相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

50 / 256
第23話 上杉家の話《前編》

 私達、北条家の主が住まう鎌倉府がある浄明寺地区。その前を東西に走り5日前ぐらいに舗装されたらしいのが、八幡宮と朝比奈切通を結ぶ道で、東へ歩いて行けば鎌倉の対岸の海に出るらしい。

 けれど、みようによっては小太郎曰く『最年長の兄を支えようとする4人の姉妹と兄』に見えるらしい私達の目的地は、鎌倉府の東側ではなくて少し西側の所。鎌倉府とは滑川(なめりかわ)を挟んで対岸にある谷だ。

 

犬懸(いぬかけ)上杉家は、上杉憲藤(のりふじ)殿を祖とします」

 

 私達を目の前にして緊張した面持ちで話すのは、綱成の家臣の1人で彼女が「こいつは鎌倉に詳しいのだ!」と自慢してきたから覚えてた初老の小町綱久。

 文官として動いてたらしい彼を、相良が『大衆食堂』と名付けた所にいるのを見つけて、昇任を条件に上杉家の話をしてくれる事になったという訳だ。……誰に説明してるんだろ、私。

 

「憲藤殿は2代将軍の宝筐院(足利義詮)様に仕えますが、南朝との戦いの途中で摂津で亡くなり、幼少の朝房殿が家督を継ぎます。

 朝房殿は従兄と共に関東管領として幼少の2代鎌倉公方の永安寺(足利氏満)様の補佐をなされた後、子供が産まれなかったので弟の朝宗殿に譲ります。朝宗殿も永安寺様の信頼は厚く、関東管領ではありませんでしたがそれに準ずる扱いを受けてました」

 

 ちなみに、景虎の特異な外見を知っているのは私と幻庵、綱成、それに小太郎ぐらいだろう。

 

「そして管領職が空席になるとその後任につき、永安寺様の跡を継いだ勝光院(足利満兼)様の挙兵を止めた後に、辞任して子供に家督を譲ります。

 その子供は当初は氏憲と名乗っていましたが、後に出家して禅秀となり、関東管領の職も継ぎます。しかし、勝光院様の後の長春院(足利持氏)様は山内上杉家と結託して禅秀の廃除を謀ります。しかし、禅秀は先手を打って長春院様を駿河に、山内上杉家を越後に追放し、この鎌倉をも制圧します。

 まだあった南朝との連携を危惧して幕府は長春院様を指示し、幕府の命を受けた駿河の今川家などに攻めこまれ、禅秀は八幡宮がある雪ノ下の坊で一族と共に自害します」

 

 その犬懸上杉家の邸宅があったのが、目の前の谷にあたる。

 1つ目を終えて、寒空の下なのに汗をかいている小町に、ずっと目を閉じていた景虎が聞く。

 

「上杉禅秀殿は義に反した?」

「…………どうでしょう、な。主に刃向かう事は大罪でしょうが、主と対立してしまったのは山内上杉家に唆《そその》されたかも知れません。となれば、禅秀殿はむしろ被害者の1人かもしれませぬ」

「……そう」

 

 話を聞いた私達は、相良の提案で近くの廃社になっていた神社で枯れかけていた(たぶのき)を使った線香を、良晴に指導を受けた小町が紐(きり)で点いた火で灯して、館の跡の前に立てる。

 7人で手を合わせてから、次の場所に向かう。八幡宮の前を通りすぎ、亀ヶ谷切通の手前の所まで歩く。その間も景虎と義重、相良と六代で話し合っていた。

 

「さて、この辺りは昔は切通と同じく亀ヶ谷の名で呼ばれていましたが、関東管領の1人である上杉定正殿が居を構えた所から『扇ガ谷殿』と呼ばれてからは、扇ガ谷の地名が知れわたるようになりました。

 しかし、扇ガ谷に上杉家の一族が移住したのは、定正殿の曾祖父のおじの顕定殿からでした。永安寺様の家臣として扇ガ谷に移住した顕定殿は、養子にした甥の氏定殿に家督を譲り亡くなります。しかし、その氏定殿は禅秀の攻撃に逃げ遅れ藤沢で自害します。

 氏定殿の子供の持定殿は長春院様と共に駿河に逃げ、その後復帰しますが亡くなり、跡を弟の持(とも)殿が継ぎます」

 

 その持朝は永享の乱での持氏討伐に功績を挙げ、次いでの結城合戦にも幕府軍の副将として活躍する。

 で、持氏の子の足利成氏が鎌倉公方に復帰すると出家するけど、案の定成氏が享徳の乱を引き起こし、自分が事実上の後見をしていた関東管領の山内上杉憲忠は討たれる。

 なので憲忠の弟・房顕を新たな関東管領に擁して、自身は裏で実権を牛耳る。乱の中で嫡男が討たれるなど苦戦する中、今度は幕府から派遣された堀越公方と対立してしまい、これを機に持朝は成氏と和睦して堀越公方と争おうとしたがその前に没する。

 

「嫡男の遺児で持朝殿の孫にあたる政真殿が家督を継ぎますが、乱の最中に討たれ、持朝殿の3男にあたる定正殿が引き継ぎます。

 なお、持朝殿と堀越公方の対立時に渋川義鏡の讒言が原因で引退させられた上杉家の家臣の中に小田原城主だった大森氏頼がいます。そして持朝殿の次男が相模三浦氏の家督を継ぐことになり、その嫡男が鎌倉の南にある新井城で3年にわたり宗瑞公(伊勢盛時)と戦った三浦道寸になります」

 

 定正は尚も成氏と戦い続けるが、その最中に山内上杉家の家臣である長尾景春の反乱にあう。しかし、これによって成氏とも和睦出来る。

 やがて景春が没落すると一時(いっとき)の平和が訪れるが、その享徳の乱の和睦を主導した自分の家臣の太田道灌に人望が集まり、それを恐れて彼を暗殺する。

 重臣の暗殺によって混乱した扇谷家を見て、今度は山内家が挙兵して、長享の乱が始まる。関東管領を代々勤めるようになった山内家に、定正は仇敵だった公方と結び、伊豆にいる堀越公方をお祖父様に暗殺させたり対抗するが、その途中に落馬して亡くなる。

 

「家督は甥の朝良殿が継ぎ、山内家に寝返ろうとしていた氏頼の次男である藤頼が城主をしていた小田原城を宗瑞公に預けます。そして……」

「そしてお祖父様は、扇谷家からの支援要請を大義名分として相模を侵食していったのよ」

 

 小町が申し訳なさそうに頭を下げるけど、これは仕方ない事だ。

 

「結局、朝良殿は山内家に降伏し、長享の乱は終わります。その後、朝良殿は山内家に持ち掛け、宗瑞公を共に防ごうとしますが、それより先に山内家の中で家督を巡る永正の乱が起きます。

 朝良殿は仲介に奔走しますがあえなく病死。家督は降伏時に養子に迎えた甥の朝興殿に移り、それに春松院《北条氏綱》公が勝たれ、朝興殿は実子の朝定殿に譲り、河越城の戦いで戦死します」

 

 そう。あの夜の被害者の1人だ。小町も相良も義重も景虎も知らない事。知ってほしくない事だ。

 線香を供えた後、最後の上杉家の所に向かう道すがら、話の最後の方から目を閉じていた景虎に近付いたのは相良だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。