…………と言う流れが、ここまでの全てである。
定助は、『自分の常識』と合致しない現状に、疑問を持っている。「何故、自分の残っている記憶がこうも食い違うのか」。ルイズは、『記憶の混濁』だとしているが、彼の持つ常識と言うのは「そうだ」と理由付けられないほどに、リアリティを帯びていた。
例えば、「飛行機の中で電波を飛ばすと、計測機器に異常をきたすので飛ばすな」と言う常識を持っている。しかし、飛行機は存在しないと、ルイズが言った。
では何故、こんな常識が頭の中に残っているのか。
まだある、「電車の座席は老人に譲れ」「横断歩道は右見て左見てもう一度右」。まず、常識を施行する環境である「電車」も「横断歩道(車がない)」も存在しないのなら、こんな事はどう頑張っても考える訳がないのだ。
つまりは、舞台も状況も細かく確立している常識を、果たして「『記憶の混濁』とだけで片付けて良いのか、と疑問になったと言う訳だ。
彼は『納得』を求めたい。何で有りもしない状況に対する常識が、頭にあるのか。
そして、何で自分は【トリステイン】などの諸国を知らないのか。何故、存在しない【日本】を生まれた国としているのか。それを遡って行けば、【ハルケギニア】とは…………つまり、「この世界は何なのか」と途方もない疑問へと到達する。
自分は何者か、この世界は何なのか、自分の常識と現実は何故食い違っているのか……全てを含めて、彼は『納得』したいのだ。
そんな疑問を抱いた象徴として、彼はこの世界を「全く知らない世界」と定義、『この世界での最初の朝』としたのだった。
「…………」
そして、彼の隣で積まれたルイズの服とは、洗濯を命令されて押し付けられたものである。彼にとって現在の最優先事項は、コレの洗濯だろう。ルイズが起床するまでに出来ていなければ、朝っぱらから大目玉を食らう事は予想出来る。
「…………そうだな、どうせ眠れないし、この場所の構造に慣れておきたいからなぁ」
同じく部屋の隅に置かれていた。立ち上がると大きなカゴの中に洗濯物を詰め込み、定助はさっそくルイズの部屋から出る事にした。
「おっとおっと…………しぃー……」
音を立てないように、ゆっくりと抜き足差し足で歩き、扉もゆっくりと開けて出ていく。ルイズはまだ熟睡中なのか、気付く事はなかった。
ふと、ルイズがときたま寝言を口にしていた事を思い出した。何かを美味しそうに食べる夢だのようだ。
「クックベリーパイか…………食べてみたいな」
開閉音に気遣いつつも、扉を閉めた。やはり良い扉を使っているようだ、軋む音がかなり最小限に抑えられている。
主人を起こす事なく部屋を出たのは良かったのだが、燭台の灯りだけの薄暗い廊下へ出た時に「あっ」と小さく声を出した。何処で洗濯するのか分からないではないか。
「んー? 洗濯機は…………どうせないんだろうなぁ…………でも何処か、洗濯場があるハズだ」
戻ってルイズを起こす訳にもいかないし、完全に自力での捜索となる。が、まだ人々が起きる時間までは十分にあるので、パタパタと慌てる必要はないだろう。
それに、この学校の造りを把握しておかないと、ひょんな事で迷子になってしまえば、ルイズの説教へと移行してしまう。うろ覚えでもいいので、何処に何があるかを知っておきたかった。
「えーっと、下へ降りる階段はこっちだっけ…………」
寮の入り口からルイズの部屋までの道のりなら、昨日の内に覚えた。洗濯カゴを抱えて、定助は一階を目指して階段を降りて行く。薄暗い上に、大きなカゴを抱えているので視界が狭い、階段から足を踏み外さぬように慎重に降りた。
「よっと」
階段を降りきり、彼は外へと出た。
空はダークブルーで、鶏も鳴かない早朝。推定だが、午前四時ぐらいだろうか。
「あ」
一羽の鳥が頭上を飛んだ。黒い鳥だ、かなり高位置にいるので、一目で見ればカラスだと思うだろう。誰だってそう思う。しかし、定助は違った。
「あの鳥は知っているぞ。『クロウタドリ』だ。二十七.三cm…………高さは九m二十五.五cmか。綺麗な鳴き声らしいけど、聞いてみたいな……鳴かないかな」
鳥の種類から体長、更には自分からどの高さを飛んでいるのかまでをピタリと当てた。『クロウタドリ』は寮の二階の窓辺に止まった。
美声で有名な『クロウタドリ』の鳴き声を聞いてみようと少し待ってみるが、結局、二分待っても鳴かなかったので諦めた。
見渡す限り、まるで神殿のような彫刻された建物だらけ。真ん中の巨大な塔を中心に、様々な施設が緻密な建築技術の元に建てられ、グルリとそれらを守るように高い壁が囲っている。その壁にも一体化している形で、五つの塔が高々と見えた。
「そこだ、あそこの
圧巻、本当にド肝を抜かれる壮大なスケールである。
「完成に何年かかったんだろうなぁ、おー」
スペインのサグラダ・ファミリアは百年経った今も未完成だし、ドイツのケルン大聖堂なんかは六百年かかって完成している。それだけに、こんな建物が五年とか十年で出来たとは思えない。
しかし『魔法』があるから、案外一年か二年で完成したかも知れない。
「おぉぉっ!」
定助は何かを見付けた。
この学院で奉仕する者の朝は早い。
料理人は朝食のしこみをしなくてはいけないし、その他の使用人やメイドは清掃と洗濯を行わなければならない。よって、学院の朝はまだ早い段階から忙しない。
モップを持った者が右往左往していれば、清掃物を大量に抱えた者も縦横無尽に駆けている。それ以外にも仕事は山積みであるが、これが彼らにとって当たり前の朝である。
「じゃあ、また後で」
「はーい」
洗濯物をカゴに抱えた二人のメイドが、一旦別れた。その一方、定助のような黒い髪をしたメイドは廊下を経由し、外へ出ると井戸の方へと歩いた。
カゴには溢れんばかりの洗濯物が、絶妙なバランスを保ちつつメイドに運ばれている。平気な顔をしている所を見れば、それなりにベテランらしい。
「ほ、っと……」
グラグラ揺れる洗濯カゴを、上手く左右に動かして落とさないようにする。素晴らしき黄金奉仕の精神だ。
「今日も多いなぁ…………早くやらなきゃ」
トコトコと早歩き、時間が来るまで体力とスピードの勝負。まさに事態は『GO AHEAD!』なのである。
「えーっと、ここはどの辺かな?」
洗濯物で防がれている正面の視界を、左右に回して立ち位置を確認する。左の方に、三つのベッドが置いてあるのを見たが、これは「軋む音がする」との理由で廃棄となり、運び出されて粗大ゴミとして放置されている代物である。
大きく豪華なベッドだが、全然まだまだ使える物なので、少し勿体無いなとメイドは感じた。
「ハァ……私もあのベッドで寝られたら、どんなに幸せかしら…………」
ついつい溜め息が出てしまう。彼女にとって、あのベッドで寝られる事だけが遥か上空の夢だった。豪華に彫刻された、キングサイズベッドを眺めるだけが、その夢を埋める唯一出来る事。
マットも乗っかったままだが、そのまま捨てるつもりなのだろうな。「勿体無いなぁ」と思うメイドである。
「さて、仕事しないと」
夢を見るのはおしまい。
早く気を切り替えて、目的地である井戸へと歩を進めた。
「うん?」
五歩進んだ所で、目線の隅っこに何かが写る。ベッドの足下に、少量の……一人分だけワンセットの洗濯物が入ったカゴがポツンと置かれていた。
仕事に入らないといけない彼女であるのだが、服がこんな所に放置されているのを無視出来る訳がないだろう。寧ろ、見付けてギュウっと心臓を握られたような気分がした。
「わぁ!? だ、誰がこんな事したの!?」
持っていた洗濯カゴを下ろし、足早に洗濯カゴへと近付いた。周りを素早く見渡し、誰かいないか確認をする。結果として人影は全く見当たらなかったが、それは、犯人がいないと言う事も含めて、咎める目撃者もいないと言う事だ。まずはほっと、胸を撫で下ろした。
「よ、良かった…………貴族に見られたらどうなっていたか…………!」
安心と、「誰が仕事を放棄した」と怒りも沸いていた。
「誰が置いたのかな…………もう!
誰かに見られる前に、腰を曲げて洗濯カゴに手をかけた。
「あぁ、誰か分からないけど、置いといてくれないかな」
「ひゃああぁ!?!?」
いきなり聞こえた男の声に、悲鳴をあげて後ろへ下がるメイド。再度キョロキョロと辺りを見渡したのだが、やっぱり人影が見当たらない。
(き、気のせい?)
……な訳がないだろう。キッチリ耳に聞こえたし、イントネーションも声色も全部瞬間的に耳にこびりついていた。誰かが自分に対して話しかけた事は紛れもない事実だと明白だった。
「ど、どなたかいらっしゃるのですか?」
「あぁ、こっち」
メイドの呼び掛けに対し、返答はすぐに返って来た。それも、自分よりも下の方。
「やぁ……」
すぐ側にあったベッドのマットの下から、男の首が出ていた。定助である。
「きゃあああああ!!??」
メイドの本格的な悲鳴が轟いた。それもそのハズ、マット下から見たこともない男が首を出していたら驚くだろう。
「だ、だ、誰ですか!? なななななな何してるのですか!? 貴族様のベッドですよ!?」
「何って、丁度良さそうなベッドを見付けたから休憩していたんだ……寝不足だったし、短時間でも睡眠は必要だと思ったから…………よっと」
「うわわっ!」
腰を抜かさんばかりに驚く彼女を余所に、定助はマットの下からズルズルと這い出して来た。ギシギシとベッドの軋む音が甲高く聞こえる。
その光景を、呆然と見ている事しかメイドは出来なかった。
「…………でも全然駄目だな、特にマット。フカフカし過ぎで、圧迫感が足りないんだよなぁ…………」
「えぇぇ…………」
ベッドから這い出ると、奇妙な男、定助はスラリと立ち上がった。微かにずれていた帽子を正し、乱れた服を戻している。
「眠っていらっしゃったのですか…………いや、それよりも、どなた様でしょうか……?」
意を決して、再度、身元を彼に尋ねるメイド。
「ん? オレェ? オレは東方定助…………多分」
「た、多分って…………うん?」
曖昧な自己紹介に困惑するメイドだが、よくよく彼の姿を見てみれば、何か思い当たる所があるらしい。白くて、変わった服装と、水兵さんの帽子を見てピンと思い出したようだ。
「あ! もしかして、ミス・ヴァリエールの使い魔さんじゃないですか!?」
「ミス・ヴァリエ…………あぁ、そう言えばそんな風に呼べって言っていたっけ……うん、そうだけど、知っているのか?」
「はい!! ミス・ヴァリエールが平民を使い魔にしたって、私たちの間で噂が持ちきりでしたよ! 白い服を着て、水兵さんの帽子を被った不思議な人と聞いていたので、もしかしたらと…………」
もうそんなに噂が回っているのか、と驚いた定助。そう噂が立つほど、人間が使い魔になるのは珍しい事なのだろうか、とも考えた。
ともあれ、相手が自分の事を知っている(勿論、自分の正体を知っていそうではないが)ようなので、一から説明する手間が省けたのだった。
「それにしても、あの……失礼ですが、何でベッドの……マットの下で寝ていたのですか?」
「キミもマットの上で寝るのか? 体を圧迫させないと、落ち着けないんだ。何故かご主人も、マットの上で寝るんだけど」
それを聞いて「そ、そうですか」と困惑気味な返事をするメイド。それよりも、定助はルイズに言われた通りに『ご主人』と呼んでいるのが、妙な気がする。
「でも、貴族の方が見ていなかったから良かったですけど……もうここのベッドで寝たら駄目ですよ!」
それを聞いて、キョトンとしたのは定助だった。
「どうして? 野晒しにされているんだから、多分ゴミなんだろ? ゴミじゃなかったのか?」
「ゴミですけど……そ、そう言う問題ではなくてですね、貴族に何か言われたらおしまいなんですよ?」
「貴族?」
「そう! 貴族ですよ! 今後も気を付けて下さいね?」
そう言えばルイズも、『平民』と『貴族』とで境界線を引いているような気がしていた。確か、魔法を使える人間は殆ど全員貴族だー、と言う感じだったのを思い出した。
(つまり、ご主人のオレに対する態度を見れば、『貴族は平民より格上』と言う位置つけになっていると言う事か……)
そして、そんな説明をするこのメイドも間違いなく、定助と同じ『平民』である事も察する事が出来た。
「えっと、お名前はジョースケさん、で良いですよね?」
「うん、ジョースケで良いよ。えっと、キミの名前は?」
「申し遅れました、私の名前は『シエスタ』と申し上げます、そのままお呼び下さい。ここでメイドとして、ご奉仕させて頂いております」
メイド……『シエスタ』は、少しそばかすが見える、黒い髪をした少女であった。ニッコリと微笑む姿が何とも可愛らしい。定助も頭をペコリと下げて、会釈をした。
「じゃあ……シエスタ…………ちゃん? と呼んでいいかな」
「ちゃ、ちゃん付けですか…………少し恥ずかしい気もしますがー……はい、大丈夫です」
少々、頬を赤らめて、恥ずかしそうに笑う。そりゃ、初対面の男性からいきなり「ちゃん付け」で呼ばれたら恥ずかしいだろう。しかし定助自身、何故かこのシエスタに対して、ちゃん付け呼びがしっくり来るような感覚がするのだ。
「じゃあシエスタちゃん、すまないけど、ちょっと聞きたい事がある」
「はい、何でもお聞き下さい」
そう言うと定助は、足下にあった洗濯カゴを指差した。
「…………洗濯は、何処ですれば良いかな? ご主人に頼まれたんだ、私が起きる前にやっといてって……」
「あ、そうだったのですか。奇遇ですね、私も洗濯をする所なんです! 付いてきて下さい、そこの井戸ですよ!」
シエスタは自分の洗濯カゴを手に持つと、軽快な足取りで井戸の方へと定助を案内するのだった。
シエスタを康穂ちゃんポジションにすると言う名案を考えた時は、圧迫睡眠法を試してみたんですがね、寝苦しくて無理でした