比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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14. 比企谷八幡は紳士協定を再締結する(下)

 

20:00 pm

俺はスーツを着込み、大志を連れて雪乃の家を訪れた。

以前、奉仕部でエンジェルラダーへ行った時は親父のスーツを拝借したが、今回はスーツもネクタイも全て自前だ。決して高い代物ではないが、丈も幅も自分の体にフィットしてダボつきがないスーツは着ていて気持ちが良いし、それなりに見栄えがする。

 

黒に近い濃い目のグレーのスーツ、金融マンのトレードマークである純白のワイシャツ、控えめな色のタイと、スーツからチラリと見えるタイピン・カフス、鏡のように磨き抜かれた黒の革靴。髪はベタつかない程度の整髪料で軽く額が出るようににクセを付ける。

 

これが社会人比企谷八幡の日常スタイルだ。久々にこの格好をすると、不思議と気合が入った。

雪乃のマンションに着くと、俺はインターフォンを鳴らした。

 

『どうぞ。上がってきて頂戴』

 

雪乃の返事と共に、マンション入り口のドアが自動で開いた。

 

 

「・・・」

 

玄関のドアを開けた雪乃は、驚いたような顔をして、俺の姿を爪先から頭の先まで見回した。

「おい雪ノ下、いきなり無言でどうした?」

「・・・馬子にも衣装とでも言うのかしら。そんなに粧し込んで、何をするつもりなの?」

 

第一声がそれかよ。

「ゆきのん、ヒッキー来たの?・・・って、ほぇ~、ヒッキーカッコイイ・・・」

雪乃の背中から出てきた結衣がそう呟いた。

「なんだ、由比ヶ浜もいたのか。こりゃちょうど良い。俺からの要件は2つだ。1つは、こいつの姉、川崎沙希のバイト先に、今夜奉仕部として話をつけに行くってこと。もう1つは雪ノ下、お前も出資してくれてる、俺たちの運用ファンドの件で相談がしたくってな」

 

そう言うと、俺の横にいた大志は遠慮がちに結衣と雪乃に会釈した。

「・・・いきなりで少し混乱してしまったのだけれど、もう少ししっかり説明してもらえるかしら?」

雪乃の言葉に頷くと、俺は大志と共に雪乃の部屋へと上がった。

そして俺は2人に、沙希の朝帰りの理由に加え、判明したバイト先を伝える。そして、俺が沙希に提案しようと思っている解決方法について、意見を伺うべく話を切り出した。

 

「ただバイト先に乗り込むだけじゃ、嫌がらせと変わらないからな。川崎には俺たちに出来る限りの協力を申し出るつもりだ。まず1つ目、奉仕部として正式にあいつを俺たちの勉強会に誘う。これは下手な学習塾に通うより、学習効果が高いことはここ最近の由比ヶ浜の成果を見ても明らかだ。何より金もかからない」

「・・・反対する理由はないわ。続けて?」

「今言ったやり方で、金を掛けずに受験勉強が出来れば、一時的にあいつの問題は先送りすることができる」

「え?先送りってどういうこと?それで解決出来るんじゃないの?」

「そうだ、あくまでも先送りに過ぎない。経済的な問題ってのは、大学に進学した後も付き纏うもんだからな。普通の高校生には根本的な解決策を示すことなんて不可能なんだよ・・・普通の高校生にはな」

そう繰り返して雪乃を見る。何かに勘付いたような顔で口を開いた。

「それで私にファンド運用の相談ということ?」

「その通りだ、雪ノ下。俺は今のファンド資産のうち20万程度をキャッシュアウトし、個人的に川崎沙希の弟である此奴に融資しようと考えている。一応株主であるお前からは、その承諾を得る必要があると思ってな」

「「「は!?」」」

「ちょっと待って、ヒッキー!ファンドとか、何の話をしてるの?」

「20万も俺に融資するって、どういうことっすか!?」

「学生同士でそんな大金を貸借りするなんて、非常識にも程があるわ!それに何故、川崎さん本人でなく、弟の彼にお金を貸すのかしら?」

返ってくる三者三様のレスポンス。俺は聖徳太子じゃないっての。

「みんな、落ち着いてくれ。まず由比ヶ浜と大志に説明する。俺が株の投資をしてることは知ってるか?」

「・・・う、うん。ヒッキー、学校でも新聞読んだり、よく携帯いじってるもんね」

「その投資についてだが、実は雪ノ下も俺に金を預けてるんだ。その資産が合計すると今、90万円程度ある。その内訳だが、俺の元々の出資が5万、雪ノ下の出資が1万。取り分は5:1で、俺が75万円、雪ノ下が15万円・・・ここまで、大丈夫か?」

「「スゴ!!」」

俺の説明に対し、結衣と大志が声を上げて驚きの反応を見せた。

「っていうか、ゆきのんもお金預けてたなんて、聞いてないよ!あたしも仲間に入れて欲しいし!」

「待ちなさい、比企谷君。その計算はおかしいわ。私がお金を預けた時、すでに貴方の資産は70万円あったのよ。本来、取り分は70:1となるはず。貴方の計算だと、貴方が儲けたお金を、私が何のリスクも取らずに掠め取る形になってしまうわ」

「・・・そうすると、ゆきのんの取り分は12,676円か」

「「計算早っ!!」」

結衣の呟きに、俺と大志は目を丸くした。雪乃もかなり驚いているようだ。その特技は何故数学の成績にほとんど反映されていないのか、不思議で仕方ない。

「・・・まあ、そう拒否するな。出資比率に応じて儲けは按分するって、最初に言っただろう。由比ヶ浜の出資も歓迎する。この特別扱いは奉仕部限定だ。いつか、部活で旅行にでも行きたいしな。そのための資金だと思ってくれ」

「・・・」

雪乃はまだ釈然としないような表情を浮かべているが、結衣の方は目をキラキラさせて俺を見つめている。

「話を元に戻す。俺は今の自分の持分のうち、20万を大志に譲るつもりだ。今後、ファンドで儲けた資金の20/90は、川崎沙希の大学の学費に充てられる事になる。もちろんタダでとは言わん。この元手になる20万は期間15年の融資の形で、将来大志からきっちり耳を揃えて返してもらう。金利はゼロだがな。それから、俺が投資に失敗して元本を割り込んだ時も、返済の対象外にしてやる」

――そんなことはまずありえないけどな

「ちょ、ちょっと待ってください!いきなりそんなこと言われても困るっす!」

「なんだ、さっきは姉のために何でもするって言ったのに、借金を背負うのは嫌か?」

「そうじゃなくて、いくら何でもそんなにしてもらう理由が見あたらないっすよ!」

「・・・お前なら確実に返してくれると思ったから、現時点で自分に使い道のない金を貸して恩を売ろうってだけの話だ。利息は取らんがこれも投資の1つの形さ。それに俺が川崎に直接申し出ても、こんな話、疑われて終わるだけだ。あいつの説得はお前に任せるからな」

「お兄さん・・・」

「ヒッキー、あたしはヒッキーの決めたことだから反対はしないよ。でも1つだけ聞いてもいい?」

「なんだ?」

「その・・・ヒッキーは、川崎さんのことが好きなの?」

 

その場が静まり返った。

結衣の質問は俺が懸念していたことをピンポイントで突くものだった。

雪乃も真剣な目で俺を見ている。大志も俺の姉に対する気持ちが気になるようだ。

「・・・俺にとって、本物と呼べる人間関係が築けると思える人間はこの世に3人だけいる。お前と、雪ノ下と、そして川崎だ・・・詳しいことはいつか必ず説明する。今はこれで納得してもらえないか?」

「・・・うん」

「・・・」

不安でいっぱいと言った感じに強張った結衣の表情は若干緩んだものの、その瞳からは、心が完全には晴れていない事が覗われた。雪乃は相変わらず沈黙を続けている。

「そういう訳だ。大志、今日はお前は家に戻れ。後は俺たちが川崎と会って、奉仕部の勉強会に誘う。それで当面の問題は一先ず解決だ。大学の学費の事は、後々、俺たちが高校を卒業するまでにタイミングを見て川崎に説明すればいい」

「はい」

「それでは、私たちもドレスコードに合わせて着替えるわ。由比ヶ浜さんにもドレスを見繕うから、少しの間だけ待っていてもらえるかしら?」

「了解だ。じゃあ俺は大志を下まで見送って、そのままエントランスで待ってる」

そう言って、俺たちは雪乃の部屋を後にした。

「お兄さん、何から何まで、本当にありがとうございます。何て言ってお礼したら良いか」

帰りのエレベーター、大志は改めて俺に礼を述べた。

「気にするな。今は分からんだろうが、一流の社会人になれば高々20万、一晩の夜遊びで使いきってもおかしくない程度の金額だ。さっきはあいつらの手前、融資なんて言葉を使ったが、別に現金で返さなくても良いんだ。いつか、キャバクラで高い酒でも飲ませてくれ」

というよりも、既に飲ませてもらってるから、これでようやく貸借りが無くなったと言える。

「キャ、キャバクラっすか!?」

「ああ、そうだ。だがその為にはお前にもしっかり勉強して、ちゃんと出世してもらわなけりゃならん。これは単純に金を返すよりも厳しいからな・・・これが男と男の約束、”紳士協定”だ。忘れんなよ」

「は、はいっす!!」

大志は緊張感のある面持ちで返事をすると、勢いよく雪乃のマンションを飛び出していった。これでこいつも高校受験に向けて、必死で勉強するだろう。

☆ ☆ ☆

しばらくすると、ドレスに身を包んだ雪乃と結衣がエントランスへと降りてきた。

やや胸元の開いた赤いドレスを着込んだ結衣と、黒紫のシンプルなドレス姿の雪乃。髪型も、服装に合わせて普段とは違うスタイルにセットしている。過去にも一度見ている筈だが、今の俺の方が2人の魅力をより理解しているためか、意図せずその姿に目を奪われる結果となった。

「えへへ、どうかな?」

「・・・2人とも綺麗だ。こりゃ、安っぽいスーツの俺なんかじゃ、バランスが取れないな」

「そんな事はないわ。さっきは馬子にも衣装なんて言ってしまったけれど・・・比企谷君も・・・その、良く似合っていると思うわ」

照れながらの結衣の問いに対し、正直な感想を述べると、返す言葉で雪乃が俺の見てくれを褒めてくれた。こんな事は過去の記憶を辿っても今日が初めてかもしれない。今の雪乃のセリフは録音しておけば良かったと、後悔するレベルだ。

「そりゃ、光栄だな・・・2人とも、後で写真撮らせてもらっていいか?携帯の待ち受けにするから」

「ヒッキーキモい!」

「やっぱりどんな格好をしてても、貴方は貴方ね、キモ谷君」

「え、そこまで言っちゃう?これ、泣いていいよね、俺?」

先程雪乃の部屋で、結衣の質問に答えてから、何となく俺たちの間に重苦しい雰囲気が漂っていたが、これでようやく皆いつもの調子に戻った。俺たちは3人でやかましく騒ぎながら先のバイト先であるバーへと向かって行った。

☆ ☆ ☆

「いらっしゃいませ・・・って、アンタ何してんの?そんな格好までして」

 

ホテルロイヤルオークラ最上階のバーには、俺たちの思惑通り、バイト中の沙希がいた。幸いにも平日だからか、店内はガラガラで、俺たち以外にほとんど客はいない。

 

俺たちは、沙希が忙しそうに働いていたカウンター席に腰掛けた。

「よ、頑張ってるところ押しかけて悪いな・・・」

「女連れて、冷やかしのつもりかい?・・・注文は?」

沙希はムッとした表情でそう言い放った。

「ちげぇよ・・・取り敢えずビー・・・・じゃなくて、雪ノ下と由比ヶ浜もペリエでいいか?」

危なかった。俺はビールと言いかけたのを誤魔化し、炭酸水を人数分注文した。

「それでいいわ・・・比企谷君、あなたまさか飲酒してるの?まるでサラリーマンのような物言い、呆れるわね」

 

雪乃にはしっかりバレたようだ。だが、サラリーマンで何が悪い?言っておくが、俺は2度目の高校生活で飲酒などしていない。

 

「取り敢えずビールって、言ってみたい年頃なんだよ。察しろ」

「・・・バカじゃないの」

「・・・バカね」

沙希の呟きに雪乃が同調した。お前ら、実は仲良いのか?

 

そんなやり取りをしながらも、沙希はテキパキと注文を準備し、俺たちの前にグラスを並べた。

結衣はグラスに口をつけると、顔をしかめて小声で「うぇぇっ」っと声を漏らす。コーラのように糖分の入っていない炭酸水を初めて飲んだのだろう。

 

「さて、川崎。今日はお前に用があって来た。隠しても仕方ないから言うが、実は大志に頼まれたんだ。お前の帰りが遅すぎて心配だってな」

「平塚先生に言ったのもアンタ達ってこと?・・・アタシのことは関係ないでしょ。もう大志にも関わらないで」

「そういう訳にも行かないわ。この件は私達奉仕部が依頼として引き受けたのよ、川崎さん。あなたが年齢を誤魔化してまで働く理由も聞いているわ。でも・・・」

「なら尚更関わらないで。アタシは遊ぶ金欲しさにバイトしてる、そんじょそこらのバカとは違うの」

 

雪乃の言葉を遮って、そう言った沙希の表情は険しい。

「それも知ってるって。だからちゃんと川崎のために代案を用意したつもりだ。頑張ってるお前には言いづらいが、このままバイトを続けて金が溜まったとしても、今度は勉強時間が確保できずに結局進学は遠のく。お前も薄々分かってんだろ?」

「・・・それは」

沙希はバカじゃない。やはりずっと悩んできたのだろう。俺が改めて突き付けた現実に、顔を曇らせた。

 

「前にも誘っただろ?奉仕部の勉強会。これなら金もかからんし、学力も確実に上がる。俺たちの所に来いよ」

 

「へぇ、前にも誘ったんだ?アタシたち聞いてなかったけど、どういうこと?ヒッキー?」

 

俺の言葉に真っ先に反応したのは、これまで黙っていた結衣だった。俺を責めるような、悲しそうな目が、心に突き刺さる。

 

「ど、どういうことって・・・何でそんな目で俺を見る!?」

「ヒッキーのバカ・・・あのね、川崎さん、ちょっとアタシたち女の子だけで話がしたいの。もう少しだけ時間ちょうだい。お願い!」

「お、おいお前、何勝手に・・・」

「うっさい!ヒッキーはあっち行って!」

そう言って結衣は俺の背中を力一杯押す。

「・・・ここは素直に従ったらどうかしら?私もついているのだし、おかしなことにはならないわよ、きっと。後で電話するから」

「わぁったよ」

雪乃の言葉に頷くと、俺は3人分の飲み物代をテーブルに置き、1人外へと歩いて行った。

☆ ☆ ☆

翌朝、日課通り誰もいない教室で新聞を読んでいると、結衣と沙希が並んで教室へ入ってきた。

結衣は無理やり沙希と腕を組もうとし、それを沙希が迷惑そうに躱しつつも、それなりに楽しげな雰囲気だ。

「お、お前ら。昨日は結局どうなったんだ?雪ノ下の奴も、明日になればわかるとしか言わねえし・・・そもそも川崎は夜勤明けで、こんなに早く登校して大丈夫なのか?」

「ヒッキーおはよ! いや〜サキサキ、今日から改めてよろしくね〜」

「サキサキ言うな!」

俺の言葉を無視するように目前で会話を展開する2人。

 

「おい、昨日・・・」

「ガールズトークに口挟むとか、ヒッキーマジキモい!あり得ない!」

消えそうな声で事実確認を求める俺の声を、結衣は冷たく切り捨てた。何だか俺に対する物言いに、これまであった若干の遠慮というものが一切無くなったような気がする。

「アンタ、朝新聞読んでるって、一応本当だったんだ。これで本当に女子の持ち物にイタズラしてるような変態だったら、入部の話はなかった事にして貰おうと思ってたけど、その心配は無いみたいだね」

「え?入部?勉強会だけじゃなくてか?」

「ま、そう言うことだから、これからよろしく」

「お、おう」

「・・・一応アンタには感謝してるから、そのうちお礼させてもらう。それと、うちの大志がやけにアンタに心酔してるみたいだったけど、アンタ何言ったの?紳士協定がどうのとか言って、何も教えてくれないんだよね」

「あ、ああ。大志が口を割らないなら俺が話す訳にもいかんだろ」

「なら、昨日の女子トークも詮索しないで」

巧く沙希の会話に乗せられて、俺はこれ以上質問することが出来なくなってしまった。

 

雪乃にメールで聞いてみても、返信は猫の絵文字しか送られてこない。女同士で結託されてしまえば、男が入り込むような余地は一切無いのだ。結局、沙希、結衣、雪乃のやり取りは、俺には永久に知ることが叶わないものとなってしまった。

 

かくして、沙希が奉仕部に加わることになった。

 

俺の願望通りと言えば願望通りだが、俺はこの先も3人と上手くやっていけるのだろうか。

喜びと不安が自分の心の中で渦を巻きながら、大きくなっていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 


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