相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

116 / 256
第86話 下総から常陸への話

3月11日 夕方

下総・結城郡 結城城下

 

 その日、朝から結城城では酒宴が開かれ、それは気前よく城下でも行われていた。

 建前は『農作業に入る時期の前に当主より農民・町人を激励する』というものだが、実際ははるか遠い山城にいた同族の出迎えパーティーと、鎌倉公方から正式に家臣として復帰する事を認められたからだった。

 

「ぷっはあ!!」

 

 もちろん結城家の家臣達も集められ、そこには水谷正村という男の姿もあった。

 妻子持ちである彼は、結城郡の東隣にある常陸・真壁郡の下館(しもだて)城主であり、そこで宇都宮家の攻勢を何度も防いできた猛将である。

 その最中、宇都宮家が佐竹家を介して北条家と同盟を結んだ事から、彼に久しぶりの平穏が来たのだ。

 つまる所はやる事が無くなったのだが、今の彼はそれを喜んでいた。

 

「うーん」

 

 その正村の宇都宮家の束縛からの解放に喜ぶ他の結城家家臣もいるが、その中で常陸・真壁郡の下妻(しもつま)城主の多賀谷(たがや)重経という少女は、別の目的で祝宴にやって来ていた。

 今は父親の政経が当主で結城家には従順だが、1つの独立勢力として充分な力を持つ実家を、結城家に使われるだけというのは好かなく、家督を譲られたら動く気満々だった。

 しかし、古河公方蜂起に始まる一連の動きで、相模・武蔵・下総南西部の北条家、常陸北東部の佐竹家、そして下野中部の宇都宮家が手を結び、公方家の対立である。

 それを主導したと言える北条家を見に来たというわけだが、彼女は相良良晴を見て評価を決めあぐねていた。

 

「覇気が無いよなあ」

 

 結城家家中では、おっさんである水谷正村の次の世代の猛将と目されている少女である。なので、彼女の審査は、力や覇気に偏っていた。

 酒を呑まずにこの酒宴を楽しんでいる相良良晴は、隣の結城晴朝と歓談し、警戒心の欠片(かけら)も見えなかった。そう見せている可能性もあるが、彼女はそれが真の姿だと直感していた。

 そして、珍しく手元の酒には手をつけていなかった彼女は、それを1杯だけ飲み干してから、彼の方へ近付く。

 

「…………」

 

 まずは、彼の隣に無言で(はべ)る少女が気付き警戒してきた後に、良晴はそれに気付いた。

 そして、重経は結城家のお客の主賓である彼を見下ろして、いきなり言い放った。

 

「仕合してみない?」

 

 多くの者が唖然とする中で、少し考えた良晴は答える。

 

「良いぜ」

 

 その時の重経の笑みは、まるで獲物を見つけたライオンのようだった、と後に良晴は誰かに言った。

 そして。

 堺などで免許皆伝者の頼次にまた叩き込まれ、鳥養や教興寺での義輝との仕合ではあの手この手で引き分けに持ち込んだ相良良晴。

 (ちまた)に広まっている剣術の流派であり、義輝が免許皆伝を果たしたそれを少しかじった多賀谷重経。

 2人の仕合は、主に結城家の者達が思っていた時間で、しかし勝者は真逆についた。

 

「旅に出る!」

 

 その元気な少女の声と、その直後の大声が城下町に聞こえたのは、それから間もなくの事だった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

3月11日 夜

常陸・霞ヶ浦沿岸

 

 北条家の使者が結城家に来訪。

 その報が普通の武将達に広まるのは、大分後になってからだが、奇しくもこの日は北条家に敵対する家の1つである大掾(だいじょう)家では、一族総出の軍議が行われた。

 律令上は常陸の真ん中である国府に近い府中城の大掾貞国を当主とする一族は、霞ヶ浦沿岸に分家が広がっていて、その意志疎通のために開かれたのだ。

 

「ただいま佐倉より彼が戻ってきました」

「おお、戻ってきたか。早よ通せ通せ」

 

 しかし、その軍議が成功したかと聞かれれば、九分九厘大失敗だと人は言うだろう。

 

「北条家と佐竹家より確約を取り付けてきました。霞ヶ浦の権利は残った一族に任せる、と」

「そうかそうか。長が出来ないのが残念だが、それも良い妥協よ。して、戻ってきてなんだが、そちに佐倉の北条殿に伝言を頼みたい」

「伝言でございますか?」

 

 北条家が、というより氏康が3ヶ月も何もせずにいたわけが無かった。

 しかし、今回は北条家の悲願である関東制覇に大きく近付ける千載一遇のチャンス。彼女が慎重になるのも無理はなかった。

 

「うむ。大掾家の詳細な作戦と、古河の逆賊の大雑把な作戦よ」

「それは……」

「良い手土産になるであろう?」

「ですな。この小太郎が直接聞きたいほどに」

「……なっ!? ……あやつは?」

「大丈夫です。城門の手前で変わってもらいました。しきりに謝ってましたぞ」

「あやつは、こちらが引くほどに忠誠心があるからのう」

 

 氏康が3ヶ月の間に広めたのは、食糧を武器にした敵対勢力の切り崩し。

 風魔の報告では、北陸道や三河・信濃より東で大規模な空梅雨があり、軒並み米の収穫量が落ちた。

 そのため、能登では内乱が始まり、義元は穀倉地帯である濃尾への進出を決め、足利晴氏は窮して古河城での挙兵を引き起こしそれに里見家など山がちな所の家達が乗っかった。

 

「じゃあ、もしもの時には融通するよっていう取り決めをするよ? って言えば良いんじゃね? でーー」

 

 とは、鎌倉での年始の軍議の前の相良良晴の案。

 それを実行してみた所、応じた家が少なからずあり、集中していたのが霞ヶ浦沿岸の者達だった。

 霞ヶ浦の出口は鬼怒川や小貝川が合わさった常陸川が運んできた土砂と鹿島灘の砂丘によって閉ざされ複雑な感じになっている。なので、大雨がふると排水能力不足と常陸川からの逆流による洪水がたびたび発生していた。なので、元々自給率は低く、それを本家に訴えても、霞ヶ浦の北にある本家は「分家が力を持てないチャンス」として放置してきた。

 その不満がたまっていた所に、鎌倉公方という後ろ楯を得た北条家からの手である。渋っていた者達も、霞ヶ浦の利権維持と良晴が頼次を真似た軍(えき)自由の条件が加わると、首を縦に振った。

 

『霞ヶ浦南部の交通路確保。水路で鹿島まで出れる模様』

 

 風魔の若き首領である風魔小太郎からの書状が良晴に届いたのは、結城家の騒動の決着がついた頃だった。

 それに、結城家家臣達は沸き立ち、武勇は苦手な晴朝は安堵の息をついた。

 

 3月12日。

 結城城から1()人の者達が、霞ヶ浦へ向け旅立つ。




常陸の事を書いている時に、茨城北部で震度5弱の地震。
少し恐いものを感じます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。