7月6日 昼
豊後・府内 万寿寺
静かだったその寺の境内には多くの鳩がいたが、甲冑を鳴らす音が近付いてくると、そのほとんどが飛び立っていった。
その鳩達に目もくれず門番に事情を説明した大友義鎮は、住職が来るまで近くの花を見つめる。
そして走ってきた住職がすぐに門を開けると、義鎮がまず最初に入り、次いで島津義久が、更に小早川隆景が、最後に北条氏康が自分のお供達と共に城の中に入る。
「じゃあ氏康が証人ね」
「ええ」
今回の戦乱の後始末である『万寿寺会議』は、義鎮の氏康への確認から始まった。
実戦には参加しているが、九州や陰陽からは遠い関東の大名であり、姫巫女様から地方自治に関わる
「まず謝らせて頂戴」
そう切り出したのは小早川隆景。
「虚報を信じてしまい、北九州に戦乱を呼び起こした事を」
「それは仕方ない事だよ」
隆景の真剣な眼差しに、悲しそうな笑みで応えた義鎮の視線を受けて、氏康はさっさと本題へと入る。
「一に、
「異議なし」
「こっちもないよ」
次いで、両家以外について。
「大友家、島津家、伊東家、阿蘇家、名和家、相良家、毛利家は一に相互に戦をしない、二に相互に戦を援助しない事を認める」
「島津家は賛成だよ」
「大友家も一緒」
「同じく毛利家も」
そして、最後に氏康に異常と言われた家。
「先の7つの家は、少弐家が筑後国守護に、蒲池家が筑後国守護代になる事を認める」
九州探題復帰は馬鹿がする事、魑魅魍魎が渦巻く筑前国は治めきれないだろうし、肥前国は宿敵がいるので論外だし、肥後国はあまり関係ないし、他の
ということで、少弐家の過去と関係があり、蒲池家という義の厚い武将がいる筑後国守護に少弐家は選ばれたという訳である。
その
「これで終わりね」
と、氏康は言うが、他の3人は無言のままで、全ての悩み事が解決したという空気ではなかった。
それを感じながらも博多を訪れた事でざっと帰りたい気持ちが多くを占めるようになってきた氏康は、和睦の条件が書き記された書状8枚に自分の花押を書いていく。他の3人も全員が仕方ないという感じで、自分が書くべき書状に書いていき『公』を終わらせる。
次は『私』である。
「ところで氏康。彼はどこ?」
「……ああ、相良の事ね」
本当に思い浮かばなかったという氏康の表情に他の3人は眉をひそめるが、それに氏康が気付く事は無かった。
北条氏康が良晴は既に府内の港の船の中で休んでいる事を言うと、大友義鎮と島津義久から色々と言われる。思うところはあった氏康だが、北条家にとっては利点となる事なので、その2人からの『頼み事』を受け入れる。
一方、明言はされていないが事実上の敗者である小早川隆景は何も言えず、丁重に扱われていた穂井田元清らを引き取ってから、そのまま帰ろうとする。
「港で別れてから、近くにはいたけど会う事は無かったな」
だが、その港に会いたかった少年がいた。少女は複雑な表情を浮かべ、腕を上げ下げする。少年はそれを見ながら近付く。
「隆さま! 早くお酒を呑みたいので 達は一足先に船に戻ります!」
そして、少女の弟は真っ先に気を利かせ、その港にあった喧騒はあっという間に無くなった。
北九州を巡り知謀をぶつけ合った者同士という空気は相良良晴と小早川隆景の両者にはなく、片方は悠然と、もう片方はそわそわとしていた。
「勝ち、で良いか?」
「……ええ。私達の動きを全て知り尽くしたかのように動いていたあなたの勝ちよ」
「まあ、狙ってくる場所は博多か府内のどっちかだとはわかってたしな」
「だけど、丁度あの場所達に構えるのは難しい。冷静な判断を失うほどの士気と疲れが折り混ざった石垣原や、そこでの自軍の勝ちを想定した大野川での布陣も」
「場所は義鎮が考えた所だよ」
「万寿寺で見たけど、彼女はあなたに依存している。そのあなたが反対しなかった時点で、あなたの考えも含まれているのと同じよ」
「……さすが」
ずっと隆景は気になっていた。姉は「良晴は良晴じゃ」と割り切っていたが、考えてしまう自分にとっては1度考え出したら止まらない事を。
「……
「……ん?」
「…………貴方はど
その質問を発した直後の胸の痛みは予想以上のもので思わず顔をしかめてしまうが、目線は良晴を見上げたままだ。
その隆景からの視線を受けて、彼は話す事を決心する。少しの不安を抱きながら。
「未来から来た、って言えば信じるか?」
彼の不安に反して、隆景は自分の功績を極端なほどに主張しない彼の言葉をすぐに受け入れた。今回の戦いの時も、そんな感じがしていたからだ。
「多分、姉じゃも簡単に受け入れると思う。竹を割ったような性格だし、細かい事は気にしなさそうだから。私達姉妹は積極的に良晴に近付くわ」
「……けど俺は北条家の家臣だぞ?」
「将軍さまに気に入られているでしょう?」
「…………無いと思いたいよ」
「鎌倉公方経由であるかもね」
少女のではなく女の笑みを浮かべた隆景は、近付いてきていた彼の右手を両手で優しく包む。
「いつか左手の姉じゃと共に貴方に寄り添える事も目標にして、今は別れるわ」
良晴の返事の言葉は聞かず静かに隆景は自分の船へと帰り、主を乗せた船は静かに出発する。
彼女が乗った船を含めた船団を最後まで見送っていた良晴に、大友家や島津家との手続きをやって来た氏康が近付く。
「行かないわよね?」
「行かないさ。まだ当主が家臣を頼らず無理してるしな」
「……どこで?」
「声に張りが無いのと、少し顔が青くなっているからだな」
「……変態。けど、ありがとう」
「…………どう答えたら良いんだ?」
「さあ?」
戸惑う良晴を見ながら氏康は笑い、良晴は頬をかく。そして、良晴は氏康からの言葉で更に戸惑う事になる。
大友義鎮と毛利元就……というよりかは小早川隆景の戦乱は、双方が「正面衝突しあうだろう」と考えていた「本戦」の前に終わる。
だが「本戦」の前に終わろうとも、戦乱が起きた結果は大きく、色々な家や所に色々な影響をもたらす。すぐに現れたものもあれば、後々に現れたものもあった。
しかし、この時の戦乱の当事者達にどこか安心感があるのは一致している事である。