比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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21. 比企谷八幡は二度失う

 

「葉山か?連絡が遅くなっちまって悪ぃ。さっき由比ヶ浜に住所と連絡先を聞いてな。散歩がてら、借りてた服を返しに行こうと思ってんだが、今家にいるか?」

真夏のうだるような暑さの中、俺はリュックを背負い、片手で小型犬の手綱を引きながら葉山隼人へ電話をかけていた。

小型犬とは、先日、結衣から預かったサブレのことだ。

「ああ、今日は家にいるよ」

本来であれば確認してから服をリュックに詰めれば良かったのだが、自室のエアコンが故障したせいで、暑さの中、まともな思考能力が奪われていたらしく、葉山の連絡先も住所も知らなかった事に出かけてから気付いた次第だ。家族旅行中の結衣にメールで葉山の連絡先を尋ねたところ、一瞬で返事が来たのは幸いだった。

「そうか。実はもう近くにいるんだ。着いたらチャイム鳴らすぞ」

「了解、待ってるよ」

訪問のアポを取り付けて電話を切ると、勢い良くリーシュが引っ張られ、思わず前のめりになった。

「キャン!」

――暑ぃのにやたら元気だな、サブレ…

そんな考えが浮かび辟易とする俺を尻目に、サブレは止まってはいられないとばかりに走り出す。

「おい、引っ張んな!」

俺は半ば、サブレに引き摺られるように葉山の家へと向かった。

「住所は…この辺で良いはずだが…ひょっとしてこの豪邸か?」

日本では住所から建物の場所を特定するのが本当に難しい。海外なら小さな道でも名前がついており、交差点には大抵道路名の表記がある。そしてその通りに所在する建築物には番号が振られており、民家にもその表記があったりする。従って住所も○○通り××番と非常にシンプルかつ明快だ。

日本の場合、電柱に掲げられる番地を頼りに住所を特定するのだろうが、携帯のGPSのない時代であったら俺は永久に葉山の家にはたどり着けなかっただろう。

年を食うと、こういったどうでもいいことに一々文句を言いたくなってしまう。

俺がようやくたどり着いた場所に建つ一軒の民家、門にはアルファベットでHayamaと書かれた表札が掛かっていた。

――ずいぶん立派な家じゃねぇか。いつの時代も弁護士ってのは儲かるもんなんだな。

そんな俗物的な考えを浮かべながらベルを鳴らす。

程なくしてTシャツ、短パン姿の葉山が出てきた。

「わざわざ悪いね。暑かっただろ?中に入ったらどうだい?」

「いや、遠慮させてもらうわ。今、由比ヶ浜の犬を預かっててな。ちょうど散歩中なんだ。家が汚れちまうからこのまま行く」

リュックから借りていた服を取り出して葉山に渡しながらそう答えた。

結衣は家族旅行で一週間不在にするらしい。だが生憎、ペットホテルは満室。雪乃のマンションも、沙希の団地も基本的にペット禁止とのことで、俺にお鉢が回ってきたのは基本的に前回と同じだ。

「ペットなら問題ないよ。今もちょうど親戚の犬を預かってるんだ。さ、上がってよ」

葉山は遠慮した俺に対し、半ば強引に家へ上がることを促してきた。

「…なんか、急に押しかけたのに悪りぃな」

ここまで言われれば、断る方が難しい。俺は少しばかり葉山の家へお邪魔することにした。

どうやら葉山の自宅は両親の仕事場も兼ねているようだ。

広々としたリビングには、本棚がずらりと並び、法律書が所狭しと並んでいた。

両親は書斎で仕事中か、はたまた外出しているのか、とにかく葉山以外の人の気配はない。

「親は留守なのか?」

家にお邪魔して最初に浮かんだどうでもいい疑問をぶつける。

と、同時に葉山が親戚から預かったという犬が元気よく飛びついてきた。

サブレの首輪から手綱を外してやると、二匹は楽しそうに戯れだした。

「仕事で自宅とは別の事務所の方へ行ってるよ…麦茶でいいかい?」

気を利かせて葉山がキッチンから飲み物を運んできた。

ガラスのコップには細かい水滴がついており、よく冷えてるであろうことが伺われる。

「サンキュー…ぷはぁ、うめぇな…鶴見の様子、あれからなんか聞いてるか?」

麦茶に口をつけて、最近気になっていることを葉山に尋ねた。

「優美子と姫菜からちょくちょくね。留美ちゃんもテニスクラブ、通い出したらしいよ。…姫菜の特殊な趣味については良く分からないけど、彼女もクラスの女子と仲良くなるためのツールとして理解は示してるらしい」

「ハハ、そうか。そいつは結構」

"海老名さんの特殊な趣味"と聞き、乾いた笑いが漏れる。

「…川崎も鶴見本人とたまに会ってるみたいだ。色々と世渡りの方法を教えてやってるうちに、懐かれたらしいぞ」

大した情報はないが、こちらも知っていることについて現状報告を行った。

「そうか。このまま上手く行ってくれると良いな」

「だな…夏休みが明けてからがあいつにとっての本当の正念場だからな」

「今は準備期間ってことか。俺たちも何かできることがあれば積極的に手を貸してやりたいな」

「そうだな。今度女子連中に手伝えることがないか聞いてみるか…っておい、サブレこら!何やってんだ!」

ついさっきまで走り回っていた2匹の犬の様子を横目でちらりと見ると、サブレが葉山家で預かっている犬に馬乗りになり、腰をカクカクと振っていた。

――クソ暑い中、盛ってんじゃねぇよ…

結衣が見たら卒倒しそうな光景にため息をついた。

葉山も苦笑いを浮かべている。

「悪いな、葉山。コイツ、まだまだ元気が有り余ってるみたいだ。もうちょい散歩させないとダメっぽいから、やっぱりそろそろ行くわ…」

「ハハ、そうみたいだね…」

「ったく、由比ヶ浜の奴、もっとちゃんと躾けろっての」

「これは結衣には伝えられないね」

そんな会話を交わしながら、サブレを強引に引き剥がし、首輪にリーシュを取り付ける。

その作業中、大型のテレビの横に置かれたA4サイズのクリアファイルが目に留まった。

『海外投資にかかるオフショアビークル設立と節税スキーム』

表紙にはデカデカとそう書かれていた。

情報セキュリティ管理は企業の基本なんだが、そこは個人経営事務所だからなのか。

そういえば、葉山家は雪乃の実家の顧問弁護士だって話を聞いたことがある。ひょっとして、これは雪ノ下建設絡みの資料なんじゃないか?

いや、だとしたら、未上場の建設会社が海外投資のビークル設立って、どういうことだ?

葉山がいなければ今すぐに中身を確認したいところではあるが、流石にそんな不躾なマネはできない。

だがこれも雪乃家の謎に関する一つの手がかりになるかもしれない。

「…じゃあ、邪魔したな」

「またいつでも来てよ」

この件は心に留めておくことにして、俺は葉山の実家を後にした。

☆ ☆ ☆

後日、俺は学習塾の教室で沙希、雪乃とやや遅めの昼食を取っていた。

学習塾へは親に半ば無理やり入れられたのだが、俺は夏休み中も二人と顔を合わせられるこの場を意外にも気に入っていた。

「あんた、夏期講習真剣に受ける気あんの?」

途中、ピタッと箸を止めて沙希が俺にそう話しかけた。

「え?」

「なんか、授業中ずっと上の空じゃない」

そりゃそうだ。俺にとっては二人と会う以外、殆どインセンティブがないのだ。

授業中は学校同様、携帯を片手にニュースチェックと株式投資に励むか、雪乃や沙希を眺めて過ごしていた。

「あなたが授業を聞かずにやっている内職?、もいただけないわね」

雪乃がその話題に乗っかって俺に苦言を呈した。

「…まぁ、俺には元々、勉強のために塾なんか通う意味がないしな」

「じゃあ何しに来ているのかしら。時間は有限なのよ?」

「そりゃ、お前、あれだよ…」

――お前らとこうやって会いたいがため

キャンプ最終日同様、内心を吐露しそうになるがそこはグッとこらえる。

その代わりに頬が若干上気し、恥ずかしさで二人から視線を逸らす形となった。

「あぁ、もう!はいはい!あんたが寂しがりやなのは分かったから」

俺が思わず言いかけたことを察したのか、沙希が顔を赤くしてそう受け流した。

「ば、お前、ちが…ってか、お前らこそ何で授業中に俺の観察なんかしてんだよ。ちゃんと授業に集中してんのか?」

誤魔化しながら、ふと浮かんだ疑問を口にする。

「「!!」」

それに対して二人はやや大げさとも言えるような反応を示してうつむいてしまった。

――こういうむず痒い展開、おっちゃん、嫌いじゃないぞ。

二人の反応に、俺は内心ご満悦となった。

「…ところで、あんたたち、今日の午後時間空いてる?」

暫く三人とも無言で飯を食った後、先に復活した沙希が再び話しかけてきた。

「私は大丈夫よ」

「俺も予定はないな」

沙希からのお誘いなら俺に断る理由はない。

「そ、…今日、鶴見と会うんだけど、良かったら一緒に来ない?」

「それ、俺が行ったらマズイだろ?」

鶴見の様子が気にならないと言えば嘘になるが、あの場で悪役を演じた俺が直接会ってもいいものか、不安が過ぎる。

「…どうだろ。一応、あの子にはあの時の私たちの計画を説明したんだ…あんただけ印象悪いままってのは、あたしは納得出来なかったから」

「川崎さん…あなた…いえ、何でもないわ」

沙希の気遣いに対し、雪乃が一瞬何か言いたげな表情を浮かべるが、途中で言葉を止める。

「…まぁ、俺は別に嫌じゃない。あいつの為にやった事とは言え、俺が傷付けたことはちゃんと謝るのが筋だろうしな。だが、鶴見が怯える様なら早めに立ち去ることにする。そうなったら川崎と雪ノ下でケアしてやってくれ」

「それがいいわね」「わかった」

俺の提案に二人が頷く。こうしてこの日の午後の活動が決まることとなった。

☆ ☆ ☆

昼食後、俺たちは午後の一コマの授業を終えて、鶴見留美との待ち合わせ場所へと向かった。

鶴見は俺を見ると、やや怯えた表情を浮かべる。

「…と言う訳だから、連れてきたよ」

簡単に沙希が俺たちを誘った経緯を鶴見に話す。

「あの時は酷いこと言って悪かったな」

開口一番、俺は鶴見に向かって謝罪の言葉を述べる。

だが、鶴見は沙希の陰に隠れて怯えている様子だった。まぁ、あれだけ精神的に痛めつけたのだから、この反応も無理もないだろう。

「…ホラ、言いたいこと言ってやんな」

沙希は鶴見に対し、俺と対峙して会話するように促した。

「…名前」

「ん?」

鶴見はようやく口を開くが、小声であったため、良く聞き取れなかった。

「他人に名前を尋ねる時にも礼儀というものがあるのよ」

俺は、雪乃の諌める言葉で鶴見の言葉を理解した。

一方、鶴見は雪乃に注意され、シュンとしてしまう。雪乃は敢えて軽めの悪役を買って出て、俺と鶴見の会話を繋いでくれたのだろうか。

雪乃に感謝しながらそれに乗っからせてもらうことにした。

「いや、あんな出会い方じゃ、ぶっきらぼうにもなるわな。…俺は比企谷八幡だ。…川崎から色々聞いてる。友達作りが上手く行ってるようなら何よりだ」

「…」

鶴見はやはり無言だった。

少しばかり残念に思いつつも、人の感情ばかりはどうにもならないのだ。

「やっぱり怖いよな。ホント、ごめんな…今日のところは俺は先に帰るわ。今日はこの二人が付き合ってくれるから、しっかり甘えたらいい」

そう言って、当初の打ち合わせ通り、後のことは二人に任せることにした。

俺の言葉を聞き、溜息を吐く沙希。雪乃は”仕方ないわね”といった表情を浮かべている。

「悪いな、川崎、雪ノ下。頼むわ。また明日な」

「…あの!」

その場を去ろうとした俺を、鶴見が呼び止めた。

「ん?」

「…ありがと」

鶴見の発した意外な言葉に、俺は一瞬固まった。

沙希と雪乃は安堵の表情を見せる。

「別に礼を言われる様なことは何もしてねぇよ…それに、結局はお前次第だ」

ちょっとぶっきらぼう過ぎただろうか。そう言ってから若干後悔する。

「…どうしたら、そんな憎まれ役を買って出られるようになるの?友達がいっぱいいるから余裕があるの?」

鶴見は俺の反応をさして気にしない様子で追加の質問をぶつけてきた。

「まさか…俺も友人なんて片手で数えられる位しかいないし、ボッチ経験で言ったらお前なんかよりずっとプロだぜ?」

悪役を買って出ることは昔から慣れっこだ。だがそれは決して余裕から生じるものではない。

理由は自分にも良く分からない。それが一番効率的だと思うからそうしているまでだ。

だが、自分で発した言葉から、自分には昔と決定的に違うところがあることに、はたと気づく。

それは、片手で数えられる数に過ぎなくても友人が俺にはいると、自分が認識していた点だ。

言うなれば、あれは「そいつらさえ理解してくれれば良い」という最後の一線があったからこそ取れた行動だったのかもしれない。

そういう意味では鶴見の洞察力はなかなか的を射ているのではないだろうか。

俺は少しだけ考えて、鶴見に追加の言葉を投げかけた。

「人生ってのは長ぇんだ。少しくらいの間、友達がゼロでも問題ない。…いつか自分にとって本当に大事な、かけがえの無い人間ってのが現れるはずだ」

そう言いながら、俺は沙希と雪乃を見る。

二人は照れくさそうに視線を逸らした。

そんな二人を見て、俺は思わず笑みを浮かべながら、再び視線を鶴見に戻す。

「…月並みなアドバイスしかできないが…それまで頑張れ」

「…うん」

鶴見の返事に満足した俺は、一人、その場を去っていった。

☆ ☆ ☆

後日、すっかり日課となったサブレの散歩を終えて家に戻ると、結衣が玄関に立っていた。

どうやら小町と話し込んでいる様だった。

「あ、ヒッキー!やっはろー」

「おう」

俺に気づいた結衣と、いつもの挨拶を交わす。

「あ、サブレの散歩してくれたんだ!アリガト~!」

「元気が有り余ってるみたいだからな。俺も健康維持にはちょうどいい運動だ」

先日の葉山の家でコイツが起した問題行動を思い返しながら、俺は控えめにそう述べた。

「…お兄ちゃん、オッサン臭いよ」

「…アハハ…そうだ!はいこれ!旅行のお土産」

差し出された紙袋に入っていたのは沖縄名産 "ちんすこう" だった。

――このハイシーズンに沖縄とは、やっぱり結衣の親父は立派だな。

俺は、結衣と付き合っていた頃に何度か顔を合わせたことのある男の顔を思い浮かべながら、そんな感想を抱いた。結衣の父親は、性格が丸く、非常に出来た人間であったことを思い出す。

会社で疲れた男にとって、家族サービスは時に残業よりも辛く厳しい。貴重な休暇を削って混雑する地方への旅行となれば、もはや精神的疲労度は出張と変わらない程の大仕事だ。

俺は結婚こそしていなかったが、長年の社蓄生活で、社会人男性の哀愁に共感する能力を身に着けていた。

それにしても、ちんすこう、はやっぱりどう考えても名前が卑猥だ、と言ったら沖縄県民に怒られるだろうか。どうでもいいけど。

「わざわざ気使う必要ねぇのに、悪いな」

「うんん、サブレのこと、ホントにありがとう」

「いえいえ、一緒に遊べましたし、楽しかったですよ。またサブレ連れて遊びに来てくださいね」

本当に戯れて遊んでいただけの小町が嬉しそうにそう口を挟んだ。

まぁ、散歩に連れて行った先で発情する犬の姿なんぞ、乙女たる小町には見せられないから、仕方のないことではあるが。

「行く行く!絶対行くよ」

「ええ是非!両親のいる時に、菓子折を持って、挨拶がてら」

「そうだね!ご両親にご挨拶…って、えぇ!?」

目前で繰り広げられるテンポの良いコントに溜息を吐く。

お兄ちゃんの恋愛の心配なんかしてないで、小町はもう少し大志を気にかけてやれよ、と、昔では考えられなかったような感想を抱いた。

「小町…あんま変なこと言って困らせるな」

「テヘペロ」

この辺のあざと可愛さが武器になるのは、せいぜいあと数年だぞ。二十歳超えたらただのイタイ女だからな。分かってんのか?と、妹の行く末が若干不安になる。

「そうだ!今度、千葉みなと駅の近くで花火大会があるそうですよ!…結衣さん、良かったら兄と一緒に行ってやってくれませんか?」

「おいこら!」

気を抜いた矢先に小町から持ちかけられるデートの提案。以前もそうだったのをすっかり忘れていた。

結衣とのデート、正直行きたくない訳ではない。親父臭い発想だが、可愛らしい浴衣姿をもう一度眺めてみたいとも思う。

しかし、こういったイベントは、3人とのバランス崩壊にも繋がりかねないため、俺はこれまで可能な限り慎重に過ごしてきたのだ。

「えっと…その」

――うっ

遠慮がちな上目使いで俺を見る結衣に、思わずドキッとする。

これは、行かないとは言えないだろう。

「…その、良かったら一緒に行ってくれるか?」

「うん!」

結衣の嬉しそうな返事で、俺たちの花火大会デートが決定した。

☆ ☆ ☆

16:00

俺は結衣の最寄り駅である稲毛海岸駅にて、彼女を待っていた。

西日の差し込む駅の構内には、浴衣や甚平姿の男女でごった返している。

本来、人の多い場所は苦手だが、デート前ということもあり、柄にもなく俺の心は浮ついていた。

暫くすると、夕焼けに溶け込みそうな黄色の浴衣を身にまとった結衣が小走りに改札を潜り抜けてきた。

「ヒッキーごめんね!遅くなっちゃった!」

「お、おい走ると危ないぞ」

案の定、躓きそうになる由比ヶ浜を支えると、結衣が怪我をしなくて済んだことに安堵した。

「ご、ごめん!」

「いや…腕掴まってくか?電車、混むし揺れるからな。あと、その浴衣、良く似合ってんぞ」

自分の口から流れるように発せられる一連の台詞。

女性の浴衣姿を褒めるのは、花火デートの作法のようなものだが、実際、俺の目には浴衣姿の結衣が、その場にいる誰よりも可愛く見えた。

「ヒヒヒ、ヒッキー!?」

「あんだよ?」

「…なんか、時々ヒッキーってすっごく大人に見える気がする」

――まずったか

結衣の言葉に思わず過剰に反応しそうになる。

「っていうか、ボッチて言う割に女性慣れしてる?」

「そうか?」

俺は適当な言葉でお茶を濁した。

まぁ、俺は社会人になってから、「飲む(酒)、吸う(煙草)、打つ(博打)、抱く(女)」の遊びのうち、「打つ」を除いて一通り覚えたし、沙希と出会うまで、特に駐在で中国にいた一頃は、貯金が一切貯まらないレベルで女遊びに付き合ったりもしたから、女慣れは当然といえば当然だ。

どうでもいい話だが、「打つ」は俺の職業そのものだから…あれ?俺ってば、昭和の社会人男性の作法、しっかり制覇してね?

ちなみに「抱く」は、あくまでも仕事上の付き合いであったことは強調しておきたい。

というか、中国に赴任する前には結衣とは同棲してたし、お互い体の隅々まで知る中だ。相手の扱いに慣れているのは当たり前なのだ。

腕に感じる結衣の胸の感触に、昔のことを色々と思い出しながら鼻の下を伸ばし、電車に揺られているうちに、俺たちは、あっという間に会場へと到着した。

「…じゃあ、何から食べようか!?」

「いきなり食い物かよ」

結衣のテンションは高い。俺の手を引きながら、早速屋台の物色を始めた。

――しかし、屋台の食い物か…

昔は何ともなかったが、大人になると屋台の食物には若干抵抗を感じるものだ。

衛生面とかが気になるのは胃腸が弱ったオッサンの発想だろうか。

「あ、結衣ちゃんだ〜」

俺の思考は、若干甲高い女の声にかき消された。

声の主を見ると、クラスメートの相模南とその取り巻きがそこにいた。

「あ、さがみん!やっはろー!」

結衣は相模に対し、手を振りながら元気良く挨拶した。

「結衣ちゃん、ヒキタニ君とデート? 良いなぁ〜。こっちは女だらけの花火大会だし」

相模の取り巻きが、結衣をからかうようにそう言った。

だがその言葉とは裏腹に、その表情からは嘲笑が透けて見える。

「え!?デート!あ、いや、その〜 これってデートなのかな?」

結衣はそんな彼女たちの底意地の悪さには全く気付いていないかの如く、俺に話を振った。

「…俺はそのつもりだけど?」

結衣が見下されるのは癪だが、ここで卑屈になっては益々結衣が立場を失うだろう。

俺は可能な限り、大人の余裕でそう取り繕った。

「えぇ! でも私たち、まだ付き合ってないよ?」

結衣は驚き半分、嬉しさ半分でそう聞き返してきた。

付き合ってた頃なら、ここで強引に抱きしめる位のことは出来ただろうが、そういう訳にもいかないだろう。

「別に彼氏彼女じゃなくたって、デート位普通にすんだろ?」

人生経験から余裕ぶってそう語る。

その経験の大半は、「アフター」とか、「同伴」とか、余計な呼び名がついていたりするのが情けない所ではあるが、異性とのデート経験であることには違いない。

「それって、ゆきのんやサキサキともデートしてるってこと!?」

「え!?いや、その、一般論だ」

思わぬ所で結衣に噛付かれて戸惑う。以前、総武光学とファンドの会議の後に、雪乃と公園デートしたことを思い出して狼狽いてしまった。

「…ヒッキーのバカ」

「結衣ちゃん、お熱いね!いいなぁ、ウチも男子とデートした〜い」

相模があからさまな嘲笑を浮かべてそう言った。

結衣も自分のリアクションから二人が笑われたことに気付いたのだろうか、申し訳なさそうな視線を俺に投げかけた。

「え~比企谷君、誰とデートしてるって?うちの雪乃ちゃんはどうする気かな?」

「これはいただけませんね、ヒキタニさん。うちの海美はどうなるんですか?」

場の空気が気まずくなりかけた瞬間、背後から一組の男女から突然声をかけられた。

――おいおい、何だよその組み合わせは。流石に無理があんだろ。

その声と喋り方で、言葉の主を理解した瞬間、俺は戦慄を覚え、冷汗が背中を伝うのを感じた。

俺を含め、その場にいた全員の視線が、芸能人顔負けの美男・美女へと集まった。

声の主は案の定、雪乃の姉、雪ノ下陽乃と、将来の上海副市長、劉藍天だった。

「…えっと、何してるんですか?二人とも?」

しどろもどろになりかけながら、俺はそう言葉を返すのがやっとだった。

「何って、デートだよ?」

あっけらかんとした表情で陽乃さんがそう答えた。

『劉先生、真的嗎?:劉さん、マジすか?』

本来、失礼に当たるのだろうが、予想外過ぎる展開に、思わず中国語で劉さんに確認を取る。

『真的:マジですよ』

飄々と笑顔でそれに答える劉さんに対し、俺は頭を抱える素振りを見せながら、溜息を吐いた。

「で、浮気者の比企谷君の今日のお相手は…ごめんね、何ヶ浜ちゃんだっけ?」

「あの…由比ヶ浜です」

「そだったそうだった!由比ヶ浜ちゃんだ!」

雪ノ下陽乃女史は、相模たち三人には目もくれず、勝手に盛り上がり結衣に話しかけ始めた。

それを見て、俺は再度劉さんに小声かつ中国語で話しかける。これは陽乃さん含め、周りに聞かれないための配慮だ。

『劉さん、失礼かもしれませんが、どういうつもりなんですか?まさか付き合ってたりとか…しないっすよね?』

『残念ながら、私ももうすぐ中国に帰りますからね。今日は最後の思い出作りといったところでしょうか』

『…思い出作り、ですか』

『何事も疑うところから入るその姿勢、いいですね。…実は雪ノ下家の事情には興味が沸きましてね。後で分かった事は共有しますが、やはり、陽乃さんは中々ガードが固くて、少々手ごわいですよ』

劉さんが軽めにしたウィンクに、俺はハッとした。

あの日、ショッピングモールで再会した際に俺と交わした会話を受けて、劉さんは探りを入れていてくれたようだ。

しかし、陽乃さんの手強さが「少々」とは、相変わらず恐ろしい人だな。

『…すいません。恩に着ます』

「ちょっと~!二人で勝手に盛り上がるの禁止!っていうか、比企谷君、中国語ホントにすごいんだね!何話してたの?」

俺たちの会話は一頻り結衣との会話で盛り上がり終えた陽乃さんに中断させられた。

「夜のデートスポットに関する情報交換ですよ。女性陣に聞かれてしまっては楽しみが半減してしまいますから」

相変わらずの劉さんの機転の利いた発言に驚くが、俺は勤めて表情に出さないよう心がけた。

「デートスポット…ね。ま、そういうことなら期待しとこうかな」

半分嘘だと気付いているような目で俺たちを見る。

お互い底知れない者同士の、化かし合いを目の当たりにした気分になった。

この二人が本当に付き合っていたら、周りの人間は胃に穴が開くかもしれない。

そんな感想を抱ていると、目前に立つ陽乃さんの背後に、またもや見知った人物を見かけた。

細身で神経質そうな外国人の中年男性。その人物は俺の視線に気付くと、嬉しそうに近寄ってきた。

『Hey Hachiman! How are you doing?』

――ったく、今日はやたら人に会う日だな

『I'm doing fine, Martin-San. Why are you in Chiba?:元気でやってますよ、マーティンさん。ってか、何で千葉にいるんすか?』

その人物は、総武光学に出資したファンドのメンバーであるマーティン氏だった。

顔をあわせるのは夏休み最初の週の出張以来だった。

『あれ、言ってなかったかい?ウチは千葉住まいだよ。今日は家族サービスだ』

『マジすか? 外国人駐在員は六本木とかに住むのが定番じゃないですか?何でまた千葉に?』

『確かに通勤は面倒だけどね。家族が都会よりも郊外のゆったりした環境が良いらしくてね。東西線のラッシュアワーを経験して、直ぐに通勤用の車を買う羽目になったけどね。…ほら、Emily, 彼はHachiman, パパの友人だよ。みんなにも挨拶しようか』

マーティンさんがそう言うと、背中に隠れていた小学生くらいの女の子が元気良く飛び出してきた。

歳の頃はおおよそ鶴見と同年代といったところだろうか。マーティンさんにはあまり似ていない、活発そうな雰囲気があった。

『Hi Hachiman, 私はエミリー。そちらはみんな貴方のお友達?よろしくね』

『How cute! わたしは雪ノ下陽乃、Hachiman君の将来の義理の姉だよ』

『ホントに可愛いですね。私は劉藍天、中国から来ました。Hachimanの将来の義理の兄です』

即座に反応して流暢に英語で言葉を返したのは陽乃さんと劉さんの二人だった。やや不穏な挨拶の内容には触れないでおこう。

『こ、こんにちは。私は由比ヶ浜結衣です。わ、私は英語が得意じゃなくて、ごめんなさい。でもよろしくね!今日は、Ha..Hachimanとデートしてるの!』

次いで、結衣がたどたどしいながらも文法的には間違っていない英語でそう答えたのには正直驚いた。

これも奉仕部の勉強会、特に雪乃のスパルタ教育の賜物だろうか。

対照的に相模たち三人は無言で苦笑いを浮かべていた。

知らない外国人からいきなり英語で話しかけられればそうなるだろう。

勝手に集まってきた俺の知り合いに囲まれて、会話から取り残され、その場を離れるにも離れられない、といった雰囲気になってしまったのは若干可哀想ですらある。

『…なにやら非常に複雑そうな関係だね…だが、デートならあまり邪魔するのも悪いな。我々はそろそろ花火の会場に向かうとするよ。See ya!』

マーティンさんはそう言うと、娘の手を取って人ごみの中へと消えていった。

「じゃあ、わたしたちもそろそろ行こっか?」

「そうですね。奥の有料スペースで座席に座って見られるようですよ」

「あ〜劉さんごめんね。あそこは家の関係者多いから、父の名代をサボった私としてはちょっと行きにくいかも…」

「そうですか。じゃあ若者らしく芝生に座って見物しましょう。ちゃんとシートも持ってきてますよ」

「さっすが〜!」

陽乃さんは嬉しそうに劉さんの腕に飛びつく。

劉さんも、そんな突然のスキンシップに対し、まるで慌てる様子も見せずに彼女を支え歩いていった。

お互いの見た目がいいのと、胡散臭いのが相まって、安っぽいドラマを見せられているような気分になった。

「由比ヶ浜、俺たちもそろそろ行くか?…じゃあお前ら、また2学期にな」

結衣に腕を貸しながら、呆ける相模たちに一言だけ挨拶を残して歩き出す。

結衣は一瞬だけ相模たちの目を気にするような素振りを見せて、遠慮がちに俺の腕につかまった。

「ヒッキー…さっきはカッコ良かったよ?」

数十メートル程歩くと、唐突に結衣がそう呟いた。

「あん?何が?」

「…その、ちょと嫌なこと言ってもいい?…嫌わないで欲しいんだけど」

結衣は俺の質問には答えずに、何かを話したそうにそう言った。

「どした?」

俺は立ち止まって結衣の顔を覗きながら言葉を待った。

「…さがみんたち…友達なんだけど、ホントはあたし、あんまり好きじゃないんだ。…ヒッキーとデートしてるって言った時、バカにするような目であたしたちのこと見てたの、きっとヒッキーも気付いた、よね?」

やっぱりさっきのあいつらの態度のことを気にしていたことが分る。

俺は先ほどのやり取りを振り返りながら結衣に答えた。

「まぁな。別にあいつらにどう思われようと俺は関係ないが…お前が見下されるのは正直キツかったな…ひょっとして、距離とってた方が良かったか?」

自分が何か失策をしたような気になってしまい、慌てて手を離そうとすると、結衣は逆に力を強めてしがみ付いて来た。

「そんなことないよ!…それに…さっきはヒッキーが凄いって、皆にも分ってもらえて嬉しかった…」

「かっこいいとか、凄いとか、ひょっとして外国語のこと?…ウチの学校には国際教養科に雪ノ下みたいな帰国子女がゴロゴロしてんだぞ。大袈裟だな」

結衣が言いたかったことを何となく汲み取った俺は、若干の気恥ずかしさもあってそう濁しながら言葉を返した。

「そんなことないよ。あたし、ヒッキーが凄いってこと、もっとみんなに知ってもらいたいの…」

「俺はお前たちが俺のことを認めてくれるだけで満足だ」

先日の鶴見との最後の会話を思い出しながら俺は素直に自分の気持ちを伝えた。

「…たち、か」

そこに雪乃や沙希も含まれていることに対し、複雑そうな表情を浮かべながら、結衣はそう呟く。

今の俺には結衣の気持ちが手に取るように分る。

二人の間に気まずい空気が流れるのを打ち破るように、俺は話題を切り替えた。

「そろそろ行くか?…俺もシート持ってきたんだ。ゆっくり座って花火見物しないか?」

「…うん。…ヒッキー意外に気が利くね!」

結衣は若干物足りなそうに頷いたが、俺が雰囲気を切り替えようとしたのに応じるように、やや大きめの声でそう付け足した。

「当たり前だ。気配りは(社畜の)基本だからな」

結衣の空気を読む力に感謝する。頬が緩むのを感じながら、俺は冗談めかしてそう言った。

☆ ☆ ☆

打ち上がった花火が夜空いっぱいに広がる。

その光に一瞬遅れて鳴り響く音が、腹に響く。

俺たちは人ごみの中、二人分のスペースを遠慮がちに陣取り、肌を寄せ合うように座りながら無言で花火を眺めていた。

俺の肩にもたれかかった結衣の髪からシャンプーの香りが漂い鼻を擽った。

――この香り、えらく懐かしいな。

俺は結衣が好んで使うシャンプーの銘柄を知っていた。

だが、昔からずっと同じものを使っていたことに、この瞬間初めて気がついた。

彼女の一途な性格がこんな些細なことにも表れているような気がし、彼女を更に愛おしく感じる。

その瞬間、最後の大玉が打ち上げられ、空に華麗な華を咲かせる。

 

そしてその華は静かに消えていった。

 

花火終了のアナウンスが流れると、人でごった返していた自分たちの周辺から、ぽつぽつと人が離れていった。

 

 

「…そろそろ終わりか。帰るか?…家まで送って…っておい!?」

 

立ち上がり、帰宅を提案しようとした俺に、結衣が突然抱きついてきた。

 

動くことが出来ずにその場に固まった。

 

「…あたしね、ヒッキーのこと、大好きだよ」

 

人の歩く音にかき消されそうなくらい小声で結衣が耳元でそう囁いた。

それに併せて心拍がどんどんと上昇して行く。

ずっと忘れられなかった結衣の暖かさ、柔らかさに包まれる喜びを感じた。

それと同時に、結衣にとうとうその言葉を言わせてしまったことに、深い後悔を覚える。

 

「…俺も、お前のこと好きだ」

言いたいこと、言わなければならないことは山ほどある。

だが、それらの何も言葉に出来なかった。

口をついて出たのは自分の一次欲求を表現するだけに等しい単純な言葉。

 

「…良かった。あたしだけだったらどうしようって、ずっと不安だったんだ。嬉しい」

「…」

 

俺は結衣に何も言葉を返してやることが出来なかった。

強く抱きしめ返したいのにもかかわらず、腕も動かなかった。

「…やっぱり、それでもヒッキーは誰かと付き合ったりとかする気はない…のかな?」

 

反応を示さない俺に対し、結衣が不安げにそう聞いてきた。

 

「…すまん。俺にはその資格がない」

 

「…そっか…いきなりこんなことして、ごめんね?」

結衣はそう言いながら俺から離れた。

 

そして、さっきの行動がまるで冗談だったと言わんかのように、精一杯の笑顔を見せる。

だが、その表情は長くは続かない。

俺が何も反応しなかったせいもあり、数秒の後に結衣は表情を暗くし、俯いてしまった。

「…ごめんね」

そう言い残して、結衣は俺に背を向けて小走りで人ごみの中へと消えていった。

去り際、結衣の頬に流れる涙が見えた。

 

その姿を、俺は何もすることが出来ないままただ見つめていた。

 

 


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