扉を開けば、喝采と賛美の声が響いた。
「おおおお!! お目覚めかぁ!『我らの泡』!!」
それまで仕込みや皿の洗浄に従事していた人々は手を止め、全員が定助を英雄の凱旋が如く歓迎を以て迎えたのだった。少しオーバーな歓迎にタジタジと後退る定助。
「えー……お、お久しぶりです……マルトーさん……」
「はっはっは!! いやぁ、元気そうで良かった良かった!! シエスタから聞いて、まだかまだかと待っていたんだよ!」
大喜びで定助の肩に手を置いてゆらゆらと揺らすが、流石に怪我人の背中を叩くような事はしない。その辺り、豪快だが一般的な弁えがなっている人だと分かる。
「で、どうした? 何か用があるんだろ?」
「ちょっと、お腹が空いたので」
「おぉ! 良しッ! 任せろ!!」
定助から離れたマルトーは、意気揚々と、そして高々に厨房のメンバーへと命じた。
「おいみんな!!『我らの泡』が食事を所望しているぞ!! 今の仕事を全面停止させて、取り掛かるんだ!!」
それを聞いてギクリとなったのは定助である。
「マルトーさん、それは申し訳ないです……」
「はっは!! 気にするな気にするな!! どうせ後は夕食の仕込み程度だ!」
マルトーさんなら兎も角、厨房全部を巻き込んでいるのが申し訳ないのだが、この場にいる者全てが雄叫びあげて調理に取り掛かろうとしていたので制止は不可能となった。
「『我らの泡』は気兼ねなく、そこのテーブルで待っていてくれ!」
「うわ……」
大きなテーブルに白いテーブルクロスが敷かれた。一人のメイドに椅子を引かれて着席を促され、まるで貴族に行うような丁寧なもてなしに困惑するばかりだ。
「食前酒を出してやれ! 貴族用のスパークリング……余ったシャンパンがあったろ?」
そんな物まで出すのかと、流石に謙虚になる。
「そこまでしなくても……」
「なぁに! あんたは俺らの英雄だ! 気にしないでくれ、『我らの泡』!!」
「……その『我らの泡』って名前は、何ですか?」
さっきから頻りに言われる『我らの泡』。
恐らくは定助の呼び名のようなものだとは思うのだが、少し窮屈で余所余所しさが激しく回る。
「はっは!! 敬称だよ、あんたに対してのな! 何でも、泡を出して貴族を欺き、最後にはぶん殴ったそうじゃねぇか! だから、『我らの泡』!」
マルトーが上機嫌に説明を入れた。
しかし、現実との食い違いが見える辺りは、誰かの言葉が形を変えて、平民たちへ噂として渡ったと言った経緯だろうか。泡を出して、確かに欺きはしたが、「ぶん殴った」までの道筋が綺麗サッパリ吹き飛ばされている。
そうであれど定助がギーシュに勝った事は、絶対的な真実として伝わっているようだ。
「満身創痍でも立ち上がり、泡を使った機転で形勢逆転ッ!! スカッとする話だなぁ、本当に!」
「へん! いつも威張っているから、良い薬になっただろうな!」
別のコックが口々に賛美をする。やはり貴族は平民にとって上司でもあり、目の上のコブでもあるようだ。
賛美しながらも、香ばしい匂いと鉄板の上で油の弾ける音は止まらず、料理は本当に作られている。
「まさかこうなっていたとは……」
ルイズから聞いていたが、ここまで英雄扱いになっているとは。だが、正直チヤホヤとされて嬉しい自分がいる事も否定は出来ない訳で、甘える事にした。
ついさっきまで、決闘を行った広場にてクワガタ探しをしていたのだが、何せ三日経っている……風に飛ばされたか、踏まれて粉々になったか、誰かが捨てたのか……一時間満遍なく探しも見当たらなかったので、見切りを付けたのだ。
ルイズも少しは手伝ってくれたのだが、五分経てば授業時間が近付いたので、急ぎ足で教室へと向かった。
その内、お腹が空いて来たので、厨房へとやって来たのがここまでの経緯である。
(まぁ、慕われて悪い気はしないけど)
それにお腹も空いているのは事実だし、出された物はキッチリ食べるつもりだ。三日も栄養を摂らなかった体は、食べ物を求めてリビングデッド化寸前なのだ。
すると足音が背後から聞こえ、振り向こうかと首を動かした時にシャンパンのボトルが目に入った。メイドがワイングラスと共に持って来てくれたようだ。
「食前酒をお持ちしました!」
「んー……ありがとうございます……」
ラベルに文字が書いているようだが、解読は出来ない。文字を教わらないといけない。
どんなお酒かは分からないが、食前酒だから軽いものだろう。
「それでは、お入れさせて頂きますね?」
グラスを定助の前に置き、そのままトクトクと、薄く黄金色に弾けた酒を注いで行く。ボトルの口から注がれるシャンパンが水面で弾け、有り余る炭酸が小さな粒を作り出し、水面へと押し上げられてプカリと浮かぶ。気持ちの良い、泡と泡の擦れるシュワシュワとした音が耳に入れば、それだけで食欲がそそられる……これは本能だろうか。
「どうぞ!」
「あー、どうも……んー」
しかし定助自身、シャンパンと言う物を飲んだ事がない。いや、飲んだ事あるかもしれないが、生憎記憶にはない訳である。つまり、初めてのシャンパンで、初めての食前酒。こう言った物の作法を知らない。
「これは……どう飲めばいいんですか?」
心配になり、マルトーに聞くと、彼は愉快そうに笑った。
「はっはっは!! まぁ、シャンパンなんて俺ら平民が飲める物じゃないからな、仕方ない! しかし、貴族は見栄えを気にするから作法とか何たらと拘りやがる! んだが、ここは平民しかいないし、気にせずフリースタイルで飲んでくれ!」
「そんなもんか……」
無礼講と許可されたのなら、それを遵守するまで。
ワイングラスの脚を摘み、持ち上げれば一気にグイィィッと喉に流し込んだ。
「お! 良い飲みっぷり! しかしまぁ、食前酒はもっとライトに飲む物だと思うが……」
口の中が熱く、シュワシュワと泡が弾けている。お酒なんて飲んだのは記憶喪失後初めてなので、体が慣れていないのだろうか。少量のアルコールだが、それが熱を纏って胃の中に落ちて行くような感覚と、爽快でフルーティーなシャンパンの味が食欲を檻から出してしまったようだ。
「くぁっ」
グラスを口から離し、息を吸い込んだ。食前酒だが、定助にとってはなかなかイケる味。
「これは……とてもゥんマイなぁ!!」
「なんてたってな、貴族が飲むもんだ! 一級品ってもんよ!! お気に召したようで幸いだ」
何故か自慢気のマルトーだが、このシャンパンは確かに一級品のようだ。
「貴族は一級品しか好まない。この学園の近くにも高級ワインの名産地があるんだが、食前酒はわざわざ遠方から取り寄せる。手間のかかる割に、貴族どもは大して飲まないがな!」
「まぁ、食前酒ですからね」
「それすら口に付けない奴もいる! シャンパンより、ワインの方が楽しみなんだろうなぁ!」
厨房の名物になりつつある、マルトーの愚痴。とりあえず、食前酒は飲み終えたしグラスを片そうかとしたが、メイドが片付けてしまった。手際の良さに少し驚いた。
「……まぁ、そんな事より『我らの泡』ッ!!」
目の前に小さなサラダがマルトーによって置かれた。良く見ればマルトーの傍にワゴンが置いてあり、そこに乗っていた物を出したようだ。
「フルコース! まずは、オードブルだが……『はしばみ草のサラダ』。ちと人を選ぶんだが、貴族に出すオードブルとしては定番だ」
青々とした葉の上にオニオンスライスが敷かれ、その上に真っ赤な半月型に切られたのトマトと、炎が立ち昇るかのように組まれたニンジンの千切りなど……全てが輪になって、中心の半熟卵を際立たせているようだ。まるで、太陽が照っているように見える、サラダなのにエネルギッシュな物だ。
「貴族に出す物を食べても良いんですか?」
「おぅよ! 何て言えど、『我らの泡』だ! 貴族を負かす平民なんて、いないと思っていたからなぁ。あんたは英雄だ」
そのマルトーの言葉を口火に、辺りにいたコックやメイドが定助の伝説を話し出した。
「何でも、シャボン玉を弾けさせて色んな事をしたとか! ツルツル滑らせたりよぉ!」
「私は、果敢に攻め、拳一つでゴーレムを破壊したと聞きました!!」
「俺はよぉぉ、満身創痍から一転、精霊の加護を受けて力を授かったと聞いたぜぇぇ!!」
「兎に角さぁ、本人が前にいるんだ! どうやったか聞こうぜ!」
憶測が飛び交い、最終的に質問に回った。定助はルイズの言葉もあるので、一瞬躊躇した。しかし、定助にはある『疑問』があったので、それを試してみる事にした。
「あぁ、じゃあ……まずこれを見て」
定助は、自身の背後に『ソフト&ウェット』を浮上させた。幽霊のように現れさせたので、かなり驚かれるとは思う。
「………………」
「………………」
「………………」
「……ん? 何を見るんだ?『我らの泡』?」
きょとんとした顔で定助を見る、面々。『ソフト&ウェット』は動き、彼らの前に躍り出たのだが、全く反応がない。
「……見えない?」
「……? 何がですか?」
「あ、何でもないです」
彼らが視認出来ていない事を確認すると、さっさと『ソフト&ウェット』を引っ込めた。
(……平民には『見えない』……理解した)
頭に存在していた、『スタンドの定義』にあった言葉が、気になっていた。『スタンドはスタンド使いにしか見えない』と言うルールである。
しかし出してみれば、ルイズの他にギーシュも、キュルケも、誰も彼もがバッチリと視認出来ていた訳であるので、この定義がある理由が分からなかった。
謂わば、これは一種の実験だった。しかし、これで定義に辻褄が出来たのだ。
(見えるのは、魔法使い……魔力のある人間か……魔法とスタンドは何処か似ているんだなぁ)
この場にいる人々……平民たちは、『ソフト&ウェット』に気付いていない。コックもメイドも、マルトーもだ。魔法が使えない者には、スタンドの定義通りに『見えていない』ようである。
何故なのかは良く分からないが、兎に角平民の前では出しても大丈夫そうだ。
「何か出すんじゃなかったのですか?」
定助が貴族を倒した秘密が分かるかと期待していた者が、訝しげに聞いて来た。しまった、言い訳を考えていないと頭を悩ませる。
「うーん……一種の騙しの手品ですよ。石鹸をこう……血で泡立てて……レンズにして……」
質問にどう答えようかとあぐねる定助だったが、このどうしようもない空気はマルトーの咳払いで払われた。
「おいおい! 今は『我らの泡』のディナータイムだぞ! 今はゆっくりと、食事させるんだ!」
定助はマルトーに心から感謝をする。お陰で質問して来た人々が「失礼を!」と言って下がってくれたのだ。ホッと息を吐く。
「ほれ! 卵が冷める前に食べた食べた!」
「あ、すいません……じゃあ、頂きます」
「下の『はしばみ草』と一緒に食べるんだ。まぁ、好みは分かれるが……」
「……………」
そう聞いたら不安になるだろう。一体はしばみ草とは、何なのだろうか、食べたら死ぬとかないだろうなと、疑心暗鬼になる。まぁ、食べて死ぬ物を出すなんて事はないだろうが、それほどに気になる。
フォークで卵を白身を割ると、蕩けた黄身が緑の葉の上に流れる。黄金の川が草原を流れて行くようだなと、視覚的に楽しんでいた。
そして、巻き込む形で葉に突き刺し、ゆっくりと持ち上げてはしばみ草を眼前に置く。テカテカと黄身が輝く、美味しそうなサラダ草なのだが。
「………………」
口を開き、恐る恐るはしばみ草を口内に入れた。味覚を良く味わう為に、敏感な舌の先に乗せて滑られるように奥歯へ向かわせた。ツゥッと黄身にコーティングされたはしばみ草は流れ、奥歯に当てさせると一つ、二つと定助は咀嚼をした。
「………………」
草から味が弾けるように、はしばみ草は『好みを分断させる独特の味』をウィルスのように撒き散らした。すると定助の目がパチッと見開かれた。
「何だこのサラダは!?」
「お? どうした? やっぱ、駄目だったか?」
心配そうなマルトーを余所に、定助はまたフォークを突き刺してはしばみ草を捕らえ、口に入れて咀嚼して飲む。そして、こう言うのだった。
「ンマぁぁぁい!!癖になる苦味だ!」
はしばみ草の強烈な苦味は、彼にもお気に召したようであった。
一方で教室。ルイズは席に着き、教科書を準備していた。
「……魔法よりも奇妙な物みちゃったわね……」
読み尽くした教科書は、もう殆ど内容を覚えている。しかし、それでさえも『スタンド』と言う魔法でも使い魔でもない『未知の能力』がある事なんて、知りさえも出来なかったのだ。
まさに、『現実は小説よりも奇なり』と言うもの。この世界、まだまだ知らない事だらけである。
「まぁ、ジョースケが目覚めたし……一件落着?……ギーシュとかにも伝えなきゃね」
そう言った所で、妙な悪寒がルイズの背筋をゾクゾクと冷やした。
「………………」
「……うふっ!」
振り返れば、後ろの席にキュルケが頬杖をついて座っていた。
「……あんた、何でここにいるのよ……」
「何でって、そっちがあたしの前に座ったじゃない?」
「………………」
確認を怠った、定助とスタンドの事に意識が傾いてしまっていた。心の底から自分の不注意を呪うのだった。
キュルケはニヤニヤと笑いながら、半目でルイズを眺めている。こんな反応をしている所、さっきの独り言は聞かれただろう。
「ねぇ、その独り言、癖になっているわよ? 友達少ないからって、端から見たら哀れに映るわぁ」
「……や、喧しいわね……!」
挨拶代わりとも言うべき、いつもながらのルイズ弄りの後、キュルケはあの面白そうな物を見る好奇の目は止めず、質問した。
「それで、彼! 目覚めたのね!!」
歓喜に似た、熱い声だ。そんなに定助と接点はなかったハズなのに、嬉しそうなのが分からない。
「……えぇ……昼食の時に、あんたと別れた後」
「あーん、残念! 一緒に行けば良かったわぁ!」
「……随分とジョースケに入れ込むのね……」
「あたし、好奇心に抗えないタイプなのっ。『泡の精霊』が見てみたいの!」
正直キュルケは、摑みどころの無いような性格だ。嘘のような本当のような、中途半端な回答で納得させる反面、蟠りを残すような話し方をする。その度にルイズは、変な敗北感を得るのだ。
(何考えてるのか知れないわ……ジョースケには気をつけるように言っとこ)
そう考えて、キュルケが飽きるまでは話に乗ってやろうとする。
「ふ、ふーん……で、見てどうするのよ」
一応、『泡の精霊』こと『ソフト&ウェット』の事は説明を受けたので、それと合わせて他者の印象と照らしてみようとした。キュルケは、鼻に人差し指を当てて、ルイズを見ていた。
「こんなポーズだったかしら?」
「………………」
「……うふふっ!」
『ソフト&ウェット』を出した時の定助のポーズだ。真似をするキュルケは少し子供っぽく、昼食の時とのギャップで呆れてしまった。
「……なに?」
「ま、お茶目は止めておきましょ!」
「……はぁ」
溜め息しか出ない。しかしキュルケは『ソフト&ウェット』について思う事は語ってくれた。
「そうねぇ……何か、あたし達のいる場所とは違うような雰囲気はしたわ」
「……ん? 具体的には?」
「具体的に出来ないわよ。不明瞭って言うか、幽霊みたいにフヨフヨしているわ、あたしの思う所ってのも」
つまりは、彼女は良く分かっていないと言う事だろう。ある程度は分かっているルイズは、弄ってばかりのキュルケに優越感を抱いたのだった。
「でも、滑らせるし青銅壊せるし、面白いよねぇ! あたしに貸してくれないかしら?」
滑らせる事が能力でもないし、貸せる物でもないと言いたいのだが、キュルケに教えるのは癪だったので言わなかった。
「で?」
「え?」
「あなた、教えて貰ったでしょお?」
そんな考えは、彼女にバレていた。
「ど、どう言う意味よそれ?」
「だって、知的好奇心旺盛なあなたが、起きた使い魔くんに『泡の精霊』の事を聞かない訳ないし、使い魔くんも教えない訳ないし?」
同じ女性でありながら、キュルケの勘の良さと分析能力は唖然とするほどに驚かされる。ルイズの隠し事は、彼女にはとても通じないようだ。癪に思う反面、感心を含む所。
「………………」
「沈黙は肯定と捉えるわよ?」
「うっ……あぁ、もう! 教えて貰ったわよ、バッチリ! 隠して悪かったっての!!」
それ以前にルイズが分かりやすいと言うのも、あるのかもしれないが。
ルイズの白状を聞いたキュルケの目は、また輝いた。
「へぇ、やっぱり! ね? アレってどんな能力なの?」
ズイッと近付き、香水の香りが鼻に入る。
がっつく彼女を見れば、教えるまで帰さないとするようなオーラを感じるので、彼女には教えてやろうかと思い直す。
「さぁ、授業だ。席に着け」
しかし悪いタイミングで、先生がやって来た。体が樹の一部になりかけている所に来た、殺し屋集団のような気分だ。
「………………」
ルイズは逆に、ラッキーと思っていたり。
「……授業後に教えてあげるわ」
「じゃあ、使い魔くんにも会いに行っていいかしら?」
「…………勝手にしなさいよ」
定助に入れ込むキュルケを警戒しつつ、授業は始まった。
数学って、「二次関数とか社会に出ても使わない」として切り捨てていましたが、数学の魂胆って、数学じゃないのです……ややこしい事に対する思考能力をつける事が目的なんです……
ふふ……馬鹿なんですが……気付いてしまいまして……