6月29日 昼前
陸奥・信夫郡 黒川城
交通の要衝の1つである黒川城周辺には、江戸時代の頃に街道として整備される事になる5つの道がある。
北から時計回りに米沢発の
その内、越後街道は輝虎ら上杉軍が会津に使ったルートであり、沼田街道も上野は上杉家の管轄下なので支配している。一方、米沢街道は蘆名軍と伊達軍が静かに睨みあっていた。
残るは東と南東に向かう2つの街道だが、そのどちらかから下野・常陸にやって来る事は明白なので、佐竹家の忍はもちろん風魔や那須家の忍達もその街道を監視していた。
「上杉様!」
会津に入ってから6日。南奥州の家々の動きを見て、ここ数日下越から浜通りまで覆っていた雨雲が去るのを待ち、度重なる軍議で白河ルートと決めた上杉軍は、いよいよ出発した。
しかし、少し進んだ所で、昨日までは『佐竹家よりの静観』とされていた伊達家が動いた事から、事態は急変する事になる。
「大変でございます!」
「如何しました、蘆名殿?」
休憩中の輝虎に知らせてきたのが、蘆名軍の総大将である蘆名盛隆自身だった事からもその重要性が伝わってくる。
「猪苗代城が寝返りました!」
「はあ!?」
声をあげたのは、輝虎と卯松の育て具合について話し合っていた長尾政景で、彼も蘆名家内の事は一通り学んだので、猪苗代城がどれだけ領内の深くにあるのかわかる。
というよりかは、軍議に参加した上杉軍の将ならば、その位置関係は朧気でもわかる。何故ならば、猪苗代城は二本松ルートの途中にあるのだから。
「隠居していたはずの猪苗代盛国が次男の宗国と共に伊達家に寝返り、片倉小十郎なるものを入れた次第です」
その報告に、処刑直前の罪人のように顔を青ざめているのが、盛国の長男である宗国の兄である盛胤だった。
しっかりと言いつけ目附もつけていたのにも関わらず起きてしまった悪夢に、盛胤は顔一杯地面につけて盛隆と輝虎に何度も何度も謝る。
それを慌てて止める盛隆だが、その最中に今度は軒猿から悲報がもたらされる事になる。
「二本松家が寝返りそうでございます」
「そ、それは真か!?」
「はい」
「……なんという……父上が……」
猪武者の盛隆は、伊達家による猪苗代城への調略と二本松家への誘いの狙いを直感的に判断し、実質的に上司になっている輝虎に進言する。
「伊達家は恐らく中通りを進んで白河で我らを襲おうとするはずでございます! 何とぞ猪苗代城へっ!」
対して、輝虎はすぐに答える。
「政景」
「おう」
「ここに残って」
「承知」
「上杉様!」
「蘆名軍は陣払いを」
「はっ!」
戦国最強と謳われる上杉軍が味方につけば、猪苗代城も鎧袖《がいしゅう》一触。そうなれば、二本松家も抜きかけの鞘を収める。
そう考えながら盛隆は盛胤らと共に本陣を出て、直接陣払いを進めていく。
「輝虎」
部隊を分けて片方に陣払いを指示した彼女に声をかけたのは、駐留部隊の指揮官になった政景だ。
「なにかしら?」
「一連の動き、相良良晴が関わってるだろ?」
「……どうしてそう言えるのかしら?」
「顔が微かに赤らんでいる」
「……兼続」
「政景さまのご指摘通りでございます」
その返答に、武一色だった心の色合いが少し変わった事を自覚していた輝虎は、これも微かに苦笑いを浮かべる。
神流川の戦いでは殿を勤め、第4次川中島の戦いでは一騎打ちの実現を担った少年をライバルとして認めていて、それを妻の
「ここは俺様が防いでやる。存分に暴れて、あのガキを捕まえてこい」
「……勿論よ、
その後、政景に次の命が下されるまで、彼の家臣達はいかにして白河へ向かおうとする主君をどう抑えるか論議し続けたという。
輝虎と盛隆はというと、素早く陣払いを済ませて半日よりも前に別れを告げたはずの黒川城の城下を経由して、会津では唯一の伊達方の主要な城になってしまった猪苗代城の城下に向かう。
『そもそもは止々斎様が人質だった男に家督を譲り、しかもその男はあろうことか自分の領土に乱入してきた上杉軍に味方する、つまり異邦人を自分に入れるという悪行をやらかした。その馬鹿を上杉家が連れ帰ってくれれば我々も鞘を収めよう』
攻撃前のこちらからの『既に家督を譲った長男を追放し、主家に反旗を
蘆名家の現当主である盛隆は、二本松家と白河家にある二階堂 の息子で、彼が負けて降伏の証に盛隆が人質に出されるが、その蘆名家の後継者が幼女を残して突然亡くなったため、彼が当主になったという経緯がある。
対して、猪苗代家はれっきとした蘆名家の分家であり、にも関わらず当主に選ばれなかったので、元々にその不満が大きく重なった訳だ。
「どうしますか?」
「順番に解決していく。先に親子を戻す」
「承知しました」
そうして始まった猪苗代城の戦いだったが、当初は上杉・蘆名連合軍の方が戦力は桁違いに多く、また白龍がいることから楽勝ムードが漂っていた。だから、二本松家の動きも緩慢だった。
1日目が経った。2日目が経った。3日目が経った。4日目が経った……。
「蘆名殿」
「今回も駄目です。返り討ちにされました」
しかし、落とせない。
正面から攻めたら
「ははは! 上杉軍は腰抜けかっ!」
「なんやとう!?」
二本松街道に地形を利用して展開する伊達軍が出てこようとする。その部隊を率いるのは鬼庭父子であり、二本松家と共に数で負けている上杉軍も翻弄していた。
猪苗代城、土湯街道、そして二本松街道と3つの伊達軍の部隊はそれぞれ自分の役割をこなしていき、元は短期決戦の気持ちの連合軍を弱らせ焦らせる。
もちろん連合軍も手をこまねいていた訳ではなく、どれを重点的に攻めいるか話し合っていたが、どれもが連動しあい重要な所なので簡単には決まらなかった。天性の勘を見せる輝虎も、この戦に限ってはそれが冴える事は無かった。
「段々と『使い方』が慣れてきてるな、北条の野郎は」
宇佐美定満は、伊達家から蘆名家に宛てられた書状の写しを見ながら、今日何度目かの苦い表情をする。
内容は最初は伊達家優位の和議に関してで みたいなものだが、それに繋げた後半部分は上杉家の方が重要なものだった。
『こちらは北条家並びに佐竹家と半同盟の形である。その証拠として、此度の戦では相良良晴殿なども参陣しておられる。挟撃されたくないならば、上杉軍は即刻母国に帰れ』
北条家の使者代表の北条氏照ではなく、その随行員である相良良晴の名前を明記している。これは、確実に輝虎が良晴に恋心を抱いている事を知っているからこそやった方法であり、まず良晴はこれはしないだろう。
「北条家か、それとも初陣の伊達家の後継者とやらか」
まあ、今は目の前の敵を蹴散らすのが先決だな、と思い直し、定満はこれまでの攻撃で培ってきた猪苗代城とその周りの具合を纏めようとする。
しかし、その前に伊達軍は動いた。
「止々斎殿から急報!
「……はっ?」
戦いは第2フェーズに入る。