秋もすっかり深まり、足元に寒さが忍び寄ってきた今日この頃。
使い魔の熊谷がコンビニで買ってきた酒のつまみを齧りながら私はひとり、リビングで晩酌を楽しんでいた。熊谷も誘ってみたのだが、今日は気分が乗らないと言ってさっさとクローゼットの中へと引っ込んでしまった。薄情者め、とも思ったが酒の量が2倍になったのでまあ良しとしよう。
早速1本飲み切り、次へと手を伸ばそうとした時、廊下の方からフローリングの軋む音を聞いた。使い魔は不在。猫ちゃんだってまだ子供であるから、音の主はこの家の主だろう。予想と違わず、ドアを引いて表れたのは市子だった。
「おや市子、まだ寝てなかったんですか?」
「喉乾いたからお茶飲みに来ただけよ。……ひとりで晩酌してんの?」
「ええ、熊谷に振られましてね」
「タマちゃんにとられちゃったと」
……今、へんなのが聞こえたような。
「タマちゃん?」
「なんか、今日は熊谷と一緒に寝るんだーって、さっき一緒にクローゼットに入っていったわよ」
熊谷が。タマちゃんと。一緒に。
まだ子供のタマちゃんと一緒に。
「……あいつロリコンか……?」
「何か言った?」
「いえ、何も」
市子には伏せておこう。使い魔がヒトガタを使えることを。ヒトガタの熊谷が見た目おっさんだということを。市子はのんきに、ぬいぐるみと小動物が一緒にいるのって可愛いわよねーなどどのたまっている。
今度熊谷に事実を確認しておこう。ただ単に動物好きというのもあるのかもしれないし。何かあれば市子に知られる前に私が始末しておこう。相棒としての情けだ。
そんなことを考えながら2本目をようやく手に取り、プルタブを開ける。炭酸が抜ける音と共に小さなしぶきが弾ける。口をつけるとアルコールと麦の匂いが鼻を刺激して、缶を傾けると炭酸の泡が喉を流れ落ちていき、すこしぴりっとした。
「……あー、うっめ」
「それ、ホントに美味しいの?」
いつの間にやら市子がとなりに座っていて、手元にあるビールを見つめていた。まずいぞコレ。未成年によくあるアレだ。
「ねー、ちょっと「ダメです。」……まだ何も言ってないじゃん」
むすっとした顔でこちらを睨めつけてくるが、大して効果はない。なんだソレは。怒っているのか。
「あなたね、未成年なんですから我慢しなさいな。もうあと数年でしょうに」
「……あんたから未成年が云々って言われると何か変な気分」
「なんだと喧嘩売ってんのかコラ」
「そういうつもりはなかったんだけど、……あんたと飲んでみたいなー、なんて」
市子はそれきり黙りこくって、うつむいてしまった。なんだこの生物。このままではまるで私が悪者みたいではないか。くっそ良心的な何かを刺激しやがってこんちくしょう。
はあ、とわざとらしい溜息をつくと肩をぴくりと震わせたのがなんだかとてもおかしかった。
「ちょっと待ってなさいな。すぐ戻りますから」
そう言って、市子の部屋へ行くと熊谷に言付けてアイテムをいただいてきた。撫子さんの家へおじゃました時に使ったものだ。
リビングへ戻ると、所在無さ気な市子がソファーに座って待っていた。
「ほらジュースでも持って来なさい。コレ使えばお酒飲んだ気になるでしょう?」
プラプラと『Let's 桃源郷』を振ると、なんともまあ、嬉しそうに持ってくる!なんて言って台所へと入っていった。
個人的な事情でアイテムを使うのはあまりよくはないだろうが(まあそこまで模範的な貧乏神ではないのでよくやるが)、あの子が嬉しそうなのでチャラだ。
さあ、ふたりっきりの酒宴の始まりだ。
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もう、いくら飲んだか覚えていない。
そこら中にアルコールの匂いが撒き散らされていて私がにおうのか、周りがにおうのか、よくわからない。
「もみじ、あんた顔真っ赤じゃーん。酔っ払ったのー?」
ジュース片手にケラケラと笑っている市子だが、人の膝に頭乗せて言うセリフじゃあないだろう。
顔が真っ赤なのはお互い様だろうに。
「いーちこちゃんもまっかですよー?」
紅潮した頬を引っ張ってやると、妙ちきりんな呻き声を上げて手を払いにきた。もう払うというより、当てる、という言葉がふさわしい。
手首に当たった手のひらがとても暖かかった。
「いちこちゃんにはまだはやかったですかねー?もうあとちょっとなのにー?」
「うるしゃーびんぼーがみ!あんたなんかすーぐおいこしちゃうんだかりゃっ!」
追い越す。その言葉に、すうっと背筋が寒くなるのが分かった。
あと数年で、市子は私の見た目を追い越していく。あと数十年で老いていく。私を、置いていく。
それはそれは当たり前のことなのだけれど、その当たり前が到底受け入れられないものだと、今更ながらに気づいてしまった。
「もみじ?どしたの?」
「……なにが、ですか?」
「なーんか、こわいかおしてる」
ふらふらと起き上がると、じぃっとこちらを見つめてくる。酔っ払っているハズなのに、目だけはしっかりとしていてこちらの奥底を見抜こうとしていた。
ああ、見るな、見ないでくれ。こんな小娘に見透かされてたまるものか。
「もみじ、さびしいの?」
舌っ足らずな声に、脳天を撃ちぬかれる。
市子、あなた酔っ払いすぎですよ、早く寝なさい。とか、冗談よしなさいな。とか、色々言えたはずだったのに。私が選んでしまったのは、
「さびしい、です」
「どーして?」
「いちこがわたしを、おいていくから」
自分でもようやっと気づいた、気づいてしまったものだった。
「いちこはにんげんでしょう?あともうちょっとしたらおとなになって、もうすこししたらおばあさんになって、わたしをおいていってしまうでしょう?わたしのとなりからいなくなってしまうでしょう?」
堰を切ったように流れだしていく言葉。違う、違う、私が市子に言いたかったのはこんなことじゃない。この子に負わせる言葉じゃない。
そう思っていても、言葉は流れていくばかりで、止めるすべが私には分からなかった。
「さびしいです、さびしいんですよいちこ」
「……うーん、じゃあさ、わたしがもういっかいもみじにあいにいく!うまれかわってもみじにあいにいく!」
「は、ぇ……?」
そうだそれがいい!とひとりで盛り上がって私のテンションなどお構いなしに市子は突き進んでいく。
呆然としている私の目の前に小指を立てた左手が突き出されて、理解が追いつかなかった。
「いちこ、これはどういう……」
「だーかーりゃー指切りっ!生まれ変わってもみじに会いに行くにょっ!もみじもあたしに会いに来るにょっ!そしたらさ、あいにいく時間、はんぶんじゃん!」
どんな理論だそれは。突っ込む気力さえ無くした私の左手をぐい、と乱暴な手付きでとられて小指を絡ませられる。
典型的な指切りの形だ。何をしようとしているのか、この少女は。
「ちゃんと歌っちぇよね」
「え、あ」
戸惑う私をよそに市子は左手をゆっくりと上下させて若干呂律が回らなくなっている声で歌い出した。
「ゆーびきーりげーんまーん、」
「…うーそついたらはりせんぼんのーます」
「「ゆびきった」」
歌い終わると同時に、きゃーだかわーだかイマイチ意味の分からない甲高い声をあげて市子が抱きついてきた。
咄嗟に抱きしめるとこれはまた何とも言い難い柔らかい表情をこちらに向けた。ああ、もう、何なんだこの人間は。こんなに容易く人の懐に潜り込みやがって。
「ねーねー、紅葉、これでさみしくないでしょ?」
などと、彼女がのたもうものだから。
じわじわと胸の真ん中が暖かくなって、同時に鼻の奥がツンとしてきた。
「…ありがとう、市子。さびしく、なくなりました」
ああ、この声の震えが彼女に伝わっていないだろうか。どうか、どうか、伝わっていませんように。
「だいすきですよ」
今はただ、この腕の中の温もりを無くさぬように。