二条
九条尚経の長女・経子との間に産まれた長男・晴良と伏見宮貞敦親王の娘・位子女王の間には九条兼孝・二条昭実・義演・鷹司信房がいて、昭実は信長の娘と結婚し、信房と
ちなみに最後の関白は、この二条家である。
山科言継……足利義輝によって、荘園である山科荘を横領され、更に困窮になっている。家業である有職故実や笙、製薬、和歌、蹴鞠から漢方医学や酒宴、双六などの多彩な才能の持ち主であり、それを使って戦国武将などと交流する。彼の義理の叔母が、今川義元の母親・寿桂尼にあたる。
ちなみに彼の息子・言経が勅勘をこうむり摂津に下った時に一時的に山科の名前を継いでいたのが後の猪熊教利であり、猪熊事件を引き起こし、時の天皇・後陽成天皇の退位、更に『禁中並公家諸法度』の制定に繋がった。
足利義輝……剣豪将軍。生地は日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもち、境内を通る琵琶湖疏水の水道橋でも有名な南禅寺。父・義晴が細川晴元、次いで三好長慶と戦っては敗れ、義輝も同様である。良晴が来た頃には、歴史上三好家との最後の和平期間中であり、後に変に見舞われる。
良晴から見ると年上のイケメンで近衛稙家の娘=近衛前久の妹と結婚している。ちなみに母親は近衛尚通の娘であり、前久のおば、氏康の義理のおば、系譜上の子孫に具視を出す岩倉家を起こした具堯のおばにあたる。
足利義昭……現在の正統な足利家将軍・足利義輝の妹。義元がそのまま子供になったような性格をしていて、利休・義元・氏姫・竹千代に次いでゴスロリを着た幼女。黒髪を腰まで垂らしている。
勝手に『小田原号かっこ仮』の中に入り込み、細川藤孝の献策で『将軍家から大内家への使者』という事になった。本編より早く良晴を気に入りなついているが、本人は『剣術や仕事に忙しい兄上の代わりにかまいたいお兄ちゃん』と思っていて、恋愛感情は無い。
三条
大寧寺の変当時は従一位左大臣で家も信仰心が篤く質素倹約だったが、多くの公家と同じく困窮していたため祖父が下向した事のある山口に下向していた。史実では などと共に巻き込まれて殺されるが、この世界では無事に帰ってこれた。
勧修寺
持明院基規……藤原北家中御門流支流の家で、祖先は道長に通じる。書道がめちゃくちゃ上手い。
貧困の時代に書道を学びに来る好き者の公家などあまりおらず、よくよくふらふらしており、その間に正三位権中納言まで登り詰め、下向先の山口で殺されるというのが史実。だが、良晴らに助けられ、まだ裕福な武家に教えると決めた。
○堺
小西弥九郎……後に小西行長と名乗る少女。史実では、洗礼名がアウグスティヌスという名前のキリシタン大名だったため、関ヶ原の戦いで負けた後、自殺に値する切腹を拒否して斬首された。
堺に産まれ、備前の商人に養子として出され、宇喜多直家の目に止まり、更に秀吉の目に止まるという人生を辿るはずだった彼女を、良晴は最初の方で変えた。
田中与四……今は千利休と名乗るキリシタン茶人少女。史実では侘び茶を大成し、その子孫は表千家・裏千家・武者小路千家の総称の三千家など多くに繋がる。早くに父母を亡くし、宗久や父親が残していった人脈に支えられながらも祖父が建てた魚屋を営む苦労人でもある。
この物語では、ある目的でキリシタンになったがまだまだ効果は薄く、そこを本来は宣教師の1人に教えられるはずだったゴスロリの事を良晴に教え、作ってくれたおかげで効果は高まった。
その後、大内家行きにも随行し、帰国後に良晴と堺の納屋衆の間を取り持つ。
小西隆佐……洗礼名をジョウチンとする弥九郎の父親。堺の商人で薬屋がであり、主に京に在住して、その都のキリスト教の布教の中心人物となった。自宅を宣教師の根拠地として提供している日比屋了袿の仲介で彼らと知り合い、弥九郎を含めた家族全員で入信した。史実では朝鮮出兵の最中に亡くなる。
今井宗久……現在の奈良県橿原市今井町出身。祖は近江源氏佐々木氏で、
利休の父親とは、同じ余所者で近江系ということで仲が良く、彼から利休ら一族を任され、利休を自分の師である紹鷗に紹介した。
フランシスコ・ザビエル……現在のスペイン・ナバラ州に産まれた宣教師。故郷に程近いパンプローナは牛追い祭で有名で、またヘミングウェイの物語の舞台にもなった。
父親はナバラ国王の信頼を得て宰相になっていたが、そのナバラ王国がスペインに併合されていく中で没した。ザビエルはパリ大学に進んだが、37歳の転入生である
その後、インドなどを経て日ノ本初の宣教師として薩摩に上陸するも、現地の僧侶の迫害にあって、島津4姉妹の父親である貴久の計らいで移ることになり、その先が山口の大内義隆だった。しかし、衆道を非難したため布教は許されず、堺を経て上洛する。だが、京は荒れ果てており、コンキスタドール派来襲などから帰国を決めた矢先に良晴が来た。
そして良晴と共に義隆の所に再訪して布教許可を得るが、その直後にクーデターが始まる。その後、豊前に向かう。
○大内家とその周り
大内義隆……周防・山口を本拠地にして安芸・石見・周防・長門・豊前・筑前を統べる大大名。日明貿易を独占していて、日本で初めて眼鏡をかけたと言われる。また、中国では『鳥銃』と呼ばれている武器が伝来していたが目を向けなかった。その『鳥銃』は、日本では『火縄銃』という名前で知られている。
秀吉と同じような人なのか子供に長らく恵まれていなかったため、土佐一条家や大友家の少年を養子に入れたりしていた。
陶隆房……現在の山口県周南市辺りを統べる武将。元就ら毛利家とは吉田郡山城に尼子晴久が押し寄せてきた時に助けてから深い仲であり、その後の月山富田城の戦いや
月山富田城の戦いで国人達の裏切りにあってからは、文化人になった義隆に代わる大内家の中枢の座を巡って文治派と争い、その関係で武断派の首領に祭り上げられた。
父の興房に似て武勇に秀で『西国無双の侍大将』と呼ばれる一方で、直情型で独断専行が多い。
相良武任……義隆の右筆・奉行人として仕え、国人の統制と守護代の権力抑制、大名権力の強化に務めた相良と同族の武将。隆房と度々対立していて、何度か九州の方へ出奔している。
毛利元就……安芸のちっちゃな国人から吉川・小早川家との縁組みなどから、義隆からも一目置かれるほどに毛利家を成長させた初代当主。先祖の大江広元からは12代目にあたる。
その成長の過程で色々と策謀を巡らしたため、武将からの評価は良いが、商人の彼への信頼は無いに等しい。
毛利隆元……毛利家の二代目の元就の嫡男。両川姉妹には「穀潰し」「無能」と散々に言われている。だが、クーデターで覚醒して良晴と共に公家達を安芸に連れ帰る。
毛利輝元……毛利家の三代目になる予定の少女。まだ言葉も話せない幼女で、叔母達とはたまにしか会わない。
吉川元春……『毛利両川』の姉。武闘派の少女で、妹と連動出来れば負けなしになれるのに仲は悪い。竹を割ったような性格であり、考え付いた事は即座に行動に移す。それは恋も一緒である。
熊谷信直……三入高松城の城主の猛将。元は安芸武田家の家臣だったが大内義隆に鞍替えして、更に今回の変では毛利元就に協力する。安芸・槌山城や備中・猿掛城、周防・鞍掛山城、筑前・立花山城の攻略や折敷畑の戦いで宮川房長を、長門・勝山城で最終的に大内義長を自害に追い込んだ。
熊谷家の初代は桓武平氏・平直方の孫の平盛方の子である熊谷直貞であり、彼の子が一ノ谷の戦いで平敦盛を泣きながら討った事で有名な熊谷直実である。発祥地である武蔵の他にも安芸、陸奥、若狭、近江、三河など本州の広い範囲にも散らばっている。
小早川隆景……毛利元就の双子の娘で『毛利両川』の妹。歳は子供を産める歳にはなっているとか。肩までの……彼女の髪の色はなんと言うのだろうか?
父親の頭脳を濃く受け継いだ姫武将であり、常に冷静な少女だが恋となると別物である。
乃美宗勝……元春に並ぶ勇将で毛利元就、小早川隆景、毛利輝元、豊臣秀吉から感状を貰い、vs大内戦では大友家の戸次鑑連から好評価された。
宇都宮豊綱……伊予宇都宮家の当主で、今の大洲の辺りを統べる男。村上水軍と関係が深い東の河野家や、公家が武家になった西の西園寺家と伊予の覇権を巡り争っているが最近は押されぎみ。
大友塩乙丸……史実の大内義長で山口に残るはずだったが、クーデターの状況を見て、ザビエルを連れて帰国する。
島津歳久……島津家の3女で、明るい灰色?の髪を垂らし、京風の出で立ちをしている影の薄い少女。家中で「影薄い、胸薄い、幸薄い」と言われ続けてきた為、気位が高く毒舌な性格になった。島津家の外交を一手に任されていて、その分ストレスとかもたまってる。
そしてその外交の仕事のため博多に行き、そこで良晴に落とされてしまった。
この地域では田中与四、吉川元春、小早川隆景、島津歳久が今の所、です。