5月17日
相模・足柄下郡 小田原城下
南関東の中心とも言え、その防御力も白龍の猛攻に耐えきった事から見せしめたその城の総構えの中の家の1つで、相良良晴は旅行の準備をしていた。
何時ものように、しかし殆どはこの時代にある代用品を使って準備をした彼は、最近彼の配下同士が凌ぎを削ってるとは知らないお茶を飲んで一息つく。
「良晴! 準備は出来てる!?」
「ああ。綱成はどうだ?」
「もちろん完璧!」
茶色がかった黒髪を肩まで自由に垂らし、茶色の瞳と合わせてまるで子犬を思わせる北条綱成は、明るい笑みを浮かべながら荷物を畳の上に置く。
彼と彼女だけでもこの時代の人からしてみれば凄い面子なのだが、それだけでは止まらず、綱成とは違って静かに障子を開けたのは紫の短髪の少女。
「松千代も準備出来た!?」
「はい」
テンションが高い綱成に苦笑いを浮かべつつも、北条家の暫定次期後継者である北条氏良は彼女からの質問に答え、おもむろに彼女と良晴と同じ距離の所に座る。
正三角形になった3人が、風魔が出したお茶と茶菓子で駄弁っていると、最後に縁側の方の障子から氏良と同じ色合いだが腰まで垂らしている少女が少し疲れた様子で入ってくる。
「接待お疲れさま」
「どうも。拗ねてたから納得させるの大変だったわ」
北条家の現当主であり、長尾景虎からの防御戦を指揮した北条氏康は、その防衛上などの観点から1人で鎌倉にとどまらせた足利良氏との話し合いを思い出し溜め息をつく。
それを見て綱成が頭を撫で、躊躇っていた氏良もおずおずと頭を撫でる。笑みが柔らかくなった氏康だが、良晴を睨むことは忘れなかった。
幻庵が原案を考案し、働きづめの当主の様子を見守っていた北条家一同が賛同し、綱成が氏康を城から出し、氏照が城主代行を勤める小旅行は、その4人を主なメンバーとして相良衆などもついていく。
早川沿いの道を歩き、北条家の初代の伊勢早雲盛時が眠る早雲寺を参拝して、元箱根と呼ばれる芦ノ湖の南側の地域にやって来る。
「久しぶりですわね、氏康さん!」
「遅いぞ、氏康!」
箱根カルデラの中に多くある温泉宿の1つであり、北条家が直轄して管理している『箱根』の入り口では、既に『客』が主人を待っていた。
今川義元と武田信玄、そしてその2人のお供達を見てあからさまに溜め息をついてから、氏康は三国同盟締結の時以来の2人に近付く。
その間に、良晴は改めて自分の記憶を整理して、その面子に珍しく緊張をする。
河越夜戦、国府台、そして小田原城の戦いと名だたる戦いに勝ち進み、公方を鎌倉に戻した相模の北条氏康。
その氏康の異母妹でありながらも、次期後継者として房総や信濃の戦いなどで落ち着きを見せた北条氏良。
そして、氏康や北条家を支える1人である北条綱成。
父親を追放し、信濃をほぼ手中におさめ、上杉政虎に渡り合う猛将ながらも内政も上手い武田晴信。
その彼女の次期後継者であり、先の川中島の戦いでは武田軍本隊を落ち着いて指揮した武田義信。
武田家にふらりと現れて、真田幸隆に並ぶ武田の頭脳へと一気に上がった山本勘助。
駿府を公家達がやって来るほどの街に仕立てあげ、蹴鞠の腕? は超一流らしい今川義元。
その義元から伝授を受けて超一流に近いが、姉にして義母の彼女の後ろに隠れて影が薄い今川氏真。
今川家の軍師になり、武を率いる太原雪斎。
そういった主だった者達でも凄いのに、3家が集う良い機会なので、という事で密かに連れてこられた者達もいる。
「これが芦ノ湖ですか……」
北条家からは、穏和な雰囲気を湛え、昔は駿府に住み、今は三浦で本に囲まれた生活を送る花倉綱元。
「良晴さん! お久し振りです!」
「久しぶり」
今川家からは、目を輝かせている松平元信と、史実とは違う改名をした氏良の同母妹・北条元規である。
そして、武田家も含む3つの家それぞれからは、その家に嫁いだ少女もやって来ている。
特に綱元は知る人ぞ知る重要人物であり、義元と雪斎は良晴の横にひょっこりと現れた彼女に驚き、思わず晴信の前で動きそうになるがなんとか我慢した。また、氏良も元規を見つけた時に動きかけたが、これも我慢する。
良晴に近付いてきた元信を見て疑問符を浮かべていた綱成に、元信自身が自己紹介している間に当主同士の挨拶は終え、丁度3つの棟がある旅館にそれぞれ別れる。
「さて、相良良晴。どういう事か教えてくれますわね」
一番南側の棟は北条家の物で、その建物の出入り口はつい最近整備された芦ノ湖への道へと真っ直ぐ通じる。
簡素なベンチがぽつぽつと並ぶ湖岸に、十二単姿から「動きやすい」膝下までのスカートのフリル付きに着替えた今川義元に相良良晴は呼ばれ、ベンチに隣同士になり、早速説明を求められる。
「綱成の話の又聞きになるが……」
と前置きした上で、良晴は花倉の乱の真相を語る。
河越城下の悲劇は言わないようにした彼の話を聞き終えた義元は、穏やかな湖面の方へ向いて小さく息をつく。スカートと一緒に足をぷらぷらさせた彼女は、今度は夕暮れで見事なオレンジ色に染まる空を見上げながら、口を開く。
「あの頃の私《わたくし》は、恵探……いえ綱元と友達になろうと思っていましたわ。ですが、兄上が暗殺されて、内乱が始まって、そして彼女は何処かへ消えた。その時ぽっかりと心に穴が開いて、1度しか会ったことのない同格の彼女の存在がこんなに重要だったのと自覚しましたわ」
「……だから公家風になって世間の注目を集めて、皆で楽しむ競技のリフ……蹴鞠にはまりこんだ。そして、氏真を養子にした……という訳か」
「ええ。ですけど氏真は蹴鞠より和歌で、そもそも蹴鞠は私が綱元はこれが得意だと決めつけてしたから、心の空白を埋めきるまではなりませんでしたわ」
「それほど重要な存在だったんだね」
突如やって来た別の声に、2人がすぐさま振り向くと、北条綱成に共に花倉の乱の前の雰囲気などまだ残っている花倉綱元がいた。
「お久し振り……ですわね」
「うん。元気にしてた?」
「雪斎が武を率いてくれましたから傷1つなしに過ごせましたわ。綱成殿も元気にしてますか?」
「はい。乱の時は刃向かってしまい申し訳ございません」
「実家のためなら仕方のない事ですわ。では、戻ります」
崩れかけている顔をなんとか持ちこたえた義元は、2人の少女の横を通ってこの場から立ち去ろうとするが、段々と黒くなってくる空を見上げていた綱元がぽつりと言う。
「また、遊ぼうね」
その言葉に、義元の足が止まり、少ししてからまた動き始める。
「お姉ちゃん!」
後ろから綱元の背中を抱き締めるという形に。
自分の前に来た妹の両拳を綱元は優しく包み込み、自分だけに聞こえるような小ささの言葉に何度も相槌を打つ。
そして、綱元は義元を抱き締める。
「戦乱が終わったら、またあの屋敷で、あの川で遊ぼうね」
「はいっ」
「それまでは死なないようにね」
「はいっ」
最後に綱元は、胸元に入れていた物を取り出して義元に渡す。
「これば?」
「地元の人が感謝の印にくれた対になっている勾玉。相良良晴が考案して、木彫りだから安く手に入る事で広まった証。裏に自分で決めれるまーくがあるから判別できるっていう仕組みになっているから無くさないようにね」
「はいっ!」
最後に「駿府製の新しいふりるを送りますわ」と微笑みながら言ってから、義元は去っていく。
それを見送った3人もすっかり暗くなった道を歩いて、自分達の棟の玄関に入る。
「それじゃまた夕食の時にね」
「ああ」
そして、和気藹々と進んだ3つの家による晩餐会は何事もなく終わり、明日に形式的に行われる首脳会談のために散らばる。
相良良晴は、しっかりとタイミングを考えて、女子勢とぶつからないような時間帯に男湯の暖簾《のれん》をくぐり、何個か着替えや刀があって今川家からの警備もいる脱衣室で服を脱ぎ、1つしかない扉を開け、左右を木の板で仕切られた石畳の通路を歩く。
「んっ?」
何故か、また取っ手付きの扉があることに戸惑いながら、良晴はその内開きの扉を開ける。
「えっ?」
その浴場のお湯には、立ち上がった紫の髪を垂らす少女がいた。