下総・葛飾郡葛西城。
下総の西の端、江戸湾に注ぐ渡良瀬川と中川で挟まれた所にその城はあった。渡良瀬川は後世に銚子の方へ流れるよう利根川と合わせられ、葛飾郡内の下流部は江戸川と呼ばれる。また中川は、今もゆったりとその名前で呼ばれている。
とにかく、その葛飾郡の中に葛西城はあり、渡良瀬川を挟んで下総の国府台に布陣した里見氏と北条家がぶつかりあった時の北条家の最前線になった所である。
「お初にお目に掛かりまする。北条相模守氏康が家臣、北条幻庵宗哲長綱でございます」
秋も深まってきた11月。
その城は、慶事ながらそんな空気にはなれないであろうイベントが行われるため、少しばかり盛り上がっていた。
そのイベントの主役の少女は今はこの場にいないが、その代わりにイベントを主催する幻庵の挨拶を少女の父親が受けていた。
「第5代古河公方の足利晴氏である。そなたが『北条家の長老』と言われる者か」
「はっ。恥ずかしながら祖父上の代から氏康様の代まで生きながらえ、今もこの通りぴんぴんでございます」
「ぴんぴん?」
現代なら、どこかの会社の課長を勤め、プレッシャーで胃潰瘍を患ってそうな外見の晴氏は、幻庵から発せられた言葉に首を傾げた。
その動作に幻庵は内心で引っ掛かったと嘲笑を浮かべていたが、それをおくびにも出さず、頭を下げたままその言葉を相良良晴から聞いたと話す。
「未来から来た者、か。今ここにおるのか?」
「はい、この部屋中の中に。……相良!」
「はい!」
打ち合わせ通りに事が進んでいる中、幻庵と晴氏の会話を頭を下げたまま聞いていた良晴は、やっと正座から開放された充実感に満たされながら幻庵の斜め後ろまで歩き、そこでまた平伏する。
「北条幻庵宗哲長綱様が家臣にして未来から来ました相良良晴でございます!」
対する、晴氏の答えは1文。
「皆の者、面を上げい」
少し忘れていた事である。
その言葉に促され、晴氏の家臣や北条家臣、それに幻庵や良晴も頭を上げ、それぞれの気持ちで見据える。
それをゆっくりと一瞥した晴氏は、良晴に聞く。
「我が公方はどうなる?」
諦めの感情が過半数を占める問い。
良晴が自分を刺した少女に、幻庵が河越城の近くで姪にして当主に望んだ感情をもつ彼の顔は、遠目から見てもわかるほどやつれていた。
そして、それを察する事が出来たからこそ良晴は本当の事を伝える事を決める。
「滅亡は、いたしません」
は、という文字を強調した言い方に、幻庵も晴氏も古河公方の未来を悟った。
「なれどもかつての鎌倉公方のような権勢は回復できず、足利家に変わる天下人の配下にならざるをえないでしょう」
良晴の断言に晴氏の家臣、少し遅れて幻庵の賢き家臣が立ち上がろうとするが、主に睨まれ止まる。
「相良。その物言いだと北条もいないように聞こえるが?」
「その通りでございます」
間髪いれない答えに、今度は梅千代を含む幻庵の家臣のほとんどが憤り、天井に隠れる風魔小太郎のように抜刀しかける者まで出てきた。
「黙らっしゃい!」
部屋の障子を震わせる大声。
晴氏も思わず身をすくめ、そして固まった幻庵の家臣を見ようと幻庵から視線をずらし、その途中に映った良晴の今に驚く。
「顛末を教えよ」
つとめて平静に聞く幻庵の心中は、良晴の平坦な言葉を聞き豪胆な彼の方を振り向きたいが、晴氏から目を離せない葛藤にあった。
対する良晴の心中は、こんなものかと少し呆れていた。だから、幻庵のその言葉にも平坦に答える。
「今の当主である氏康様、その次の当主様までは安泰でございます。しかし、氏康様の孫にあたる次の次の当主様の頃、中央を制した豊臣秀吉が大軍で小田原城はもちろんこの坂東の北条側の城を速攻に落としていきます。
20万人と言われる豊臣の大軍に支城は次々と陥落していき、小田原本城もその次の当主様と次の次の当主様の切腹によって陥落いたします」
事実上の滅亡宣言。
古河公方より酷い顛末を平坦に話した良晴に激昂する者は、その良晴の淡々とした、だから真実味が帯びた答えに抜かすように腰を落とした。
そして、幻庵は目を見開いた晴氏とは真逆に目を閉じ、そのまま数秒そうする。
「この幻庵はどうじゃ?」
「幻庵様はその小田原攻めの直前に老衰により亡くなります」
その答えに微かに頷いた幻庵は、ようやく目を開ける。
「北条の家臣に告げる。この事は他言無用。良いな?」
たとえ晴氏の家臣がこれをばらしても、負け犬の遠吠えとしか受け取られぬ。その計算を含んだ判断に、少ししてから立ち直った北条家臣達はうなずき、そしてとてつもない未来を予言した良晴に恨みをこめた視線を送る。
対して、それを受けながらも気にしない事にした良晴は、幻庵を飛び越えて晴氏に話しかける。
「晴氏様から見て右手の障子の向こうにおる者が梅千代様でございますか?」
原作の良晴ではなく、それ故に原作よりも厄介な事態に巻き込まれていきます。