5月18日 昼過ぎ
相模・足柄下郡 私室
北条 氏康
準備もほとんど無しに行われた、3つの家の当主会談。
前よりも礼儀も作法も何処かに行った会談は、結局は現状の再確認とその為の対策の明文化に終始した。
今川家は、北条家と武田家の間で共通の敵である上杉家とは密約も結ばず、両家へ様々な形での支援を行う。
武田家は、勢力範囲と定められた西
北条家は、現在の天下人である三好家と3つの家が不利にならないような形での勢力圏の取り決めを交渉する。また、小山田家は武田家の家臣と認める。
大まかな条項はそんな内容で、それぞれの家に利益がある物だ。
北条家にとって有益な取り決めが出来たのは正直に嬉しいけど、1つ大きな不満がある。
「氏康さん、来たぜ」
「入ってきなさい」
小太郎経由で私に呼び出されて、すぐに相良はやって来た。
その表情は、
「呼び出された理由はわかってるわよね?」
「ああ。俺が
全部、ね。
「あら、おかしいわね。松千代も関わったって言ってたけど」
「げっ。言ってた……んじゃないな」
「小太郎から彼女がそわそわしてるというのは聞いたけどね」
本当に、相良良晴は優しい。優しすぎるぐらいに。松千代や幻庵と一緒に、取り決めの内容を考えた理由もーー。
「まあ、氏康さんにこれ以上の負担をかけたくなかったからな。俺のせいで仕事が増えまくったし」
北条家3代目当主を、ではなく北条氏康という私を心配してくれている純粋な瞳。
「……ありがとう」
「! おう!」
……やっぱり驚かれる事なのね。
何故かそれに少し寂しさを感じながらも、その私の仕事の事から話は弾んでいき、我に返ったのは外から西へ沈む太陽の灯りが差し込んできた時だ。
急に私の口が止まった事に相良が首を傾げ、それを見て何故か体が更に暑くなるのを感じて、そっぽを向く。そんな状態で、気まずいけど心地いい時間が過ぎていく。
「氏康はいるか?」
その静かな時間を破ったのは、無造作に障子を開けて、相良がいることに驚いた武田信玄だった。
「探してたんだぞ、相良良晴」
「俺を?」
「ああ。政虎と大きく関わってるからな」
上杉政虎と? ……相良は鎌倉の時以外にも、あの白龍と関わりを持ってるのかしら。
「この氏康の顔は言ってないな」
「……わかっちゃった?」
「もちろん。松代の政虎の様子を見れば否が応にもな」
「相良。報告書には松代の文字は出てなかったわよ?」
私からの追撃に、相良は瞳を上に逸らし始め、適当な所に座った武田信玄はその姿を見て苦笑いを浮かべる。そして、その信玄が口を開いた。
「海津城の近くの松代温泉で、相良は勘助に連れられてきて、政虎と氏良と私と一緒のお湯に入ったんだよ」
「…………本当かしら?」
「ああ」
何度も頷いてるし、瞳は純粋なままだから嘘はついていないだろうけど、松千代達と一緒に入ってた、か。
「手は出してないわよね?」
「3人に手を出す勇気は無いよ」
「まっ、私ばっかり見つめて、政虎がそばにやって来てたけどな」
「ちょっ!?」
へー、仇敵の上杉政虎が、隣にねえ……。
「で、今回はその政虎についての話を氏康にな」
「なるほどね。……相良、話は後でね」
「……はーい」
「……まっ、いっか」
信玄が何かを言いたそうな表情になったけど、すぐに一人言を呟いて、本題を言い始めたため追及は出来なかった。
「その政虎が、次は関東にやって来ると宣言したのは聞いたな?」
「……ええ。佐久峠を越えた馬鹿達は、長尾政景にこれでもかというほど馬鹿にされて、
「ああ。まあ、越後という国の特性上、やって来るのは秋から春にかけてだろうが、政虎は恐らく2、3発で決着をつけようとしているはずだ。だから、武田はその初撃の時に西上野を捕ろうと考えている」
「……そんな少ない数で済むかしら? 関東は平たいから、彼女が得意している野戦中心なはずよ」
「普通は、というより鎌倉に来る前の政虎だったらそうだったと思うけど、幸隆曰く『それは彼女
彼女個人にとって? …………山本勘助ではなく真田幸隆の意見……2人の違いは……妻帯持ちな事、ね。
「そういう事、か」
「そういう事、さ」
私達は、春の夜なのに汗を垂らし始めた相良良晴を見る。
「政虎さんは……野戦だけじゃなく攻城戦もするつもりか?」
「ああ、政虎は苦手としてるけどやるだろうな」
話題の中心をずらしはしたけど、何度も戦った信玄から聞きたかった事の1つだったからここは口を出さない。
「並の城ならすぐに降伏するにしても、でかかったり北条家一門が詰めている城は難しい筈だ。多分、しらみ潰しにしている内に、信玄さんと義重が横槍をついてくれるか、冬が訪れるぞ?」
「もちろん政虎もわかってるさ。だから、ある事をしたというのがうちの忍からの報告さ」
そう言って、信玄は懐から紙を取りだし、それを広げる。……あんな所に入れておいて、すれないのかしら?
「勝手に佐久郡を攻めた事実上の罰として、上杉家と偽公方の野郎に軍事情報を全て提出させたらしい」
「……城の事も、家族の事も、か」
「そして、その本気度に鎌倉公方様に反逆している奴等は、自ら出したらしい。小田原城の戦いの頃から、川中島の頃までにな」
「時期合わなくね?」
「上杉家と偽公方には宇佐美と直江の両軍師が、小田原の時ぐらいから言ってたという推測さ」
上杉政虎と共に関東にやって来た軒猿と戦い、戦後は情報網の再構築に忙しかった風魔を責める事はしないけど、これはめんどくさくなりそうな事ね。
「それに政虎が軍事情報の提出を強要させたっていうのも……」
「あいつの性格的に考えにくい事だな」
……どうやら、相良と信玄は白龍の性格を熟知しているようだ。鎌倉とその周りで見て、話した私からしてみれば、戦馬鹿の一言だけど……。
「どういう事?」
「簡単な事だよ。政虎さんは義を通す。だから、いくら関東を取り戻すとはいえ、それぞれの家の命にも等しい情報を出すことを敬っているはずの2人に迫るのか、という事」
「するんじゃないの?」
「しないと思うぞ。あいつは生真面目だからな。まあ、そこから考えてみると、佐久峠を越えてきた馬鹿達を抑えるような事を強行した奴の正体は自然と絞り込める」
「武闘派の象徴であり自分の長女を上杉政虎の養子にした長尾政景か、2人の軍師ね」
「それかその3人全員だな。とにかく、だ。上杉軍は簡単に風見鶏達が逆方向を向かないように策を仕掛けた上で、一撃を仕掛けてくる。で、武田軍は西上野に入ってそれを邪魔するから、氏康はさっさと打ち払えよと言いに来た」
「誰に言ってるのかしら? もしかしたら、あなたが佐久峠を越えるまでに打ち払っているかもしれないわよ?」
「いや、それはーー……なんでもないです」
後は、世間話をして信玄は部屋を出る。
それに乗じて動こうとした相良を止めて、松代の事を詰問する。