目次上部へどうぞ。お久しぶりです。
四大元素の一つ、【風】。
火、土、水の内で唯一、不可視たる物体である。
風向きならば雲の動き、風車の向く方、或いは唾液に浸した指を使って見る事は出来るだろうが、『風自体』を見た人間はいないであろう。
それでいて、他の三つと同様の『恩恵と害悪』を人間にもたらして来る。
火は温もりと業火。土は創造と土砂崩れ。水は潤いと洪水。風は快さと嵐。人間は古来よりその恩恵と害悪を受け、恩恵を多く得て、害悪を少なく受ける方法を思案して来た。
火であるなら水を、土であるなら補強を、水であるなら堤防を。
だが、風はどうだろうか。
風が一度吹けば、火は一層盛り、土は吹き上げ削れ、水は揺蕩いいずれ荒れる。誰が嵐を止められる? 誰が突風を受け怯まずにいられる? 誰が風を掴める?
風には、全ての元素を活発にさせるか、或いは文字通り風化させる力を持っている。それでいて風は目で見る事は出来ず、人はその中で流れて行くのみだ。
故に誰かが言う、「風は盾となり矛となる」と。
風の気分により、全てが変えられるのだ。
「…………以上の点により、【風】こそ四大元素の中で最強であると言う、私の知見であるが、如何かな諸君?」
黒い髪をし、狐のように細く尖った目をしたミスタ・ギトーと呼ばれる教師を前に、皆が沈黙した。
このギトー、高圧的な調子で授業を行い、更には痩せぎすな風貌が不気味だとして、あまり好かれてはいない教師の一人でもある。言えど魔法学院の教師は全て貴族の家系であり、そう言った高飛車な態度と性格は必然と言えば必然であろう。
また、そんな教師にはタイプ分けが生徒間でされており、『ひけらかし型』『絶対君主型』『功績自慢型』『弱点は無い型』『オラは無敵なんだど型』『無駄無駄型』『祝福しろ型』『以上で終わりだそれだけ型』……などなど、歴任した先生の数ほどあるのでは無いかと調べたくなるほどに、枚挙に暇が無い。
この教師、ギトーは『ひけらかし型』であった。
彼は【風】のメイジであり、授業では風系統について受け持っているものの、専門科目としても一向に「風の系統は最強」だとしか言わない。最強である所以は言う割に、いざ敵対した場合の対処などは一切答えようとしない……最も、風は最強であると言う考え方を元にしており、風は火も水も土、更には伝説の『虚無』にも対応出来ると豪語してしまったのだ。
(無い物をどうやって吹き飛ばすのよ……)
ルイズは最前列にて内心、そう毒吐きながら紙に彼の講義内容を書いて行く。意見の一つも言いたいが、何の魔法も使えない自分が言ったって「使えない君が言うのかね?」と一喝され終わりだ、と言う事は目に見えている。
出来る事は、高圧的とてメイジの先輩である事に変わりない彼の知識を吸収する事だろうと、真面目に取り組んでいた。
定助は隣にて、床で胡座をかいて座り、真剣に授業を聞いていた……いや、真剣かどうかは表情から分からない。普通の時は読めない表情をしているからだ。
「……ふぁあ」
場にいるだけで疲れて来るような彼の授業に、耐え切れずキュルケは欠伸を吐いた。それも、後方の席に座っているのに最前列のルイズと定助にまで聞こえて来る、わざとそうしているとしか思えない、大きな欠伸である。
案の定、ぎろりとギトーの鋭い目は、キュルケの方へと向けられた。
「……ミス・ツェルプストー。人前で堂々と生欠伸とは、貴族としてどうなのかね?」
「……失礼を、ミスタ。昨晩の予習の影響が出ているだけでありますわ」
「ほぅ、それは精が出るな」
そう言うとギトーは、一度だけニヒルに鼻笑いをする。
「では、そんな生徒の模範たるミス・ツェルプストーに意見を求めてみようか」
「……はい?」
「予習をしたと言うのなら【風】についての考えもあるだろう。それとも君は、本に書かれた内容だけを享受し、勉強した気になっていただけかね?」
彼の挑発は、プライドの高いキュルケの闘争心に火をつける要因である事は自明の理であった。
そう、発泡酒を飲めば
キュルケは席から立ち上がり、「当たり前じゃあないの、やってやるわ」と言わんばかりの気迫で語り始める。
「まず、『風はどんな属性にも影響を与える』と言う点ですけど、この点は同意しますわ」
「ふむ」
「しかし、『最強』と言うのとは違うのでは? 自然論を引き合いにおっしゃっていましたが、土を削る、それは何百年かけての話。火と水に関しては寧ろ力を助長させてますし、最強は最強でも『縁の下の力持ち』な方でありまして?」
キュルケの雄弁は止まらない。
「自然界では無く、魔法学上でもそう言えますわ。【風】はバリアにフライなど、どちらかと言えば非攻撃的な魔法が目立ちます。それに軍法でも、前線は火と土、後援に水と風とありますわ」
「一理あるな。ではミス、何が最強と思うのかね?」
「【火】ですわ。圧倒的に攻撃魔法のバリエーションが豊富で、そのどれもが一定以上の破壊力を有したものばかり。猛火も情熱も、並みの風では吹き飛びませんわ」
言い切り、キュルケはにやりと笑う。所謂、してやったり顔と言うもの。
どうだ参ったかと、知略尽くして究極生物を退けた男の思いのような気分に浸っていた時、悔しがるであろうギトーから『まさか』の提案が下る。
「では実践に入ろう。ミス・ツェルプストー、私に一撃食らわせてみろ」
彼のその言葉に、キュルケ含めた生徒全員が騒めく。
「オイオイオイオイ……クソったれギトーがプッツンギトーに変わったぞ……」
「あぁ……しかし、ギトーにはやると言ったらやる、凄みがあるッ!」
「お、俺は板書をしていたと思ったら、いつの間にか実践になっていた……た、ただ居眠りしていただけと思うが……」
「そう! 二人には覚悟があるから幸福なのだッ!!」
例外としてルイズ、タバサ、定助の三人だろう。ルイズはつまらなそうに頬杖つき、タバサは授業の始めより本を読み、定助はただぼんやりとしている。
「えぇと、ミスタ。お言葉ですが、『一撃食らわせてみろ』とは、額面通りに受け取ってよろしくて?」
「そのまんまの意味だ。それとも、ツェルプストー家には私の知らない暗喩でもあるのかね?」
「……えぇ、了解しました。けど、責任は取りかねますわよ」
キュルケとギトーは杖を取り出し、お互いに対峙する。
二人の距離は、定助の目測だと十メートル程度。避けるに難しくは無い距離ではあるが、双方の魔法の威力がほぼ弱まる事なく到達する距離でもある。
「全力でかかってきたまえ」
ギトーの言葉を狼煙に、二人の間にいる生徒は延長線上から外れるか、席下に隠れた。その為のワンテンポ置いた後に、間髪入れずにキュルケは呪文を唱える。
「『フレイム・ボール』ッ!!」
呪文によって出来上がった炎球は風船のように膨れ、熱気は教室の端にいる定助にもやって来た。
「あつっ」
定助は小さく悲鳴をあげ、ギトーに強く注視。
あれだけ啖呵を切れたんだ、何かしらの手を持っているに違いないと、純粋に好奇心を抱いていた。
ギトーは、生徒たちならまず狼狽するほどのキュルケの強力な炎魔法を前にしても、涼しい顔をしている。「なんだ、こんな程度か」と思っているような、澄ました表情だ。
直後、キュルケの杖先から小さな太陽が、ギトー目掛けて突進する。杖から離れてしまえば、キュルケの制御なぞ存在しない。一切の制約から解放されたフレイム・ボールは、距離を詰めて彼の高い鼻先にぶつかろうかとした。
「あっ!!」
どの生徒かは分からないが、口々に声が上がる。
ギトーを呑み込むハズであった炎球は、いきなり陽炎のように霧散したのだ。
その向こう、ベールを斬って姿を現したのはギトー。彼の姿がふわりと見えた瞬間、暴風がキュルケ目掛けて這い上り、羊皮紙や小さな使い魔を舞い上げながら逆に彼女を呑み込んだのだ。
「……!? きゃあ!?」
耐え切れずキュルケはバランスを崩し、尻餅つく。
そして対するギトーは、悠然と教卓前に立ち、演奏を終えた指揮者のような気取った仕草で杖を下ろす。
「灯火なんぞ、風には無力だぞ? ミス・ツェルプストー」
暴風は止み、教室中はしぃんと静まり返る。
生徒たちは私に畏敬を示していると、満足げな表情のギトーはまた教卓へと凱旋。講義を続けた。
「一概に風とて、効用は様々だ。軍法ではこうもある、『大軍を割るは風』と。風は空気のある場所なら何処でも発生する、絶対的な物。灼熱の砂漠でも、深遠なる洞窟にも、果ては天空とて……風を止める物は存在しないのだ」
彼は呆然と眺める生徒らを前に、こう締め括る。
「【風】は最強の元素である。異論はあるかね、生徒諸君」
手を挙げる者はおらず、そのまま彼は、しぃんと静まり返った教室を後にした。
ギトーが去って少しした教室内。
生徒たちは各々、自分たちの自由時間を過ごしていた。
「あーーーーー……ッたまに来るわ、あの痩せぎすド腐れ便所のタンカス藁の家!!」
キュルケは次の授業の準備をしているルイズの隣に座り、ぐちぐちと先程の件について文句を放っていた。足と腕を組み、指は腕の上で貧乏揺すりさせており、表情も含めて全身で不快感を表現する。
彼女の右隣にタバサが座り、左隣がルイズ。ルイズは鬱陶しそうに目を細めながら、彼女の愚痴を流していた。
「厳しい先生って事は知ってたでしょ、あんた。欠伸なんて、喧嘩売ってるとしか思えないわよ」
「あれは本物よ。あなたほどじゃないけど、勉強はするわ」
「ふぅん」
「なによ、疑ってんの?」
「疑ってないわよ。言っても、あんたが勉強してるかなんてどうでも良いし」
授業前か最中のルイズは、キュルケが呆れる程にドライとなる。
ルイズとの会話に飽きた彼女は、更にその隣の床の上に胡座かいている定助に話しかけた。
「ねぇ〜、ダーリンも思わない? あの痩せぎす、意地悪でしょぉ?」
「同意するよキュルケちゃん。あれは流石に、自己顕示欲が見え見えだった」
「やっほぉ! ダーリンは分かってくれたみたいよ? ミス・ヴァリエール?」
「……どうでも良いってば」
今でも定助をダーリン呼ばわりするキュルケに、淡々とを装いつつも内心腹立たしく思い始めたルイズ。
しかし今は、定助は自分を挟んだ向こう側。自分が壁となり、キュルケが定助に纏わり付けないようになっている。
「大体あの痩せぎす、喋り方が一々鼻につくのよ。『僕は何でも知ってますよ〜』みたいな! 宝物庫の時にゃ誰の責任誰の責任とか言って、眼鏡のキレ芸にアタフタしてたじゃあないの!! 大物風の小物よ、小物小物小物ッ!!」
誰の相槌も入らないものの、彼女の怒りは勝手に上昇し、乗じて饒舌になって行く。相当にあのギトーが嫌いのようだ(名前さえ口にするのも嫌なのか、さっきから『痩せぎす』としか呼ばない)。
「ちょっと話題が遅れたけど……キュルケちゃん、あの先生に吹き飛ばされていたけど、怪我して無かった?」
「心配してくれるのね、ダーリン! もぉ〜、あたしにはダーリンしかいないのね!」
「怪我は無い、ようだね」
「痩せぎす、手加減したようなの。技量は本物だって認めてやるわよ、性格は人の足踏みつけても平然としてそうなほどに最低だけど!!」
確かに彼女の言う通り、あのギトーのメイジとしての技量は逸した物であろう。
キュルケの技量も申し分ない、あの『フレイム・ボール』は並のメイジには歯が立たない魔法だった。しかしそれを彼は涼しい顔をして、消した上に反撃も行った訳だ。
ギトーの技量は眼を見張る物はある。でもやはり、「風こそ最強」と言った絶対主義的態度は眉を顰めてしまう。
「ねぇ、真面目なヴァリエール?」
キュルケはいきなり、ルイズに話し掛ける。
「何よ?」
「魔法はからっきしだけど、知識は豊富な貴女に聞くわ」
「喧嘩売ってんの?」
ただでさえヴァリエール家とツェルプストー家の確執と言うものがある上に、ルイズも彼女を快く思っていない関係上でその煽りは宣戦布告と見た。仇の吸血鬼に、銃を撃ちまくるかのような行為だ。
不機嫌に睨み付けるルイズを、キュルケは飄々と受け流して質問をする。彼女の属性は火だが、性格は風のようだと定助はヒヤヒヤしながら思った。
「【風】の魔法って、弱体化って出来ない?」
自分の話を押し通すキュルケに若干呆れながらも、溜め息吐いて質問に応じる。
「無理よ。ミスタ・ギトーも言っていたけど、空気ある所に風はあるんだし。唯一無力化出来るとしたら水中じゃないかしら?」
「水系統なら兎も角、あたしは火なのよ?」
「だったらフーケ並のメイジと組んで、土を盛り上げて生き埋めすれば?」
「そんなメイジ、ホイホイいる訳ないじゃない」
「じゃあ、無理よ。と言うか私より、風系統で技量もある、あんたの友達のタバサに聞きなさいよ」
詳細を二人の後ろの座席で読書しているタバサに振り、ルイズは書き進めていた紙へと視線を落とす。
ルイズ自身、一応風への対抗策を考えてはいたが、もし一級の風のメイジと邂逅した場合は上手く立ち回らない限り厳しいだろうと言う見方を示していた。
また、最後にタバサへ説明を押し付けていたのは、確かに彼女も風系統の専門家だと見た上での推薦でもあるが、さっさとキュルケとの会話を切りたかった思いが半分以上を占めた打算からだ。
だが人間、計算通りに行かない物。特にこのカウボーイもびっくりな自由人キュルケには通用しない。
「なら、ダーリンの能力で空気奪っちゃえば良いのよ!」
今度は定助に突っかかった上に、いつの間にやら定助の隣にいたキュルケ。紙へ集中していたルイズははっとなって隣を見た。
キュルケは猫背で胡座かく定助の背中に抱き付いていた。
「ぶッ……! キュルケちゃん、もう少し慎みをさぁ……」
「良いじゃない、あたしとダーリンの仲だし!」
「…………」
「ちちち、ちょっとキュルケ!? 何してんのよあんた!?」
魂を賭けたポーカーで決死のレイズをする不良のように、ルイズは勢い良く立ち上がった。
定助は定助で、背中に感じる柔さに思わず噴き出す始末。表情もぎこちない、当たり前だろうが。
「何って、ジョースケに聞いているのよ」
「そうじゃあなくてねぇ!?」
「何よ嫉妬? まぁ、発育に関してはあたしの方が上だけど」
「あ?」
ルイズの視線に殺意が篭り、右手が杖の仕舞われている懐へ向かう。定助は大慌てでキュルケを振り払った。
「待った待った待った待った待った!! えぇと、『ソフト&ウェット』で対抗出来るかだよね!」
不満そうなキュルケの視線と目を合わせながら、定助は少しだけ考えて答える。
「まず、『ソフト&ウェット』で空気を奪えるかだけど……勿論、可能だよ」
「あら、やっぱり!」
「でもそれじゃ、キリが無いんだ」
定助の言った「キリが無い」に対し、キュルケは小首を傾げる。ルイズも彼の話に興味を抱いたのか、再び椅子に座っていた。
「キリが無いって?」
「つまりね、キュルケちゃん……」
説明しようと言葉を組み立てている内に、読書していたタバサがやっと声を出した。
「……巨大過ぎる」
彼女の答えに、定助は「その通り」と手を叩いた。
「空気は何処にでもある。水で例えたら、この世界全体が酸素の海の中だ。その海の中でオレが奪ったとしても、その奪った箇所に空気が入り込んでしまうんだ」
「あー……成る程、つまりプラスマイナスゼロね」
「フーケの時みたいに、肺の中の空気だとかは効果あるけどね。メイジの周りの空気だけ奪うとか、建物内の空気を全て奪うとかは出来ない……密封空間じゃない限りはね。最も、『ソフト&ウェット』にも許容範囲があるんだけど」
定助でも難しいかと、キュルケは納得したように椅子に座る。
ルイズも彼の話に思う所があったのか、発言をした。
「空気の穴に空気が入り込んだのが、『風』よね。下手したら相手の手助けに成り得ないわ」
「風の提供かしら?」
「メイジを帆に例えるなら追い風よ」
彼女の話に定助は「成る程」と考え込んだ。
もし自分がギトーかタバサか……もしかしたらそれ以上の風のメイジと対立した場合、どう立ち回るかを考えなければならないか。彼のスタンドの能力を生かし、どうにか出来ない物かと脳内でイメージトレーニングする必要がある。
「ん?」
ルイズは、自身の発言に対し、新たな発見をしたようだ。
「どうしたの、ご主人?」
「今、ちょっと思ったんだけど」
「なになに?」
「それってつまり______」
ルイズが続きを言おうとした時に、突然教室内に激しい衝突音が響き渡る。
それは出入口の扉が、勢い良く開け放たれた音であった。
「皆さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁあぁあああんッ!!!!」
次に響いたのは、雄叫びに似た男の声。戦争でも始まったかのような独唱の鬨である。
その叫びは聞き覚えのある声だ、教室内の全員が出入口へと目を向けた。
「…………誰?」
定助が男性に対しての第一声がそれだった。
ギーシュの服よりもフリフリの多い、刺繍の入った高級そうな服に、これまた布地が高品質そうなマントを身に纏った目に痛い服装の男。頭はカールした金髪で、細いフレームの綺麗な眼鏡をかけて中年と思われる年齢の男性だ。
凄く貴族貴族した服装で、なのに凄く見覚えのある奇妙な男。ジィッと観察していた時に、タバサが後ろでボソリと言う。
「……カツラ」
「え?」
「……ミスタ・コルベール」
彼女の助言を受けた上で彼を見ると、この学院で初めて見た教師の顔を思い出した。
真面目そうで、黒いマントで、ハゲた…………定助はそこまで考えた所でぽかんとなる。どうしたのだその格好は、と言った呆気からだろう。
今のコルベールの服装は、同じ貴族であるルイズたちにとっても異質なのか、目を丸くしていた。
教室中の痛い人を見るかのような視線をコルベールは気にする素振りも見せず、笑えるほどに熱くなった調子でまた叫んだ。
「今日の授業は全て中止ッ!! 繰り返します、全てェッ中止ィィィィッ!!」
生徒と彼との温度差に、授業が全て中止と言う吉報(大多数の生徒にとって)にさえも、皆の反応が追い付いていない。しかしコルベールの次の言葉に皆が歓喜し、耳を疑う事となるのだ。
「我がトリステインがハルケギニアに誇る一輪の花、『アンリエッタ姫殿下』がゲルマニア訪問のお帰りに、この学院へ御行幸されるとの事ですッ!!」
ルイズの口から、「え?」と歓喜とも困惑とも取れる声が小さくあがった。
対しての定助は『アンリエッタ姫殿下』の名前を聞いて____
「…………誰?」
____ピンと来るハズ無かった。
道を行くのは、馬車と馬に乗った従者の行列。それも豪華絢爛とした馬車が数十台も並んでおり、それを守るように立つ兵たちも気品漂う装束に身を包んだ者ばかり。しかも兵に平民はおらず、全てがメイジであった。
黄土色の一本の道と、それを両端より囲う新緑の草原との間に、輝かしい純白の馬車は強いアクセントとなっており、突然道の真ん中に太陽でも舞い降りたかのような神々しさが青空の下で放たれていたのだ。
騎士として従者となるメイジたちの目は、まるで鷹のように鋭く、警戒に満ちたものとなっていた。彼らは強い忠誠を誓う、一人の『少女』を守護せんと覚悟に満ちている。
その警戒度は馬車の真ん中へ行くほど強まって行き、丁度行列の中心点へは並ぶ馬車よりまた、神聖ささえ感じるほどに豪華で大きな馬車が数頭のユニコーンに引かれて揺れていた。伸びる角は気品と王家の証、希少な生物だ。
馬車の中、窓から流れる青い空と白い山脈、そして新緑の草原を眺めている白いドレスの少女が一人。彼女と向かい合う形で座るは、法皇のような服を着た、徳の高そうな老人がいる。
「…………はぁ」
白無垢ドレスの少女は、徐に溜め息を吐いた。
それを聞いた老人はぴくりと、遺憾を示すかのように片眉を上げる。
「……本日、十三回目でありますぞ」
自身も吐きそうになった溜め息を押し殺し、老人は次の言葉を投げかける。
「……『姫殿下』」
彼が少女に対して言ったその敬称、彼女こそが学院で訪問を待ち望まれている『アンリエッタ姫殿下』であったのだ。
少女は少し鬱陶しげな視線を、窓から老人に向ける。
「……溜め息、かしら?」
「仰る通りで。王族たるもの、臣下の前で溜め息とは、はしたないですぞ」
「へぇ、自身を『臣下』とはね。ご謙遜を、『王さま』」
彼女の皮肉に、またも老人は眉を顰める事となる。
この老人……『老人』と言うが、まだ四十の男であるが、その見た目は六十に見えるほどに老けている。骨と皮と形容されても納得と言うほど、痩せ衰えた男だ。それは日々、情勢が変化し続けて行く自国他国への対応に追われ追われ、疲れ果てた者の末路を示しているようであった。
彼は『マザリーニ枢機卿』。枢機卿、と言う肩書きではあるが、実質このトリステインの実権を握っているのは彼である。だからこそアンリエッタは彼を『王さま』と皮肉った訳だ。
「姫殿下、思ってもそう言う事を言ってはなりませぬ。王族は貴女様であります」
「街で流行りの小唄は御存知で?『トリステインの王家には美貌はあっても杖が無い。杖を握るは枢機卿______」
『流行歌』とやらを口ずさむ彼女に代わり、続きを不機嫌な顔でマザリーニが続けた。
「______灰色帽子の鳥の骨』……そのような小唄を歌ってはなりませぬ」
「あら、御存知でしたの」
「この国の事で知らぬ事はありませぬ」
灰色帽子の鳥の骨……それは、確かにマザリーニ枢機卿の姿を揶揄した物である。命を削るように政務を続けて来た彼であるが、この歌は専ら彼が嫌われている事を端的に表していた。
「姫殿下……誰が何と言えども、国の長は貴女様です」
「その長が、臣下の言い付けでゲルマニアに嫁ぐのね」
「………………」
「ほら、反論出来ないじゃないの」
マザリーニは姫が国の長とは言うものの、内心は自分が国を牽引していると自覚していた。いや、平民に思われているようでは貴族にも周知の事実であろう。
思わず口を噤んだ彼を見て、アンリエッタは続ける。
「しかしそれは仕方ありませんものね。『アルビオン』の情勢がありますもの、味方は多いに越した事はありませんもの」
「姫殿下……御自覚でしたら口に出さないでくだされ。御存知の通り、ゲルマニアとの同盟は急務です」
「……同盟よりも、アルビオンの加勢をすれば早いでしょうに」
「アルビオンの貴族は【風】のメイジが中心の、強力な者どもです。無闇に加勢すれば、こちらが疲弊致します……ただでさえ『ガリア』との関係も危ういと言うのに、加勢は無謀です。アルビオンに兵が出払えば、誰が自衛するのですか」
「しかしアルビオンの王家は、ゲルマニアと違い私たちの親戚に当たるのですよ!? 親戚を守らず、赤の他人との政略結婚に躍起になるなんて、それはどうなのかしら!?」
熱くなる彼女を前に、マザリーニは至って冷静に見据えている。
「姫殿下のお気持ちは重々承知です。しかし、現実は情に応えてくださいませぬ。アルビオンは明日にも滅ぶでしょう……加勢にしても、遅過ぎました。今、現在、我々がすべき事は、国を守る為に味方を作る事であります」
「明日にも滅ぶって、アルビオンにその言い草は______」
「事実でありますッ!!」
ここに来て感極まったアリエッタだが、それを越す彼の激昂に押し殺されてしまった。
驚くアリエッタの表情を前に、マザリーニは些か申し訳無いと言わんばかりの表情で恐縮し、一転して深々と頭を下げる。
「……申し訳ありません、私とした事が……」
「………………」
「…………しかし姫殿下、アリエッタ姫殿下……私は国を思っての判断であります……アルビオン、ガリアに比べれば、トリステインは小国。これから世界は、新たな契機を迎える事となるでしょう。その渦の中、我々は生き残らねばなりませぬ……いや、生き残るのです」
再びアンリエッタの視線は、窓の外に向けられた。
草原の中、それを割いて大きな塔が現れる。馬車の向かう先、トリステイン魔導学院が見えて来たのだ。
アンリエッタはまだまだ遠い学院を眺め、ぽつりと零す。
「……ルイズ」
それはルイズの名であった。
マザリーニもその名に聞き覚えがある。
「ルイズ……確か、ヴァリエール公爵の息女でしたな。そう言えば魔導学院に入学したと言っておりましたな」
「会えないかしら?」
「姫殿下、あくまで視察です。一人の貴族を贔屓にしてはなりませぬ」
「……えぇ、自覚しているわよ」
眉間を押さえて呆れるマザリーニを無視し、彼女は学院に視線を注いだ。
聡明なマザリーニにも、物憂げに外を見やる彼女の胸中までは察知出来なかった。彼女は密かな計画を、立てていようとは生涯気付くハズの無い事である。
台詞と台詞の間を空ける、話の時間感覚によって行間を工夫するなど、書き方を変えてみました。