2月29日
河内・ 郡 教興寺
三好軍、淀川を渡る。
その一報が届いた時には、畠山高政は撤退を決意していた。
飯盛山城が予想以上に固い城だった事、淀川を渡った三好軍が予想以上に多い事、そして六角軍が予想以上に京にとどまっている事。
その3つの『予想以上の事』があった彼は、城攻めの継続を尊大に諭そうとした六角家からの使者を斬りつけ、配下の者達に撤退を宣言する。
寒い2月に徴兵させられた武士達は嬉々としてそれに応じ、飯盛山城が察知する前にはそそくさと撤退を始めた。
「追い掛けるぞ」
『御意!』
追い掛ける者達と、後ろを気にしながら追われる者達。どっちが速いかと言えば、それは明らかだろう。
この頃は大阪城の東側に注ぐ大和川が、あっちに行ったりこっちに行ったりしているため沼地に近い所になっているエリアに建てられた教興寺の近辺で、補足された畠山軍は止まり、決戦の準備を始める。
互いに予め決めていた通りに陣を展開していき、その日の夜は小競り合い程度で
「いよいよ、明日が最後の戦いか」
「うん。……もうちょっと、良い?」
「……ああ」
そして、両軍合わせて10万人以上の者達は、様々な思いを巡らせながら2月30日を迎える。
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2月30日 夜明け前
河内・高安郡 戦場
島 清興
昨日の身に染みる寒さの後は、今日の争いを前にして弔うかのような静かな雨だった。
私は、奇しくもこの教興寺から見て生駒山地の山向こうにある生駒郡の
新興勢力に抗うために、私は久米田の前から元々属していた畠山家に協力しようとしたが、大和衆は松永の強さは知ってるので慎重だった。
そのなかでの久米田での大金星と、三好軍の敗走である。
「行くぞ!」
それを聞いて漸く筒井殿は重い腰を上げたが、やはり遅すぎた。
そして、敗走兵と少しだけの北条軍に正面から突っ込んでの大敗である。
大和衆というよりかは一族を逃すために、身を挺して私は三好軍の追撃を防いだが、その代わりに捕らえられる。
打ち首だろうなあ、とは考えていたが、戦いの総大将だった相良殿の処置は寛大だった。
次の戦いで三好軍の勝利に貢献すれば、松永に服属する代わりに所領は安堵され、戦功次第では加増する。
この教興寺の戦で敗れれば……だが、誰かの打ち首は覚悟していた私達にとっては、寛大すぎる処置で、鳥養で松永……殿に正式に認められた。
そして、その鳥養で私達大和衆1100人は、前衛の摂津衆所属の遊軍にまわされる事になった。
「駄目……なのか? お兄ちゃん」
「……………………ああ、駄目だ」
鼻血で貧血を起こしていた将軍様。
「……抑えてくださいよ?」
「わかってるさ。ちょっと向こうの本陣まで出掛けるだからな」
「はあ」
おでこをしきりに揉む相良殿。
「なるほど、そういう作戦ですか」
「………………」
「ええ、わかってます。危険な人にはやりませんよ」
「……」
「よしちゃんもですよ?」
「……。………………」
「私もそうですけどね」
「………………」
「ふふ」
奇抜な格好をした茶人達?
……うん、どうしてこうなった?
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*教興寺の戦いでの陣容
飯盛山城:三好長慶
本陣総大将:三好義興と彼女が率いる一門衆1万人
総大将サポート:松永久秀と彼女が率いる三好方大和衆500人
後衛:松山新介と彼が率いる譜代・旗本衆合計5000人
中衛:内藤宗勝と彼女が率いる丹波衆8000人、十河重存と彼女が率いる讃岐衆7000人、三好康長と彼が率いる阿波衆5000人、安宅冬康と彼が率いる淡路衆200人、合計2万0200人
前衛:三好政康と彼が率いる摂津衆2万5000人、摂津衆とは別に政康の旗に自発的に集った本猫寺門徒衆5000人、相良良晴と彼が率いる北条軍200人&大和衆1200人&堺からの志願兵600人、足利義輝と彼が率いる幕府衆500人、合計3万2500人
三好軍合計6万8200人
vs
畠山軍合計3万2500人
前衛:
中衛:堀内氏虎と彼が率いる紀伊衆4500人、
後衛:畠山高政と彼が率いる紀伊衆3000人
登場人物の所を除けば100話目突入です。
投稿時点で
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という、書きはじめた時とは想像がつかないほど見てくださりありがとうございます。
これからも本編まで長く浅く話が続いていきますので、梅雨真っ盛りですがよろしくお願いいたします。