比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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30. 比企谷八幡は一歩近づく

時刻は夕方16:00。

授業を終えた俺は、雪乃達三人に部活の欠席をメールで告げると、足早に雪ノ下建設の本社へと向かった。

雪ノ下建設での働き口を斡旋してくれた雪ノ下陽乃嬢によると、今日はバイト着任としての挨拶と、業務に関する簡単なレクチャーが予定されている。

「今日からお世話になります。総武高校の比企谷です」

「やぁ、良く来たね。社長から話は聞いているよ。これが入館カードだよ。じゃあ、これから簡単な業務説明をしようか…と、その前に、これからのシフトについてだけど、平日は夕方からでいいんだよね?月末や決算期はデータ入力が忙しくなるから、できれば休日も来てもらえると嬉しいんだけど」

オフィスで俺を受け入れてくれた財務部の主任が今後のシフトについて話を切り出した。

――繁忙期に人手を欲しがる程度には受注があるってことか?

些細なやり取りから、この会社の業績について探りを入れていく。

「わかりました。日付を指定して下されば、週末の予定も空けておきます」

「助かるよ。じゃあ逆に平日は、任意で出社希望日を登録しておいてもらえるかな?後で人事管理関係のシステム操作は教えるから」

「わかりました。ありがとうございます」

バックオフィスは既に夕方の帰宅ムードとなっており、オフィスには気だるげな雰囲気が漂っている。

俺が用意されたデスクに着席すると、隣の席の職員がマニュアル本を開きながら身を乗り出してきた。彼のレクチャーに従って、ID登録等の諸手続きを済ませた後、PCの画面に表示された無骨なアイコンをダブルクリックしてシステムのアプリを立ち上げた。

「これがウチの財務システム。この画面で呼び出したデータの照合が君にメインでやってもらう業務になる…データは基本的に帳票システムからオートで引張ってくるけど、そっちを入力してる営業部門の連中はしょっちゅう数字を間違えるからしっかりエビデンスを確認してくれ。それから、決算期には未入力の伝票が溜まるから、こっちの入力欄から外側で入れてもらうことになる」

総武光学が一般的な表計算ソフトを使っていたのに対し、雪ノ下建設の財務部門には高度なシステムが導入されていた。総武光学も今ではファンドの出資を経て、こういったシステム化が進められているはずだが、雪ノ下建設は当時の総武光学と比べて、成熟した企業であるということが窺われる。それは同時に、この会社の財務の全体像を把握するためには、当社特有のシステムの使い方を習熟しなければならないことを意味していた。

ややぶっきら棒な態度で説明を続ける職員に、相槌を打ちながら、俺はノートに操作方法にかかるメモを取っていった。

「照合する帳票の元データはどれを見ればいいんですか?」

「君のデスクのキャビネットに入ってるドッジファイルがそれだよ」

職員の言葉を聞いてキャビネットを開くと、プラスチック製の分厚いファイルにパンパンに詰った書類の束が4つ程目に付いた。

「…結構量がありますね」

「ま、頑張って」

俺はパラパラとファイルの内容を確認した。見たところ、殆どが建設事業にかかる受注・発注の伝票であり、投資にかかる残高等のレポートの類は見あたらなかった。

再びシステムの画面へと目を移すと、俺はインターフェイスに備わっている機能を確認していった。財務集計を行った後の、決算書等の表示はワンクリックで、という訳にはいかなそうだ。

お目当ての情報が直ぐに見つかるとは思っていなかったが、やはりシステム操作について、職員に聞きながら少しずつ調べていく必要がありそうだ。そのためには、ひと先ず業務を真面目にこなして、職員からある程度信頼されなければ話にならない。

――先は長そうだが、取り敢えずやるしかねぇな

どれだけ作業量が多くても、投資銀行業務程ではないだろう。過去の社畜時代には、たった一つの投資プロジェクトをまとめるのに、ドッジファイル数個分の情報を管理してきた俺だ。この程度で弱音を上げることは許されない。

「残業しても大丈夫ですか?早く仕事を覚えたいんです…あ、退出時刻の記録は皆さんに合わせますんで」

「…進んでサービス残業したがるなんて変わってるな?まぁ、いいよ。後で退出記録の付け方を教えるから」

「あざっす」

こうして俺の雪ノ下建設でのバイトと称した、潜入捜査活動が始まった。

☆ ☆ ☆ 

数日後

俺は初日以来、ほぼ毎日のペースで雪ノ下建設に顔を出していた。

大量にあった財務の照合作業もかなりのペースで進捗しており、財務部門のチームからも、一定の評価を得ることに成功していた。

今日も授業が終わると、そそくさとカバンに荷物を仕舞いこみ、教室を後にする。

「ヒッキー!ちょっと待ってよ!」

そんな俺を追いかけるように、結衣と沙希が飛び出し、俺を呼び止めた。

「あんた、今日も部活休むの?」

「ああ。ちょっと外せない用事があってな」

「ヒッキー最近、ずっと部室に来てないし…何してるの?」

結衣は心配するような表情を浮かべて俺に問いかけた。

早晩、こうなることは分かっていた。ここは素直に3人に伝えておいた方がいいだろう。

そう考えた俺は、周囲に人気がないことを確認して口を開いた。

「…雪ノ下の姉の口利きで、雪ノ下建設でバイトを始めたんだ」

「バイト?あんたお金に困ってたっけ?」

沙希が最もな疑問を口にした。

「お前らには隠すことじゃないから伝えとくか…だが、これは口外無用で頼むぞ」

そう言うと、二人は固唾を飲むように俺の次の言葉を待った。

「あいつの実家…両親が経営している事業の絡みでキナ臭い動きがあることを掴んだんだ。しかも、それには俺が勤務していた投資銀行が関係しているらしい。これは当然、雪ノ下姉妹の与り知らない所で起こっている話だ。俺がやってんのはその潜入捜査ってところだ」

「…潜入捜査って、雪ノ下の実家、そんな大変なことになってるの?」

「何が起きているかはまだ良く分かっていないんだ。だが、それを調べるのにも実際にビジネスで培った知識と経験が必要だ。雪ノ下にアドバイスしても、あいつ個人でどうにか出来る問題じゃないだろ」

「ヒッキー、それってもしかして…」

結衣は何かを察したように、尋ね辛そうな顔でそう呟いた。

「…考えてみれば、いくら由緒ある家柄とは言え、二十歳に満たない娘を結婚させるなんて普通じゃない。由比ヶ浜の想像通り、この行動には俺の私情が混ざってる…お前たちは、やっぱりこういうのは嫌か?」

俺が尋ねると、二人は無言となった。

気まずい沈黙を破るように、俺は二人に言葉を投げかけた。

「すまん…これは確かにあいつの将来のためだ。だが…卑怯な言い方かもしれないが、その将来、雪ノ下の隣に俺がいるかいないかは、別問題として理解してもらえると助かる」

「…正直、ちょっと複雑だよ。でも、あんたしか雪ノ下を救えないって言うなら、あたしは応援するよ」

「サキサキ…そうだよね。アタシも、手伝えることがあれば何でもするよ。でも、このことはちゃんとヒッキーの口からゆきのんに説明した方がいいかも。本人なのに蚊帳の外に置かれてたって知ったら、ゆきのん、きっと怒るんじゃないかな…」

「…そうだな。近々、あいつにもこのことを伝える」

俺は雪乃への報告を二人に約束して、バイト先へと向って行った。

☆ ☆ ☆ 

俺は夜のオフィスで書類の束と格闘しながら、雪ノ下建設の不正の可能性について、自分なりの考えをまとめていた。

これまでの調査で分かったこと。

それは、少なくとも見かけ上、当社の業績は極めて堅調であるということだ。

公共事業への参加、マンション建設等、正規の受注により売上げを計上しており、売掛金の水増しや、下請けへの発注金額を不当に調整して利ざやを計上するといった単純な粉飾をしている可能性は極めて低いことが判明した。

そうなると、疑問なのはやはり企業買収と投資の内容である。

俺には、企業買収を利用した粉飾の手口については心当たりがあった。それはバブル崩壊後の日本で注目を集めた、"飛ばし"と呼ばれる手法である。

投資した有価証券の価値が暴落した際に、その損失を計上せずに、子会社等へ簿価で売却するといった行為だ。噛み砕いた例で説明すると、100円で買った証券の市場価値が50円に低下すれば、本来、50円の損失をその時に計上しなければならないが、子会社に100円で買い取らせればそれをしなくて済むといった具合だ。

問題は、いくら子会社とはいえ、そんな一方的に不利な取引に誰が応じるのか、といった点だが、これにもパターン化されたからくりがある。例えば、本来50円の価値しかない企業を100円で買収する。その資金で証券を買い取らせるのだ。このスキームでは、巡りめぐって、結局50円の損失が親会社に戻ってきてしまうわけだが、この50円の差額は将来の子会社の成長を見込んで支払うプレミアムである、という会計上の整理をつければ、親会社は差額を「のれん」として資産計上し、何年かに跨いで償却することが可能となる。つまり、証券が値下がりしたタイミングで一気に損失を計上するのではなく、何年もかけて少しずつ損失を分割計上することができるといったメリットがある。

雪ノ下建設で言えば、値崩れしたコモディティやデリバティブをこのような手法で子会社へ移しているとすれば、これまでの情報と辻褄も合うだろう。

だが、ことはそう単純ではない。俺が気になっているのは、雪ノ下建設は果たして、そのような損失隠しをする必要があるのだろうか、ということだ。

俺が過去のデータを遡って確認した結果、確かに金融商品への投資残高は、年々増加の一途を辿っていた。だがそれが、一時的にも危険水準まで膨らんだ形跡は全く見られなかった。例えば今、投資の価値が半分にまで減ってしまったとしても、毎期確保される利益に対する比率で言えば、雪ノ下建設の事業存続に直ちに致命的な影響を与えるとは到底考えられないのだ。

加えて、仮に当社が”飛ばし”を行っているのであれば、どこかのタイミングで総資産に対する投資残高の比率が縮小する変わりに、「のれん」の比率が膨らむといった、財務上の特徴が見られるはずである。但し、当社の財務データはそうなっておらず、むしろ、売上と利益が、投資残高と共にハイペースで伸びており、「のれん」の規模にも不自然な点は見当たらないといった具合だった。

――せめて、グループ内取引と投資の内容が分ればいいんだが…

生憎、俺がアクセスできるのは、工事受注等の本業の帳簿を除けば、他者が集計し終わって完成した財務諸表程度だった。それでは細かい企業活動の裏を追うことはできない。

俺は手にしていた書類の束をやや乱暴にデスクの上に投げ捨てると、椅子の背もたれに体重を預けて深い溜め息をついた。

その瞬間、机上に無造作に置かれていた俺の携帯電話から、けたたましい着信音がオフィスに響き渡った。

「もしもし、比企谷君?」

「…雪ノ下か」

「あなた、今どこにいるのかしら?」

「…お前の実家の会社だよ」

「はぁ…姉さんから話は聞いたわよ。最近部活に顔を出さないと思ったら、私に断りもなくそんなことをして、どういうつもりかしら?」

雪乃は少しだけ俺を責めるような口調でそう言った。

「悪い。そのうち話そうとは思ってたんだ。ちょうど今日、由比ヶ浜と川崎に忠告もされたしな…すまん」

「…なぜウチの会社でバイトを?」

「…雪ノ下建設の活動には少し不可解な動きがあるんだ。それも、俺の勤め先だった投資銀行と結託している可能性がある。ひょっとしたら、これがお前の将来を左右する原因になったんじゃないかと思ってな…」

「それで中に潜り込んで調査をしているというの?」

「まぁ、そんなところだ。だが、今の段階じゃさっきの話も俺の推測に過ぎないからな。決定的な証拠を掴む前に、こんな話をお前にするのは気が引けたんだよ」

「馬鹿ね」

「…すまん」

俺が謝罪の言葉を述べると、雪乃は数秒の間沈黙した。

「はぁ…仕方がないわね。確かに今の私では、きっとどうすることも出来ないでしょうし。…ところで、今日、生徒会から依頼を受けたのよ。"クリスマスイベント"と言えばあなたには依頼内容が分かるのかしら?他校との合同イベントで斉藤さんもいるらしいわよ」

溜息の後に、雪乃は話題を切り替えた。

「ああ、海浜総合の意識高い系集団だろ?…今の生徒会の布陣なら問題ないだろ?奉仕部に出る幕があるのか?」

俺は昔の記憶を手繰り寄せながら、そう言葉を返した。

「それが、そうもいかないのよ。3ヶ国語を流暢に話す海美さんが、会議で交わされる言語の殆どを理解できなかったといって放心していたわ」

俺は覚えたてのビジネス用語を必死にこねくり回すように使う奴等の滑稽な姿を思い出して噴出しそうになった。

「他の三人はどうした?文実で実力をつけた吉浜達なら、あんな連中、簡単に捩じ伏せられると思うんだが…」

俺は自ら下した彼等への評価を信じて、雪乃にそう問いかけた。

「その彼らが問題を大きくしているのよ。三人とも、"比企谷塾第一期生"が"比企谷モドキ"の勢いに負けてられないと、おかしな対抗心を燃やすものだから…ただの地域交流イベントを、また儲けの場にしようと画策して、収集がつかなくなっているそうよ。一色さんが早くも泣きそうになっているわ」

――比企谷モドキって…あんな連中の何所が俺に似てるってんだよ。しかも比企谷塾って何だ…勝手に変な名前付けてんじゃねぇよ。

俺は心の中でそう呟きながら、渋い表情を浮かべた。

「とにかく、明日は時間があればあなたにも会議に参加して欲しいのだけれど」

「そうだな…調査もちょっと煮詰まってきてるし、久々に顔を出すか」

「そう」

俺が雪乃の誘いに応じると、彼女は少しだけ嬉しそうなトーンでそう口にした。

「…ところで雪ノ下、さっきの話題に戻すが、雪ノ下建設が最近積極的に企業買収を進めてるって話、親から聞いてたりするか?他にも、何か投資をしてるって話に心当たりは?」

俺は話題を戻しつつ、駄目もとで雪乃にそんな話題を振ってみた。

「…初耳ね」

やはりそうだろう。特に期待していたわけではないが、自分の顔に落胆の表情が浮かびかけるのを感じた。

「…でも、実家に他所の建設会社の社長や役員が頻繁に出入りしているのよ。前も実家に顔を出した時に、そんなお客さんが来ていたわね。同業者の両親に対して、やけに畏まった態度だったから、ひょっとしてそれが買収先の企業の人なのかもしれないわ」

「マジか!?どんな話をしていたか覚えていないか?」

俺は一呼吸おいて続けられた雪乃の言葉に食いついた。

「…デリバティブの譲渡がどうのと言った話を長々としていたわ。うちの財務部の主任さんも一緒に来て、その時は、ずいぶん長いこと話し込んでいたわよ…あなたが調べていることと何か関係があるのかしら?」

――財務部の主任?このバイトの上司じゃねぇか

「…灯台下暗しってのはこのことだな。今、ちょうどその話題にかかる資料をオフィスで探してる最中なんだよ」

「こんなことを勧めるのは気がひけるけれど…それなら、主任さんのデスクのキャビネットに何か入っているかもしれないわね」

俺はその言葉を聞くなり、勢い良く立ち上がって主任の席に向かうと、キャビネットの取っ手に手をかけ、勢い良く引張った。が、ご丁寧にロックされており、ガタンと、キャビネットを揺らしただけで、その引き出しは開かなかった。

「番号はわかるか?ここのキャビネットは5桁のダイアル式なんだ」

「流石に社員個人が設定する暗証番号までは知らな…待って。あなたのデスクのキャビネットはどうなっているの?」

「…11111。納品した時のまま、特に設定変更はされてないな。設定の仕方も良く分からんし」

「なら、それを試してみたら?世の中にはズボラな人間が多いのよ」

雪乃の言葉に従って、ダイアルを11111に合わせ、解錠用のレバーを捻ると、カシャンッと子気味良い音が小さく響いた。

「サンキュー雪ノ下。愛してるぜ!」

「貴方がその言葉をかける相手は、出来れば私だけであって欲しいわね」

俺が興奮気味に口にした軽口に対し、雪乃はクスクスと笑いながらそう答えて電話を切った。

俺は携帯電話をポケットに仕舞い込むと、主任のキャビネットから数冊のファイルを取り出して内容の確認を始めた。

――これだ!

雪ノ下建設に潜り込んでから、ずっと探していたものが見つかった。

そんな興奮を覚えながら、俺はファイリングされていた資料のうち、目欲しい資料を携帯のカメラで次々と撮影していった。

☆ ☆ ☆ 

「よくこれだけの資料を集めたな。お前のその行動には執念じみたものを感じるぞ」

電話先から宮田さんの声が響いている。

俺は、主任のファイルから掴んだ証拠データを、槇村さんと宮田さんへ転送し、メールでこれまでに把握した事実について告げていた。

そして、ちょうど俺が自宅に戻ったころ、宮田さんから電話がかかってきたのだ。

「…執念ですか…そうかもしれませんね」

俺は元上司の言葉を肯定するようにそう言った。

先ほどオフィスで見つけた資料は大きく分けて買収先企業の情報と、投資商品の取引明細の2種類だった。

買収先の企業のデータについては、個々の企業の財務情報の他、企業名、買収時期、資本の簿価を一覧にしたリストがあった。加えて、俺が勤めていた投資銀行のロゴが入った、企業価値算定の資料の一部がエビデンスとして綴じ込まれていた。そのペーパーには担当窓口として、槇村さんが言っていた村瀬という男の名が記載されている。

雪ノ下建設は、投資銀行が算定した評価額で買収を行い、簿価との差額をのれんとして計上しているようだ。いくつかの買収先企業の財務データを見たところ、どこも業績が芳しいとは言えず、投資銀行によるバリュエーションは明らかに実態と乖離した高水準な値付けが行われていた。

投資商品の取引明細からは、雪ノ下建設が継続的に投資を積み増しながら、買収先に作らせた海外のビークルに購入した資産を移転している実態が明らかとなった。時系列を追ってみると、譲渡した資産の総額は、概ね企業の買収先にかかったコストと同水準だった。しかも、雪ノ下建設による投資のブローキングを行っているのも、これまた俺の勤め先であった投資銀行であることが判明した。

「お前が言った通り、雪ノ下建設が”飛ばし”のスキームを利用して資産をせっせと移転させているのは確かな事実だろうな。だが、その動機が不明だ。そもそも、譲渡している資産は購入してさほど時間の経っていないものが殆どだ。含み損を抱えた商品と言うわけでもない。明らかに高額なバリュエーションで買収した企業に、正常な金融資産を移転していけば、むしろ”のれん”償却の費用負担が重くなる一方だ。雪ノ下建設にメリットが何もない…」

宮田さんは俺が共有した情報を整理してそんな考えを口にした。

「俺も同じ認識です。まだ事実を暴くにはピースが足りてない…一体何なんでしょうか」

「…粉飾が目的でないとしても、必ずこの行動が雪ノ下建設に別の利をもたらすことに繋がっているはずだ。それに、これだけの情報があれば村瀬を問い詰めることも出来るだろう。今、槇村が村瀬を呼び出す算段を付けているところだ。その時はお前も一緒に来てもらおう」

「わかりました…また連絡します」

そう言って通話を終了しようとした矢先、携帯のスピーカーから大きな声が響いた。

「おい宮田!」

――槇村さん?

宮田さんのデスクに走ってきたのだろうか。

バタバタとした音が聞こえてくる。

「村瀬の奴…クビになった」

☆ ☆ ☆ 

翌日

雪乃との約束通り、俺は生徒会メンバーとともに公民館で、海浜総合高校との合同クリスマス会の打ち合わせにやってきていた。

雪乃が言った通り、会議は紛糾しており議決は遅々として進まない状況だったが、俺は昨日の電話のやり取りが気になって、今日一日ほとんど上の空だった。

昨日、俺からのメールを見た槇村さんは、村瀬という人物を誘い出すつもりでM&Aの部門へ顔を出したようだ。ところが、その人物のデスクには段ボールが積まれており、当の本人はオフィスにはいなかった。不審に思った槇村さんが周囲の職員に尋ねたところ、今週初、彼に対する解雇の通達が行われ、既に出社を禁止されているとのことだった。

外資系投資銀行では、解雇通知がなされた場合、解雇当日までの出社が禁止され、オフィスへの入室も出来なくなる。そして、指定の日付にデスクの私物を取りに来ることだけが許される。情報漏洩を防止するため、解雇対象となった職員に、一切の業務情報へのアクセスを行わせないための措置である。

――一体何が起こってんだよ…クソ

雪ノ下建設に関する調査は一進一退を繰り返している。

掴みかけた全容も再び闇の中だった。

あの後、宮田さんと槇村さんは俺に、今週金曜に学校を休み、都内へ顔を出すよう指示した。

どうやらその日が、村瀬が私物を取りに来る最終出社日となるらしい。二人はオフィスの近くで奴を問い詰める算段だ。

だが、ここで事実を突き止められない場合、村瀬とのコンタクトを失うことになる。住所やプライベートの連絡先といった個人情報は、厳重に管理されており、例え同僚であっても部門の異なる二人がそれを入手することは困難だった。

そこで、もしもの際は俺がオフィスから奴を着けて、住所を暴くという段取りだ。

――そんな探偵みたいなマネ、俺に出来るのか?

不安は募るばかりだ。

「…ッキー!ヒッキー!聞いてるの!?」

「!?…あ、ああ。悪い。ちょっと考え事を…」

「せぇんぱぁい!何とかして下さいよ!お願いします!」

俺の思考は結衣と一色の声で現実に呼び戻された。

「…そろそろ休憩しようか?こういったカンファレンスで会議を続けるにはコンセントレーションの維持がマストだと思うんだ。適度なブレイクで休憩を取るのは理にかなってる」

そんな俺の顔を見ていた海浜総合高校の生徒会長らしき人物が、休憩の提案を入れる。

名は確か…玉縄だっただろうか。ちなみにカンファレンスと会議、ブレイクと休憩は同じ意味なのだが、それには敢えて触れずに、俺は彼の提案に同意した。

「…悪い。今どこまで決まってるんだっけ?」

パラパラと会議室から人が抜けて行ったのを確認して、俺は会議にキャッチアップするため、雪乃に質問した。

今会議室に残っているのは、俺を含めた奉仕部四人と海美の5名だった。

「今更その質問?呆れるわね…何も決まっていないわよ」

「お前ならあの連中も一刀両断するかと思ったんだが…」

「総武高校側のメンバーに反論されては、これ以上強く出られないわよ。仕方ないでしょう」

雪乃は面白くなさそうにそう言った。

「吉浜と西岡と田村の3人、海浜の人たちと違って具体的なアイデアを提案するのはいいんだけど、このままじゃ、やりたいことが多すぎて全然まとまらないね」

沙希が雪乃の言葉を補うようにそう呟く。

「議決権者不在の会議なんてそんなもんだ。一色にはその辺をまとめる力はまだないか…今出てるアイデアはなんだっけ?」

「ん」

沙希に手渡されたノートには、几帳面な字でこれまで提案された活動内容のリストと、提案者の名前が記載されている。その殆どが総武高サイドからのものだった。

ケーキ販売、プレゼント販売、バンド演奏(チケット販売)、バザー…っておいおい。マジで金儲けることしか頭にねぇのか。地域の高齢者との交流会じゃねぇのかよ。年金暮らしの老人から金を巻き上げる気か?

ため息を吐きながらリストの下に目をやると、今度は運営案として、企業スポンサー誘致、テレビ局呼び込み、といった文化祭の二番煎じ的なアイデアが続いている。

「…これはマズイな」

「そうだよ!吉浜君がテレビ局とか言ったせいで、海浜総合の生徒も余計に盛り上がっちゃったし…シナジー?が何とかって…どうにかならないかな?」

結衣が俺の顔を覗き込みながらそう尋ねた。

「正に最悪な相乗効果だな…わかった。何とかする…海美、ちょっと協力してくれ」

「え!?私ですか?」

驚いた表情を浮かべた海美に対し、俺は頷いた。

☆ ☆ ☆ 

「さて、じゃあブレインストーミングの続きを…」

休憩時間が終わり、玉縄が戻ってくるなりそう提案した。

「いや、ブレストの時間はもう終わりだ。イベント開催日までの残存日数と作業可能時間を確認した上で現実的に可能な提案とそうでないものを選別した方がいい。もう時間がないんだろ?」

俺が玉縄の意見を否定すると、皆の視線がこちらに集まった。

「いやいや、まだアイデアを出し切っていないよ。今回のアクティビティのポテンシャルを高めるには十分なアイデアをベースに、ボトムアップ型の底上げアプローチが…」

海浜総合高校の生徒からまたもカタカナ用語だらけの発言が出る。何回上げ底すんだよ。

「…悪いが、日本語使ってくれ」

「総武高の生徒なのに、このくらいの単語がわからないのかい?」

俺が渋い顔を浮かべると、海浜総合の生徒が勝ち誇った顔で俺を見た。

「…確かに時間的にキツイのは把握してるけどさ。アイデアを深堀りしてどうやったらそれを実現できるか、考えてもいいんじゃないの?」

吉浜は海浜総合の生徒を無視しつつも、ブレインストーミングを打ち切るという提案には反対した。西岡と田村もそれに頷いている。

「お前ら…今回のイベントに、文化祭の準備と同じ期間・人手が割けることを前提にすんなよ。あと2週間、このメンバーで回せるのか?成功体験を再現したい気持ちは判らんでもないが、このままじゃ何も出来ずに終わるぞ。言っとくが、俺達奉仕部4人を戦力として当て込んでるならそれは大きな間違いだ。俺はもうサービス残業はしないからな。っていうか、俺達がヘルプで呼ばれた時点で、今のままじゃダメだって気付けよ。お前ら程の奴らが揃っていながら、この状況はちょっと情けねぇんじゃねぇのか?」

「「「うっ…」」」

俺が睨み付けながらそうまくしたてると、総武高校文実組の3人が俯く。

これで反乱分子は抑え込んた。

「ブレインストーミングは相手の意見を否定しないんだ。すぐに結論を出しちゃいけないんだ。だから君の意見はダメだよ…これは提案なんだけど、今はもっと大切なことがあるんじゃないかな?」

玉縄はろくろを回すような仕草でそうのたまう。ブレインストーミングの時間は終わりだといった俺の意見ごと否定しやがった。

「総武高校の生徒会には海外留学生もいることだし…もっとグローバルなビューで国際的な視点からドメスティックに偏らない、オープンマインドで開けたアプローチを模索するべきだと思うんだ」

だから、どんだけ対外開放したいんだよ、こいつ。

海美を見ながらそう言った玉縄に追随するように、海浜高校の生徒が訳の分からない言葉を口走りだす。だがこれは好都合だ。

「…海美、会議についてこれるか?」

俺は海美に確認した。

「すみません。慣れない単語が多くてよく聞き取れませんでした」

「みんな、聞いたか?海美が会議についてこれないそうだ。幸い海浜総合のメンバーは英語が得意らしい。こっからはご希望通り、よりグローバルなアプローチで会議を進めよう…」

俺は嘲笑するようにそう言った。

「よりグローバルなやり方?」

入口の傍に座っていた、一色が俺の言葉を疑問形で繰り返した。

「That's right. Let's restart the meeting in English. Hey, you..your name is Tamanawa, right? You gonna be a final decision maker for what we discuss hereafter. How do you think?」

俺の言葉に一瞬会議室が静まり返るが、雪乃がその静寂を破った。

「...Fair enough. Haimei-san, Please give us your idea. We have to quickly deside the containts of our activity and break it down to the tasks. Scheduling is another critical issue here」

雪乃は俺の言葉に相槌を打つと、海美へと会話をふる。

「Thanks everyoen! Sure, I agree, Yukinoshita-san. 」

海美はにこやかな顔でそう答えた。

☆ ☆ ☆ 

「比企谷…さっきの何?全員置いてけぼりでポンポン決めたみたいだけど、超感じ悪かったよ…っていうか、比企谷が英語とか、イメージと違いすぎて超ウケる」

会議が終わった後、海浜総合生徒会のサポートメンバーとして参加していた折本が話しかけてきた。

折本が言うとおり、あの後の会議は奉仕部員と海美の独壇場だった。あれは中身のない発言で議決を妨害するだけの海浜総合のメンバーの口出しを封じ込めるための禁じ手だ。

ちなみに沙希と結衣には俺と雪乃が日本語でメモを回し、"I agree" "I think so too" "That's a good idea"等と相槌を打たせ、さも独り善がりでない体を装ったのは内緒である。加えて二人とも日頃の勉強会の成果か、俺たち3人の会話内容をある程度理解し、たどたどしいながらも、一部自分の考えを英語で述べたのは立派だった。

「しょうがねぇだろ。海美はカタカナ英語通じねぇし、そもそもお得意の語学力を鼻にかけたのは海浜総合のメンバーじゃねぇか。っていうかウケたんなら問題無し」

「でも普通、高校生の会議で英語使う?私、何言ってるか全然分かんなかったし」

「一応、全部海浜総合の生徒会長が最終意思決定したじゃねぇか」

最初に俺が提案した通り、総武高校サイドである程度議論がまとまった段階で、俺は玉縄にその採決を求めた。奴は話をふられる度に困惑した表情を浮かべていたが、とにかく最終的に奴が全て自らの意思で決定を下したのだ。

ちなみに俺は「Yes or No !?」と中学生レベルのシンプルな英語で質問し、机をバンバン叩いただけで、奴に何も強要していない。

玉縄の口から「…あ、あの」「ちょ、ちょっと…」等の “Yes以外の言葉” が出かかった際は、雪乃と海美が「Why No? WHY!?」と、これまたシンプルな英語で説明を求めていたが、グローバル思考の強い若者ならば、日本人であっても、本当に飲めない提案にはNoを突きつけるはずである。

「比企谷君が強引なのは文化祭の時から変わらないよね…」

「ホント、文実会議の初日を思い出したよ。今回は更にその斜め上だったけど」

「ちっくしょ~、一儲けしたかった!ちょっとくらい協力してくれてもよかっただろ?」

西岡、田村、吉浜の3人が折本に会釈しながら会話に入ってきた。

「比企谷、総武高の人にも嫌われてるし。ウケル」

折本は茶化すようにそう言った。

「ちょっと小言を言っただけじゃねぇか。流石に嫌われてはねぇよ…な?」

「え?嫌いだよ」「うん、嫌い」「すげぇムカつく」

「…」

3人が口を揃えてそう言うと、折本は腹を抱えて笑出だした。

「先輩! 今日はありがとうございました!さっきの会議、軽く…っていうかかなり引きましたけど…とにかく、ようやく前に進みました」

その輪に入ってきた一色が嬉しそうな顔でそう言った。手には川崎がメモを取っていたノートを持っている。今日議決された内容を確認して、その進捗ぶりに驚いたのだろう。

「…お疲れさん。ここまでくりゃ、後は生徒会だけでイベントは何とかなるだろ」

「え?最後まで手伝ってくれないんですか?」

「本来、海美にこいつら3人がいりゃ、人材的には十分なんだよ。今回はちっとばかり拗れてたが、流石にこの3人もここからはお前の味方だ。問題ないだろ?」

「出たよ、比企谷君の殺し文句」「落としてから持ち上げる、斬新なパターンだね」 

俺の言葉に、やや照れ臭そうな表情を浮かべて、西岡と田村がそう言った。

「しょうがねぇな。会長、学校戻って企画を更に詰めるとするか」

吉浜が元気よくそう提案した。

「え!?今からですか!?」

「当たり前だろ。文実の時はもっと過酷だったぞ」

「あの文化祭と比べないでくださいよ!っていうか話をややこしくした張本人が何でそんなに偉そうなんですか!?納得いかないです!」

「るっせ、1年坊!生徒会長クビにすんぞ!…じゃあな、比企谷。暇があったらまた顔出せよ」

残業に難色を示す一色を強引に連れて、吉浜達は学校へと戻っていった。

生徒会長でも容赦なく突き上げるのは、俺が予想した通りだった。このイベントを通じて一色が会長として少しでも成長してくれれば幸いだ。

☆ ☆ ☆

「いろはちゃんの依頼、解決できてよかったね」

すっかりと日が落ちた中、俺たち奉仕部4人は駅に向かって歩いていた。

歩きながら結衣が嬉しそうにそう言った。

「あたし、もうちょっと英語勉強したい。比企谷達の会話についていくの、まだシンドイし」

沙希は苦笑いを浮かべながらそう口にする。

「あら、貴女も由比ヶ浜さんも、内容は概ね理解していたじゃない。英語で自分の意見も表現していたし、本当に大したものよ」

「だな。俺も正直驚いた…もう二人とも、俺が初めて海外に行った時よりだいぶレベルは上だと思うぞ。特に由比ヶ浜は1学期の頃と比べりゃ驚異的な伸び方だ」

俺は正直な感想を口にすると、二人の顔が明るくなった。

「そう言えば、今回のイベントだけど、やっぱり"前"と同じなの?」

沙希は奉仕部への依頼に関して、俺へ恒例の質問を口にする。

「まぁ概ねな。違うのは、費用を削る案が出たことくらいか」

俺が答えた通り、今回も小学生を交えたイベントに仕立て、ケーキ作り、小学生合唱団の聖歌斉唱、各校の吹奏楽部による生演奏といった活動内容に決定していた。

「費用って?」

「ケーキや会場の装飾品の材料については、ウチの文化祭で出来た地域商店とのリレーションを使って、少しでも安く仕入れようということよ。海美さんが、2年生の生徒会メンバーに気を使って、少しでも文化祭に似た取り組みをさせてあげようと提案したの」

雪乃が俺に代わって結衣の問いに答えた。

「どうやったらそんなことが出来るの?商店に行って、安くして下さいって、お願いするの?」

「入札制ってやつだ。文化祭じゃ、各クラスがスーパーや食品卸業者、文房具屋から色んな物品を買っただろ?そん時に文実も窓口になって、取引先を管理してたんだよ。その複数の業者に値段の提示を呼びかけるんだ。で、一番安い値段で納品してくれる先から買い付ける」

「文化祭の成功があれだけ報道されれば、将来の付き合いを見込んで、赤字覚悟で売ってくれる業者もいるかもしれないね」

俺の説明に対し、沙希がそんな感想を述べた。

吉浜達へのお土産としての、この提案の建前は沙希の言った通りだ。

まぁ実際は、たかが公立高校の、年に数回のイベントのために、各業者が競って値段を下げるといのは考えづらい。逆に、仮に総武高のイベントに俺が想定した以上の注目が集まった場合、価格を示し合わせて共同受注しようとする業者が出てくる可能性もある。所謂、「談合」というやつだ。兎角、ビジネスの世界は甘くない。

「…あ」

俺がそんなことを考えていると、不意に雪乃が立ち止って、何かに気が付いたような声を上げる。

俺が雪乃の視線の先を目で追うと、そこには見覚えのある人物が2人いた。

一人は和服姿の女性、もう一人はスーツ姿の男性だった。

二人は話し込んでおり、雪乃には気づいていない。

「…母さん」

雪乃がそう呟いた通り、一人は彼女の母親だった。

俺はもう一人の人物に目をやる。二人の距離感や表情から察するに、あれは雪乃の父親ではないと思われる。

――どこかで見たことがある人だ…誰だ?

「ごめんなさい、何でもないわ…こちらの道から行っても良いかしら?」

雪乃は、母親と顔を合わせることを躊躇ったためか、迂回を提案した。

結衣と沙希は、一瞬不可解な表情を浮かべるも、それを了承して歩き出した。

俺は先ほどの人物が誰なのかが気になり、必死に記憶を手繰ったが、結局それが誰なのか思い出すことは出来なかった。

そうこうするうちに、俺たちは駅に到着し、そのまま解散となった。

 

 


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