私は疲れていた。
「お久しぶりでございます、公方様」
目の前で平伏する私の愛娘と同じ年代の少女。
「面をあげい。……まさかこれほど早く会えるとはな」
「そうでございますね」
微笑みを崩さない少女。
彼女がこの戦続きの時代を生き抜くために産まれてきた者と、私は断言出来る。見た目通りのか弱い少女であるなら、河越のあの夜に10倍の相手に突撃しようとは思わないだろうし、我々が先祖代々苦しめられてきた上杉家を関東から追いやる事は出来ないだろう。
そして、私が許可させて愛娘の真横に座る事になった未来から来たという少年を家臣とすることも。
「国府台は、私と父上に反逆した叔父をそなたらが討った所。今回もそのような結果になることを望むぞ」
「北条家中一同、その御言葉を心に刻み、此度の戦に集中いたしますわ」
鋭い彼女、北条氏康の事だ。私の言葉に、なんの感慨も無いことを察しているだろう。それをどう受け止めるかは彼女次第だが。
「腹が減っては戦は出来ぬ。宴を開こうぞ」
言葉通りに望んでいるとも、望んでいないともとれる私の言葉に、終始同じような表情を浮かべていた氏康はうなずき、両手を叩いた。
願わくば、これが最後の宴になることを。
史実でも、1554年の戦以降は自ら先導して北条に反抗しようとしなかった晴氏は、氏康よりも冷たい笑みを冷たい笑みを浮かべながらそう思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
葛西城の一角。
遠山綱景の家臣の1人の私室として使われていたその部屋には、幻庵がいた。
その部屋の中央に平伏していた良晴は、面をあげてから、主の幻庵に自分が感じた事をありのままに伝える。
「自ら滅するのを望む、か」
良晴の話を一言で纏めた幻庵は目を閉じ、考えにふける。
氏康様との面会の時に、確かに幻庵にも晴氏の瞳になんの感情もこもっていないのは見えていた。幻庵自身は「隠居宣言前の目付き」と断じ、それさえもわかっている氏康様に明日の出陣前に伝えて“主と家臣の共通の見解”を構築しようとしていた。だが、その直前に父子を永盛に任せて自分を呼び止めた少年。熱のこもった瞳に応じて面会を許したが、まさかその先の感情を予想しているとは……。
再び目を開け、彼を見据えるが、良晴は話している時とかわらず、熱がこもっていたままだった。誰かを助けるため、という幻庵も久方ぶりに見た熱源を、瞳の奥で開けっ放しにしながら。
そして、その少し後、幻庵は葛西城の本丸の更にその中心の部屋の障子の前にいた。
「御館様、幻庵でございます」
「……入っていいわよ」
少しだけ驚きの感情がこもった声に、幻庵は笑いの感情が浮かんだ。自分でも連続して陣中の氏康を訪れる事はなく、幻庵のそれは相談レベルの何かが連続して起きた事を意味する。
そして、この度の戦でどう動かすか頭の中で大まかに考えていた氏康の前に座った幻庵は口を開く。
「お話ししたい事があります」
「古河公方の事、でしょ?」
「当たらずも遠からず、でございます」
氏康が話したかった事は、幻庵も宴が終わった直後まで話したかった事である。
しかし、氏康も叔父として、また武将として絶大に信頼しているその老将の考えは、少年の話によって変えられた。
「晴氏の目の事でございますが、相良良晴がそれを自滅の道を選んだ、と申しているのです」
「……へぇ。幻庵も?」
「相良に言われて、ですが。そして、私はその感情を利用する案を御館様に提案したく存じました」
但し、骨子は変わらない。
「此度の戦、足利晴氏の出陣の許可を願いに来ました」
北条家の繁栄と関東の安定の為に。
その為なら、どんな犠牲をも、どんな裏切りをも気にしないのが北条幻庵宗哲長綱であり。
「……許可するわ」
北条相模守氏康であり。
「ありがとうございます」
北条家であるからだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
戦国時代の暦は旧暦であり、大体は29日か30日が1ヶ月の日数である。
その年の11月最終日、つまりは30日の朝。
下総と武蔵の国境の近くにある国府台を挟んで、2つの連合軍の旗印が翻る事になる。
片や北条家の『三つ盛鱗』と佐竹家の『五本骨扇に月丸』。その数は2万3000人。
片や里見家の『二つ引両』と太田家の『太田桔梗』。その数は1万2000人。
その戦端は、2人の武将の暴走から始まる事になる。