10月
関東
武田家による北条家への本格的な攻めは、足利義輝が鎌倉公方に不介入を指示した事から始まる事になる。
南常陸の小田氏治の手引きで常陸国内で佐竹軍と戦っていた北条氏照は、公方がその指示に応じた事に舌打ちした後、全軍に撤退を命じ、途中の下総国内では攻撃された時を除いて武器を振るわない事も命じる。
その間に武田信玄率いる大軍は、睨み合いと暗闘が熾烈を極める甲相の国境ではなく、碓氷峠から上杉領の上野国に入る。間接的に加賀のにゃんこう宗の者達を支援した彼らは、そのまま山地沿いに南下して武蔵国に入る。
「進軍だ」
「はっ」
鉢形城と滝山城を少しだけ囲む彼らに野戦を挑もうとする北条軍はおらず、双方にほとんど被害が無いまま相模国に入る。
久しぶりの相模国内での戦だが、これといった動揺はなく、目の前を通り過ぎる武田軍を見つめ、要求されれば冷たい表情で差し出すぐらいだった。
その異様な空気にあてられたかはわからないが、武田信玄が囲む小田原城からの撤退を決めたのは、史実より1日早い頃であり、北条家への牽制という目的を成せたと自己判断をした武田軍は行きより足早に帰路につく。
「……どう?」
「……わからないな」
その小田原城で、北条氏康は領地ではなく自分の所に置いていた相良良晴に、武田軍の帰路について話し合っていた。彼らは行きに辿った関東山地沿いの道ではなく、途中で曲がって相模川沿いの道を選んでいた。史実の三増峠の戦いへの道を、である。
もし、相良良晴がいなければ、彼が武田家のお世話になっていなかったら、氏康は地の理を生かして追撃を命じていただろう。
「だが、未来を知っている俺がいる状況で、信玄がこの危ない道を選ぶか?」
「ええ。行きよりも狭いから、戦いは地の理がある方が断然良い。向こうには小山田家がいるけど、むしろより反対するでしょうね」
「するか?」
「するでしょ。あなたがいるのだから」
「……買い被りすぎだ」
乱取りが行われなかった。
それが、両者にとって大きな影響を与えていた。もし、武田軍によってそれが行われていれば、北条軍内でもっと追撃を求める声が強かっただろう。しかし、駿河を巡る牽制の意味合いが下の者達にも暗黙の内に広まっている状況下だと、その声は小さかった。むしろ、見るだけを求める声の方が大きかった。
結局、3つの城が軽く攻められた以外は大きな戦いもなく、武田信玄の西関東侵攻は終わる。だが、政治的な影響は大きく、武田
「申し訳ございません」
「致し方なしよ」
謙信の謝罪に武田家と帰還に関する交渉が良い所まで進んでいた小笠原長時はそう応えるが、悔しさは隠しきれなかった。長時の帰還に希望を抱いていた者達は落胆し、信玄により仕えざるを得なくなるが、彼はそれを見る事しか出来なかった。
その間に、中央では着々と血を流す事なく事態は進む。足利義輝が中心となって、だ。
「では任せました」
「ああ」
三好義継は何度も反乱などの憂き目にあう畿内を捨てる事を決め山城、摂津、河内、和泉、大和から堺を除いて撤退し、足利将軍家に引き渡す。
代わりに、足利義輝は義継を淡路、讃岐、阿波の守護に任じ、その四国の守護になっていた細川家を和泉に移す。その和泉と河内は「応仁の乱など幾度も戦いを起こした罪で」畠山家から没収された物で、義輝は自分の領土に含めた山城を除く2ヶ国をある家に預ける。
「よろしくね」
「はい」
副将軍・織田信奈。
足利将軍家の一員になり伊勢を制圧していた彼女は、伊賀と共に2ヶ国も任され、更にもう1ヶ国守護を任される。
「さらば
土岐頼次がそう評した美濃守護によって、元々の尾張を含めて5ヶ国の守護に信奈は任じられる事になる。
また、実権の無い京極家に代わって浅井家が北近江の守護代となり、松永久秀の妹・内藤宗勝が実権を握っていた丹波国は内政手腕を評した義輝によりそのまま彼女が、播磨は真っ先に義輝従属を表明した赤松政秀が、丹後は改めて一色家が守護に任じられる。
北陸は若狭は武田家から朝倉家に移り、越後のみならず越中も上杉謙信が任じられたが、彼女が更に加賀の守護に任じられた事は衝撃をもって受け止められた。更に、
東山道は東山道で、下野国が宇都宮家に、常陸が佐竹家に任されたのは規定路線だが、陸奥国
「やりました!」
「ええ」
東海道も大きく変わり三河国は松平元康が任じられ、遠江と駿河は武田信玄となる。伊豆は鎌倉公方ではなく北条家に戻され、鎌倉公方は上総・下総・安房に三浦郡となる。
山陰道は但馬国と因幡国は山名家、伯耆・出雲・隠岐・石見は毛利家とわけられる。その毛利家の元就は更に周防・長門・安芸・備後・備中・美作の守護にもなり、陰陽10ヶ国の太守となる。残りの備前国は、元就が九州に目を向けている内に下剋上を成し遂げた宇喜多直家が授かる。
南海道は紀伊が畠山家、伊予が河野家、三好家が3ヶ国となり、土佐は氏康の調停を遵守して一条家となる。それは西海道も一緒で、事実上の追認となる。
「我が配下の者達に次ぐ」
そして、信玄が甲斐に帰国した日に、義輝は全国の者達に新たな宣言を出す。
「戦を禁ずる。全ての戦を禁ずる」
と。
いわゆる不戦令が出て、新たな戦の時代へ突入していく事になる。