前年10月2日 夜明け
上野・ 郡 沼田城
北条 三郎
所々が焼け落ち、煙もまだ出ている城という光景。その光景を、ぼく達は前夜まで考えても無かった。
御姉様によって、寺から幻庵様の養子になり、甲相同盟破綻の時の保険として、自分で「微妙な存在さ」と言っていた康元さんの付き人になった。
北条家随一の猛将である綱成様の実弟でそこそこ出来ると自己評価をしている康元さんと、僧侶にも武将にも向かないと思っているぼく。年が近い事もあって妙に気が合い、起きている時は四六時中一緒にいた。
今回はそれが功を奏して、敵に対してすぐに一丸となれて、内憂を追い払う事が出来た。
「5000以上はいるな」
けれど、その間に越後の白兎が自ら攻めてきて、ぼく達は逃げれなくなった。
敵は目視でも5000人以上はいるのに、味方は500人ほどしかおらずその誰もが夜通しの戦で疲れていた。
櫓《やぐら》から見下ろしている康元さんも汚れは拭いたけど、あちこちに傷がついていて、目は血走っていた。
「康元さん……」
「大丈夫さ。厩橋城には御館様がいらっしゃる。すぐにもここに来てくれるさ」
康元さんは笑顔でいうけど、2つの城の間の城達は既に落ちたか混乱しているので、簡単ではない事が誰もがわかっている。
厩橋城と箕輪城からは様々な指示が来ているけど、支離滅裂で余計にどうするか考えている間に、後ろに暖かさを感じた。
振り返ると、昨日から見たくないと思っていた太陽が、東の山々の合間から見れた。
「戻ろうか」
「はい」
ここにいては矢の的になるので、ぼく達は櫓から降りる。
そのまま評定の間に向かうと、ぼく達2人それぞれに付けられた家臣や地元の人が暗い顔でいた。
越後を統一し武田と対峙できる軍神が自ら攻めてきて、自分達の兵は圧倒的に少なく援軍も来れるか怪しい。
そんな状況でどんな結論が出るかはわかりきっている事で、上座の康元さんにすぐに筆頭家臣の人が平伏する。その老臣の案に、ある修正を加えてそれは可決された。
そして、ぼくは運ぶ。
そして、老臣は運ぶ。
桶を。重い重い桶を。
ぼくは、その日の夜に行われた軍議には参加出来なかった。
ぼくは、軍議の結果を幻庵様から聞いても大して反応出来なかった。
ぼくは、みなさんの言葉を朧気に聞いていて、内容を覚える事は出来なかった。
ぼくは。
自分で逃げれなかった。
ぼくは。
氏邦さんに引き摺られ、そして怒られた。怒鳴られた。叩かれた。
ぼくは。
御姉様達が変わっていくのを見た。
ぼくは。
北条家でいることを辞めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
長尾景虎の初の関東侵攻。
その結果は、宇都宮・佐竹・反乱した家臣の家に攻められた那須家への救援と、その最中の混乱が無ければ上野どころか武蔵も手中にしただろうと言われた。
それほど、北条家は多くのモノを失い、そしてつけこむしかない足利晴氏は古河で挙兵した。
10月2日。
元は北条綱景と言う沼田康元の首と引き換えに、北条三郎らは城を出て、沼田城は落ちた。
10月3日。
北条家は厩橋城に北条幻庵を置いて撤退を始め、それに応ずるかのように上杉憲政を擁する長尾軍は南下する。
10月5日。
長尾軍が厩橋城を攻めている後ろを、北条氏照・氏邦姉妹ら北条軍が襲いかかるが、景虎はそれを迎撃して彼女達を死の直前まで追い込む。
姉妹らを吸収した北条氏康は、すぐさま撤退を決め、長尾景虎はそれを追撃する。
10月6日。
武蔵・羽生城攻めが始まり、景虎は二の丸まで落とし、本丸の氏康らは明朝に全軍が討って出る事を決める。
10月7日。
里見家などへの睨みのため関宿城にいた北条綱成が、残りの北条軍のほぼ全てを引き連れて救援。
また、厩橋城から出た北条幻庵も一夜の強行軍を成功して後ろから長尾軍を襲う。
それに羽生城内からの攻撃が重なり、上杉憲政がいたこともあって長尾軍は撤退。
10月8日。
睨みあっている最中に景虎に那須家からの救援要請が届き、彼女は上野に長尾政景を置いて転進する。
そして。
下野・ 郡の多功城攻めの時、長尾軍に合流して先鋒をつとめていた佐野豊綱が討死し、連合軍は混乱する。
食糧も尽きてきた事から、直江大和などの上申もあり景虎は撤退する。それは、連絡が取れていなかった足利晴氏が古河城で挙兵したのと同じ日だった。