3月23日 朝
上武国境周辺 戦場
関東で有名な戦国時代の戦いと言えば、関東以外に住んでいる人はどれを思い浮かべるだろうか?
そう聞いた場合、どれもが北条家の転換点になった4つの戦いが当てはまるかもしれない。
北条家が武蔵を制した河越。
長尾景虎→長尾政虎→上杉謙信という怪物が初めて来た小田原城の戦い。
駿河侵攻とそれによる越相同盟に端を発し、北条軍と武田軍それぞれ2万人が丹沢の端っこで衝突した三増峠の戦い。
そして、北条・徳川・伊達の大同盟策失敗によって、北条家だけが滅亡の憂き目にあった羽柴秀吉による小田原城の戦い。
大体その4つがあげられ、三増峠の戦いで北条家が戦い後に和睦し越後の内乱に大きく関与し滅亡した武田家の遺した物が引き起こし、そしてその戦いの結果が巡りめぐって北条家をも滅ぼした関東最大規模の野戦はあげられる事は少ない。
恐らくは同時期に山崎の戦いがあった事、徳川家康が甲斐と信濃を平らげ山崎を制した秀吉と戦った事、その野戦に負けた武将が秀吉と戦った時には脇役だった事などからだろうが、その後の歴史に大きな影響を与えたのは確かだ。
「神流川の戦い、か」
その野戦をこの時代の関東で知っている唯一の人物である相良良晴は、戦場は一緒だが、様相があまりにも違う今の戦いに珍しく恐怖を抱いていた。
滝川
そして、一益のこの戦いでの最後も特徴的だったので、良晴は覚えていた。
「
だから、この戦場の後ろがわに精通している猛者を呼び出し、1つの指示をする。
あまり目立たないが、玉縄衆や鉢形衆ではなく相良衆ともっぱら呼ばれてる中規模な軍団の戦闘部門の長は、総帥にあたる一回り離れた少年からの指示にうなずき、色々と動き回る。
「杞憂だったら良いんだけどな」
良晴がそう漏らした直後、烏川の向こうにいる長尾軍を見ていた梅千代が入ってくる。
「長尾軍が前進。こちらに勢いよく向かってきています」
それを聞いた良晴は、ゆっくりと腰をあげ、自分の陣から本陣までは走る。
兜の緒を締めていた氏邦は、一瞬だけ彼を見てから、静かに
「皆、準備は良いわね?」
金窪城は比較的小さな城で、城主も「籠城戦には向きません」と明言するほどだ。
「もちろんよ!」
だから、必然的に北条軍は野戦で挑む事になり、氏邦らは城の外に集っていた。
そして、その氏邦も一夜が経つと、幾分か頭は冷える。
「攻勢を受け止め、徐々に削っていく。白龍は焦っているから、こっちは焦らしに焦らして苛立たせ、そして隙が出た小娘を御姉様と共に
総大将の鋭い茶色の瞳は、彼女の意気込みを現し、それにこの戦いの大将達の士気は上がった。
自分自身への確認も込めた言葉に、武将達は勢いよく立ち上がり、各々が散らばる。
最後に残ったのは、北条家の一門衆である松千代だけで、彼女は副将として氏邦の側にいる事になっている。
「乙千代。御姉様を笑顔にさせようね」
「……うんっ!」
そんな姉妹の会話があった頃、金窪城が微かに見える小山にいる長尾景虎は、身支度を整えて姫武将の姿になってからずっとその城の方を見ていた。
その彼女の横に立ち、身
「もうすぐか」
「……はい。もうすぐでございます、管領様。北条はさっさと引きこもると見ていましたが、まさか一戦交えようとするとは思いもよりませんでした」
「俺も小田原だけを落とせれば、後はこっちの物だと思ってたんだがな。今回の北条家は違うらしい」
「……でしょうね」
「んっ?」
「いえ、何も。……管領様は」
「わかってる。ここにいるよ。龍若丸を殺された恨みはあるが、そこまで強く無いしな」
「そうですか」
2人がそんな会話を終えた直後、唐突に景虎が立ち上がり、兼続は即座に膝をつく。
「出てきたわ」
兼続は見た。
少し赤みが増した主君の頬を。
「全軍に命令。出る」
「はっ」
そして、神流川の戦いの前半戦である『金窪原の戦い』が始まる。
この世界での『神流川の戦い』は、良晴がいた世界の『それ』と同じく上州側にいる者達が動き出す事で始まった。
一気呵成に疲れを感じさせずに総力でやって来る長尾軍に対し、やはり良晴の世界と同じく兵の数に劣る北条軍は防戦にならざるをえなくなる。
前線では氏照や良晴が各々の武器を振るい、その後方で氏邦が矢継ぎ早に後づめなどの指示を出していく。その連携は見事で、長尾軍と言えども容易には突破できなかった。
「やっぱり
軍神と称される景虎に何度でも反抗できる力を持つ長尾政景が悪態をつくが、それには目の前の北条軍の他にもう2つの事があった。
1つは、神流川に代わって上武国境を少しだけ成している烏川の勢いが強い事。浅間山と榛名山に挟まれた
そして、もう1つ。
「くっ! 馬鹿力め!」
「これを防ぐとはなっ!」
大将首ばかりを狙う集団。
それは、戦場の中では時々いるが、ここまで執拗に狙うのはそうはいないだろう。
なにしろ、大将首を奪わんとする集団は合計で500人以上を数え、自己防衛ぐらいの時でしか余所見せず旗本などを狙うからだ。
そして、この戦いでの彼らの狙いは長尾軍の前線で采配を振るう者達で、特に右翼指揮者の長尾政景と左翼指揮者の宇佐美定満だった。
「卑怯っちゃあ卑怯だが、だが有効な手だな! まあ、成功すればだがな!」
烏川を渡った所で奮戦していた定満が叫んだ直後、彼の後ろがわの方から新たな叫び声が響き渡る。
束の間、後ろを見た定満は「早いだろ」と毒づき、敵の本陣が動いた事で浮き足立っている目の前の敵を押していく。
「到着しました!」
押され始めた直後に、氏邦の本陣に1人の風魔がやって来る。そして、その風魔はすぐに他の者達と一緒に散らばる。
一方、本陣から飛び出した伝令達は、それぞれの担当の武将達の所へ走り、次の段階への移行を伝える。
「撤退!」
「撤退じゃ!」
「撤退だー!」
法螺貝と大声が鳴り響き、北条軍は長尾軍の攻勢をおさえたりかわしたりしつつも後ろに退いていく。
最後、大量の弓矢によって長尾軍の攻勢が緩んだ隙に、北条軍は整然と距離を離していく。
「止まれ!」
たいして被害を与えれないと踏んだ政景と定満が進軍の停止を命じ、それに景虎率いる本隊が合流していく。
北条軍に点けられた金窪城の火はすぐに消され、長尾軍は勝鬨をあげてからほぼ無人の城中に入る。
戦場の検分など後始末を済ませ、昼御飯を食べてから、昨日は氏邦がいた評定の間に主だった者達が集う。
「まずは軒猿からの報告です」
一方、男達が集う評定の間に入る城主用の小さな部屋に、長尾景虎と直江兼続がいた。
「先程の戦いの間に、北条氏康が本庄城に入りました」
「本庄城。一昨日まで良晴がいた所ね」
「はい。上武国境に近く、最前線と言える所になります。去年と同じく、北条綱成を江戸城に残し、それ以外のほぼ全軍です。
更に、その全軍は休憩中の雰囲気を出しているようです」
「さっきの戦いは私達を疲れさせるための戦い。本戦は午後からという事?」
「恐らくは」
少し景虎は考えに浸るが、兼続も同じような考えの末に同じような結論に達していた。
「少し作戦を変える」
「はっ」
そして、北条軍が本庄城の近くで合流し、そのまま氏康らが金窪城に向かう。
その少し北の方では、長尾軍が新たな動きを見せていた。