比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

16 / 35
16. 比企谷八幡は未上場企業に投資する(下)

夕刻、俺たちは朝の朝礼と同じく、社員が一同に集まる中で研修報告を開始した。

 

当社は中小と言えど技術系企業、社員はプロジェクターを使用してプレゼンを行う企業カルチャーがあった。俺たちが社長に掛け合って使用許可を求めると、これを快諾してくれたのだ。

薄暗い部屋の中で、葉山が今日学んだことを中心に発表を行っていく。

職員はそれを暖かい目で見守り、発表に耳を傾けた。

「・・・最後になりますが、今日一日、本当にありがとうございました」

報告の締めでスライドに、社員全員と取った集合写真が表示された。

その場に鳴り響く、拍手喝采。

葉山らしさ溢れるプレゼンだった。こういうコミュニケーションを重視したプレゼンは俺にはできない芸当だ。傍らで壁に寄りかかって聞いていた俺も、素直に拍手を送った。

続く戸塚のプレゼンも、葉山に負けない出来栄えだった。

午後の時間、ソフトの使い方に慣れていない戸塚は、俺や葉山に操作方法を聞きながら四苦八苦してスライドを作成していた。

スライドの見栄えは、写真や図を使いこなしていた葉山には劣るものの、感謝の気持ちが十分に伝わる心温まるものだった。

聞けば、二人とも今日出会った職員全員の名前を覚えたそうだ。この辺が、リア充とそうでないものの決定的な差というものだろう。あの頃の俺だったら、二人の上出来すぎる発表を前にして、卑屈になり、斜め上なプレゼンでお茶を濁そうと画策したであろう。

だが、今の俺には俺なりの土俵というものがある。

戸塚が発表を終えると、俺は自分が使っていた端末をプロジェクターに繫げて、深呼吸をした。

 

――さて、ここからはサラリーマン比企谷八幡のターンだ

「では、最後にわたし・・・僕から発表させていただきます」

高校生で一人称が「私」は硬すぎる。かと言って「俺」は不遜だ。普段使わない一人称に違和感を覚えつつ、プレゼン開始を宣言する。

端末を操作すると、スクリーンにスライドの表紙ページが投影された。

【職場体験学習報告 総武高校2年F組 比企谷八幡】

【ベンチャーキャピタルファンドの活用に関する提案】

先程まで、暖かい雰囲気に包まれていた場が、一瞬にして凍りついた。

ざわめき出す職員たち。武智社長も目を丸くしていた。

「どうしよう、葉山君。八幡、また何か斜め上なことを始めちゃったよ・・・」

「あ、ああ・・・様子を見るしかないだろう」

戸塚に、それでも斜め上呼ばわりされ、葉山が無用の心配でオロオロしだしたことに、若干の理不尽さを感じながらも、俺は発表を開始した。

「インパクト狙いでこんなタイトルを付けてしまってすみません。先の二人が、主に工場の技術職の方々の業務を中心に取り上げていたので、僕は会社のもう1つの屋台骨である、財務の方にフォーカスして発表させていただきます」

そう言うと、午前中にお世話になった経理チームの面々が少しだけ嬉しそうな顔をした。

「まず、今日の研修で教えてもらった、御社の経理上の課題についてまとめます」

そう言いながらスライドを操作すると、当社の売上、仕入コスト、債務、経費のやり繰りについて示したグラフと、短めの説明書きが表示された。続いて、それらの問題に対し、現状取られている対応策が挿入された。固定された売上については製品開発と新規販売先開拓、変動する仕入コストについては条件改善のための営業、と言った具合だ。

「今朝、武智社長が、銀行からの追加借り入れは難しいとお話をされたのが、僕には印象に残りました。なんせ、製品開発にはコストがかかる。一方で、このまま売上を伸ばさなければ、他の問題も何とか凌いで行くのがやっとの状況です。今の状況を脱するには、やはりどうしても、まとまった資金が必要だというのが僕の見解です。借入が増やせないのであれば、八方塞がりと言ってもいいい」

従業員全員が静まり返った。俺の言葉は皆に問題点を改めて認識させるに足りたようだ。

「そこで、今日は提案させていただきたいと思います」

流れに乗るような形で次のスライドを展開する。ベンチャーキャピタルファンドとは、と書かれた表題の下に特徴が表示されていく。

「ベンチャーキャピタルファンドとは、未上場の企業に投資を行い、業績を改善させて企業価値を高めて株を売却する、といったビジネスを行う人たちです。ベンチャーキャピタルの頭文字を取ってVCファンドとも呼ばれます。似たような投資を行うファンドについて、バイアウトファンドや事業再生ファンド等と呼ばれるものもありますが、VCファンドは成長が見込まれる若い企業を投資対象としていることから区別されています」

技術職の職員を含め、全員がスライドに釘付けになっていた。会社の問題点を全員で共有してから話し出したことが奏功しているのだろう。

「海外に比べて、日本は銀行融資偏重の経済構造をしているせいか、一般の日本人にとってファンドビジネスと言うものは、なじみの薄いものです。”ファンド”と聞いてまず思い浮かぶのはこのようなイメージが大半かと思われます」

俺の言葉に続くように、スライドにはハゲタカの写真や、いかにも性格が悪そうな成金のイラストが挿入される。それを見て、全員が少しだけ笑った。

「ですが、彼らのビジネスモデルを正しく知れば、企業にとってチャンスにもなります。彼らは、金を貸すのではなく企業に直接出資を行います。簡単に言うと、金を出して株を買うわけです。銀行は業績が悪化すれば融資を打ち切りますが、彼らは株主なので、ある意味では会社の業績と運命を共にします」

再び静まり返った。誰かがゴクリと、唾を飲み込む音が響いた。

「国内におけるファンドの活用事例として有名なのは、我らが千葉県の誇るファミレスチェーン、サイゼ・・・のライバルチェーンであるガ○トを運営する企業が挙げられます。当社は上場企業でしたが、業績が悪化した際に、ファンドによりバイアウトされ、非公開企業となり、経営改革が進められました」

「ちょ、ちょっと待ってね比企谷君、私もそのニュースは昔テレビの特集で見て知ってるけど、改革って社長が更迭されたり、リストラ進めたり、やっぱり良い印象がないんだけど・・・」

経理の女性の発言に、従業員騒然となった。武智社長も心中穏やかではなさそうだ。

「おっしゃる通りです。ですが、この事例は、冒頭で申し上げたバイアウトファンド・事業再生ファンドの投資です。彼らは経営が傾いた企業の株を安値で買い取って、完全なコントロール下に置き、時に厳しい選択をしながら会社を立て直すことで儲けを手にします。今回紹介するベンチャーキャピタルファンドはこれとは異なる投資コンセプトを有しています」

「・・・どういうこと?」

経理の女性が再び疑問符を浮かべた。

「先ほど少し述べましたが、ベンチャーキャピタルファンドは成長が見込めそうな企業の株を買い、その成長支援を通じて株の価値を高めます。テクノロジー業界で言えば、商用化の潜在性がある特許を持っている企業であったり、優秀な指導者の下で立ち上げられた有望な事業に投資します。今、技術チームの皆さんが開発する新技術が市場の開拓に成功すれば、総武光学は大きく成長するでしょう。その可能性が認められれば、彼らは投資を実行し、市場開拓、技術開発、法律関係、財務関係とあらゆる活動をサポートします。企業の上場支援もその範疇です。上場すれば、彼らも公開市場で株を売却出来ますからね」

今度は先ほどとは違う雰囲気で場がざわめき出した。中小企業にとって”上場”の二文字は神聖なまでの輝きを持つ、1つの目標なのだ。このタイミングで俺は畳み掛けに入る。

「特に海外の市場に攻勢をかけたいと考える企業にとって、彼らは心強い味方になるでしょう。グローバルに投資を行っているファンドは、世界中の様々な企業とリレーションがあり、経験も豊富です。海外市場についても熟知している。その知見が借りられるわけです」

「・・・本当にそんなおいしい話があるのか」

誰かが疑うようにそう呟いた。それに答えるように俺は説明を重ねる。

「彼らがどうやって儲けているのか、正しく理解することが重要です。ファンドの人員は、証券マンや会計士のように金融に特化した人材に加え、コンサル、実業経験者、専門技術職と、あらゆる分野のプロで構成されています。彼らは互いに協力し、血眼になって企業を成長させようとします。それが彼らの食扶持になるからです。金は嘘をつきません。企業にとっては、ある意味、口だけ煩い金貸よりもずっと有難いパートナーになるんじゃないでしょうか」

わざとらしく銀行を扱き下ろしながら周りを見渡した。

武智社長以下、皆が真剣な目で俺を見ている。

俺はスライドの最終ページを表示し、言葉を切り出した。

「スライドの最後には、有力なファンドを見極めるポイント、ファンドの出資を受入れる際に気をつけるべき点、ファンドとの交渉において知っておくべき金融知識等をまとめてあります。長くなってしまったので、発表はこれで終わりますが、ご興味があれば資料に目を通していただければ幸いです。ご清聴ありがとうございました」

そう言って俺は自らのプレゼンを締めくくった。

☆ ☆ ☆

翌日の昼休み、俺は奉仕部の部室で雪乃、結衣、沙希と4人で昼食を取っていた。

結衣が沙希の歓迎会をやろうと提案し、それなりに盛り上がっていた所、乱暴にドアを開けて平塚先生が部室へ入ってきた。

「比企谷、貴様一体昨日の職場見学で何をした?」

「なんすか、いきなり。何をしたって、別に問題になるようなことは何も・・・」

先生の剣幕に若干ビビりながら、そう言い返す

「トラブル谷君、正直に言いなさい」

「あ〜ヒッキー、なんかしたんだ。表情が怪しい」

「アンタ、何きょどってるの?」

3者が結託して俺を責めるような視線を投げてくる。

「何もしてないわけないだろう。お前の見学先の社長が、名指しで比企谷に合わせろと、わざわざ学校まで来たんだぞ」

確かに葉山や戸塚のプレゼンと違い、俺の発表後は皆黙り込んでしまった。

会社の経営方針に口を挟むような差し出がましい奴だと、反感を買ってしまったのだろうか。不安に駆られて、背中を冷や汗が伝う。

「いや、俺は会社の問題を指摘して、ファンドの出資を受けたらいいんじゃないかって、提案しただけですよ!生意気に思われた可能性があっても、流石に怒られる程の事じゃないと思うんですけど・・・」

「・・・バカじゃないの」

「・・・バカね」

おい、沙希に雪乃、お前らが仲良しなのはよく分かったから、二人して俺をディスるな。

っていうか、このやりとりには凄まじい既視感を感じる。

「とにかく、社長が待ってる。早く来い」

そうして俺は、平塚先生に連行される形で、職員室に併設された応接室に赴いた。

応接室に入ると、武智社長が血相を変えて飛びついてきた。

「比企谷君!急に学校まで押しかけてしまって、大変申し訳ない!昨日のプレゼンを聞いて、自分でも色々調べてみたんだが、我々も金融については知識が足りなくてね。是非比企谷君に力を貸してもらえないかと思って、居ても立っても居られなくなってしまったんだ。バイト代も出すから、君の時間をもらえないだろうか?」

「ま、待ってください、1つ確認したいんですが、彼は昨日何か問題を起したわけじゃないんですね?」

平塚先生が武智社長の言葉を遮ってそう質問した。

「とんでもない!彼はうちの会社の救世主のようなものです!むしろアポイントメントも無しに学校まで来てしまった私の方が非常識と言われてもおかしくありません」

「それを聞いて安心しました・・・信じていたぞ、比企谷」

そう言う先生の目は泳いでいる。

「その嘘、見え透いてるにも程があるでしょ・・・」

俺は恩師を軽く睨んだ。

「ま、まぁ、そういうことなら私はこれで失礼します。生徒の自主性を尊重してますので。ハハ」

「・・・先生、俺今日、ラーメン食べたいです。そうだ、奉仕部で川崎の歓迎会をやるって言ってたんで、それで手を打ちますよ」

早々に切り上げようとした平塚先生に、傷付いた俺の心に対する補償を求めた。

「ちっ、仕方あるまい・・・では武智社長、私は先に失礼します。午後の授業には割り込まないようにご配慮いただければ幸いです」

そう言い残して、平塚先生は応接室を後にした。先生がいなくなったことを確認して、俺は話を切り出した。

「武智社長、俺にできることがあるのなら、何でもお手伝いさせてもらいます。でも、どうしてただの高校生の俺なんかを信用してくれるんですか?」

「君がただの高校生だというのなら、社会はゆとり教育の成果を見直さなきゃいかんだろうねぇ。君が特別なのはあの場にいた皆が理解したと思うよ。もちろん、葉山君や戸塚君も真面目で素晴らしい生徒だ。だが君には大人でも持っていない知識がある。私は君を尊敬しているんだ」

「そんな、大袈裟ですよ」

「バイト代、いや、コンサルティングの報酬も、ちゃんと業界のスタンダードと同じ水準で支払わせてもらう。実は今朝コンサル会社に少しだけ相談して見積もりを取ったんだがね。正直、提示された金額に最初は目玉が飛び出るかと思ったよ。でも、彼らと話す中で気がついたんだ。比企谷君が昨日残してくれた資料は、彼らの話に全く劣らない内容だった。君の知識にはその位の価値があるということだ」

この人は、人間の持つ能力を、外見や先入観に捉われずに判断する目を持っている。自分の知識を褒められて、天狗になった訳ではないが、俺にも金融のプロとしての自負がある。武智社長は半日のうちに、その情報の持つ価値に気がついたのだ。

だが、高校生に頭まで下げた上で、プロと同額の報酬を約束する社長が、世の中に何人いるだろうか。

「武智社長、流石にそんな高額な報酬を貰うわけにはいきません。でも、1つだけお願いを検討していただけますか?」

「え?何だい?」

一介の高校生が、数百万の金を手にする機会を蹴ったことに意外感を隠しきれないと言った表情で俺に質問をする。

これは俺にとって、大きなチャンスだ。コンサル報酬が鼻クソに思えるくらいの成功を手にする機会が転がり込んできたと言ってもいい。

「総武光学の株式を、何パーセントか俺に売ってください」

一呼吸置いて、俺はゆっくりとそう言った。

「・・・ハハハ、こりゃ驚いた。経営がジリ貧になりかけてる未上場の中小企業の株を欲しがるなんて、君は変わってるね」

俺にはこの会社の未来が見えている。だが、歴史は少しずつ変わるものだということを、沙希の入部で俺は実感した。俺が持っていたのが過去に蓄積した知識だけだったら、こんな荒唐無稽な提案をすることは無かっただろう。何せ、未上場企業の株だ。万が一、問題が起こってもそう簡単に売却する事など出来ないのだから。

だが、俺は総武光学の従業員と、武智社長の人柄に触れて、この会社が成功することを確信した。沙希の学費の件で一定の流動性を確保する必要が無ければ、今直ぐに株式投資口座を解約して、全額突っ込んでも良いと思えるくらいに、俺の心は動かされた。

「武智社長が言った、”世界を変える”っていう言葉、俺、好きなんですよ」

「言葉が好きって・・・それだけの理由でかい?」

「もちろん、その言葉を発した人を見ての判断ですよ。俺は製品で世界を変えるっていう”武智社長の言葉に”共感したんです。でも、生意気を言うと、製品は存在するだけじゃ世界を動かせない。それを普及させるための仕組みや金が必要なんです」

「君の言う通りだよ。私に足りない物が君にはしっかりと見えてるんだね。やっぱり自分の目に狂いは無かった」

「・・・Same boatって言葉があります。同じ船に乗る、カッコつけて訳すと、運命を共にするって意味です。俺も武智社長の船に乗せてください。全力で漕ぎますよ」

俺の言葉に、武智社長は目に軽く涙を浮かべ、立ち上がる。そして無言で俺の手を取り、力強く頷いた。

☆ ☆ ☆

 

「で、高校生が僕に何の用だい?こう見えて僕は忙しいんだ。用件は手短に頼む」

「急に押しかけてしまって済みません。改めまして、総武高校2年の比企谷といいます」

俺は今、かつての上司である男、宮田さんの前に立っていた。

目の前にいるこの人物は俺の知る宮田さんと比べ、確かに若い外見をしている。だが彼の持つ独特な空気のせいか、こうしてみると30-40代の姿とあまり変わりなく、俺は今日、一目見ただけで彼と認識することが出来た。むしろ30-40代の宮田さんの外見の若さが異常なのだと、改めて気付いた。

武智社長との面談から数日後、俺は平塚先生にもらった名刺に書かれた、宮田さんの連絡先に電話した。

初めは相手にされないことも覚悟の上だったが、なぜかすんなりアポが取れ、こうしてオフィス街のカフェで再開するに至ったのだ。過去に俺がこの人に採用された時のように、ボッチ同士、何か惹かれあうものがあるのかもしれない。

「お忙しい中、時間を割いて頂いてありがとうございます。実は、宮田さんの連絡先は平塚先生にご紹介頂きました」

「やっぱりあの変な女教師の教え子か・・・最近付きまとわれて迷惑してるんだ。君からも何とか言ってくれ」

「ぜ、善処します」

沙希の一件の際に目にした平塚先生の行動は、やはり氷山の一角だったようだ。

目が腐っているとは言え、宮田さんも億単位の給料を稼ぐ外資投資銀行の職員。加えて、顔も悪くないし、多少クセがあっても性格が悪いわけではない。狙い目としては悪くないだろう。しかし、アラサー故の焦りのためか、空回りしている印象が否めない。

「・・・早速ですが、今日の本題に入ります」

俺は一旦、平塚先生に関する話題からは離れ、宮田さんに今日の面談の目的を伝えた。

総武光学への出資検討をしてくれそうなベンチャーキャピタルファンドを紹介してほしいという依頼だ。

宮田さんはトレーダーだが、投資銀行には様々なセクションがある。ウチの会社にもファンド運用専門の部門がある他、社外に有するリレーションも豊富だ。

俺は手始めに、自分が作った総武光学の紹介資料を使って、企業の紹介を行った。ここ数日間、授業後に総武光学に通いつめ、職員の話を聞きながら作ったものだ。

「・・・ふぅん、中々面白いじゃないか。資料の出来も大したものだ。今年入ってきたウチの新人よりよっぽどマシ・・・というか、僕の資料作りのノウハウに近いものを持ってるな」

——そりゃそうだろう。何たって、全部アンタが仕込んでくれたものだからな。

「・・・で、このページ、株主構成に君の名前が載っているが、これは本当なのか?」

俺は武智社長から総武光学の株式の5%を譲り受けていた。

総武光学の株式を取得するために俺が投資口座から引き出した金は50万円。残りは沙希のために必要な時に金に換えられるように、引き続き上場株で運用することにした。

俺は武智社長が5%も株を割り当ててくれたことに驚いた。当社の登録資本金はちょうど1,000万円だが、これはこれまでの事業運営による利益の留保が一切乗っていない価格だ。加えて、今後当社が成長していく可能性を考えれば、破格の扱いだった。

「はい、俺はこの会社の少数株主です。譲り受けたばっかりですけど」

「・・・それで、ベンチャーキャピタルファンドにその株を売る気なのか?」

「いいえ、この会社が上場するまでは持ち続けるつもりです。ファンドに期待するのは、設備投資のための出資金と、市場開拓・上場のサポートと言ったところです」

「なるほど。君は変な薬か何かで高校生に戻った同業者か?今日日、高校生トレーダー程度なら掃いて捨てるほどいるが、非公開株を狙うとはな。よくもまぁこんな事を思いつく・・・」

普段淀んでいる宮田さんの目が光るのを感じ、冷や汗をかく。

この人、やっぱり鋭いな。実はあなたの腹心の部下でした、とでも試しに言ってみたくなる。もしかすると、普通に信じてくれるかもしれない。

「宮田、お前、こんな所で何油売ってんだよ?トップトレーダーの余裕って奴か?」

俺の思考は突然カフェに入ってきた男の声に遮られた。

「槇村・・・カフェで出くわして、僕だけがサボってるような言い方は止めてもらいたいな」

——槇村さんじゃねぇか!って、ずいぶん雰囲気チャラいな、おい!

声をかけてきたのは、俺のもう一人の上司である槇村さん、その人だった。

だが、その風貌は俺が知る15年後の姿と大きく異なっており、とてもではないが金融マンには見えなかった。アパレルとか、広告代理店の職員かと思える程だ。チャラリーマン、という単語が頭をかすめる。宮田さんとは対照的だ。

「おい、このガキはなんだ?目つきがお前そっくりじゃねぇか。親戚か?」

アイスコーヒーを手にしながら、槇村さんは俺たちが座る席へやってきて、当然のように俺の横に腰掛けた。

「本当に何にでも首を突っ込んでくる奴だな・・・こいつは僕の親戚じゃない。例の女教師の教え子で、僕に投資の相談があって千葉からやってきたんだ」

鬱陶しそうな顔をしながらも、宮田さんは簡単に俺を紹介した。

「へぇ、あの美人教師の生徒ね。何だよ、迷惑ぶっといて、実は結構関係が進んでんじゃないのか?」

槇村さんは、”投資の相談”には一切興味を示さず、平塚先生の話題に食いついた。

しかし、槇村さんまで平塚先生のことを知っているのか。まぁ、何だかんだ言って、いつもこの二人は一緒にいるからな。

「そんな訳ないだろう。そっちの話題はこの学生にも釘を刺した所だ」

「とか何とか言っちゃって、あの教師と知り合ってから、新しいネクタイ買ったり、伊達眼鏡かけたり、オシャレに気を使ってんじゃねぇかよ」

「え、マジっすか!?」

俺は意外な情報に衝撃を受け、思わずそう声に出しながら、宮田さんを見た。

「ふざけるなよ。ネクタイはお前が居酒屋で酒を溢してダメにしたからだ。メガネはブルーライトカットで、業務時間中しか掛けてない」

宮田さんは慌てる様子もなくそう切り返した。

「今更腐った目をケアしても遅いんじゃねぇの?・・・個人的にはあのセンセ、お前に合ってると思うんだがな。悪い女には見えんぞ」

槇村さんは、宮田さんをからかいつつも、孤独な変わり者の友人を心配するような声でそう言った。これは槇村さんのホンネだろう。そして、改めて槇村さんの人を見る目の正確さにも驚いた。

「余計な御世話だ。そんなことよりこの高校生、中々面白いぞ。お前が気に入りそうなタイプだ」

そう言って、宮田さんは槇村さんの意識を俺に向けさせた。

「へぇ?そういや投資の相談って言ったな?今流行りの高校生トレーダーとかか?・・・いいかボウズ、このオジさんに”値上がりそうな株を教えて下さい”なんて聞いても無駄だからな。下手すりゃわざと暴落するクズ株を掴まされるぞ」

——アンタ、自分の右腕とまで呼んだ男をバカにしすぎだろ

プロのトレーダーにオススメ銘柄を聞くなんて、下手すりゃインサイダーじゃねぇか

「僕がそんなバカを相手にするはずがないだろう。こいつは、こう見えて未上場株のオーナーだ。そして僕にベンチャーキャピタルファンドを紹介して欲しいと言ってきた。ベンチャーキャピタルがどんな運用をするのか知った上で、それを利用してバリューを引き上げようと企んでな」

「ハッ、マジかよ!」

槇村さんが興奮した面持ちで俺を見回した。そして、テーブルに置かれた総武光学の資料に気付くと、それをひったくるように手に取り、内容を確認していく。

そして資料を読み終わると、ゆっくりと質問した。

「この5%株を持ってる比企谷ってのがお前か?」

「はい」

「何でこの会社の株を買った?」

槇村さんの眼光は鋭さを増す。

「・・・学校行事の職場見学がきっかけです。社員や社長を見て、この人達なら必ず事業を成功させられると確信したから投資しました」

——人を見て投資する。これもアンタに教わったことですよね、槇村さん

俺がそう言うと、槇村さんは笑みを浮かべて俺に資料を返した。

「よし比企谷、この件は俺が必ず何とかしてやる・・・所でお前、プロジェクト投資に興味ないか?将来うちの会社に来い。俺はその頃までにMD(マネージングディレクター)まで上り詰める。俺の部下として働く気はないか?」

「ちょっと待て、槇村。これは僕への依頼だ。それに勝手に勧誘するな。こいつは僕が先に見つけたんだ」

宮田さんはそう言って、槇村さんに抗議した。

いつだったか、俺が槇村さんのいる部署へ引き抜かれた日のことを思い出させる光景だった。やはりどこまで行っても、二人は俺の尊敬する師だ。柄にもなく嬉し涙が出そうになるのを俺は必死で抑えた。

 

☆ ☆ ☆

 

「はぁぁぁぁ、今日は久々に緊張したよ。でも二人のお陰で本当に助かった。比企谷君、雪ノ下さん、どうもありがとう」

会議終了後、緊張の糸を切らせた武智社長は大きなため息をついてから、俺たちに礼を述べた。

今日の会議――それは宮田さん・槇村さんから紹介を受けた、ベンチャーキャピタルファンドのマネージャーとの面談であり、ファンドから総武工学に対する出資条件を固めるための重要な交渉の場でもあった。

我々の目的はただ一つ。総武工学の株を高く評価してもらい、1円でも多くの出資金を引き出すという点だ。

その点に鑑みれば、俺が企業価値評価の手法を熟知し、彼らのビジネス・投資目的を的確に把握してたことで、此方が一方的に不利な条件を飲まされることもなく、交渉は極めて順調に進んだ。

また、想定外に大きな収穫となったのは、4人の外国人のうち、1名が技術畑の専門職員であり、武智社長との会話が大いに盛り上がった事だ。これは彼らが総武光学の技術力や社長の力を適切に評価するきっかけとなり、テーブルは化かし合い・誤魔化し合いの場にならず、互いに建設的なディスカッションを重ねる事が出来た。

「じゃあ私は先に千葉に帰るよ。早く会社のみんなにも報告したいしね。君たちもあまり遅くならないように、気を付けてね」

武智社長はそう言って、一足先に千葉へと帰って行った。

俺達もオフィス街に長居する理由は無いが、今日は休校日だ。折角なので雪乃をデートに誘ってみると、意外にもあっさりokしてくれた。俺たちは、都内の街中を再びフラフラと歩き出し、手近にあった公園で一旦休憩することとした。

「お疲れさん、雪ノ下。今日は来てもらって正解だった。流石に技術関係の専門用語は俺には通訳なんてできないからな」

「確かに疲れたわ。金融用語も、技術用語も、私にしてみれば同じ・・・両方馴染みなんて無いのだから」

「それをこなしちまったんだから、やっぱ流石だよ」

そんな会話を交わしながら、俺たちは並んで公園のベンチに腰掛けた。

「ありがとう・・・とは言え、こんな話をまとめてしまう貴方の方がよほど凄いわよ」

「俺が頑張れたのは、お前が横にいたからだ。今回はいいとこ見せたくて、ちょっと短期間で無茶しすぎたかもな」

「・・・相変わらず上手ね」

別に大袈裟な話をしたわけでも、心にもない事を口にした訳でもないのだが、雪乃にはお世辞に聞こえたようだ。雪乃は軽く受け流すように笑いながらそう言った。

「・・・この間、川崎さんのバイト先に行く前にあなたが言った言葉の意味、ずっと考えてたわ。本物と呼べる関係・・・よく分からないけれど、あなたは私のことが好き、と理解してもいいの?少なくとも由比ヶ浜さんや、川崎さんと同じくらいには・・・」

今度は声のトーンを変えてそう言いだす。

「・・・ああ、それは間違い無い」

どう答えるべきか、一瞬戸惑ったが、嘘を吐いても仕方ないのだ。

俺は正直に頷いた。

「酷い男ね。三股のクズ谷君」

雪乃はそう言って少しだけ笑うと、隣に座る俺の肩に頭を預け、目を瞑った。

「お、おい、雪ノ下」

「好きなら、このくらいされてもいいでしょう・・・あなたの横でなら、私もきっと安心して休めるわ」

大きな仕事をやり遂げた安堵感と、夕焼けの中で表情が見えにくくなっているせいで、お互いに少しだけ大胆になっているのかもしれない。

俺は雪乃の手を恐る恐る取り、軽く握った。手に触れた瞬間、雪乃の身体は強張ったが、雪乃も俺の手を握り返した。

指を絡めあうと、自分の心拍が急速に高まっていくのを感じた。

「・・・私もあなたのこと・・・嫌いでは無いわ」

「え、この雰囲気まで来てそのレベル?」

「あら?貴方が、私たち3人と泥沼の関係を築くことを所望しているとは意外ね」

雪乃の呟きに少しだけ抗議するように、残念な気持ちを表現すると、雪乃は意地悪にそう言い返した。

「・・・俺が悪かったよ」

嫌な汗をかきながら謝罪の言葉を述べる。

「ふふ、今日のことは特に由比ヶ浜さんには絶対に言えないわね」

そう言って微笑む雪乃の顔は、どこまでも綺麗だった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。