「……なるほど。よくわかりました。どうしても、というのであれば、致し方ございません。10対30の少数での模擬戦になりますが、それで行うと致しましょう」

 

 ウォン・ライとしては、無理押しも出来ぬ。ない袖は振れない。そういうものと考えるしかないと、思考を切り替えた。

 彼は極めて穏やかに、その事実を受け入れる。ウォン・ライの顔に怒りの色はない。それを確認すると、シャースーリューも安心したように、一息ついた。

 

「わかっていただけたか」

「もちろんです。――さて、ともあれ数の話はこれで決着としましょう。そこでもう一つ、提案があります」

「……と、いうと?」

「そう構えなくても大丈夫ですよ。貴方がたの懸念を取り除いてあげたい、と思っているだけですから。――要するに、戦力の確認ですな。どの程度の強さのアンデッドを持ってくるか。それを実際に確かめてみたほうが、安心できると思うですが、いかがでしょう」

 

 ウォン・ライは、模擬戦を前にして、リザードマンたちが抱える不安を理解してやりたいと思っている。

 人数を絞ったのは、そもそもこちらに信用がないからだ。信用は、互いへの理解を深めねば生まれない。理解さえできれば、不安を取り除くことも出来るし、利益の誘導も容易になる。

 ここで戦力の公開に踏み切ったのは、その布石とも言える。

 

「それは、あれか。こちらの10名に対する、そちらの30名の戦士を、事前に紹介してくれると。そういうことでいいのか?」

「はい。もっとも、全員ではなく1人だけ連れてくる形になりますが」

「いい話だ。出来るなら、ぜひ紹介してくれ。ぶっつけ本番でも充分戦って見せるが、こちらに有利な案であれば、拒む理由はない」

「その気があるのなら、殴り倒してくれて構いません。失って惜しい戦力ではありませんので」

 

 戦う前に、その相手のことを把握していれば、手の打ちようはあるだろう。心の準備もできるし、リザードマンにとってはありがたい話だった。

 これも温情の一つ、と考えれば、ウォン・ライには感謝すべきか。いやいや、そもそも好きで付き合っているわけではないのだから、それは過剰であると、シャースーリューは思い直す。

 

「相互理解が深まったようで、何よりです。――では、模擬戦の時期は伸ばしましょう。可能なら明日にでも行いたかったのですが」

「……性急であったと認めるべきだな。初めての試みなのだから、余裕を持っておきたい。二日や三日くらいは伸びても支障はあるまい。……今日は、まだ話し合うことはあったか?」

「戦力の確認のほかは、ございません。しいて言うなら、模擬戦の後の段取りについてですが」

「ふーむ、そのあたりはきちんと書面に残しておいた方がいいな。後で手違いがあっても困る。できれば、我々にわかる文字で頼みたい」

「では、書面に記すのはそちらにお任せしましょうか。こちらには写しをいただければ充分です」

 

 終始和やかに話は進んだと言って良いだろう。シャースーリューは、初回ほどの緊張は感じなかったし、ウォン・ライからも、悪い雰囲気は欠片も見られなかった。

 いいことだ、と単純に彼は喜んでいた。交渉を通じて、自分が成長したという実感を得ているようでもあった。

 シャースーリューがそう思っている感覚が、実際にはただの錯覚で、作り出されたものに過ぎないのだと気づくことは、終生なかったであろう。

 

 ウォン・ライは表情を崩さなかった。

 赤鬼は、静かに感情を表さず、最後まで理知的に、論理的に、矛盾なく話し合いを進めたのだ。

 少なくとも、そう演出し、そう相手に感じさせる程度には、気を使っていたのである。

 結果として、誰に幸いし、誰に不幸をもたらすか。そこまで見通すには、シャースーリューは若すぎたというほかない。

 

 

 

 

 

 

 ウォン・ライが話をまとめて帰ってくると、コキュートスがリジンカンと同行する話をまとめていた訳で。

 これはこれで、お互いの頭を悩ませることになってしまった。

 

「悪手とは言わぬが、事が複雑になりかねん。リジンカン。お前、まだ何かやらかすつもりではないだろうな?」

「信用がないな親父殿。いや、むしろ信用しているから不安になるのかね? まあ、何でもいいが、その懸念は当たっているといっておこうか」

 

 クレマンティーヌを連れて行く、とリジンカンは言った。

 この場にモモンガがいなかったのは幸いだった。二人は、ウォン・ライの私室で話している。

 リジンカンとのコミュニケーションを重んじた結果だが、ウォン・ライが求めずとも、彼の方から話し合いの場を作ったろう。これは、それほどの話であった。

 

「おい」

「良い話だろう? 親父殿。俺は最近、ひどく勤勉になってな。女を育てる喜びに目覚めそうだよ。――上位者というものは、気分がいいものだな、うん?」

「……皮肉か、それは」

「皮肉だとも、親父殿。貴方には、それが一番効くだろう? ――息子の孝行に、少しは感謝してほしいものだね」

 

 他者が聞けば、何が何やら、であろう。しかし、二人は解していた。

 クレマンティーヌを戦場に伴うことは、リジンカンの趣味である。だが、彼女には利用価値があった。

 

――彼女は、全ての情報を明かしたわけではない。出し惜しんでいる。

 

 リジンカンが、積極的に情報を絞ろうとしないからだが、彼はすでに彼女を『自身の所有物』だとナザリックにおいて宣言している。

 当人にこそ伝えていないが、クレマンティーヌはもう他者が手出しできる存在ではない。少なくとも、守護者たちはいくらか気を遣うだろう。モモンガも、リジンカンの管理下にあるのならば、あえて干渉はしないように思える。よって、彼女はもう安全なのだ。

 

「女子を戦場に伴うか、男子の矜持はどこへやった?」

「女性差別だな、それは。言いたいことはわかるが、俺には届かんよ親父殿。俺の矜持など、投げ捨てて構わない」

 

 そうした彼女を、ナザリック最初の外交である模擬戦に伴うことの意味。

 ウォン・ライは、いくらか考え込まねばならなかった。それほど、リジンカンの言動を理解しかねたのである。

 

「……私の考えが正しければ。リザードマンに対するアピール、ではないな。クレマンティーヌを伴う利点は、外部にあるのではない。むしろ内部の、ナザリック内の者たちへのアピールというわけか」

「まったくその通りだとも。……これから先、外の世界との結びつきは強くなる一方だろう。少しずつでいいから、異物を受け入れる土壌を作っていきたい。彼女は、その一助になってもらうつもりだ」

 

 今回の件は、ほんのあいさつ程度のものだがね、とリジンカンは付け加えた。

 涼しげな顔で、刺激的なことを言う。これで不敵に笑って見せるのだから、彼の神経はよほど太いのだろう。

 

「――楽しいか、リジンカン」

「楽しいとも、親父殿。貴方が楽しんでいるのと同じくらいにはね。……村人たちと接して、連中を憐れんでやって、満足だろう? 貴方はずっと、ああしてやりたかったものな! 上から目線で超越者を気取り、無償の施しをするのは、まったく。至上の悦楽と言ってよかろうよ」

 

 リジンカンは、勝手に持ち込んだ酒をあおる。手酌でぐいぐいと飲み干していったが、酒瓶の中身は尽きることを知らない。

 減らない酒瓶は、ウォン・ライの私物である。それを自分のものであるかのように扱う彼。

 いや、ウォン・ライの本心を見透かしたような言葉を吐く彼を、何といえばよいのであろう。

 

「……皮肉を言うどころか、率直に非難するか」

「非難? 俺は責めたつもりなどないさ。親父殿の現状を、ただ述べてみただけでね。……これを非難というなら、それだけ後ろめたさを感じている証拠だろうよ」

 

 ウォン・ライは、リジンカンの言葉を否定しなかった。

 出来ようはずもない。彼の言葉は、すべて正しかったし、そのことを自覚してもいたからだ。

 だが、どうしてリジンカンがそれを理解したというのか。まさか、心を読めるわけでもあるまいに。追求したいところであるが、したところでどうなのだ、という気持ちもウォン・ライにはあった。

 

「現実で叶わなかったことを、夢の中で叶える。それを私の弱さだと、お前は笑うか」

「笑ってほしいんだろう? 親父殿は、複雑な人だからな。俺が気にかけてやらねば、誰も理解などしてくれまいよ。――いや、本当に孝行ものだな、俺というやつは。世が世なら、良き孝子として語り継がれるだろうよ」

 

 リジンカンの戯言を、ウォン・ライは聞き流した。戯言でない部分だけ、真剣に受け止める。

 しかし、この義理の息子の思惑を、どう解釈したものだろうか。いたずらに突いてみただけだとも思えぬ。

 

「我が国の思想を愚弄するつもりか?」

「時代錯誤な滑稽話を、そのまま笑い話にして何が悪い――と、ああもちろん冗談だとも。いや、しかし、そこで出てくるのが『我が国の』とはな。貴方の言う我が国とは……何のことなのだろうな?」 

「わけのわからぬことを――」

「親父殿、貴方は真剣に考えるべきだ。我々は、これから国づくりをすることになる。ここが、この世界が、我らの祖国となるんだ。……その事実から、目を背けるべきではないと、俺は思うがね」

 

 ウォン・ライは、明確な反論が出来ず、黙り込むしかなかった。

 リジンカンが指摘した部分について、考えていなかったわけではない。だが、目先の仕事に追われて、広い視野を持てなかったのではないか? 自身の感情に溺れて、後々の禍根を見逃しているのではないか。

 

「……お前は時折、私の心を見透かしたようなことを言う。そして今、私自身の至らなさを指摘してくれている。――親子というものは、ここまで通じ合うものかな?」

「さて、どうかな。まあ、つながりは深い方だろうが、俺は親父殿以外には、不感症といってもいいくらいだよ。つい最近も、女心がわからず、一人の淑女を傷つけてしまったしな」

 

 はぐらかされている。わかっていたが、ウォン・ライは追及できなかった。

 言わぬと決めたら、死んでも言わぬ。そういう男であると、父である彼には分っていたから。

 

「クレマンティーヌのことか。話に聞く限りでは、ずいぶん物騒な女性であるようだが」

「あれくらい物騒な淑女がいても、許されるだろう。血の気の多い奴は、ナザリックでも珍しくない。――そもそも、美しい女は、たたえられてしかるべきだろ?」

 

 気負いもなく気取りもせずに、ごく自然な口調でリジンカンは言った。

 いちいち、あからさまな表現をする時点で、女性に慣れていないのがわかる。設定上、リジンカンにはそうした経験を付け加えた覚えはない。そして、ナザリック内で誰それに手を出した、などという話も聞いていない。

 

「未熟者め。まさか、そのノリで当人と接しているのではあるまいな」

「……勘弁してくれ、親父殿。女の口説き方まで指南してほしいとは、流石に望まんよ」

 

 あるいはリジンカンは、自身の良い所を見せるために、クレマンティーヌを伴おうとしているのかもしれない。それも、異性として意識して。

 だとすれば、これはこれで、可愛げのある息子ではないか、とウォン・ライは思い直した。

 そして、この可愛らしい息子のためになるのなら、些細な粗には目をつぶって、いくらか骨を折ってもいいかと、そう考えもするのだった。

 

「近いうちに、義理の娘を持つことになるのか」

「やめてくれ、相手にも選ぶ権利というものがある。……ああ、今のは皮肉じゃないぞ。念のため」

「わかっている。自由意思に任せるとも。……恋愛は、自由であるべきだ。その後の展開も含めて自然にあるべきで、何の不思議もない。そうだな?」

「そうだとも、親父殿。貴方は何も間違っていない」

 

 外部からの圧力で、恋の結果は左右されてはならない。悲恋など誰が望むものか。

 恋愛観については、親子は共通しているのであろう。そういう意味で、ウォン・ライも初心な気持ちを持ち合わせているということか? 残念ながら、そうではない。

 

「……孫の名前を考えておかねばならんな。候補は、三十ばかりで足りるか?」

「親父殿がそれで満足するというのなら、あえて止めはせんよ。年寄りの楽しみを奪うのは、忍びないものな」

 

 リジンカンは、明るく笑い飛ばすよう、努力せねばならなかった。

 己がその希望にこたえられるかどうか、自信がなかったというのもあるが。何より、ウォン・ライがカラ元気を出しているようにも見えて、痛ましかったからだ。

 

 ウォン・ライの心は、すでに傷だらけだ。しかも人生を長く生きた弊害で、隠し事が上手くなり過ぎていたから、傍目には健康体に見えてしまう。

 いや、傷つき、病んでいたからとて、それがどうだというのだ。まさに周大鸞は、病んだまま大業を成したというのに。

 

「頑張りすぎるなよ、親父殿。……貴方を頼りにする者たちがいることを、忘れないでくれ」

「今さら何だ。わかっているとも。働きたがるのは――まあ、性分だ。これでも好きでやっていることだから、疲れも少ない。心配するようなことではないだろう」

 

 リジンカンは、酒をあおった。これ見よがしにやっているのに、ウォン・ライは一滴も飲もうとはしない。

 それこそが、まさに両者の差であるといえるし、役割の違いをも示していたと、言うこともできる。

 二人は適当に駄弁った後、何とはなしに別れた。不完全燃焼であったと思いながらも、また機会があったら話し合おうと、お互いに感じながら。

 

 

 

 

 

 




 ウォン・ライという男の複雑さについては、次の話でいくらか表現できることでしょう。
 中国的な大人物というものが、いかにアレな代物か。説得力のある描写が出来るよう、努力します。




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。