比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

4 / 35
4. 比企谷八幡は機中で過去を思い出す

 

翌朝、俺は朝一の便で上海へと向かった。

 

羽田から上海のフライト時間は3時間程度。

機内エンターテインメントは離陸30分後に開始され、着陸30分前には終了する。

せっかくビジネスクラスに乗っても、映画が一本見れるか見れないか程度の時間しかないのだ。

 

俺は機内の音楽番組を聴きながら、資料に目を通すことにした。

 

ページをめくって行くと、一人の人物の経歴書があった。

 

 

 

―――劉藍天、37歳。

 

今回のプロジェクト視察に併せて、中国のパートナーが用意した政府方の人物。

 

史上最年少で中国共産党中央政治局に入った若き彗星であり、上海市の副市長を兼務。

将来、中国の指導者として中央政治局常務委員入りが有望視される逸材。

  

こんなバケモノみたいな奴が、今回のカウンターパーティーか。

30代で中央直轄市の副市長って、どんな人事だよ。

 

しかし、この劉という御仁、若いのに顔写真を見るだけでも凄まじいオーラを感じる。

顔は葉山といい勝負のイケ面。

名前は和訳して「青空」。こいつは中国で今時のキラキラネームという奴かもしれないが、いかんせん本人の爽やかな顔と妙にマッチしており、浮いた感じもしない。

 

ますます気に食わない。

 

経歴書によると、どうやら日本への短期留学経験もあるようだ。

 

ひょっとして、日本語もできるんじゃないか?

ただし、迂闊にその前提で日本語で話しかけるのは失礼だ。

日系企業団と現地パートナーの間のコミュニケーションには専門の通訳が必須となる。

劉さんとの対話は通訳に任せるのがベストだろう。

 

 

「さて・・・・」

 

人物関係の資料には一通り目を通した。

続いて、今日のスケジュールの再確認に入る。

 

今日は現地到着後、日系企業団との昼食会、劉さん以下中国サイドとの会議、そして港湾施設の視察という流れになる。

 

―――問題は視察の時のコミュニケーションか。

 

プロジェクトの現地視察はオーガナイズされた会議と違い、日系企業団と現地パートナーの職員が入り乱れながらコミュニケーションを取る場となる。

今回のコーディネーターである俺に中国語通訳を依頼してくる日系企業職員がいてもおかしくはない。

 

俺の中国語研修の主戦場は学校でも、ビジネスの場でもなく、現地の夜の街だった。

要するに、キャバクラのねーちゃん(小姐という)が、俺の中国語の師である。

とてもじゃないが、俺の中国語はビジネス通訳が出来るようなレベルではない。

 

「頼むから、英語くらい出来る奴をちゃんと用意しといてくれよ・・・・」

 

現地パートナーが俺の期待通りに準備していてくれるよう、心から祈った。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「はぁ~」

 

大き目のため息をつきながら、俺はノートPCの画面をパタンと閉じた。

 

まだ現地入りもしてないのに疲れちまった。飛行機の中でまで生真面目に仕事なんかするもんじゃないな。

 

窓の外に見えるのは青々とした海。

位置的には、既に九州上空を越えたあたりだろうか。

 

 

資料の再確認は十分済んだ。

後はゆっくり音楽でも聴いて、着陸を待つとしよう。

 

 

目を閉じると、機内備え付けの安っぽいヘッドフォンから流れる音楽へ自然と意識が割かれる。

 

曲は聞いたこともない古い洋楽だった。

 

Is there really anything that last

makes me wonder if time is a bullet cause everything is happening too fast

I loved, I lost, where are they now?

The things I touched and let them fall・・・

 

 

 

愛したもの、失ったもの、今は何処にいるのだろう?

 

 

何気ない拍子にこういったフレーズを聞くと、決まって雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の姿が思い出された。

そして、胸に穴が開いたような切なさを覚える。

 

―――クソッ、またかよ。歌詞なんか聞き取ろうとするんじゃなかったな。

 

その感覚に苛立ちながら、俺は過去の出来事を思い返し始めた。

 

 

 

☆ ☆ ☆ 

 

 

 

雪乃が卒業式を待たずに渡米することが決まったあの日のこと。

 

俺は、雪乃の部屋で荷物の整理を手伝っていた。

 

「やっぱり、留学するのか」

 

「・・・そうね、もう変えられないわ。あなたでも泣くことがあるのね」

 

俺の顔を見ながら雪乃は半分感心したように言った。

雪乃の顔は、窓から差し込む夕日が眩しくて、俺からはよく見えない。

 

「!? ばっか、泣いてなんかねぇって」

 

「ふふ」

 

「また、すぐに会えるよな?」

 

俺は不安になってそう尋ねた。

これは俺らしくない質問だ。

 

「当然でしょう?いつでも会えると信じているわ・・・あなたは、私がいなくなると寂しいかしら?」

 

「・・・寂しいな。正直、どうしていいかわかんねぇよ」

 

自分の心情を正直に雪乃に吐露する。

 

「ふふ、あなたにしては素直ね」

 

「んだよ?」

 

「・・・・好きよ」

 

予想していなかった突然のささやきに動揺する。

 

「な、いきなりなんだよ」

 

そう答え終わる前に、雪乃は俺にとびかかるようにして抱きついた。

雪乃の体を受け止めきれずにバランスを崩し、床に尻もちをつく。

 

俺は、雪乃が床に倒れこまない様に、頭を庇う様に両手で抱きしめていた。

 

その手を易しく払う雪乃。

抱きしめらるのは嫌だったのか?若干気まずさを感じて視線を雪乃から外した瞬間、唇に暖かい感触を感じた。雪乃からのキスだった。

 

唇と唇を付けたり離したりする動作に、物足りなさを感じたのか、雪乃は舌を使って俺の唇をこじ開けようとする。

俺もそれに無言で答えた。

 

初めて交わした大人のキス。

 

「・・・雪乃」

 

雪乃が顔を話すと、唾液が糸を引きながら弧を描き、ぷつりと途切れた。

 

「・・・私のこと、忘れないで」

 

俺の自制心はこの瞬間に途切れた。

 

湧き上がる欲望のままに雪乃を押し倒す。

 

初めて重ねた雪乃の肌は暖かく、彼女の嬌声はその日眠りにつくまで俺の耳に残った。

 

 

 

 

その後俺たちは、雪乃の留学の日まで毎日互いを求め合った。

 

出国前日、最後の逢瀬。

 

行為中に雪乃は泣いていた。

 

恥ずかしいから、という理由で部屋を暗くしていたため、はっきりと見た訳ではない。

 

俺が悲しみを埋めるように激しく雪乃を求めたせいか、雪乃も離別への寂しさを感じていたからなのか、原因は今となっては分からない。

 

ただ、キスをした彼女の頬から涙の味がしたことを、あれから15年以上経った今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

以来俺は、性行為中の女性の涙で、フラッシュバックを引き起こすようになった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

雪乃が渡米して半年、彼女となぜ連絡が取れなくなったのか、理由はしばらく分からなかった。

 

当時、雪乃の姉である、雪ノ下陽乃のもとを尋ねたが、彼女は頑なに雪乃の居場所を告げることを拒否し、結局何も知ることが出来なかった。

 

彼女が俺との連絡を絶った理由が分かったのは、俺が就職し、由比ヶ浜結衣と再開して交際し、そして別れを迎えた日だった。

 

 

《サブレが死んじゃった》

 

 

結衣から突然のメールが入ったのは、俺が中国行きを告げられて何日か経った後のことだった。

 

俺は残業を放り出して自宅へ駆けつけた。この頃、俺と結衣は同棲していた。

 

「結衣!大丈夫か!?」

 

「ごめんね、ヒッキー。仕事、忙しいのに」

 

「いや、俺こそすまん。こういう時にすぐに傍に来てやれなくて」

 

「サブレは老衰だって。もう歳だもんね。」

 

「そうか・・・、俺の実家のカマクラの時もそうだったが、家族を失うっていうのは辛いよな」

 

「・・・うん」

 

結衣の声は暗かった。

 

雪乃と生別れ、屍のような精神状態になっていた俺を支えてくれた、普段の結衣の明るい声は、なりを潜めていた。

 

結衣はこれまで、生きる気力の欠けた俺のことを、どうやって支えてくれたのだろうか。

 

同じように元気付けてやる方法を全く知らない自分が、情けなく、辛かった。

 

 

「・・・結衣」

 

俺は、手に持っていたかばんをベッドに放り投げ、彼女を抱き寄せた。

 

「ヒッキー、ごめんね。ごめん。ちょっとだけこのままでいさせて欲しい」

 

「落ち着くまでそうしてろよ」

 

抱きとめながら、ゆっくりと頭を撫でる。

結衣は声を殺してすすり泣いていた。

シャツの胸の辺りが結衣の涙で濡れていくのを感じた。

 

「結衣・・・」

 

痛ましくて、愛おしくて、結衣の頬へキスをする。

 

拒絶することなく、ゆっくりと目をつぶる結衣を見て、頬から唇へ移した。

 

キスから繋がる大人の行為。

 

 

そうだ。この時も涙の味がした。

 

我ながら最低な男だと思うが、結衣との行為中、雪乃の顔が頭から離れなかった。

 

 

 

 

お互いに果てて、薄暗い部屋のベッドで抱き合いながらまどろんでいると、結衣が口を開いた。

 

「・・・ヒッキー、やっぱり海外に行くの?」

 

「ああ。」

 

「あたし、離れたくないよ。連れて行ってって言ったら、やっぱり迷惑かな?」

 

「・・・結衣」

 

俺の赴任先は内陸部も含めた中国全土だ。

沿岸都市部だけならいざ知らず、内陸の田舎には、どんな生活環境が待っているのか想像もつかない。

それでも連れて行って欲しいということは、何があっても一緒にいたいという、結衣なりの覚悟だった。

 

これは結衣のプロポーズなのかもしれない。

 

俺も結衣と離れるのは嫌だ。仕事を辞めてしまおうとすら思った。

 

―――確かに合える時間は少ないけど、頑張ってるヒッキーは大好きだよ!

 

そう言って、俺に中国行きを覚悟させたのは他ならぬ、結衣だった。

 

 

「やっぱり、ゆきのんのことが忘れられない?」

 

突然の結衣の言葉に心臓を掴まれたような感覚を覚える。

 

結衣に対して申し訳ないとの思いから、ずっと態度には出さないようにしてきた。

 

結衣と付合うことが決まってからは、雪乃と撮った数少ない写真のデータも全て削除した。

 

にもかかわらず、結衣にはあっさりと見破られた。

 

 

「やっぱりゆきのんには敵わないよね、あたしなんか。」

 

結衣は震えた細い声でそうつぶやいた。

 

「そんなことねぇよ」

 

 

―――何が、そんなことない、だ。

さっきお前は誰の顔を思い浮かべて結衣を抱いた?

自分の言葉と裏腹に、急速に冷えた心の奥底でささやきが聞こえてくる。

 

これは俺が最も嫌った欺瞞だ。

 

 

「ヒッキーにもサブレにも置いて行かれたら、あたし・・・・」

 

「もうよせ、結衣。今日はお前も精神的に参っちまってるんだ。少し落ち着いてから話せばいいだろう」

 

「ヒッキー、あたし何でもするよ。ゆきのんのこと、辛いなら、ヒッキーが忘れられるように・・・」

 

「もうやめろ!」

 

―――しまった。

 

声を荒げた直後に湧き出す後悔の感情。

 

俺は恐る恐る結衣の目を見た。

 

凍てついたようで、燃え上がるような、その瞳には嫉妬、憎しみの感情が浮かんでいた。

 

「どうしてあたしじゃだめなの!あたしだってヒッキーのこと、ずっと好きだったのに! ゆきのんはヒッキーをあたしから奪っていったのに、親が決めた相手と勝手に結婚して、あんなにヒッキーを傷つけたのに!こんなに想い続けてもらうなんてずるいよ!・・・・・・ずるい」

 

「・・・結衣、お前」

 

 

―――雪乃は親が決めた相手と結婚した。

 

結衣は俺が知らなかった事実を知っていた。

 

頭を強く殴られたような感覚に襲われる。

 

 

 

「・・・・ごめん、ヒッキー。・・・あたし最低だ。内緒にしててごめん。二人を裏切ったのはあたしの方だね」

 

 

大粒の涙を流しながら、結衣は先ほど脱ぎ捨てた服を着込む。

 

 

俺はその場から動くことも、声を発することも出来なかった。

 

 

 

気づくと部屋に結衣の姿はなかった。

 

 

 

それから1週間後、俺は結衣に連絡を取ることもなく中国へ赴任した。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

――――ドカッ!!! キュキュキュキュ!!!!

 

機体の大きな揺れとタイヤが地面に擦れる音で、意識が現実に戻された。

 

 

どうやら無事に着陸したようだ。

 

 

一人で飛行機に乗ってると、辛い記憶ばかり思い出すのは何でだろうな。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。