今回の鍵は、イタリア艦娘たちです(言っていいのかこれ)
地中海解放戦 1
タラント軍港の沖に、朝陽が昇り始めた。現代利器の発達で、夜でも随分と明るいが、それでも、やはり太陽光線というものは偉大だった。その清々しい光を浴びるだけで、先ほどまで眠っていた体も、ゆっくりと起き始める。それが、この上なく心地いいのだ。
港湾から吹く風を全身に感じながら、戦艦娘、ローマは大きな伸びをする。朝の運動用に着込んだジャージが、その動きに合わせて伸び、さらさらとした感触が肌に伝わる。豊満な胸一杯に吸い込んだ空気を吐き出して、ローマは左腕の時計を確認した。
「・・・よし」
最初はゆっくりと、駆け足にならない程度の速さで走り出す。港湾施設だけで、全周三キロにも及ぶこの軍港を、少しずつ速度を上げながら走っていく。
ペースを速めれば、それだけ息が上がり、感じる風も強くなる。自らの足のリズム、吐き出す息。うっすらと浮かんできた汗に風が当たった。
三キロを走りきるのに、然して時間はかからない。十数分で一周を終えたローマは、スタートライン手前辺りから徐々にスピードを落とし、クールダウンに入る。最後はほとんど歩いて、日課のランニングを終えた。
「お疲れ様、ローマ」
明るく華やいだ声がかけられた。
声と同じように、明るいブラウンの髪色。華のような笑顔が似合う、温和な顔立ち。均整の取れた体。
戦艦娘、イタリア。ローマの姉である彼女は、運動をしたわけでもないのにジャージを着こみ、笑顔でスポーツドリンクとタオルを差し出した。
溜め息を吐きながらも、ローマはそれらをありがたく受け取る。よく冷えたペットボトルの中身を飲んでから、半目で自らの姉に問いかけた。
「姉さん、今日も走らなかったでしょ」
「ごめんなさい、また寝坊しちゃったから」
特に悪びれる様子もなく、イタリアは謝った。この姉をどれだけ追求しようと思っても無駄なことは、ローマが一番よく知っていた。もっとも、中にはそれを知ってもなお小言を言い続ける、一番上の姉のような酔狂なのもいるが。
―――まったく。朝一緒に走ろうって言ったのは、イタリア姉さんじゃない。
元はといえば、このランニングはイタリアのために始めたのだ。出撃がなく、かと言って厳しい訓練をできるわけでもなく、毎日おいしいご飯ばかり食べているせいでお腹周りに付きだした“バルジ”を気にしたイタリアが、ローマを誘ってきたのである。
その後の展開はご想像通りだ。三日坊主ならぬ五日坊主で、イタリアはランニングをしなくなった。代わりに、ローマは毎日走り続けている。
姉のような気苦労はしたくない、という思いもある。妹というのは、姉を見て育つ生き物なのだ。
だが、それ以上に。
―――せっかく、姉さんと走れるのを楽しみにしているのに。
その想いを裏切られたみたいで、というのは、絶対に言うまいと、ローマは誓っている。
「それよりローマ、もうすぐ朝食よ」
「それより、って・・・」
もう呆れの言葉も出てこない。そんなローマに構うことなく、イタリアは笑顔で続けた。
「今日は待ちに待った出撃だから、料理長が一品、増やしてくれるんですって」
その、あまりにも何気ない言葉で、ローマは現実に引き戻された。
地中海解放戦。そして、それに伴う、イタリア艦隊の出撃。ローマたち“ヴィットリオ・ヴェネト”級三姉妹の初陣だ。
―――いよいよ、始まるのね。
気持ちも新たに、ローマは朝食の席へと急いだ。
◇
地中海は今日も陽気で、波も穏やかだ。少し北寄りに舵を切れば、イタリアの海岸線が見えてくる。こんな日和には、のんびりと砂浜で日光浴というのもいいかもしれない。
とはいえ、彼女にはその先を考える余裕はない。陽差しこそ温かさが感じられるが、最大戦速に近い速力を発揮する艦の発着艦指揮所では、轟々と容赦のない風が吹いてくる。はっきり言って、彼女の意識は、陽気さとは程遠かった。
その代わりと言っては何だが、彼女は風の来る方向を―――真っ平らな飛行甲板の艦首方向を見つめた。
―――そろそろだろうか。
指揮所の脇に掲げられた時計を確認して、彼女ははっきりと頷いた。時間だ。
「アークロイヤルより各艦。攻撃隊、発艦始め!」
彼女―――航空母艦娘、アークロイヤルは、麾下の機動部隊全艦に、攻撃隊の発艦を指示した。同時に手に持った短弓を引き絞り、矢を放つ。これが、発艦開始を告げる合図だ。
先頭切ってカタパルトから射出されたのは、艦上戦闘機“シーファイア”だ。かの有名な“スピットファイア”の海軍仕様機であり、現在のイギリス海軍機動部隊の主力戦闘機であった。その性能は“スピットファイア”譲りであり、数さえ揃えれば、深海棲艦の艦載機とも互角以上に戦うことができる。
第一次攻撃には、上空直掩の機体を各艦四機ずつ残して、それ以外は全て攻撃隊の護衛につけることになっていた。
“シーファイア”に続くのは、特徴的な高翼配置の雷撃機だ。そのシルエットは、機体の名前のごとく鋭い肉食魚を思わせる。機体の腹には、憎き深海棲艦を海底へと葬り去る、必殺の魚雷が備えられている。
艦上雷撃機“バラクーダ”。いろいろと問題児だが、やる時はやる奴だ。
カタパルトを用いた発艦作業は、訓練の甲斐もあって、非常にスムーズに進んだ。それもこれも、この事態を想定して入念な訓練を命じたフッドのおかげだ。女王陛下様々である。
―――我々の航空戦術は、一撃必殺だ。
イギリス空母は、大きさの割に搭載数が少ない。これは、飛行甲板の装甲を厚くしているためだ。
しかし、いくら防御を固めたところで、敵艦を沈められる能力がなければ、軍艦の意味をなさない。そういう意味で、イギリス海軍の機動部隊の攻撃力には、あまり期待がかけられていなかった。
だが、アークロイヤルたちは違う。フッドたちの本国艦隊離反に呼応して、スカパ・フローの『女王艦隊』に参加することを決めたアークロイヤル以下五人の空母艦娘―――アークロイヤル、イラストリアス、フォーミダブル、ヴィクトリアス、グローリアスの五人は、以前から温めていたある戦術を、フッドと彼女の右腕であるウォースパイトに打ち明けた。
それが、フルアタック戦術。搭載数の少なさを逆手に取った、搭載全機を攻撃隊に差し向ける戦術だ。
搭載全機の発艦作業は、元々の搭載数の少なさ、そしてカタパルトの使用によって、非常に短時間で終えることができる。イギリス空母だから執れる戦術だ。
“アークロイヤル”、“イラストリアス”、“フォーミダブル”、“ヴィクトリアス”の四隻から、直掩機を除いた全機が発艦すると、およそ二百機もの大編隊になる。これは、同規模の機動部隊が一度に出せる航空隊の数としては、大きい部類に入る。通常の空母は、一度の攻撃で搭載機の半数程度しか出せないからだ。
また、フルアタック戦術を用いることで、攻撃隊の発着艦整理が楽になり、その手の事故も減る。帰還した攻撃隊と発艦する攻撃隊のどちらを優先するべきか、という判断をしなくて済むのだ。
さらに、艦載機が発艦中は、基本的に格納庫が空になるため、万が一被弾しても機体が誘爆を起こす危険性が低い。防御面でも有利なのだ。
艦隊の防空は、“グローリアス”が一括して請け負う。敢闘精神旺盛なグローリアスは随分渋ったが、この役目は基本的に持ち回りなので、アークロイヤルが半ば強引に黙らせた。
艦載機隊の発艦を見送ったアークロイヤルは、サッと踵を返して艦橋に戻っていく。
艦体サイズの割にコンパクトにまとめられた艦橋の中央には、アークロイヤルがこの艦を動かすために必要な、艤装が据えられている。それを背負い、すぐに精神同調に入った。記憶の奔流が溢れて、押し流す。光溢れる艦橋を、アークロイヤルは見ていた。
「精神同調完了。システム正常、舵もらいます」
臨時で舵を握ってくれていた妖精から、艦の操作をもらい受ける。風上に進んでいる機動部隊は、そろそろ転針する予定だ。
転針の指示をいつ出すか見定めていたアークロイヤルに、まったく唐突に通信回線が開かれた。
『あー、もうっ!あたしも戦闘したいーっ!攻撃隊出したいーっ!』
スピーカーから聞こえてきた大声に、思わず仰け反る。名乗るまでもなく判明した声の主に、アークロイヤルは大きな溜め息を吐いた。眉間に皺が寄るのを感じる。
「・・・いい加減諦めろ、グローリアス」
通信機の向こう側で膨れる空母艦娘の顔がありありと想像できた。
グローリアスは、イギリス艦隊の中でも屈指の戦闘好きだ。特に、寡黙な面子が多い機動部隊において、彼女の勢い任せなところは、いい意味でも悪い意味でもフラッグシップとなりうる。だが、どうやら今回に限っては、悪い方向になったらしい。
「言っただろ。次の出撃は、お前に航空隊の総指揮を任せると」
『次っていつさ!いつなのさ!』
完全に駄々っ子のそれである。いっそ、頭を抱え込んでしまいたい。
「そんなもの、私が知るわけないだろう。いいからお前は、大人しく周辺警戒でもしてろ」
投げやりに答えたアークロイヤルに、グローリアスはついに本当に拗ねてしまった。
『アークロイヤルの馬鹿っ!意地悪っ!石頭っ!鉄の女!』
ちょっと待て、最後。
ひとしきり罵詈雑言を浴びせたグローリアスは、一方的に回線を遮断した。アークロイヤルは、堪えていた溜め息を一時に吐き出す。機動部隊の旗艦には、頭痛が付き物だった。
『相変わらず大変ですね』
グローリアスと入れ替わりにスピーカーから聞こえてきたのは、落ち着いた気品漂う穏やかな声だった。
「そう思うなら代わってくれ」
半分くらい本気で返したアークロイヤルに、声の主―――航空母艦娘、イラストリアスは、コロコロと上品に笑っていた。
『それはお断りします。私たちの旗艦は、やはり貴女を置いて他にはありませんわ』
こう言ってはいるが、本音は旗艦になるのが面倒くさいだけだというのを、アークロイヤルは知っている。良家の子女のような雰囲気でありながら、イラストリアスもまた、癖のある艦娘であった。
再び吐いて出そうになった溜め息を、アークロイヤルは噛み砕いた。
「冷やかしに来ただけなら、さっさと切って警戒に戻れ」
『そう致しますわ』
素直に回線を切るだけ、イラストリアスの方がましだろうか。
―――まあ、それは今、どうでもいい。
頭痛の種になりかねない僚艦のことは、ひとまず置いておくことにする。アークロイヤルの意識は、機動部隊のさらに前、地中海深部からやって来ることが予想される敵戦艦部隊へと向いている。
地中海は、入口が非常に小さい袋小路だ。一度入ってしまったら、迫りくる敵艦隊から逃げることはできない。生き残りたくば、自らの力をもって敵を撃滅するしかなかった。
地中海に展開する敵機動部隊は、正規空母のL級二隻、軽空母のJ級(日本側呼称ヌ級)二隻で構成される。空母の数こそ、アークロイヤルたち欧州連合機動部隊が勝っているが、深海棲艦は一隻辺りの搭載数が多いので、総艦載機数ではおそらく敵機動部隊に軍配が上がる。先手を取ることができたとはいえ、油断は大敵だ。
つまり、アークロイヤルたちには、敵戦艦部隊まで相手取ることはできない。
頼みの綱は、同じく機動部隊の前に展開する、欧州連合戦艦部隊だ。
―――こちらはお任せください、陛下。
戦艦部隊の先陣を切って『女王艦隊』を指揮する巡洋戦艦の無事を、アークロイヤルは柔らかな波頭に祈った。
次回から、作者の(読者も)大好きな戦艦同士の砲撃戦です!
今回も、リシュリューさん大活躍・・・の予感!こうご期待!