5月10日 午前7時過ぎ
信濃・大峰山斜面
真田 信綱
それは、まるで義経公による一ノ谷の戦いの再現のようだった。
「武田軍じゃあ!」
「邪魔せんかったら襲いはせん!」
突然の山からの奇襲に、横山城の真横にある善光寺の坊主達が驚く。それに雷のような怒鳴り声で反応する父上の声は、何処か楽しげだった。
横山城への奇襲部隊の先鋒は確かに武田軍真田隊1000人と馬場信房殿率いる300人だが、その後ろを駆け下りるのは相良殿率いる1000人の北条軍である。
対して、上杉軍は忍によれば横山城守備隊2000人に、予想とは違い犀川を越えて人は減ったような直江隊1000人。
2300対3000とこっちの方が少ないが、奇襲を仕掛けれた分勢いはあるので、一緒ぐらいだろう。
「
呟くのはこの作戦を考案した相良殿で、彼の懸念通りにやって来た直江隊はもちろん元々の守備隊も固い。
その懸念は既に全ての兵に伝わっているはずなので、あいにく武田・北条軍に動揺はなく、上杉軍も余裕の表情が消えた。
そして、北条軍というより相良殿は主に大将格を中心に狙っているので、戦局は段々と拮抗してきている。
「後はお館様ですぞ」
父上はそう南を見ながら言う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同時刻
信濃・川中島南側 千曲川左岸
甘粕 景持
何でこっちに来るかなあ、無駄だというのに。
藻抜けの妻女山を襲うはずの別動隊が初っぱなから駆け下りて来たのには驚いたけど、別けた時点で無駄よ。
「そちらにお見受けするは上ーー」
「甘粕近江守重持よ馬鹿。毘沙門天様と間違えないで頂戴」
……相良良晴の姿は無し、か。
精強と言われているはずの武田軍5000が、私達1000人相手に手間取っている事に、軍議の時からの興奮が冷めていくのを感じながら、余裕を持って川を渡ろうとする奴等に対処する。
その中で、私だけに向けられた鋭い殺気を感じ、真ん前を見る。
「甘粕さんで御座いますね?」
ゆったりと、しかし他を寄せ付けない気を出しながら馬を操るのは、少し鈍い紅色の髪が朝陽に照らされる少女。
一目で只者ではなく、それに私のように武辺一辺倒である武田四天王ともまた違う少女に、私は冷めかけていた心が再び熱がこもるのを感じた。
「いかにも。我が名は甘粕近江守重持。そなたは?」
「甲斐小山田家の次女、小山田左兵衛信茂です。お見知り置きを」
「小山田、か。知らぬ名ね」
「武田家に臣従したのは父上の頃ですし、こんな田舎道ではなく東海道という華やかな道を担当してますから」
「死にたいらしいわね」
「やれる物なら」
そして、思わず戦っていた者達のおよそ半分が見いってしまう美しい少女達の一騎討ちが始まる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして
武田軍&北条軍と上杉軍。
互いに総大将が率いる本隊同士の衝突が起きているその戦場では、今の所は武田・北条連合軍が相手を押していた。
「奇襲出来たと思ってたら、それすらも予想内かっ」
呻くのは長尾政景。
武田信玄と相良良晴が考え付いたのは後世で『啄木鳥作戦』と言われる奇襲作戦と予想した上杉政虎は、八幡原に布陣すると見られる武田軍本隊を逆に襲おうとした。
しかし、良晴は『啄木鳥作戦』が失敗する事を予想していて、かつ武田軍と上杉軍がぶつかり合っても血だらけの引き分けにしかならないという思いから、上杉軍の『壊滅』ではなく『敗走』という形に目的を変えて、作戦を変えた。
それが、上杉軍の後詰めを兼ねる横山城への襲撃であり、妻女山奇襲部隊の攻撃
「恋心が邪魔しやがったな」
政景は、それらすらを察知出来るであろう義妹の神がかった勘が中途半端になったのは、相良良晴への恋心と武田信玄への恋心に似た思いが邪魔した、と直江兼続から言われた事も含めて考える。
そして、その恋心を利用しての相良良晴の作戦。残酷だとも卑怯だとも言われるかもしれないが、それすらを使ってようやく勝てる算段がつくのが毘沙門天であり、上杉政虎であり、長尾虎千代なのだ。
「見事!」
叫びながら、笑いながら、猛将の政景は自分の武器を振るう。
そんな彼の下に本陣からの軒猿が現れ、1つの作戦を伝える。
「流石だ! 呼び覚ましやがったなっ!」
政景はそう武田軍に向けて叫んでから、すぐにその作戦通りに動いていく。
そして。
上杉軍は、その巨体をゆっくりと規則的に動かし始める。