比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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29. 比企谷八幡は次の一手を打つ

 

 

 

修学旅行が無事に終わり、肌寒さを感じる季節となった。

 

あれから雪ノ下建設に関して、葉山は約束通り実家で資料を読み漁り、定期的に報告を寄越してくれていた。葉山の実家の事務所は、やはり想定した通り、雪ノ下建設と資本関係にある会社や、オーナーへの個人的な金貸しで繋がりを得た建設会社にオフショアの投資ビークルを設立するための各種手続きを請け負っていた。雪ノ下建設がこのビークルを通じて、各種建材や石油、ガス、銅、金等にかかるコモディティやデリバティブの投資を指示していたことも事実として証拠を掴むことができた。

 

ここまでは劉さんから得ていた情報の通りである。不可解なのは、その投資向けのストラクチャリングを行っていた主要な関連会社は、雪ノ下建設の直接子会社ではなく、孫会社や更に下の零細建設会社であった事だ。見方を変えれば、雪ノ下建設は、コモディティ投資を行うために、何層にも渡る複雑な資本構造を有する企業グループを形成していたこととなる。

 

もう一つ、葉山が父親から聞いた話によると、雪ノ下建設は近年、外資系投資銀行と懇意になってから、葉山弁護士事務所とは距離を置き出しているらしい。この投資銀行というのは言うまでもなく、俺が勤めていた企業のことだ。関連会社の投資ビークル設立の手続きは、そんな中で葉山の両親がクライアントを繋ぎ止めるために必死に営業をかけて何とか得た仕事の一つであり、現在の雪ノ下建設の全貌は葉山の両親も深く理解していないのが正直なところらしい。

 

これらの情報は逐次、宮田さん、槇村さんへ共有していたものの、近頃はそれにも手詰まり感が出てきている。今の葉山には基礎的な経済・金融の知識がないため、ここまでのことを調べさせるだけでも、相当な負担を強いていた。これ以上有益な情報を得ることは難しい状況だった。

 

また次の一手が必要だ。

 

そう考えていたが、俺は雪乃本人にこの話を持ちかける事に関しては、未だに躊躇していた。そんなある日、奉仕部へまた一つの依頼が持ち込まれた。

 

「邪魔するぞ。少し頼みたいことがあるのだが…」

 

軽めのノックの後に、奉仕部のドアが開かれる。

そこには平塚先生の姿があった。

 

「なんすか?」

 

「お、全員いるな?…入ってきていいぞ」

 

先生は奉仕部メンバーの姿を見回すと、ドアの外で待っていた女子生徒二人に声をかけた。

入ってきたのは現生徒会長城廻めぐりと、過去の時間軸でその後任を務めた1年下の後輩、一色いろはだった。

 

「こんにちわ。ちょっと相談したいことがあって…って、ひ、比企谷部長!?」

 

「城廻先輩、ご無沙汰です。てゆーか、その肩書きで呼ぶのはやめて下さいよ。文化祭はもう終わったんですから」

 

「い、いえ!とんでもないです!そ、その節は、ほ、本当にお世話になりました!」

 

「…あんた、会長になにしたの?」

 

俺の顔を見るなり血相を変えて畏まった態度を取る先輩を見て、不審に思った沙希が俺に尋ねた。

 

「いや、文実の時にちょっとな…」

 

生徒会主導のバザーに関して、企画書を合計18回程ダメ出しして、再提出させただけだ。

資料のデキの悪さに苛立つこともあったが、俺は怒りに任せて書類をブチまけたり、ドッジファイルの角で頭を殴る等のパワハラ行為は断じてしていない。

再提出の都度、「この数字の根拠は?」「提出する前に内容チェックしましたか?」という質問を淡々と繰り返しただけだ。俺は悪くない。

 

「あ、いろはちゃんだ。やっはろー!」

 

由比ヶ浜は怪訝な顔をしつつも、遅れて入ってきたもう一人の顔を見るなり、うれしそうな声で挨拶する。

 

「結衣先輩!こんにちは」

 

俺にとってひどく懐かしい一色の声が部室に響き渡る。

高校卒業以来、俺は一色と顔を合わせる機会が殆どなかった。あざとい後輩、というのが彼女に対する当時の俺の評価だったが、彼女には、一時拗れた雪乃や結衣との関係を修復するのに色々と手伝ってもらったことがある。その恩返しというわけではないが、生徒会関係の仕事では随分とコキ使われたことも思い出した。

 

――きっと、こいつも有能な女性管理職になってたんじゃないだろうか

 

そんな考えがふと浮かび、思わず俺の顔には笑みが浮かんだ。

 

一呼吸おいて、城廻先輩が今回の依頼について話を切り出す。

生徒の悪戯により無理やり生徒会長として立候補させられた一色の、生徒会長就任をどう回避するか。それがテーマだった。

 

俺はそのタイミングになって、ようやく昔そんな依頼があった事を思い出した。

雪乃、結衣、沙希の3人の視線を感じ、そちらをちらりと見る。依頼内容に関して俺に確認を取っているような眼差しに、俺は目で申し訳なさを示した。

一色が思いの他立派に生徒会長を勤めていたため、俺はこの依頼のことをうっかり忘れていたのだ。

 

「あ、あのところで…先輩って、あの超有名な比企谷先輩ですよね?」

 

一色は改まって俺に向かってそう尋ねた。

 

「は?超有名?俺が?」

 

「…横領犯として名を馳せたのだから、当然よ」

 

俺が間抜けな声を上げると、雪乃から横槍が入る。

それを聞いて、一色はやや気まずそうな表情を浮かべながらも、俺を観察するような目で見えいた。

 

「そ、その…葉山先輩とは仲がいいんですか?」

 

「別に悪かねぇけど…」

 

悪いどころか、未来では飲み仲間、この世界では先日風俗仲間となった事実は口が裂けても言えない。

 

「そうなんですか…その、葉山先輩は横領事件の事で随分必死に先輩の事を庇ってましたし、先輩のこと尊敬してる?、みたいなことまで口にしていて。特に修学旅行から帰ってきてからは戸部先輩まで一緒になってそんな話しを良くしているので、どんな人なのか気になって…」

 

「へぇ…あんた、やっぱり修学旅行でなんかしたんだ?」

 

「い、いや。ちょっと男同士の親睦をな」

 

「怪しい…でもそっか。隼人君がヒッキーを尊敬かぁ…あ、騙されちゃダメだよ、いろはちゃん!ヒッキーはただのオッサン臭い高校生だから!」

 

「オッサンって、お前…」

 

結衣は早くも、また俺を女性から遠ざけようと予防線の構築に動き出している。

 

「…コホン…とにかく、生徒会長選挙については少し対策を考えさせて下さい。後日、連絡させてもらうという形でよろしいでしょうか?」

 

雪乃は咳払いを一つして、無駄話を止めると、そう言って話をまとめる。

一色と連絡先を交換すると、雪乃は席から立ち上がって3人を見送った。

 

 

☆ ☆ ☆ 

 

 

 

「…ヒッキーはこの依頼、どうやって解決したの?」

 

依頼者と先生が退出した後の部室で、俺たちは今回の依頼について、打ち合わせを開始した。

開口一番、結衣がそう尋ねた。

 

「まぁ、色々あったが…最終的に俺が一色を口車に乗せて生徒会長をやらせたって感じだったかな…あいつ、まだ1年だろ?こっから2期連続で生徒会長やって、それが結構様になってたから、この依頼のことはすっかり忘れてた。すまん」

 

過去を振り返りながら俺はそう口にした。

 

「その、色々あった、というのが気になるのだけれど?」

 

「い、いや大した話じゃないんだ」

 

目ざとい雪乃の追求に、俺は迂闊な枕言葉を使用したことを後悔しながら、はぐらかす様に答える。

 

「比企谷…ひょっとして、もう一回プレゼント欲しいわけ?」

 

沙希の目が光る、俺はあの時の鳩尾への衝撃を思い出して身震いした。

 

「…いや、ちょうど修学旅行の"あの事件"の後だっただろ?で、俺は最初、あいつを落選させるための酷い応援演説をすりゃ、あいつはノーダメージで生徒会長就任を回避できるって提案したんだがな。それに雪ノ下と由比ヶ浜が反発して、2人とも生徒会長に立候補するなんて言い出したもんだから、奉仕部が崩壊しかけたんだよ…」

 

「一体その人物はどこまで性根が腐っていたのかしら?そんな人間を私が好きになった、というのは非常に不可解だけれど、一度会ってみたい気もするわ」

 

「勝手に別人として亡き者にすんな。精神年齢は今もそんなに変わらん。俺は永遠の17歳だ」

 

「アハハ…でもさ、ヒッキーはそれを元に戻すために、いろはちゃんを口説いたんだよね?」

 

結衣が若干嬉しそうな表情でそう聞いてきた。

 

「なんか語弊のある言い方なのが気になるが、まぁ、そうなるな。そういや、そん時は川崎にも協力してもらったっけ…」

 

「アタシが協力?何したの?」

 

「一色の生徒会長就任への署名を集めるためにちょっとな。人気のありそうな生徒を川崎にピックアップしてもらって、学校の裏サイトでそいつらの応援アカウントを作ったんだよ。で、選挙直前でアカウントを一色いろは応援アカウントに書替えたって訳だ」

 

「…それ、大丈夫だったの?限りなくヤバイ気がするんだけど…」

 

「そうね。いくら貴方の経験上それで上手く行ったとは言え、あまり危ない橋を渡るのは感心しないわ」

 

雪乃はそんな考えを口にした。

 

「それには反対しねぇよ。俺も、自分にとってイレギュラーなやり方が嫌いな訳じゃない。答えが解ってて、それをなぞるだけってのも、今の奉仕部にとってあまりいい事じゃないだろ?」

 

俺の言葉に3人は少し嬉しそうな表情を浮かべて頷いた。

 

「一色を生徒会長にする手立てを考えるも良し、他の候補者を考えるも良し、か…後者なら、品行方正、容姿端麗、成績優秀、かつ人望も厚そうな奴と、それをサポートできそうな人間もちょうどいるしな」

 

俺がそう呟くと、何故か雪乃が顔を赤らめて恥ずかしそうに身をよじった。

 

「…た、確かに、私が生徒会長になって、奉仕部を丸ごと生徒会に移管させるというのも、一つの手段ではあるわね」

 

「へ?…あ、ああ。そういうことか。それもアリかもな…ってか、すまん。俺が言ったのは、海美と、吉浜、田村、西岡のことなんだけどな」

 

「「…プッ」」

 

俺が申し訳なさそうにそう口にすると、結衣と沙希は笑いを堪えきれなくなって噴き出してしまった。

 

「比企谷君…何故初めから名前を挙げないのかしら。貴方はいつもそうやって、もったいぶって出し惜しみして、それがカッコいいとでも思っているのかしら。だとしたらとんだ勘違いだわ。他者をミスリードすることに何の意味があるというの?そんなコミュニケーションの仕方でも社会に出て成功できるというのであれば、この世の中はまだまだ捨てたものではないと考えることも出来ない訳ではないけれど、貴方のそれはやはり実年齢に照らし合わせても問題だと思うわ。これから意識して更正して行く必要があるのではないかしら。だいたい、英語やビジネスのコミュニケーションでは結論を先に述べるというのが暗黙の了解なのよ。両者に通じている貴方が結論を後ろ倒しにして話すことにはやはり悪意を感じざるを得ないわ…」

 

雪乃は赤い顔を更に紅潮させて、早口でそうまくし立てた。

 

「す、すまん…ちょうど小腹も空いたし、続きは駅前のカフェかどっかでやらないか?お詫びにご馳走させてもらう…」

 

俺は誤魔化しを兼ねてそう提案する。

 

「いいね!行こ行こ!サキサキは何食べたい?」

 

「う~ん、夕飯前だし、あんまり重くないのなら付き合うよ」

 

プイッと不貞腐れて横を向いた雪乃の横で、結衣が嬉しそうに立ち上がって沙希の手を引っ張った。

 

 

 

☆ ☆ ☆ 

 

 

 

夕刻、駅前のカフェ。

 

俺たち奉仕部4人はとある人物と対峙していた。

今、俺たちの目の前には雪乃の姉、雪ノ下陽乃が座っている。

彼女は俺たちよりも先にこの店で時間つぶしをしていたようで、ちょうど俺たちがカウンターで商品を注文し、席に着いたタイミングでトレーを持ってこちらにやって来た。

 

「いつまでここに居座る気かしら?」

 

「そんなにツンツンしないでよ~。お姉さんも混ぜて欲しいな!」

 

「私たちは部活の依頼に関する打合せで忙しいのよ」

 

雪ノ下姉妹は出会うなりこんな具合に、周囲にピリピリした空気を撒き散らしていた。

 

「雪乃ちゃん、文化祭じゃ大活躍だったよね~。テレビにも出ちゃって、お父さん、喜んでたよ?…ま、実際にはそこにいる比企谷君がいなければ成立しない企画だったみたいだけど?」

 

「あら、姉さんが負惜しみを口にするなんて、よっぽど一昨年の記録を塗り替えられたのが悔しかったようね?」

 

「言うようになったじゃない?…それにしても、比企谷君もずいぶんと楽しそうだね?そりゃそうだよね?雪乃ちゃんもガハマちゃんも川崎ちゃんも、みんな可愛いもんね」

 

「いや、その。まぁ」

 

突如、彼女のターゲットが俺に変わったことに、俺はいやな汗をかきながら返答する。

緊張によるものか、喉に異常な渇きを感じて、ドリンクバーから持ってきたアイスコーヒーをストローで吸い上げた。

 

「でもさ、やっぱり誰とも付き合ってるわけじゃないんだよね? 前にも聞いたけど、どう? そろそろお姉さんと付き合ってみる気になった?」

 

「ブハッ!ゴホッ、ゴホッ!」

 

俺は盛大にコーヒーを噴き出し、咳き込んだ。

3人の視線が顔に突き刺さる。だから3人と一緒にいる時にこの人に会うのは嫌だったのだ。

 

「貴女にこの3人と同じくらいの魅力があれば、俺の心も揺れてたのかもしれませんね」

 

彼女への牽制と、3人への弁明の意味を混めて、俺はややキツ目の言葉を彼女に返す。

 

その瞬間、彼女からパチンッという、スイッチのようなものが入る音がした。

いや、正確には何の音も鳴っていないし、彼女の表情にも変化はなかった。だが、彼女の身に纏う雰囲気だけがガラリと変わったのだ。それは結衣や沙希もビクリと反応するくらいの危険な変化だった。

 

「比企谷君の趣味って変わってるって言われない?…ねぇ、比企谷君って、堅物の貧乳好き?それとも、オツムの弱い子を守ってあげたくなるタイプ?あ、恋愛すっ飛ばして糠味噌臭い女と生活することに憧れちゃう系?」

 

「か、堅物の貧乳…」

 

「ひょっとしてあたし、馬鹿扱いされてる!?」

 

「糠味噌って…」

 

どうやら俺は地雷を踏み抜いてしまったようだ。

彼女は三者への強烈な毒を一気に吐きながら、テーブル越しに俺の方へ身を乗り出してそう言い切った。

3人はそれに呼応するように、それぞれ心当たりのある悪口に反応を示す。

 

3人をフォローをしなければ。

そう考えつつも、彼女の豹変振りに恐れをなして縮こまっていると、偶然テーブルの前を通りかかった女子高校生二名のうち1名とはたと目が合った。

 

「あ!比企谷じゃん!うわ、超なついんだけど!レアキャラじゃない?」

 

「斉藤じゃねぇか!久しぶりだな!」

 

俺はこの声をかけて来た知人の登場に、助かったとばかりに大き目の声を上げた。

 

総武高校のご近所にある海浜総合高校の制服を身に纏うこの少女。

彼女の名は斉藤かおりだ。

未来の世界で、同じオフィス街の大手化粧品メーカーに勤務するOLだった。彼女は俺の中学時代の同級生でもあり、休憩時間が重なれば、まれに外で昼食を一緒に食う位の仲だ。

彼女と都心で再会したのは、結衣と付き合っていた頃だった。

 

20代前半で結婚していた彼女は「比企谷も早く結婚すればいいのに」と言うのが口癖だった。最も、俺が海外赴任から帰って来た頃からは旦那の愚痴ばかりこぼすようになっていたのだが。まぁ、それも惚気話の一つの形なのだろう。

とにかく、彼女には結衣や沙希とのデートスポットを紹介してもらったりと、それなりに世話になった。結衣や沙希とも面識があり、二人とはそれなりに仲が良かったように記憶している。

 

「へ?斉藤?…ひょっとして私の名前忘れちゃったの?超ウケるんだけど!」

 

斉藤は一瞬怪訝な表情を浮かべた後、手を叩いて笑い出した。

 

一方、彼女のその言葉を聞いて俺は硬直した。

 

「斉藤」は彼女が嫁いだ先の苗字。今の彼女はまだ旧姓の折本だ。

俺は自分のあまりのマヌケぶりに衝撃を覚え、頭をバットで殴られたような感覚に陥った。

 

「って言うか、比企谷、中学の時に私に告白までしたのにちょっとヒドくない?私、折本かおりなんだけど?」

 

折本は笑いすぎて涙目になった目を拭いながら、明るめの声でそう言った。

一方の俺は、彼女のその発言に再び身がすくむような思いをした。

当然、雪乃、結衣、沙希の視線に、再度全身をメッタ刺しにされるような感覚を皮膚に感じた。

 

「い、いつの時代の話してんだよ」

 

「…ほんの数年前じゃないの?」

 

はぐらかすように呟いた俺の言葉は、沙希の凍て付く様に低い声によって一蹴された。

 

「へぇ…で、斉藤さん?はこの男と付き合っていたの?」

 

雪乃は試すような視線で、折本に対してそう尋ねた。

彼女が斉藤と呼んだのは間違いなくわざとだ。

 

「あ、どうも。私、斉藤じゃなくて折本だよ…って付き合うわけないじゃん!比企谷とは殆ど話したこともなかったのに、急に告白とか、超ウケたし!」

 

折本は初対面の面々に軽く会釈した後、笑いながら雪乃の質問を否定した。

 

「…いや、まぁ、お前気さくな感じだから、人付き合いに慣れてなかった俺が勝手に勘違いしたんだよ。そろそろその話は勘弁してくれ」

 

俺は折本によって暴かれつつある、自分の黒歴史を慌てて布で包み込むように端的に話を総括し、切り上げるように促した。

 

「ヒッキー…話が違うくない?ヒッキーは昔、人の好意とか素直に信じなかったって言ってたじゃん!」

 

しかし俺の思惑などまるで無視するように、結衣が不機嫌な表情を浮かべて俺に詰め寄ってきた。

 

「だ、だからその失敗がトラウマになったんだよ…」

 

「それって、あたしが最初じゃなかったのは斉藤さんのせいってこと!?」

 

ヒートアップした結衣の発言に俺は硬直する。

 

折本とその友人は当然、結衣が何の話をしているのか、良く分からないといった表情を浮かべていた。

しかし、その場に居合せたモンスターが一名、今の発言に非常に興味を持ってしまったようだ。彼女は、また面白い玩具を見つけたと言わんばかりの怪しい笑みを浮かべている。

 

流石に彼女の洞察力を以ってしても、これだけの会話では俺が未来から戻ってきたなどという解に辿り着くには無理があるだろう。だが、間違いなく後で問い詰められることになる。そう直感して頭痛を感じた。

 

「…あの、折本だから。ホント、斉藤って誰?」

 

折本は、結衣の発言に対し、いい加減不愉快だと言わんばかりの表情でそう呟いた。

 

「ふぅ~ん、ここにも比企谷君のタイプの子がいたのか。ひょっとしてそっちの子もそうなの?」

 

ここへきて、怪しげな笑みを浮かべていた自称"お姉さん"が品定めをするような目で、折本とその友人の女子を眺めながらそう口にした。

 

――いやいや、そっちの子までは面識ないから

 

俺は、葉山を含めた4人でダブルデート(実際には3人+おまけ1名、だったが)した過去の事実は棚に上げてそんな言葉を口にしようとし、それを堪えた。口は災いの元だ。この人に関しては、どんな返しをされるか分かったものではない。

 

そういや、この折本の友人の名前、何だったっけか?

俺は現実逃避するように、一人話題から取り残された女子を見る。

 

「でも、そうするとますます比企谷君の趣味って不明だよね~。斉藤ちゃんかぁ…平凡なのに漢字の種類で個性主張するとか?そんな性格?だからパーマ?」

 

彼女は、最早いいがかり以外の何でもないようなヒドイ言葉を折本に向かってぶつけだした。

俺にその権限があれば、今すぐ折本と、全国の斉藤・斎藤・齋藤・齊藤(以下略)さんに謝罪させるレベルだ。

 

「さ、さっきからなんなの…この斉藤押し?」

 

さいと…折本は泣きそうな顔でそう呟いた。

 

「雪乃ちゃん、ガハマちゃん、沙希ちゃん、斉藤ちゃん、そっちの子…何か共通点があるのかな?…あ、わかった!比企谷君ってB専?B専ってやつだ?それじゃ私になびくわけないよね~」

 

限りなく無邪気な声色で発せられたその発言ににその場の空気が凍り付く。

 

この女、今、自分が溺愛する妹を含め、この場にいる自分以外の女性はブサイクだと言い切りやがった。さっき、奉仕部の3人に”みんな可愛いもんね”と言ったばかりなのに、それをさも自然に無かったことにしやがった。正に邪智暴虐の王だ。

 

どうやら先ほど俺が言った言葉が余程気に障っていたらしい。

 

っていうか、仲町さん全く関係ねーだろ。あ、今思い出した。この子の名前は仲町千佳だ。もうどうでもいいけど。

 

「…そ、そういえばさ、比企谷って携帯変えたの?」

 

折本は、この女性とは関わらない方がいいと悟ったのだろう。

敢えて彼女の発言には一切触れずに、話題を切り替えて俺に質問をふった。

それはこの場において正しい判断だ。

 

「あ、ああ。そういやそうだったかな」

 

俺は折本による救いの手を掴むように、その話題に乗った。

 

「番号教えてくれればよかったのに」

 

「…前の携帯は失くしたんだよ」

 

曖昧な記憶だが、実際は、折本の記憶と共に連絡先をデリートし、高校入学に合わせてキャリアー変更したような気がする。他に登録していた番号も家族くらいだったので、番号変更にも特段困らなかった…って、もう何でもいいや。

 

「じゃあ新しい番号教えてよ」

 

折本は携帯を取り出しながらそう言った。

俺は会話の流れから当然そう来るであろう発言に備えていなかったことに気付き、申し訳なさげな表情を浮かべて、奉仕部の3人をちらりと見た。

 

「ハァ…斉藤さん、登録画面は開いたかしら?その男の番号は0x0-xxxx-xxxxよ」

 

雪乃はわざとらしく溜息を吐いた後、俺の電話番号をその場で諳んじる。

 

――って、怖ぇよ!俺が自分でも覚えていない番号を何で暗記してんの、こいつ

 

俺は雪乃のその行動に若干引きながら、苦笑いを浮かべる他なかった。

それは折本も同様だったようだ。

そんな中、ただ一人、思わぬ収穫があったといった表情を浮かべる人物がいた。それは言うまでもなく雪ノ下陽乃、その人だった。どうせ今ので俺の番号を暗記したのだろう。

 

「…比企谷、ごめん。あたし達、ちょっと用事ができたから先に行くよ。打ち合わせはまた明日でいいよね?」

 

折本が携帯を鞄にしまったタイミングで、沙希が突然そんなことを言い出した。

 

「あ、ああ」

 

合意する以外の選択肢は用意されていない。沙希の目線に気圧されるように俺はそう言った。

 

「雪ノ下、由比ヶ浜、行こう?…あのさ、斉藤さん?あんたにも用があるから、ちょっと付き合って」

 

沙希は立ち上がって二人に離籍を促すと、折本の腕をグイッと引張りながらそう言った。

折本は明らかに沙希に怯えている。彼女は混乱した表情を浮かべつつも頷かざるを得なかった。

 

「…もう斉藤でいいや」

 

3人に連れられて店を出て行った折本は、去り際に力なくそう呟いた。

 

俺のせいで寄ってたかって斉藤扱いされた折本が不憫だったが、はっきり言って俺には助舟を出すような力はない。

 

突然訳の分からない団体に友人を連れ去られてポツンと立ち尽くしていた仲町さんも、気がつくとその場からフェードアウトしていた。

 

 

 

☆ ☆ ☆ 

 

 

 

「アハハハ!あ~、面白かった!…二人きりになっちゃったね?」

 

現役女子高校生5人が退席したの後、雪ノ下陽乃は腹を抱えてひとしきり笑い、妖艶な声色でそう言った。

 

「…いくらなんでもありゃ無いでしょ?いい大人が俺の同窓生を苛めて、挙句、最愛の妹までブス呼ばわりとか、正直、ドン引きしました」

 

俺は疲れ切った表情で彼女にそう返す。

 

「だって比企谷君が冷たいんだもん」

 

彼女は一転し、一色や小町を髣髴とさせるようなあざと可愛い膨れっ面を浮かべて、そう言った。

本当にこの人はいくつの顔を持っているのか分からない。

 

「そりゃ俺もだいぶ失礼なこと言いましたけどね。そう言わざるを得ない状況にしたのは貴女じゃないですか?」

 

「え?比企谷君、ひょっとして怒ってる?」

 

「…まぁ、あまりいい気分じゃないです」

 

「え~!心が狭いなぁ。ま、今日は雪乃ちゃんのおかげで比企谷君の連絡先も手に入ったことだし、私が非を認めてあげないこともないかな?お詫びに何でも言うこと聞いてあげるよ~?どうする?今からデートする?」

 

やはりさっきのやり取りで俺の電話番号を暗記していたようだ。

これだから変な方向に賢い女性は苦手なのだ。

 

「…だからそういうのは…」

 

そこまで言いかけて、俺はふと思考した。

これはひょっとしたらチャンスかもしれない。

 

雪ノ下建設に関する調査は行き詰っている。

より深い情報にアクセスするためには、内部に協力者を求める必要があった。

 

俺は最終的には雪乃にこの件を打ち明け、協力を仰ぐつもりではある。だが正直なところ、今の彼女に、大人達がビジネスの世界で何を企図し、何を行っているのかを掴むのは困難だろう。そもそも実家と精神的に距離を置いている雪乃にとっては負担が大きすぎる。

 

では、雪ノ下陽乃に内部情報の提供を求めるのはどうだろうか。それは論外だろう。確かに雪乃を思う彼女が手を貸してくれる可能性がない訳ではない。だが、劉さんの感触では、彼女でさえも現段階では、両親が運営する会社のことまでは深く理解していないとのことだった。何より、俺には彼女の行動心理を正確に把握することは不可能だ。彼女の行動次第で状況が悪化するリスクを取ることはできない。

 

であれば、今俺にある選択肢は何だろうか。

 

「…じゃあ、一つお願いしていいですか?」

 

俺は咳払いをした後に、そう尋ねた。

 

「なになに?」

 

「雪ノ下建設でバイトさせてもらえるように取り次いでもらえませんか?」

 

その選択肢とは、俺自身が内部に入り込むこと。

それしか手はないだろう。

 

「ウチの会社で?…比企谷君、雪ノ下建設はゼネコンだから、ヘルメットかぶってツルハシ持って汗かくような日雇いのバイトは採ってないよ?」

 

彼女は一瞬、きょとんとした表情を浮かべた後、少しガッカリした様な顔でそう言った。

きっと俺が小遣い欲しさに、割のいいバイト先を探しているのだと勘違いしたのだろう。

 

彼女が言う通り、ゼネコンは基本的に工事現場で杭を打ったり、コンクリートを打設したりといった作業を直接行っている訳ではない。現場の作業員は全て専門工事業者の作業員で、ゼネコンが雇用する社員でないのだ。

 

そもそもゼネコンとはGeneral Contractorの略で、直訳すると総合契約請負業者だ。彼らは受注したプロジェクトにかかる工事プロセスを細分化して、サブコン(Sub Contractor)、即ち下請けに施工を発注し、建設の進捗を管理することを主な生業とする、総合プロデューサーなのだ。

 

「俺が興味あるのは工事現場じゃなくて、バックオフィス業務です。経理とかを通じて、企業活動の大きな流れを勉強する機会が欲しいんですよ。給料の出ないインターンでも嬉しいんですけど」

 

「へぇ。お給料も要らないって、どうして?」

 

「将来への備え、ですかね。企業財務の実践経験を積んでみたいんです。意識高い系って大学には腐るほどいると思いますけど、高校生の時からそういう活動してれば、それなりにバリューが付きますからね」

 

「…比企谷君、何か企んでるのがバレバレだよ?」

 

彼女はニコリと笑ってそう言った。

俺は目の前の人物に嘘が通用しなかったことに焦りを感じた。

 

「さっきのガハマちゃんの発言も含めて、お姉さん、やっぱり比企谷君のことが気になっちゃうなぁ?」

 

そんな俺の動揺を見透かしたように、彼女は笑顔のまま視線だけを鋭くして俺を見据える。

 

「…いつか時期が来たら全部話します。それが条件ってことじゃ駄目ですか?」

 

それの発言がどれ程危険な事かは承知の上で、俺は持てる手札を切った。

仮に自分が彼女に脅され、利用されることとなっても、雪乃の将来を守るためなら、きっと俺はその結果を納得して受け入れることができる。そう考えた。

 

「…ま、いっか。じゃあ両親に話を付けてあげる。文化祭の活躍を話せば、きっとうちの親も比企谷君には興味を持つと思うよ」

 

彼女は俺をマジマジと見た後、その条件に応諾した。

 

「ありがとうございます」

 

俺が頭を下げると、彼女は手をヒラヒラと振って、店から出て行った。

 

 

 

☆ ☆ ☆ 

 

 

 

「お前ら、昨日折本と何話したんだよ?」

 

翌日の夕方、奉仕部に集まった3人に俺はそう尋ねた。

 

「…ガールズトーク」

 

結衣は、詮索するなという警告のキーワードを口にした。

雪乃も沙希も神妙な顔つきでそれに頷いた。

 

「…わかったよ」

 

俺は諦め交じりにそう呟く。

ポケットの中に入っている携帯に手を触れ、日中の休憩時間に折本と交わしたメールのやり取りを思い出した。

 

【比企谷!昨日のあの子達、いったい何なの!?】

 

【番号未登録なんだが、誰だ?折本か?】

 

【斉藤だし。そっちも登録しといてよね】

 

【嫌味かよ…ていうかホント、悪かった。最近ちょっと視力が落ちてて、別の奴と見間違えたんだ】

 

【比企谷サイテー。今朝なんて、出席確認でクラスの斎藤君の名前が呼ばれた時に返事しちゃったし!ウケル】

 

【いや、ウケねぇだろ。スマン。あいつらに何か言われたのか?】

 

【別に】

 

【おい、気になるだろーが。…まぁ、根はいい奴らだから、良かったら仲良くしてやってくれ】

 

【比企谷、楽しそうにしてんじゃん?良かったね。そのうち、中学の同窓会でもやろうよ。あ、でもあの子達の許可は取っといてね?怖いから】

 

【…本当に何されたんだよ?】

 

メールのやり取りはここで途切れた。

この件も、結局真相は闇の中だ。

 

「ポケットの携帯を弄って、何を考えているの?ひょっとして斉藤さんとメールして、少年時代の淡い恋心でも思い出したのかしら?気持ちが悪いオジサンね」

 

「ロリコン」

 

雪乃と沙希が、のっけから全力で強烈なジャブを放ってくる。

 

「なわけねぇだろ。あいつの"旧姓"を忘れてた俺が悪いのかも知れんが、あまり苛めんなよ?斉藤姓がトラウマになって本来の旦那さんと恋愛出来なくなったら可哀想だろ」

 

「自分を振った相手なのに、ヒッキー、ずいぶん優しいね?」

 

「そんなの俺にとっちゃ、チン毛も生えてねぇ頃の大昔の話だって言っただろうが。もう殆ど覚えてねぇよ。あいつは別に悪い奴じゃねぇし、少なくとも由比ヶ浜と川崎とは性格も合うはずだぞ?」

 

俺は若干苛立ちながらそう口にしてハッとする。

どんだけ上司の影響を受けてんだよ、俺は。人の口調が感染するのであれば、せめて宮田さんの方が良かった。

 

「チン…ヒッキーマジキモイ!ありえない!」

 

「完全にセクハラオヤジ…」

 

「…通報した方が良いかしら?」

 

その後も三者三様の罵倒が続き、ついに俺は謝罪を強いられる羽目になった。

 

 

その場に平伏した俺に満足したのか、しばらくして、雪乃が昨日の一色の依頼に関する話を持ち出す。

 

「…そう言えば、今回の依頼の件、少し考えてみたのだけれど…対立候補を擁立するにせよ、一色さんを会長に就任させるにせよ、それだけを目的とするのは奉仕部の本来の活動内容にそぐわない気がするのよ」

 

「どういうこと?」

 

沙希はキョトンとした顔で雪乃に尋ねる。

 

「奉仕部は万屋ではないわ。結果だけを与えても、彼女の為にならないでしょう?会長にならないのであれば、それはそれで構わないけれど、おそらく今後も続くであろう同級生からの嫌がらせに、彼女が自分で対処していくだけの力を付けなければならないわ。逆に、彼女が会長になるのであれば、彼女自身で目的意識と自覚を持ってその責務を全うしなければ意味がないでしょう?」

 

「…なるほどね~。でもヒッキーは、いろはちゃんは思いの他立派に生徒会長を務めてたって言ったよね?どんな感じだったの?」

 

雪乃の言葉に納得した結衣は、思い出したように疑問を口にした。

 

「…これは一色のプライバシーにも関わるからココだけの話にしておいて欲しいんだが…実はあいつ葉山に気があってな。最初は1年生会長なら失敗も許されるし、生徒会の仕事を葉山に手伝わせたり、遅くなりゃ送ってもらえばいい、って具合に俺が吹き込んだんだよ。だから初めは、雪ノ下が言った目的意識としては限りなく不純だし、まして自覚なんて皆無だったぞ」

 

「私もあまり人のことは言えた義理ではないけれど、あまり好ましいとは言えないわね…」

 

不純な動機で文化祭のトップ2を務めた俺たちは、互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

 

「で、それが何で立派な会長になれたわけ?」

 

沙希が当然の疑問を口にする。

 

「まぁ、慣れなんじゃないのか?最初は酷いもんだったぞ。俺も相当コキ使われたしな…生徒会のメンバーで事足りるような雑務まで、俺を呼びつけて押し付ける始末だ。責任取って下さい、とかイチャモン付けられて、ホント…良い様に使われてたな」

 

「…生徒会のメンバーは何してたの?」

 

結衣が一瞬怪訝な表情を浮かべて、俺に尋ねた。

 

「さぁな?…仕事押し付けられた時は大抵他のメンバーいなかったし」

 

「…じゃあ、いろはちゃんは?」

 

「ヒイヒイ言って仕事してる俺を見てニヤついてやがったよ…やっぱあいつ、相当性格悪いんだろうな」

 

俺は昔を思い出し、半分笑いながらそう言った。

 

「…ちなみに葉山とはどうなったの?」

 

少し考え込むような仕草をしていた沙希が、質問をかぶせる。

 

「…これもこの場限りの話だが…告白して振られてたよ。そういや、俺への嫌がらせが加速したのもその位の時期からだったか?適当なこと言って口車に乗せたこと、やっぱり恨まれてたのかもな」

 

「…では、一色さんが会長として自覚を持つようになった切っ掛けは?」

 

今度は雪乃だ。

 

「何なんだよお前ら、さっきから?切っ掛けなんて、特に思い当たる節はないぞ」

 

「なら、時期は?」

 

神妙な顔つきで更に情報を引き出そうとする3人に、俺は疑問を感じつつも自分の記憶を辿った。

 

「…俺達が3年になって暫く立ってからだな」

 

「それって、ひょっとして、ヒッキーがゆきのんと付き合いだした位の時期?」

 

「…まぁそうだな…って、ちょっと待て。お前ら何考えてんだ!?」

 

俺はこの段階になってようやく、彼女達が尋問を通じて検証しようとしていた仮定に辿り着いた。

 

「頭が痛いわ…私達の後輩の代にまで被害者がいたなんて」

 

「だから、それはねぇよ。被害者は俺の方だろ!?」

 

自分は比企谷八幡被害者の会、会員番号001です、とでも言わんばかりの表情を顔に浮かべて、雪乃は頭を抱えて見せた。

 

「どう考えても、客観的に見れば全部比企谷目当ての行動でしょ?ホントにあんたに全く自覚が無いなら、一色が可哀想なくらいだよ」

 

沙希はそう言いながら深めの溜息をつく。

 

「俺に自覚が無いのは、お前達の邪推が事実無根だからだ」

 

「…さがみんのこともそう言ってたけど、結局告白されたよね?」

 

「ぐっ…」

 

ジェットストリームアタックさながらの3人の連携波状攻撃に、俺は全く言い返すことが出来なくなった。

夏休みが明けてから、奉仕部ではいつもこんな具合に俺ばかりが槍玉に挙げられている。

 

「…貴方がそこまで必死に否定するなら、実証するまでのことよ」

 

そう言って雪乃は携帯電話を取り出すと、昨日登録した一色へコールした。

彼女は携帯をハンズフリーモードにすると、机の上に置く。

いつか、どこかで見た光景だ。

 

しかし雪乃の奴は何を企んでいるのだろうか。俺には全く想像もつかない。

 

 

「ハ~イ?雪ノ下先輩ですか?」

 

「一色さん、今、少しだけ話す時間はあるかしら?依頼の件なのだけれど…」

 

数秒後に電話に出た一色の声が、スピーカーを通じて奉仕部内に響く。

雪乃は一色に話しかけ始めた。

 

「あれから奉仕部で話し合ったのよ。結論を先に言うわね…一色さんは生徒会長になる気は無いかしら?」

 

「え!?…そんなぁ。困りますぅ」

 

「一色さんへ嫌がらせをする生徒が学校にいる限り、生徒会長就任を回避出来たとしても、貴女の事が心配なのよ。であれば、逆に生徒会長になってしまった方が、手も出されにくくなるし、何よりその生徒達を見返すことが出来るわ」

 

「た、確かにそうかもしれないですけどぉ…私、サッカー部のマネージャーもやってますしぃ」

 

「一色さんには会長職もマネージャーも両立させる能力がある、というのが私達の見解よ。貴女には、人を誘導する力…上に立つ人間として必要な資質があると考えているわ」

 

「そんなに褒められても…やっぱり出来ませんよぉ」

 

「…そう。それは残念だわ。比企谷君が悔しがりそうね」

 

――おいおい、何で俺の名前をこんなタイミングで出してんの、この子!?

 

俺は理解不能な雪乃の言動に眉をひそめた。

 

「…何で先輩が悔しがるんですか?」

 

「貴女の会長就任を推したのは比企谷君なのよ。私は貴女の意志を尊重すべきと考えていたのだけれど、彼は貴女へのイヤガラセが過激化するのを一番心配していたわ。それに、貴女に適正があると言ったのも彼よ」

 

おい、虚言は吐かないんじゃないのか?真っ赤な嘘にも程があるぞ。

 

しかし、こんな適当な話に一色が乗ってくるハズがない。

仮に3人の邪推が事実であったとしても、現時点で一色が好きなのはあくまで葉山だ。俺の名前を出したところで全くの無駄…

 

「え!?先輩が、ですか?」

 

おい、何で反応してんだよ、一色さん?

予想外の食いつきに俺は冷や汗をかいた。横から感じる沙希と結衣の視線が痛い。

 

「一色政権にトラブルがあれば、自分がサポートする、とも言っていたわね」

 

「……わかりました。そんなに期待してもらえるのなら、私…やってみます…先輩には"約束、忘れないで下さいね"って伝えてもらえますか?」

 

マジかよ。何が起こったのかさっぱりわからん。

そもそも、今の一色は俺とは殆ど面識が無いはずだ。俺のことを便利な物程度にしか扱っていなかったあの一色が、俺の推薦で自分から会長就任を受け入れるなんて、とてもじゃないが信じられない。

 

「そう言うことよ。これで分かったかしら?葉山君に尊敬される、超有名人の比企谷君?…貴方は悪名も高いけれど、文化祭での圧倒的な功績でファンも多いと聞くわ」

 

通話を終了した雪乃は俺の顔を見てそう言った。

 

「嘘だろ…」

 

俺は自分の認識能力が、3人の洞察力に全く及んでいないことに衝撃を受けた。

 

「…アタシ達の事、大事にしたいって言うなら、もう少し自覚持ってよ。ただでさえ宙ぶらりんな状況なのに…不安になるし」

 

沙希は真面目な表情でそんな言葉を溢した。

 

「サキサキ…」

 

「!…ごめん、比企谷」

 

結衣に嗜めるような声で名を呼ばれた沙希は、ハッとした顔になり、俺に謝罪の言葉を述べた。

そんなやり取りに、久々に罪悪感による心の痛みを感じる。

普段3人で結託して必要以上に俺をからかうのは、きっと俺への気遣いなのだ。

 

「いや、俺の方こそ悪かった…以後、気をつける」

 

3人は、俺の謝罪にほっとした様な表情を浮かべる。

 

「…でもさ、ゆきのん、あんな約束しちゃって大丈夫なの?あたし、いろはちゃんとは仲良いけど、ヒッキーの時間を取られるのは、ちょっと…」

 

結衣は心配そうにそう呟いた。

 

「由比ヶ浜さん、私は何処かの誰かさんと違って一般程度には利己的な人間なのよ。虚言も吐けば、他人を利用することだってあるわ…何の考えも無しに、自分が一方的に損をするようなマネはしないの」

 

「どういう開き直り方なの、それ」

 

沙希が呆れ顔で質問した。

 

「一色さんの生徒会長としての自覚、は、一先ず置いておきましょう。そのうちに、嫌でも身につくことになるわ」

 

雪乃はそう言って、意味深な笑みを浮かべた。

 

 

☆ ☆ ☆ 

 

 

後日

 

職員室前の掲示板に張り出された、新生生徒会メンバーの一覧を見て、俺は苦笑いを浮かべていた。

これならば確かに、生徒会の仕事に俺の出る幕など無いだろう。

 

新生生徒会の面子。

副会長には1年B組の劉海美。それを支える、書記、会計、庶務の実働部隊には吉浜、西岡、田村と、文実の精鋭が名を連ねている。

 

あの時俺が何気なく提案した、対抗馬政権をそっくりそのまま一色いろはの下に収める形になっている。

一色は嫌でもそのうちに会長としての責務を自覚することになる、と言っていた雪乃の言葉にも納得だ。あいつらの性格なら、一色が不甲斐ないマネをしていれば、下から容赦無く突き上げるだろう。

しかし、よくもまぁ自分達が企図した通りに、彼らに生徒会の役職を引き受けさせることが出来たものだ。3人は一体どのような交渉を行ったのかはこれまた謎であった。

 

 

――さて、と…

 

これで生徒会選挙の件は一件落着である。

俺はポケットから携帯を取り出して、次に自分がすべきことを考える。

 

画面に映るのは、先ほど受信した、雪ノ下陽乃からのメール。

俺の雪ノ下建設でのバイトが認められた、という連絡だった。

 

【比企谷君はいつから入れる?うちはいつからでもいいみたいだよ】

 

【じゃあ早速明日、オフィスに伺います】

 

手早くそれだけのメッセージを送信すると、俺は携帯をしまい、深呼吸を一つした。

 

 

 

 

 


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