堺とは本猫寺を挟んだ所に河口がある大河・淀川に、さすがにジャンク船は入らないので、大きな安宅船が入る。その上に二条尹房を筆頭にして、関東からの客人が乗っていた。
その周りを、三好家が抱える水軍の大小様々な船が護衛しながら一緒のスピードで進んでいく。
そして、淀川の本流である宇治川に桂川と木津川が合流する辺りにある淀城の前の港で降りる。魚市場も広がっている淀城の城下町は、何時ものようなものではなく大々的に摂政の帰還を喜んでいた。
「ここが淀城、か」
「有名なのですかな?」
「……統一後に天下人の側室に与えられる城になるんだ」
「…………ふむ」
「壊すなよ?」
「ふふふ」
淀城前の港で降りた一行は、淀の近くにあった鳥羽離宮に行くために平安京から伸びていた道の跡を歩く。
平安京の南の入り口であり、時代を経ると魑魅魍魎が蔓延る場所になった羅城門の辺りも、珍しく人がようさんいた。
その羅城門から、大内裏と呼ばれる姫巫女の住居まで伸びているのが朱雀大路であり、今で言えば梅小路から二条駅までの山陰本線が重なっている。しかし、大内裏は平安時代には既に荒廃していて、豊臣秀吉が聚楽第を作り上げるまでは栄える事はなかった。
なので、一行は一応ある羅城門から洛内に入ると、大内裏の東側にある今の姫巫女の住居へ向かう。
「では行きましょか」
簾越しながらも姫巫女と話せる部屋には、一般的には五位以上の官位が無ければならない。
二条尹房は摂政、山科言継は従五位内蔵頭なので元々から大丈夫だが、良晴はもちろん公家じみている義元さえも正式な官位は持たないので、本来なら姫巫女に会える事はない。
なので、尹房の言葉も言継だけにかけた物だった。
だが、例外はある。
「にじょう。ここでだいじょうぶじゃ」
舌足らずな声。
元々開いていた最も格式の高い建礼門の下に、いつの間にか巫女姿の少女が立ち、尹房を見上げながら話しかける。
「ひ、姫巫女様!?」
簾越しではなくても聞いたことのある声に、尹房の反応は早かった。50代後半の体を飛び上がらせ、衣装が汚れるのもお構い無しに、そのまま土下座したのだ。
そして、尹房が悲鳴に近い声で発した単語に、長慶や義元といった周りの一行はもちろん、摂政が久し振りに門をくぐる光景を見ようとした町民も土下座する。
「…………へっ?」
唯一、おじさんがしたジャンピング土下座に見とれていた良晴だけが、御輿から降りて杖をついた格好のまま辺りを見渡し、最後に自分と同じように立っている少女と目線があう。
「おぬしがさがらというものか?」
「お、おう!」
思わず何時ものように返事する良晴は、頭の中ではようやく尹房が叫んだ単語と記憶が合致した所だった。
「あしをけがしておるし、しなくてよいぞ」
「あ、ありがとう……ございます?」
「さがら、ちんのまえに」
藤原家の支流の支流の支流……なのかさえ実際はわからない公家の衣装ももちろん来ていない相良良晴。信頼はしているが、格式などどこかに追いやった姫巫女の発言に、尹房が抗議しようと、頭を上げる。
だが、姫巫女を見ながら口を開けようとして、姫巫女の視線に言葉が出なかった。
「…………相良殿、こっちに来なはれ」
何時もの部屋で自分に向けられていた感情がない視線とは違う、何処か楽しそうなそれ。
そして、アイコンタクトでの「ちんのじゃまをするのか?」という言葉に、姫巫女の臣下である自分が逆らう事など出来ない。
再び頭を下げながら、視界の端で動揺している良晴を呼ぶことで、せめてもの非礼の詫びとした。
「は、はい」
高飛車な義元さえ……いや、義元だからこそかもしれないが敬っていた尹房の言葉に動かされ、五体満足の時と変わらない速度で歩く。
平伏している言継と尹房の間まで良晴が来たところで、姫巫女も彼に近付いてくる。
「あったかいてじゃ」
その言葉を最初に理解したのが、杖をついている右手の甲に人肌の暖かさを感じた相良良晴。
次いでその真横にいる尹房が、更に言継が。
「やはりおぬしは『ちがうもの』であったのじゃな」
次いでの言葉の意味を真に理解したのは、当事者の良晴と小西隆佐。
北条家の者は良晴が出自がわからないのをバレたのかと体をびくつかせ、他の家の者も「実際は出自がわからないのか?」や「相良良晴じゃないのか?」と考えたが、次いで姫巫女から発せられた言葉で、その言葉の事は瞬く間に吹き飛んだ。
「さがらよしはる。そなたをじゅうよんいうだいべんにする」
「…………従四位右大弁でおじゃるか!?」
尹房が今度は上半身だけ勢いよくあげ、腰を痛めたが、それを無視して姫巫女に叫ぶ。
「……すごいのか?」
「兵部、
義元の発案で行われた摂政自らが義元・良晴・竹千代・助姫に講義した律令制の授業の中で聞いたことのある省ばっかりのトップ、だと理解出来た良晴が固まる。
今で言えば兵部省は防衛省、刑部省は法務省、大蔵省は財務省、宮内省は宮内庁だっていう事だな、と置き換えて理解してからまだ1週間も経っていない。
「姫巫女様! 畏れ多くも意見させてもらいますが、無位無冠の相良をいきなりそのような役職にするとはどういう事でおじゃるか!?」
「さがらもふじわらのまつえいであろう? それならばそなたらとおなじちすじではないか?」
「しかし相良は武家でおじゃる! 戦を
「それはそなたらのときもおなじであろう? そもそもたいらのきよもりがまつりごとをすることになったのは、ほうげんのらんにちんのそせんがぶけをつかったけっか。ぶしももとをたどれば“けがれ”をきらうそなたらが、それをおしつけたからであろう?」
「…………確かにその通りでございますが! 右大弁には日野家ら経験豊富な物がついておりまする! いきなり、そのような役職を相良に押しつけるのはいかがかと!」
「そのものたちがちんのまえにあらわれたか?」
「はっ?」
「ひのけのいまのとうしゅはようしょう。そのだいやくとしてさがらをえらんだだけ」
「代役なら同じ家系の者を!」
「ならば、せっかんもあにうえにまかそうかの?」
そう言われると、幼き姫巫女の代わりに政を行う役職の摂政についている尹房には、ぐうの音も出なくなった。
ぷるぷると体を震わせた彼は、かっ! と目を見開き、当代の姫巫女を見ながら言う。
「お願いがありまする!」
「なんじゃ?」
「相良をいきなりつけると近衛など他の公家の反発は必至! であれば、相良を麿の養子にしたいでおじゃる!」
五摂家の1つ・二条家の相良良晴の養子宣言。
それに尹房の叫びが聞こえた全員が驚いたが、一番驚いたのは言われた良晴本人だった。
「だったら断る!」
そして、無意識に注目される事を嫌う自分が大声をあげていた事に良晴は自分で驚くと同時に、ホッともしていた。
「なぜじゃ?」
「…………俺は摂政殿下を京を経由して山口に送り届ける役目だけのために来たんだ! いきなり、そんなのを押し付けられてここにいるのは嫌だ!」
京の市民と公家にとっては暴言だが、今のこの町を見て田舎人がそう思うのは納得できる事であるし。
「ちんもあれるこのまちをみたくはない」
姫巫女が、そう言ったのだ。
尹房を含む公家や京の民が意識を手放すのを必死におさえている傍らで、姫巫女と良晴は目線をあわせて話す。
「では、そなたがまたこのまちにくるまでのほりゅうでよいな?」
「……ああ、それで良いぜ」
「ただふさ」
「は、はい!」
「たいぎであった。やまぐちではみんとのぼうえきこうしょうはたいへんであろうがせいこうをいのっておるぞ」
「っ! 有り難き、お言葉でございます!」
「うむ」
そして、姫巫女はぼろぼろの門の奥に去っていく。
しばらく、沈黙がその場を覆っていた。