4月8日 朝
武蔵・多摩郡 辛垣城下
内藤 綱秀
恐ろしい者だ、この少年は。
勝沼城を攻める
そんな作戦を立案し、御館様と陸奥守様の許可を貰い、ほぼ全員が初対面の者達を引き連れて城攻めを始める。
「東城衆、2つ目の関所突破!」
「西城衆、3つ目の関所突破!」
この城より更に西、つまり上流の方で合流した時、東西の山の頂にある城郭を同時に攻めるために競わせる事を決めた。
ちゃんと軍功をあげた者に褒美を与えるのは当然だが、先に本丸まで落とし出来る限り将を捕らえた方には、それが倍増されるというのだから、足軽どもの士気が上がるのは当然だろう。
「最近の北条家は恐ろしいですね」
「小山田殿」
「それは兄上が呼ばれるべき名でございます。弥五郎とも信茂ともご自由に呼んでください」
凛とした風格とたたずまいは、少し鈍い紅色の髪と相まって最年少だという事を感じさせず、少しだけ彼女の微笑みに言葉を失った。
勝ち気で誇り高い武田四天王の1人・山県昌景殿が「弥五郎ほど文武
遥か西の博多という町で知り合った島津という南九州の者が独断で交渉して手に入れた島津の隣近所の相良家の家紋を早速使っている相良良晴は、相変わらず泰然としていて、本陣のみならず味方全体に安心感を与えていた。
「名将の風格、か」
私の子供達ぐらいの少女が言葉を漏らし、無意識に私も小さく頷いていた。
その間にも攻城は続き、予想してたぐらいの速さで両軍は上がっていく。
「相良殿。そろそろ良いですかな?」
「ああ。頼むぜ」
相良殿に確認をとった原殿は、傍らに置いていた弦に矢を通し、それを誰もいない方向へと自然に放つ。
その矢は甲高い音を放ち、天空に舞う間は黄金色に輝いていた。
直後、2つの城郭の真ん中の尾根から大声が鳴り響き、東西に散っていくのが微かに見えた。
「奇襲成功、ですな」
「後もう少しだ」
相良殿が言った通り、辛垣城から三田綱秀が落ち延び、城代が降伏したのは、それから
陸奥守様から勝沼城を落としたから私達の所に向かうという主旨の手紙に返事を
そして、その傍らの千葉一族の者達も御館様から課せられた責務を果たせ、心なしか安心感が漂っている。
「千葉さん。氏康さんにはもう手紙送ったから、後は鎌倉の方に寄っていくだけで良いよ」
「ありがとうございます。何から何までお世話になりました」
「こちらこそさ。気を付けてな」
「はい」
寡黙な主将が率いる千葉家の者達が翌朝に去り、残る外様は甲斐で名声を高めた老将の原殿と、里見の娘が引き連れる者達になった。
城を落として2日後、勝沼城での陸奥守様の後始末を引き継いだ左京大夫様が来られ、相良殿から後始末を引き継ぐ。
その翌日、我らは鎌倉に向けて意気揚々と出発。往路より早い足並みで鎌倉に着き、3日間の休暇が与えられる。
その休暇の3日目、御館様宛に信濃から正式な書状が届き、御館様と公方様はそれを受理。すぐさま返事を出す一方で、我らに招集命令を出す。
そして4月17日。
陸奥守様を総大将とする我らは、鎌倉から北ではなく西に向けて出る。
しばらくは穏やかな海岸沿いに進み、津久井も潤してくれる相模川に差し掛かると、その川沿いに北へ歩く。
丹沢の山並みが見えてくると、深緑が鮮やかや山々に沿って西に進み、小田原を潤す酒匂川が見えたら、今度はそれに沿う。
そして、小田原には寄ることなく、我々は駿河に入った。
「見ない顔ぶればっかしだな」
我々に対する今川家からの接待役に選ばれたのが、事前に連絡があった通りに葛山
早雲様の3男の
弥五郎殿と同じくらいの年頃だがしっかりとしていて、一家の大黒柱には充分な男だ。
「お前が相良か。俺は葛山備中守氏元だ。氏元で良いぜ?」
「相良……鎌倉郡司? 良晴だ。俺も良晴で良いぜ」
「こっちの主様が、勝手に上洛してからお前を気に入っててな。駿府に寄りに来いだとよ」
「んー、それはこの戦いが終わってからだな」
「単なる睨み合いか城攻めぐれえだろ? 早く帰れるさ」
「だと良いんだけどな……」
「心配症だなあ、お前も」
そして、気が合うのか、備中守殿と相良殿はすぐに打ち解け、陸奥守様も途中で加わる中で話し合う。
一夜明けた頃には、確りとした握手をするほど3人は仲良くなっていた。
4月18日。
我々は峠を越えて、甲斐国に入る。