「晴氏様から見て右手の障子の向こうにおる者が梅千代様でございますか?」
断定するかのような良晴の発言。
それに一番驚いたのは既に気付いていた幻庵や小太郎でもなく、気付いてなかった晴氏や梅千代その他大勢ではなく、北条家が評定の部屋に来る前から障子にはりついていた少女だった。
ガタン、と音をたててしまい、それの一番近くにいた晴氏の家臣が勢いよく開けるまで彼女は動けなかった。
「梅千代様!?」
「あうっ」
そして、その家臣の大声に思わず身をすくめる。
父親の晴氏も睨むなかで、おもむろに良晴が立ち上がり、幻庵の後ろ、晴氏の家臣達の前、そして障子を開けた男の横を静かに通り、幻庵がハッとして声をあげる前に良晴は少し固い足利梅千代の黒髪を撫でる。
梅千代も最初は驚いたが、良晴の右手から伝わってくる優しさ・包容力・労いにすぐに陥落してしまいそのまま固まる。
現代なら中3ぐらいで、よく本を読んでいるそんな雰囲気の少女と、優しい目で少女を撫でる少年のコントラストは、撫でている間は何故か良晴のサル顔が逆に似合うので絵画の題材に出来そうなほどだった。
「さ、相良!」
その光景にあっけにとられていた1人である幻庵がようやく声をあげ、良晴が手を止めて彼の方を見る。
「あれ?」
そこで優しそうな目からいつもの目に戻り、己が無意識にしでかした事に気付く。
この世界に来てもしてしまった事に少し溜め息をついてから、幻庵に頭をさげ、やはり梅千代からの視線には気付かずに自分の所に戻る。
その梅千代の視線を見た後、幻庵は咳払いを1度してから晴氏に告げる。
「つきましてはこの相良良晴を、梅千代様の小姓としたい所存でございます」
対する晴氏の答えはーー。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから1週間後。
葛西城とは中川を挟んだ所にある江戸城。
そこには、今は北条家臣として3人の城代がいる。
「足利晴氏様の世話、か」
今の葛西城主であり、江戸城の二の丸に詰め、美濃から流れてきた早雲からの代々の重臣でもある遠山甲斐守綱景。40代ぐらいの武将で、今が一番鯖の乗っている年代である。
「これはまた厄介ですなあ」
元は伊豆だがこの江戸城の本丸に詰め、葛西城の城代にもなっている富永神四郎直勝。綱景と同年代である。
「…………」
そして、江戸城の三の丸に詰める大学生ぐらいの青年。享徳の乱、長尾景春の乱において活躍するもそれを主君に恐れられ殺された太田道灌の曾孫にあたり、最近に亡くなった父親が氏綱に協力して江戸城を奪還した事から、手厚く扱われている太田
また遠山綱景の娘が康資の奥さんであり、氏康の養女になっているので、康資にとっては綱景は義父であり、氏康は義母であり、そして幻庵は義母のおじである。
「ついては、この私が求める物を用意してくれればそれで結構でございます」
富永直勝が上座に、綱景と康資がその左右の一段下に座っているが、その対面に座る女性はどっしりと構えていた。
「御意でございます」
「無理難題は押し付けないつもりですので」
父親の幻庵から頼まれた事を言い伝えた幻庵の3男・長順は、頭を下げることなくさっさと葛西城へ向かう。
それを見送った3人は少し呆れながらも、彼に頼まれた事の役割分担を話し合い、そして解散する。
「お帰りなさいませ」
「うむ。少し自室にこもる」
「はい」
そう伝えた青年は、1人しかいない自室でしばらく目をつぶる。そして、目を開けた時には、その瞳には1つの感情がこもっていた。
それは、古河公方関連で1つの決着がついた後とは思えぬ武将の感情。
「耐えられぬ」
その言葉は、彼のみにしか聞こえない。
「太田康資、謀反の心あり」
ーーはずだった。
しかし、風魔を侮ってはいけない。
「私が自ら氏康様と幻庵様に伝える。貴様らは葛西城の公方一族を監視せよ」
『御意』
太田が謀反するならば、するまで見逃し、家格を下げるわよ。
そう言った主君の通りに進んでいる事に高揚感を抱きながら、小太郎は小田原城へと武相を走り抜けていく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
太田康資、謀反。
江戸城内で手勢を指揮して、富永直勝を襲うも風魔の反撃にあい失敗。立て直した両者から逃げ、東へと向かう。
その情報を、我らが相良良晴は葛西城主・遠山綱景と、遊び道具の製作について話している時に聞いた。
「太田ぁ!!」
娘婿の謀反に綱景が憤り、すぐに部屋を飛び出す。
白千代も綱景についていこうとするが、良晴が正座のまま動いていない事に気付き、浮いた腰を止める。
「早すぎるだろうが」
一人心地に良晴の口から出た言葉。
そして、それに気付かない良晴は、伊豆討ち入りから小田原征伐までの北条家の戦歴を思い出す課程で起きてない大戦に思いを馳せていた。