「河越城まで、今川との間に交わされた筋書き通り、なのでしたか」
乱の直後に事実上の宰相になった太原雪斎から、北条家の当主である北条氏綱へ宛てられた書状。
その中身を聞いた梶原政景は呻くように呟き、冷えかけの蕎麦茶を一気に飲み、少しむせた。
政景ほどに無いにしても、康俊を含めた他の4人も、それぞれ同じような思いだった。
「『北条家は今川家と結びます。聞いた所によれば、恵探殿は純粋な御方であり、権謀が渦巻くこの乱世には向いてはいない。迷惑で無ければ、平和な安住の地を提供しますが?』と、
私は、春松院様のお側に仕える事になり、八幡大菩薩様に武勇の祈りを捧げながら、恵探様と恵探様を保護して下さる北条家のために動き回っている……という訳」
いつもの快活な雰囲気からは想像出来ない、
そして、この話の発端を作った政景は、お茶のおかわりを貰ってから、
それが終われば解散となるが、良晴だけが呼び止められ、少し運動をしてから床几の上に座り直す。
「良晴に聞いてほしいのはね、千代の事なの」
「……氏康の事か?」
「そっ。あの寂しがりのね」
まるで、実の姉妹の事を心配するような
それに、開こうとした口を閉じた良晴は、目線で綱成に続きを促す。
「良晴も知ってると思うけど、駿河の河東の最初の戦いは大きな戦もなく終わって、河東は北条の物になった。
けど、表面から見たら『今川が武田と同盟を結び、それで武田と対立していた北条家が攻めこんだ』ふうにしか見えないから、当然、上杉家とかが反撃しようとしてくる」
しかし、北条家包囲網の一角になっていた古河公方の晴氏を懐柔して、彼と対立していた小弓公方・足利義明を討つ。これが、里見義尭が彼を見捨てた第1次国府台合戦であり、その合戦で綱成は活躍して、氏綱の彼女に対する寛大な措置に不満を持っていた者達を黙らせる。
そして、北条家が両上杉家と刃を交えていた頃、雪斎と密約を交わしていた山本勘助が、信虎の長子・晴信と共に信虎を駿河に追いやり、雪斎は信虎を捕らえる。
この後、氏綱が氏康に5つの訓戒を残して亡くなる、というニュースが周りを駆け巡っていた。
「確か鶴岡八幡宮を造営し終わった直後だっけ?」
「正しくは上宮正殿、だけどね。まあ、その八幡宮の事も区切りになったんだ」
「?」
「周りには死んだ、って伝えられてるけど、正しくは隠居したんだ。雪斎殿との作戦の最終段階のためにね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今川義元、河東奪還のために自ら出陣して富士川を越え、善得寺に布陣す。
後に第2次河東一乱と呼ばれる戦いの始まりを告げる風魔が小田原城にやって来た時、綱成はその城の茶室にいた。
第1次国府台合戦の後から、氏綱の仲介などで綱成と仲良くなってきていた氏康は、小太郎から受け取ったその情報を聞いて、1つ深呼吸を大きくした。
「父上。これより
「うむ。しくじるでは無いぞ」
「はい」
劇の主役を演じる氏康が茶室を出ていった後、少し前までは主役だった氏綱は、氏康についていこうとした綱成を呼び止める。
「そなたも死ぬなよ?」
「もちろんでございます」
形ばかりの評定を済ませると、綱成は戦線の最前線である河越城に入り、その少し後に今川家に促されて挙兵した大軍が城を囲う。
元は太田道灌が築き扇谷上杉家の城であった河越城を守るは、最近名を馳せてきた氏康の義妹・綱成率いる約3000人の軍勢。
対するは、過去の因縁をひとまず水に流して結託した古河公方・足利晴氏、関東管領・上杉憲政、そして城の奪還に燃える若き扇谷上杉家当主・上杉朝良の三者が率いる8万の大軍である。
兵力差約26倍という絶望的な物だったが、綱成が3000人に加えて城内に避難してきた民達を気遣い、援軍が来ると鼓舞していたので、士気は高かった。
「ここからは、幻庵様から聞いた事になる」
一方、氏康は予定通りに駿河に出陣し、どいつが敵につくか大勢を決してから、信玄の斡旋で義元と和睦。河東を元通りにして、一旦は小田原に戻る。
包囲からだいぶ日数が経ち、敵軍の士気が緩んできた頃合いを見計らい、8000の軍を率い、戦後の慰霊などを行う僧侶の1人として最後の後見のためについてきた氏綱と共に出陣する。
そして、綱成の弟で少し前に病で亡くなった
氏康は、まずは下手に出て、更に敵軍からの攻めに簡単に退き、敵軍の士気を更に緩ませる。
「そして、運命の日。翌日の全軍による夜襲の総攻撃を前に、氏康は春松院様と話していた。そこを、小太郎から逃げていた手練れの忍が襲ってきた」
北条軍の感触がもろい事に逆に不審を持った扇谷上杉家家臣の難波田憲重が放った扇谷上杉家随一の忍は、あえなく小太郎に見つかってしまったが、逃げようとはせずに親子の会話をしていた本陣に突っ込んだのである。
本陣には護衛も多くいたが、彼らが小太郎ぐらいの忍のスピードについていけるはずもなく、あっという間に固まっていた氏康の喉元へ必殺の刀を振った。