比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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6. 比企谷八幡は・・・

21:00pm

上海市内某ホテル

俺は劉副市長に連れられて、ラウンジのバーにいた。

夕食懇親を終えてホテルの部屋に戻ろうとしたところ、「どこに行くつもりですか、ヒキタニさん」と、劉さんにスーツの裾を掴まれたのだった。

 

今、俺たち二人はカウンターに隣り合って座り、酒を飲んでいる。

 

「さて、今日は本当にお疲れ様でした、ヒキタニさんのおかげで本当に助かりました」

 

「いや、そんなことないです。全て副市長に出てきて頂いたおかげです。劉さんの存在は、日系企業の参加者が今後投資検討を進めるにあたって確実に大きなプラス材料になるでしょう」

 

お世辞ではなく、本心として言う。

期間10年のプロジェクトは、現時点で形のあるアセットではない。

そんな中、将来の収益性を確信して投資を行うには、優秀な組織、とりわけ優秀なトップの存在が欠かせない。

今日の劉さんの対応は、日系企業の参加者を安心させるに足る、素晴らしいものだった。

 

「ハハ、ありがとうございます。・・・ところで、ヒキタニさんは今の仕事がお好きですか?」

 

「いきなり難しい質問ですね。正直言うと、私は人との関わりが苦手です。今の仕事が好きか嫌いか、というよりも、社会に出て働く、ということ自体が苦手です」

 

俺は予防線を構築した。ヘッドハントはありがたいが、中国に赴任するのはもうたくさんだ。

劉さんは強めのウィスキーを呷ると、ジッと俺の顔を見て口を開く。

 

「それにしては素晴らしい働きぶりですね。ヒキタニさんはやっぱり優秀なんですよ。さもなくば、恒常的に自分のことを顧みないで突っ走るクセがある・・・・とかですかね」

 

――――!?

心の内側を覗き込まれるような感覚を覚え、毛穴が開くのを感じた。

 

「・・・リスクリターンの計算と自己保身だけには昔から定評があると言われています。俺には、誰かの為に自分を犠牲にするなんてこと、できませんよ」

 

不快感から、思わず少しだけ素の口調が出てしまう。

 

「そう警戒しないで下さい。すみません、人物像を把握したがるのは私の悪い癖だ。だが、あなたは面白い。・・・どうです?今日はビジネスライクな時間は終了しました、ここからは気楽に本音で語り合いましょう。言葉使いも気にしないで。ほら、僕ら年齢もそんなに違いませんし」

 

「は、はぁ」

 

副市長に対し気楽に本音で、と言われても困るんだが。

まあ、ひとまず、肩の力を抜くことにした。

 

「僕はね、ヒキタニさんのその世を達観したような眼に、この世界がどう映っているのか非常に気になります」

 

「達観って・・・・すみません、話のスケールが大きすぎて、ついていけないんですけど」

 

これが気楽な話題ですか?哲学者なのか、この人?

ただ、劉さんの会話で、一人称が私から僕に変わったことに気づいた。

俺に対して、自分から心を開いていることを示すサインなのかもしれない。

なにか、大事なことを語りたいのではないか。俺はウィスキーのグラスを置き、ちらりと劉さんの顔を見た。

 

「唐突にすみません。・・・僕はね、地方の田舎出身なんです。中国もこの上海を含めた沿岸部はそれこそ先進国のように発展しています。しかし、僕の地元を含めて中国には貧困極まる生活を送っている地域が未だに存在するんです」

 

「それは、俺も身を以て体験していますよ。内陸にも住んでいた経験がありますから」

 

「そうですか。・・・もう何年も前の話ですが、僕が初めて日本へ留学した時、本当に衝撃を受けました。物質的な豊かさだけではなく、皆が互いを尊重し、社会のために生きることを是とした価値観に何の疑いも持たずに生活していたことに、です。豊かになるっていうのは、こういうことかと思いました」

 

「それは・・・」

 

互いを尊重し、社会のために生きる。

確かに日本のソーシャルシステムはそんなふうにできている。

では、その社会から爪弾きにされた人々はどうすればいいのだろうか。

元々、俺は高校時代、雪乃や結衣に出会うまで、所謂ボッチと呼ばれる人種だった。

 

社会がどんなに発展しても、そこに馴染めない人間は必ず存在する。

 

「ヒキタニさんを観察していて、感じたんです。失礼かもしれませんが、あなたはそんな日本のsocial normから外れた価値観を有しているのではないですか?」

 

「・・・おっしゃる通りです。これでも俺はだいぶ成長したと自負してますけどね。高校生の時、学校生活に関する作文をかいたら、教員にテロリストの犯行声明文だと言われたことがあります」

 

「ハハハ、やっぱりね。・・・僕は日本から戻って政治家を目指しました。この国、いや世界を、日本のように変えたいと願って、今まで努力もしてきたつもりです。ですが、あなたのような存在は僕のその価値観に異を唱えるものだ」

 

世界を変える、か。

どこかで聞いたようなセリフだ。

 

「そんな大げさな。日本にだって、人付き合いが苦手な人間がいたっておかしくはないでしょう」

 

「あなたは、僕が理想としてきた世界にあって、その苦しみを知っている。そういう人の考え方を学んでおかなければ、世界を変えようと頑張っても、僕がなれるのは精々独り善がりな独裁者だ」

 

――――ああ、この人も純粋に「本物」を求める人なのか。

劉さんと酒を飲みかわして、初めて彼の人となりが見えた瞬間だった。

 

俺達がまだガキだったあの頃、俺が求めた「本物」は、人との関係性という、狭い範囲のものでしかなかった。

雪乃が変えようとしていた「世界」は、自分を取り巻く、という但し書きのつくものでしかなかった。

 

この人は、全ての世界を良き方向に変えたいと、本気で願っている。

こんな話をすれば、誰もがそんなこと出来るわけがないと、嘲笑うだろう。

だが彼は、恥じることなく、胸に抱いた目標を俺に打ち明けた。

それが出来るのは、彼にとってそれが本物の夢だからだろう。

 

 

「・・・・劉さん、こういうことを言うのは恥ずかしいんですけど、俺は心からあなたを尊敬します。ちなみに俺の苗字はヒキタニではなくて、ヒキガヤって読むんですよ」

 

「へ!? 」

 

劉さんは、突然の俺の言葉に驚いた反応を示した。

 

「乾杯」

 

俺はそういいながら、グラスを差し出した。

 

「あ、ああ。乾杯・・・・やっぱりヒキタニさんは面白い人だ」

 

カチャンと、音を立ててグラスがぶつかり、中の氷が揺れた。

どうやら呼び方を直すつもりはないらしい。

 

劉さんは再びウィスキーに口を付けると、小さな声で「谢谢」とつぶやき、嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

その後、地に足のつかないような話題はひとまずおいて、俺たちは雑談を交わした。

劉さんの千葉での留学経験や、俺の中国内陸の赴任経験など、笑いあり涙ありの互いのストーリーを披露して打ち解けあった。

 

Prrrrr Prrrr Prrrrr

 

「申し訳ない、ちょっとお待ち下さい。――喂(もしもし)?」

 

そろそろ宴もたけなわ、そう思ったときに劉さんの携帯が鳴った。

公務というものは、忙しいのだろう。

 

「什么!?・・・好的好的,明白了。我马上来」

 

突然劉さんが大声で反応した。

「すみません。今日視察した港湾でトラブルがあったそうです。今から現場に行かなければいきません」

 

「トラブルって、例の煙の件ですか?何があったんです?」

 

「どうやら、港湾に出入りしている業者で、科学薬品の保管について、こちらの規定を守っていない業者が見つかったそうです。幸い事故には至っていないようなんですが」

 

「・・・それ、俺もついて行っていいですか?目の前でトラブルがあったのを知っていて把握せずに帰ったとなったら首になってしまいますし」

 

「・・・本来なら許可できかねますが、仕方ないですね。我々の車で行きましょう」

 

俺達は再び港湾に向かって、夜の上海の街を走り出した。

 

 

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

施設には既に港湾関係者、公安、消防等が入り乱れた状況となっていた。

 

皆劉さんの姿を確認すると報告に駆け付け、そして持ち場に戻っていく。

劉さんはそうして入ってくる断片的な情報を整理して、次々と指示を飛ばしていった。

 

案の定、薬品の違法保管が見つかったのは先ほど煙が上がっていた施設だった。

 

今、公安関係者による事情聴取により、他の違法保管がないかを洗い出しているとのことだった。

 

 

 

「ヒキタニさん、やり取りを聞いていらっしゃったので、把握しているかと思いますが、ひとまずは他の不法保管の有無を調査中です。これだけの施設規模となると、捜査は朝までかかるでしょう。ひとまずはホテルにお帰りになられたらいかがですか」

 

俺がいても、出来ることは何もない。

ひとまず状況は把握したし、幸い事故も起こっていないことが判った。

槇村さんに連絡しても、怒られることはないだろう。

 

「分かりました、では明朝また電・・・」

 

その瞬間、周囲の空気が張り詰めるような感覚を肌が感じ取った。

 

ズドンッ!!!!!!!!

 

低い音を響かせながら、自分の立っている地点から100m程先の施設の一部が吹き飛んだ。

凄まじい勢いで炎が立ち上り、薄灰色の煙が黒色に変化する。

あっけにとられていると、薬物が燃えるような異臭が漂ってきた。

 

 

 

 

―――あ~あ、ここまでの苦労が全部無駄になっちまった。

 

懐かしいな、”チャイナボカン“。昔、ネットでよく揶揄されてたっけ。

よりにもよって現場視察の出張期間中にこんなことになるとは。

もう投資どころの話しじゃぁないだろう。報告したら槇村さん、荒れるだろうな。

 

炎を眺めながら頭によぎったのはそんな考えだった。

周りの人間は皆ざわめいている。

俺を含め、その場にいた誰もが状況を適切に認識できていなかった。

 

 

 

「你们在干嘛!?趴下!趴下! ヒキタニさんも伏せて!」

 

劉さんは必死に注意喚起を行い、俺に飛びつき頭を地面に伏せさせた。

自分たちが危険な状況に置かれているとは全く思わなかった。

 

 

爆発の起きた建物は巨大なタンクの隣だった。

 

 

化学薬品か、ガスか、中身は不明だが、引火すればどの程度の爆発が起こるか、検討もつかない。

 

 

目を細めると、先ほど吹き飛んだ施設の一部がタンクに突き刺さっていた。

タンクに開いた穴の周辺では、空気が蜃気楼のように淀み歪んで見える。明らかに内部の気体が漏れ出していた。

 

 

―――冗談だろ!?

 

そう思った瞬間、先ほどよりも大きな爆発が起こった。

 

大気の壁で体を打ち付けたような衝撃が走る、俺の体を庇う様にしていた劉さんが紙切れのように吹き飛ばされた。

 

―――劉さん!!

 

先ほどまで酒を飲みかわしていた人物の命が一瞬で失われた。

そのことを認識する間もない程短い間に、衝撃波は地面に伏せていた俺の体も容易く引き剥がした。

 

 

宙を舞う自分の体。

自分と同じように吹き飛ばされ、そして広がる炎によって焼かれる何人かの人たちが視界に入った。

 

一瞬の出来事のはずなのに、体がゆっくりと中から破壊されていくように感じられた。

 

 

 

 

――さすがにまだ死にたくはなかったんだけどなぁ。

 

 

 

沙希、こりゃ帰れそうにないわ、すまん。 

 

 

 

結衣、雪乃、・・・もう一度、会いたかった。

 

 

 

 

俺の意識はここでプツリと途切れた。

 

 

 

 

 


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