多くの人が僕を見ている。
お前のせいだ。 お前は生きてはいけない。
人殺し。
悔いろ。 死ね。 殺してやる。
あらゆる責め苦を受けろ。 腕を切り落とせ。
糞尿を喰らえ。 眼球を捧げろ。 脳髄を晒せ。
血を流せ。 幾度でも死ね。 その魂に呪いあれ。
幾千、幾万の呪いが僕を包み込む。
『御主人様』
片方の眼孔がポッカリと空いている屋敷しもべ妖精が立っていた。
『あなたの眼球を私に下さい。だって、あなたが奪ったのだから』
『坊や』
知らない女性が立っていた。
『愛する人との殺し合いを見せてちょうだい。だって、あなたがやらせたのだから』
『ドラコ・マルフォイ様』
赤い瞳の少女が立っていた。
『あなたの尊厳を捨てて下さい。だって、あなたが捨てさせたのですから』
知らない。僕はやってない。お前達の事など見た事も無い。
消えろ。どっかに行ってしまえ。
『何故、こんな事をしたの?』
知らない老婆が問う。
『どうして、僕は死ななければいけなかったの?』
知らない少年が問う。
『なんで、私に人を殺させたの?』
知らない女性が問う。
やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。
僕は知らない。僕はやってない。僕じゃない。僕は違う。僕は……僕は、
『違うよ。君がやったんだ』
大切な親友が僕の知らない表情を浮かべて言った。
『身勝手な我侭を通して、人々に絶望を与えた。忘れる事なんて許されない』
忘れたわけじゃない。そもそも、知らない事だ。僕には関係の無い事だ。
『苦しむ顔を見たくて拷問に掛けた。人の心を弄び、愉しんだ』
そんな筈がない。苦しむ人がいたら、助けてあげるべきだ。人の心を弄ぶなんて、唾棄すべき事だ。
『どうして、否定するの? いいじゃないか。君は当然の権利を行使しただけだ。強者として、弱者を玩具にする事は罪じゃない』
罪だ。それこそ、糾弾されるべき悪だ。
弱き者は救え。強き者は支えろ。それこそが知恵を持った人類という生物のあるべき生き方だ。
『……そうか。本当の君は以前の君を否定するのか……』
何度も言わせるな。そんな悪党は僕じゃない。
『だけど、彼は確かに君だった。悪魔の種子を植え付けられたとはいえ、世界を地獄に変えた張本人は紛れも無く君なんだ』
巫山戯るな。ならば、何故止めなかったんだ。君なら止められた筈だ。
すぐ傍に居た君なら、僕が悪の道へ逸れたとしても、止められた筈だ。
『止められる筈がない。だって、僕は君だ。君の生きる道が僕の生きる道で、君の選択が僕の選択だ。君が止まらないのに、僕が止まるわけがない。止めるわけもない」
だけど、止めて欲しかった。
僕は……、『ドラコ・マルフォイ』は君に止めてもらいたかった。
だから、君をクラウチの手から救った時、僕は無防備を晒した。
あの時、僕は君に殺されたかった。自分では止められない悪意を君に否定してもらいたかった。
『手遅れだった。僕は既に染められてしまった。僕の魂に根付く悪魔の種子が君の中の種子と呼応し、心に根を張り巡らせていた。だって、君の中には魔王の魂が宿っていた。その傍にいて、僕に何の影響も無かったと思うかい? 言っただろう。僕は君なんだ鏡の向こうの自分に違う事をしろと言っても無意味だろ?』
なら、僕達はどうやったら止まれたんだ?
多くの嘆きを生み出した悪魔に救いはあるのか?
『あるわけがない。いや、あってはならない。僕達は救われてはいけない。ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイの名は永劫忌み名として語られる。その魂を人々は延々と呪い続ける』
君は耐えられるのか?
『耐えられない。耐えられては意味がない。僕達は苦しまなければいけない。いつまでも』
◇
恐ろしい夢を視た。
哀しい夢を観た。
悍ましい夢を見た
「……あれ?」
目を覚ました僕はホグワーツの保健室にいた。
隣のベッドにはハリーの姿もある。
「――――おお、目が覚めたか」
ドキッとした。その声には聞き覚えがあり、二度と聞けない筈の声だった。
「……ダンブル、ドア?」
「いかにも。儂はアルバス・ダンブルドアじゃ」
キラキラとした瞳は僕の全てを見透かしているようだった。
「……僕は死んだ筈だ。ここは……、夢の世界? それとも、死後の世界?」
「どちらも違う。ここは紛れも無く現実の世界じゃ」
「でも、あなたは死んだ筈だ」
「それはお主の夢の世界で起きた事。老い先短い老いぼれじゃが、役目を終えるまで死ぬわけにはいかぬよ」
「……全部、夢だったのか?」
「それも違う。お主が見た夢は現実に起きた出来事じゃ」
起き上がると、体の動きが妙にぎこちない。
窓に視線を向ければ、そこにはホグワーツに入学したばかりの頃の僕がいた。
「何故……」
「フレデリカ・ヴァレンタインが儂の所へやって来た」
「フリッカが……?」
僕が心を弄んでしまった人の一人。彼女は今、どこに?
「彼女はトムがニワトコの杖で創り出した強力な逆転時計を使い、この時間まで戻って来た。そして、儂に未来の出来事をあます事無く教えてくれた」
全てを識ったダンブルドアはドラコとハリーの中から悪魔の種子を取り除いた。
それを可能とする知識をフレデリカが有していたからだ。
彼女は悪魔的な実験を繰り返し、闇の魔術に精通した未来のドラコと常に行動を共にしていた事で多くの知識を身に付けていたらしい。
分霊箱やその破壊の方法。他にもダンブルドアには知り得ない暗黒の法を彼女は彼に提供した。
「クィレル教授に取り憑いておったトムを捕獲する事も出来た。アヤツにはたっぷりと仕置きをしておる。未来の世界で改心出来たのだから、この世界でも必ず改心する事が出来る筈だと信じておるよ」
ダンブルドアは全てを終わらせていた。
もはや、物語のようにハリー・ポッターが英雄としての道を突き進む事も、夢で見た未来のように僕とハリーが悪魔の種子を芽吹かせる事も無い。
「……僕は誰ですか?」
「お主はドラコじゃよ。小心者で、臆病で……そして、仲間思いの心優しい少年じゃ」
「……これが僕の罰ですか」
「どう捉えるかはお主次第じゃよ」
「……では、これは慈悲ですね」
罪を忘れれば、その時こそ僕は……。
「だけど、ハリーの記憶は消してほしい」
「彼は望まぬと思うが?」
「彼が道を踏み外した責任は全て僕にある。彼の罪は全て僕の罪だ。だから――――」
「そして、君の罪は僕の罪でもある」
寝ている筈のハリーが言った。
「……起きてたのかい?」
「君の小鳥のような声のおかげでね。ピーチクパーチク」
「……その捻くれ方は未来のハリーだね」
「酷いな。僕はいつだって素直だよ。素直過ぎて……、君を苦しませた」
悔いるような表情を浮かべるハリーに僕は目を細めた。
「ハリー。僕達の罪は例え過去を改変しても無くならない。むしろ、償う機会さえ無くなったと言える」
「うん」
「君には明るい世界を歩いてもらいたい」
「君の隣以外、僕にとっては暗闇だよ。それに、僕もこの罪の記憶を忘れたくない。いや、忘れてはいけないと思う……。多くの人々に絶望を与えた事を……」
ハリーと僕は同じだ。まるで、鏡合わせのようにそっくりだ。
だから、何を言っても無駄だと分かる。
「ハリー」
「なーに?」
「僕は魔法使いとマグルが共存出来る世界を作りたい」
あの地獄は魔法使いとマグルの世界の間に広がる溝が僕達の悪意によって一気に広げられた事に起因する。
その溝がある限り、地獄が再現される可能性は常にある。なら、僕は……、
「大変な事だと思う。生涯を捧げても無意味に終わるかもしれない。だけど……」
「それは償いとして?」
「……償える事じゃない。ただ、地獄に向かう前に不安の種を取り除きたいだけだよ」
「そっか」
ダンブルドアは何も口を挟まない。
ただ、静かに僕達を見つめている。
「うん。なら、僕も協力するよ。大丈夫さ。僕達が協力し合って、出来ない事なんて何もないさ」
微笑むハリーに僕は小さく頷いた。
「……それが君達の選択ならば、儂は何も言わぬ。若者の未来に光あれ。救われぬ魂などない。如何に邪悪な者でも、悪しき行いに手を染めた者でも、悔いる事を知り、罰を受ける気概があるのなら、必ず救いの光は訪れる」
「簡単に言ってくれますね……」
「言うとも。そうでなければ、彼女が救われない」
「彼女……? そう言えば、フリッカはどこにいるんですか?」
「彼女はいない」
「いない……? どういう意味ですか?」
ダンブルドアは酷く哀しそうな表情を浮かべた。
嫌な予感がする。
「どこにいるんですか!? フリッカは!!」
「彼女は自ら命を断った」
「…………ぁ」
フレデリカはダンブルドアに全てを語り、全てが終わる時を見届けた後、ダンブルドアの隙をつき、隠し持っていた毒を飲んだ。
彼女はドラコ・マルフォイを愛していた。だけど、この世界の僕は彼女のドラコではない。だから、彼女は彼の後を追った。
「……彼女は君に救いを与えにきた。時の迷子になってでも、ドラコ・マルフォイに光り輝く未来を贈りたいと願ったのじゃよ……。そして、彼と結ばれる為に世を去った……」
「……フリッカ」
どうして、僕は気付けなかった?
分かっていた筈だ。彼女が僕というどうしようもない男を愛してくれていた事を。
何故、彼女の愛に応えなかった? 愛を求めておきながら、彼女をどうして拒んだ?
「馬鹿野郎……。馬鹿野郎!!」
エドワード。ダン。フレデリカ。アメリア。アナスタシア。ハリー。父上。母上。
彼らはみんな、僕を愛してくれていた。なのに、僕は悪魔の種子の囁きに耳を貸してしまった。
馬鹿だ……。
求めていたものは初めから僕の手の中にあった。
「彼女は未来の世界の住人じゃ。君とは本質的な意味で出会う筈の無かった存在じゃ」
「でも、フリッカだ!! 僕を愛してくれた女性だ!! なのに、僕は……ッ」
「……ドラコ。彼女がお主に未来のお主の記憶を授けた理由。それが何だか分かるかい?」
「僕に罪を忘れさせない為だ」
「違う。そうではない」
「何が違うと言うんだ!? 他にどんな理由がある!! 彼女は僕を戒めてくれたんだ!!」
「……ドラコよ。彼女は強い女性だった。じゃが、それでも求めてしまった。彼女は己の存在を君に忘れないで欲しかった。愛した事を覚えていて欲しかった。君に記憶を授けた理由はただそれだけじゃよ。彼女が君に苦しんで欲しいなどと思う筈が無かろう。」
願望を押し付けず、彼女の本質を見ろ。
彼女の利己的なまでの愛を見よ。
本当に為すべき事を知れ。
そう、ダンブルドアの目が語りかけてくる。
「お主は不幸になってはならぬ。罪を償うも良い、世界の為に働くのも良い。じゃが、幸せになれ。それが彼女の望みであり、君の使命じゃ」
「……ぁ、ぁぁ……ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
なんて、ひどい話だ。
幸福になど、絶対になってはいけないのに。
心も体もズタボロになって、惨めな最期を遂げるべきなのに。
その僕に幸せになれ? そんな事、許される筈がない。
そんな事……、耐えられない。
「フレデリカの抱く『たった一つの祈り』をお主は叶えてあげねばならん」
ああ、これが罰か……。
フリッカの祈りを否定する事など……そんな事……。
「――――ドラコ!!」
その時、保健室の扉が開いた。
僕の知識よりも少し若い友人達が飛び込んできた。
彼らは僕を心配そうに見つめている。
「ドラコ、大丈夫!? 苦しくない!?」
フリッカは泣きそうな顔で僕を見つめる。
僕が不幸にしてしまった女性。僕を愛してくれた女性。僕を愛してくれている女性。
「フリッカ……」
気付けば、彼女を抱きしめていた。
「ド、ドラコ……?」
戸惑う彼女を気遣う事も出来ない。
最低で、最悪で、愚かで劣悪で……、醜悪だ。
僕は彼女が愛おしい。そんな資格など無い癖に手放せない。離れられない。
多くの人が僕を見ている。
僕に呪いを囁き続けている。
僕が殺した人が僕に笑顔を向け、陽気な挨拶をしてくる度、心が壊れそうになった。
死に逃避したいと思った。だけど、そんな事は許されない。
僕は……。僕は……。
『幸せになって、ドラコ。あなたの幸せは私の幸せ。愛しているわ、ドラコ』
彼女の言葉が僕を生に縛り付ける。
僕は我武者羅に生きた。
ハリーと一緒に魔法使いとマグルの世界を少しだけ近づけた。
フリッカと小さな家庭を築いた。
自分の首を絞め殺したくなる。包丁を腹に突き立てたくなる。
それでも僕は……、
「ドラコ。大好き!」
君の