9月1日
越中・新川郡
越中の地は昔は河内の畠山殿が守護に任じられたが、その守護はほとんど京都にいて、代わりに能登畠山家が任されるようになってきた。しかし、能登畠山家でも当主と家臣の間の抗争がたえず、結局はその越中にいる守護代が担うようになってくる。
だが、西側の神保家も東側の椎名家も強くなく、加賀の一向一揆が西側を中心に染み渡り、能登畠山家は越後に援軍を要請して、これに応じたのが上杉輝虎の祖父・長尾能景であり、しかし彼は討たれてしまう。能景の子、輝虎の父の為景もにゃんこう衆との戦いでの傷がもとで、子供に苦難の人生を歩ませ始めてから死ぬ。
そして、現在。成長した輝虎が信濃と関東で戦いを繰り広げている間に、その守護代の椎名家と神保家は互いに越中を巡って争いあうようになり、やがて
「今回の戦で、我々は長きにわたる内乱を終わらせ、まずは越中に平和をもたらそう」
『応っ!!』
この日、上杉輝虎は1ヶ月半ほどの休憩を終えた上杉軍2万を引き連れて、越後・市振にある落水城を出て越中国内に入る。
そして、軒猿などを使って『越中を能登畠山家に代わり統べる』という目的を、つまり上州に次いで越中をも領国化するという事を民に喧伝する。
同時に椎名康胤と神保長
「どうしたものか」
「神保家は逆らうと決めたらしい」
「輝虎殿の祖父を討ったし、にゃんこう衆と手を組んでるからそれは仕方のない事だろう」
「しかし我らは」
「神保慶宗の乱に加担して敗れ」
「そこからは長職の攻勢に耐え忍ぶため上杉殿に手伝ってもらい何とか防いでる始末」
ここまでなら、普通に上杉家に下る一択だろう。
しかし。
「武田殿によれば、我らに与えられるのはこの新川郡のみ」
「逆にその他の郡は神保に与えられるという」
しかし。
「上杉殿は知らぬのかっ。新川郡のみではいかに緑の地が少なく、山肌が多いのかをっ」
しかし。
「……………………」
「大丈夫です。武田家より派遣された我がいる限り。状況が動くまでこらえてみせましょうぞ」
「……そう、か。頼んだぞ、
「大船に乗った気持ちでいてくださいませ」
事は、そう簡単には進まない。
椎名家からの挑戦状を読んだ輝虎は、1つ溜め息をついてから進軍を再開させる。途中の小さな城を無視して、松倉城の近くまで整然と。
「攻撃開始」
そして。
次々と城が落ちていく。
「魚津、水尾、北山、小菅沼、升方、坪野、天神山の各城。毘……お館様のご慧眼の通り、どこも用意が整っておらず落とせました」
「城兵は?」
「追い込めました」
「ご苦労」
松倉城の強みの1つである周りの支城群を半日で落とした輝虎は、その内の1つであり弥生時代に作られたと言われる天神山城にゆっくりと入る。
一方、松倉城内はというと、支城群が1日も経たずに落とされたという精神的ショックと、そこにこもっていて追い出された城兵が大挙して流れ込んできた事に対する混乱でパニック状態にあった。
「椎名家は馬鹿者の集まりか!? 何故、籠城戦にこういう作戦があることを考え備えていなかった! そもそも! 何故、しっかりと準備をしていなかった!」
ひとしきり椎名家の者に聞こえても良い音量で味方を罵った老将は、冷やされた頭で今後を考える。
「出るぞ」
『はっ』
そして。
支城群からの城兵に紛れ込んでいた者達の中にいた越後兵により、一の丸に通じる門から火の手が上がり、堅牢と言われていた松倉城は戦いから1日経つか経たないかで落城する。
それを聞いた輝虎は、まだ臨検が済んでいない松倉城まで馬を走らせ、自害しようとした時の傷を鎌倉から広まった治療で受けている椎名康胤の元に行く。
「椎名康胤。もし越中平定に助力するならば、河田長親のもとで越中を任せよう」
「……神保家は
「許す。但し
「……火種を残さぬように、ですか?」
「そう。守護も守護代も管領も公方も1人で結構」
その言い草に、輝虎の隣に侍っていた直江大和の眉が動くが、彼女がそれに気付く事は無かった。目の前の康胤だけに集中していたのもあるし、何より彼が条件を受け入れたからだ。
「上杉様。武田家の事は詳しいですか?」
「知っている。椎名家を謝った道に導いたのは誰?」
そして。
上杉輝虎は知ることになる。
「武田人有斎。そう名乗っておりました」
「人有斎……」
「……お館様。恐らく当てはまる者が1人」
「誰?」
ある『音楽』の指揮者の名前を。
「武田無人道有斎。俗名を信虎と言い……」
「武田晴信の父親、ね」