比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

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8. 比企谷八幡はもう一度やり直す

 

 

雪乃と目が合ったまま、俺は言葉を発することのないまま立ち尽くしていた。

実際に流れた時間はほんの数秒だろう。だが、俺にはその無言の時間が永遠にも思えるほど長く感じた。

 

「・・・あなたが入部希望者?」

 

雪乃が口を開いた。

その声の懐かしさに、沸き立つ歓喜の感情。同時に心臓を縛り付けられたような痛みが胸中を支配する。

 

何か返事をしなければ。そう思い口を開くも、言葉に詰まる。

俺は何を話せばいい?

必死に思考を巡らせるが何も思いつかない。

 

「あなた、人の話を聞いているの?私は質問をしているのだけれど」

 

「あ、ああ。すまん。平塚先生に言われてここに来た。比企谷だ」

 

雪乃の詰問を受けて、ようやく出てきた言葉。

 

―――俺のこと、覚えてるか?

そのまま続けてしまいそうになった言葉を無理やり抑え込んだ。

 

「話は聞いているわ。平塚先生からの依頼はあなたの性格矯正と孤独体質の改善とのことだけど」

 

「・・・・・そうか」

 

「一つ聞くけれど、あなたは私のことを知っているの?」

 

―――ああ、よく知ってるよ。お前は、こんな俺に居場所をくれた、俺にとってかけがえのない大切な人だ。

どれだけ強く伝えたいと願っても、心の声は雪乃には伝わらない。

 

「・・・・また沈黙するのね?貴方のコミュニケーション能力には確かに問題があるようね。それに、初対面の人間を馴れ馴れしくファーストネームで呼んだかと思えば、突然泣き出すなんて、正直気味が悪いわ」

 

「え!?いや、これは、アレだ!花粉症で目が痒いのと、寝起きであくびが止まらないというか・・・名前は、ゆきの何とかさんだった・・・・よな?」

 

慌てて取り繕ったせいで、最後は消え入るような声になる。

 

―――気味が悪い、か。

これは心理的な拒絶を正直に表現した言葉だ。

出会ったころ、雪乃は毎日のように俺を罵倒していたっけ。

だが、一度愛した女からそんな言葉を聞かされるのは、想像以上に辛かった。

 

 

雪乃は怪訝な表情で俺を見ている。

 

「・・・なぁ、俺達、どこかで会ったことはないか?」

 

一抹の希望をかけて俺は口にした。

もしも、雪乃が俺のことを知っているのならば、俺たちはあの頃の関係に戻れるのではないか。

 

しかし、そんな自分の浅はかな望みを認識した瞬間、俺は強烈な後悔の念に駆られた。

これは沙希に対する明らかな裏切り行為だ。

 

逸らした視線を恐る恐る、再び雪乃へと向ける。

雪乃は驚いたように目を見開いていた。

 

「あなた、事故の時に私の顔を見ていたのね。・・・ごめんなさい。今更謝罪しても遅いのでしょうけれど」

 

「事故?」

 

確かに港湾の爆発事故の時、走馬灯のように雪乃や結衣、沙希の顔が思い浮かんだかもしれない。

だが雪乃が俺に謝る理由が分からない。第一、雪乃は俺が事故に巻き込まれたことなど、知らないはずだ。

 

「私をからかっているの?・・・入学式の日、私はあなたを撥ねた車に乗っていた。あなたはそのことを責めているのではないの?」

 

 

とたん、脳裏に浮かぶ何年も前の光景。

 

―――雪ノ下雪乃ですら嘘をつく。そんな当たり前のことを受け入れられない自分が嫌いだ。

自分が青臭く、捻くれたガキだった頃に抱いた感情。

雪乃の言葉をきっかけに溢れ出すように記憶が蘇った。

 

 

「・・・」

 

再び硬直した俺を見て、雪乃は気まずそうに俯いた。

 

「いや、すまん。会ったことがあるってのは多分俺の勘違いだ。・・・事故のことは、お前が謝るようなことじゃない。俺も忘れていたくらいだし、第一、車道に飛び出したのは俺だ。嫌なことを思い出させてかえって申し訳ない」

 

予想外の雪乃の反応に俺は慌てた。

雪ノ下雪乃は往々にして正しい。そして優しい。

そんな彼女が、俺のような男に対して罪悪感を抱くことが、たまらなく悲しかった。

 

「・・・・」

 

雪乃は沈黙を続ける。困惑の表情で俺の反応を伺っていた。

 

「・・・ごめんな」

 

「なぜあなたが謝るのかしら?」

 

 

―――ずっとそばに居てやれなくて。

俺はお前が進学した海外の大学を卒業した。

その気になれば最初から雪乃に着いて行くこともできたはずだ。

だが高三当時、俺は留学をする雪乃が特別だと思っていた。そして一人で行かせた。ずっと一緒に居れば、違った未来があったのかもしれない。

だから、ごめん。

 

 

「・・・お前を傷つけちまったような気がしたから」

 

「まるで恋人気取りのような物言いね。・・・勘違いしないでちょうだい。私はそうすべきだと思ったから謝罪したまでよ。あなたに馴れ馴れしくされる筋合いはないわ」

 

再び浴びせられる拒絶の言葉。

心が軋むような音を立てて潰れていくのを感じた。

 

「そういうつもりで言ったわけじゃない。不快感を与えたのなら、すまない」

 

「また謝るのね。・・・平塚先生の説明とは少し違うような気もするけれど、あなたは人間関係を構築する上で、やはり何か問題を抱えているようね」

 

「そうだな」

 

「依頼を引き受けたからには私が解決してあげるから、安心なさい。・・・・改めて自己紹介するわ。私は雪ノ下雪乃。ようこそ奉仕部へ。歓迎するわ」

 

「・・・よろしく頼む」

 

これ以上は心がもたない。

ここまでの会話を交わすのが俺の限界だった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

雪乃との顔合わせの後、俺は学校の廊下をトボトボと歩いていた。

もう日が沈み始めている。深夜まで煌々と明かりが灯る会社のオフィスとは違い、校舎は薄暗かった。

 

俺は、この後どこに行けばいい?実家に帰るのか?

だが、歩いて帰る気力が涌かない。タクシーに乗ろうにも、財布を持っていなかった。

 

高校の頃は自転車通学だったっけ。

俺の自転車は駐輪場に留めてあるのだろうか。

いや、待て。鍵がなければ自転車には乗れない。鍵はどこだ。

 

自分の荷物が教室に置いてあるはずだ。鍵もそこにあるだろう。

だが俺の教室はどこだ?高校2年の時、俺は何組だった?

 

 

―――んだよこれ、いきなり詰んでるじゃねぇか

 

雪乃との会話で神経を擦り減らし、体中のいたる部分に疲労を感じていた。

 

全てが嫌になる。

俺はその場に立ち止まり、夕日が沈みきるまで窓の外を焦点の合わないような目で見つめていた。

 

 

 

 

「まだ学校にいたのか比企谷。雪ノ下との顔合わせはうまくいったのか?」

 

ちょうど日が沈みきった頃、背後から声をかけられた。

 

「・・・平塚先生」

 

鞄を持っている。就業前の戸締り確認でもしていたのだろうか。

 

「先ほど雪ノ下が職員室まで部室の鍵を届けにきたが、普段よりも幾分上機嫌だったぞ」

 

「上機嫌?雪ノ下が?」

 

「それに君の事を、悪い人間ではない、と言って褒めていた」

 

「・・・それって褒め言葉ですか?」

 

「これでも彼女からすれば滅多に口にしない賛辞だろう。私としては、君たちが取りあえず上手くやっていけそうで安心したよ」

 

そうか、まあ初めて会ったときに比べれば,だいぶマシな印象を与えられたんだろうな。

沈んでいた気分が少々だが上向き、少しだが体に気力が戻った。

 

「そうだ、比企谷。君にはこれを渡しておくのを忘れていた。再提出、忘れるなよ」

 

そういって鞄からクリアファイルを取出す。挟まっていたのは俺のレポートだった。

それを俺に手渡すと、平塚先生は去って行った。

 

 

レポートに目を落とす。

 

―――高校生活を振返って 2年F組 比企谷八幡

 

「ハハ、教室、目の前だったのか」

 

こうして俺は、帰宅への最初の手がかりをようやく掴んだ。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

自宅に着いた俺の目に入ったのは、何年か前に亡くなった飼い猫、カマクラが気怠そうに玄関で寝ている姿だった。

 

―――やっぱり、どう考えても俺は戻ってきたんだよな。

 

カマクラを抱き寄せて頭と首をなでる。

 

「・・・久しぶりだな。カマクラ。また会えてうれしいぞ」

 

愛猫は気持ちよさそうに目を細めている。

突然、畳まれていたカマクラの耳が起き上がり、周囲の音を拾う様にピクピクと動いた。

リビングの方からバタバタとした足音が聞こえ、玄関に近づいてくる。

 

 

「お兄ちゃん、今日は遅かったね。何かあったの?」

 

「・・・小町」

 

中学の制服姿。最後に会った時と比べ、顔付きがだいぶ幼い。

就職後も結構頻繁に顔を合わせていたはずだが、久しぶりに見た子供の頃の小町の姿は、俺に懐かしさと安堵の感覚を与えた。

 

目覚めてから緊張しっぱなしだった頬が緩む。

 

「お兄ちゃん?」

 

「いや、何でもない。・・・ただいま、小町」

 

「お、お帰りなさい・・・・ってどうしたの?雰囲気がいつもと全然違う!」

 

「そんなことないだろ」

 

「いや確かに目付きは相変わらずだけど・・・今日のお兄ちゃん、なんか大人っぽくて、ちょっとカッコいいかも。あ、今の小町的にポイント高い!」

 

―――それも懐かしいな。

小町が結婚してから、その謎のポイント制が会話に出てくることは無くなった。

 

「そうか?まぁ可愛い妹にそう言われりゃ、悪い気はしないな。・・・これは八幡的にポイント高いよな」

 

「やっぱり絶対何か変だ!・・・・ま、いっか。ご飯出来てるから、早く一緒に食べよ!」

 

小町は上機嫌でリビングに戻っていった。

靴を脱ぎ、玄関でスリッパに履き替える。

 

―――ただいま。

 

こうして長かった一日が終了した。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

翌朝、俺は最後の最後まで学校を休むか登校するかで悩んでいた。

結局最終的に、重たい心を引きずって、学校に行くことにしたのだが、クラスに辿り着いたのは、始業ベルギリギリのタイミングだった。

 

教室に入る際に、結衣と沙希の姿を探すと、案の定、二人の姿があった。

 

俺は自分の席から二人の事を一限目からずっとボーっと眺めていた。

 

休憩時間、結衣はクラスの派手目な集団に溶け込もうと、必死に雰囲気を読み、会話を合わせているような様子だった。

 

 

周囲の人間に気を使うあまり、常に気持ちを抑えつける。そんな結衣の悪癖は、大人になってだいぶ改善したと、俺は勝手に思い込んでいた。

しかし、結衣は最後まで、一番近くにいた俺に対し気を使い続けていた。

互いが傷つくことを恐れ、結衣は言いたいことを必死に抑え込みながら、別れのあの日まで俺の隣に居続けた。

 

サブレの死はただのきっかけに過ぎない。俺の存在が、結衣に我慢を強い続けていた。

そんな事実を思い出すと、いたたまれない気持ちになった。

 

 

俺は結衣がいる集団の中心にいた人物へ視線を移した。

 

葉山隼人。

 

―――ほんのちょっと前に、俺たちが仕事帰りに飲みに行ったなんて話、今のお前は信じないだろうな。

 

30を過ぎた頃、俺にとって高校時代からの友人と言えるのは葉山ただ一人だった。それは葉山も同様だと言っていた。

 

俺達は高校時代、反目し合っていた。

だが「俺はお前が嫌いだ」なんて自分の地をさらけ出すようなセリフが吐けるのは、ある意味、真に気を許せる相手に対してだけなんだろう、と今になって思う。

 

 

思考を巡らせていると、俺の葉山に対する視線に気付いたらしいグループ内のメガネ女子が、ハチハヤキタコレ!と訳のわからない呪文のような言葉を発しながら騒ぎ出した。

 

 

ああ、あいつは確かホモネタ好きな・・・・何さんだったかな。名前も忘れてしまった。

俺が修学旅行の京都で愛の告白までした相手じゃないか。もちろん本気で告白したわけではないが、そんな相手の名前も忘れてしまうとは、俺も年を食ったもんだ。

 

ちなみに、この時の告白の話は、雪乃も結衣もかなり根に持っていたようで、それぞれ交際が始まった後から、まれにネチネチと嫌味を言われることがあった。

 

 

懐かしい奴、と言えば教室にもう一人いた。

 

戸塚彩加。

女みたいな容姿をした、テニス部員。ボッチだった俺に対し、友人として手を差し伸べてくれた数少ない人間の一人。だが、俺が留学してから連絡を取ることもなくなった。

俺が同窓会にでも顔を出していれば、お互い大人になった姿で会うことができたかも知れなかったのにな。

 

 

そして俺は窓際に座る少女、沙希を見る。

俺にとっては一昨日の晩、熱く抱き合ったばかりの大事な女性。

だが、今は声をかける切っ掛けすら見つからない。

 

彼女は俺と同様、基本的にクラスでは一人でいる様子だった。

俺と違うのは、クラスには彼女にまれに話しかける人間がおり、彼女はそうした人間とはきちんとコミュニケーションを取っている、ということだった。

やはり、周りから嫌われているわけではなさそうだ。沙希は根が優しい女だから、当然と言えば当然なのだが。

 

 

沙希の事を眺めていると、俺を見ながらヒソヒソ話をする女子の集団がいることに気が付いた。

 

―――ちょっと見ただけでストーカー扱いかよ。ガキが変にマセやがって、うざってぇ

 

軽く睨みつけてやると、グループは瞬く間に散り散りになっていった。

 

 

 

結衣と沙希の二人に話しかけたい。笑顔を振り向けてほしい。

そんな悶々とした思いを抱え、くだらない授業を上の空で聞き続ける。

教科書や黒板に視線を向けようと意識しても、気づくと俺はまた二人のうちのどちらかの姿に見入っていた。

 

 

しかし、当然と言えば当然だが、二人とも見た目が若い、というより幼い。

昨日雪乃に会ったときはそんな印象は全く受けなかったのにな。

結衣と付き合っていたのは俺たちが20代半ばの頃、沙希に至っては30代になってから恋人関係になったのだ。違和感があって当然と言えば当然だろう。

 

 

 

この日はひどく退屈だった。

普段、昼飯を食う暇もないくらいの量の仕事に追われているのだ。やることがない、というのはかえって苦痛だった。

 

 

―――この椅子、堅ぇなぁ

長時間のデスクワークをするために設計されたオフィスチェアに慣れきった俺のケツは、もはや限界を迎えようとしている。

便所に行くふりでもして、授業をサボろう。

 

そう思い立って立ち上がろうとした時、放課を示すチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「来たのね、比企谷君」

 

授業が終了してから、俺は奉仕部の部室へと向かった。そこには既に雪乃の姿があった。

 

「お疲れさん。早いんだな」

 

今日初めての人との会話だった。その相手が雪乃ということもあり、少しばかりテンションが上がる。

 

「私は部長だもの。いつも授業後は真直ぐにここに来るのよ」

 

「そうか。俺もこれからそうさせてもらおうかな。クラスには話しをするような相手もいないしな」

 

「哀れね」

 

「そうだな。お前のいる奉仕部だけがこの学校での俺の居場所だ。すまんな、こんなのを相手にしなきゃならないことになっちまって」

 

「べ、別に迷惑とまでは思っていないわ。・・・あなた、そのすぐに謝る癖、直した方がいいと思うのだけれど」

 

雪乃は若干照れたようにそう言うと、そっぽを向いた。

そのしぐさに思わずこちらも恥ずかしさを感じてしまう。

 

―――背中が、背中がかゆい! いい歳こいたオッサンが、こんなやり取りで何ときめいちゃってんの!?バカなの!?

 

 

自分を戒めていると、部室のドアから弱々しいノックが聞こえてくる。

 

「し、失礼しまーす」

 

「結衣・・・ガハマ」

 

ノックの主は結衣だった。危うく昨日と同じミスを犯しそうになった。

 

「な、何でヒッキーがここにいるの!?」

 

 

そうだ。結衣が初めて奉仕部に来たのは依頼主としてだった。

世話になった人へのお礼として手作りクッキーを焼きたい、そんな依頼だった。

その世話になった人というのが俺だったということを知るのは、何ヶ月か経った後のことだった。

 

 

料理に関して言えば、沙希や雪乃と比べ、結衣はお世辞にも器用とは言えないレベルだった。

だが、だからこそかは分からないが、俺たちは良く週末に二人で一緒に料理をすることが多かった。

沙希や雪乃に手料理を食わせてもらうのとは、また別の幸せの形がそこにはあった。

 

 

それに、クッキー作りに関して言えば、結衣は努力を重ねた結果、人に自慢できるものを焼き上げることが出来るようになっていた。

結衣は暇が有ればクッキーを焼いて、会社へ向かう俺に持たせてくれた。

 

宮田さんや槇村さんは残業で小腹が減ると俺のデスクにやってきては、勝手に結衣の作ったクッキーを食って行った。

部下の食い物を無断で食い散らかすのは、上司の行いとしては微妙だ。だが、二人がクッキーを求めてやってくる度に、俺は誇らしい気分になった。

 

 

俺が過去を思い出している間、雪乃が結衣の依頼を聞きだしていた。

そして、記憶の通り、俺たちは家庭科室で結衣のクッキー作りを手伝うこととなった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

俺達の目前に置かれる黒い塊。

言うまでもなく、結衣が初めて焼いたクッキーだった。

 

「・・・やっぱりあたし、料理は向いてないのかな。才能っていうの?そういうのないし・・・」

 

そういって落ち込む結衣の姿。全てが懐かしい。

遠慮しがちな性格だからこそ、そういうネガティブな発想になるんだろう。

 

 

「由比ヶ浜さん。あなた才能がないって言ったわね?その認識は改めなさい。最低限の努力もしない人間に才能がある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像できないから、成功しないのよ」

 

「で、てもさ。こういうの最近みんなやんないって言うし。・・・やっぱりこういうの合ってないんだよ、きっと」

 

「その周囲に合わせようとするの、やめてくれるかしら?ひどく不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

 

 

目前で繰返されるあの時の会話。それを聞いているうちに、やっぱり俺は戻ってきたんだと、再認識させられる。

 

だとしたら、俺には結衣にしてやらなければならないことがあるだろう。

 

これまで静観を決め込んでいた俺は、決意を胸に口を開いた。

 

 

「由比ヶ浜、ちょっといいか。まあなんだ、雪ノ下の言葉は少々キツかったと思うが、正論だ。お前はもう少し、自分がやりたいこと思ったことについて、自信を持って主張をした方がいい」

 

「ヒッキー?」

 

「クラスに友人もいない俺が言っても説得力に欠くかもしれんが、お前に対する周りの人間の評価は、お前が思っている以上に高いだろう。少しくらいワガママを言ったところで、嫌われることは無いから安心しろ」

 

「比企谷君、あなた・・・・」

 

俺がペラペラと自分の考えを述べだしたことに、驚きの表情を見せる雪乃。

 

悪かったな、雪乃。

別に俺は猫をかぶっていたわけじゃない。今まで、ちょっとセンチな気分に当てられていただけだ。少しは成長した俺の姿を見てくれると、うれしい。

 

 

俺は黒焦げになったクッキーを拾い上げて、口に頬張り、飲み込んだ。

 

「「えっ!?」」

 

「由比ヶ浜が頑張って作っているところを間近で見ていたせいか、思った程悪くない。・・・雪ノ下はさっき、「努力」という言葉を使ったが、こいつを作っている最中、お前は楽しかっただろう?」

 

「あ・・・うん」

 

「これもボッチの俺が言うことじゃないかもしれんが、誰かと一緒に料理をするというのは、本来楽しいことなんだ。努力が必要だなんて肩肘を張らずに、楽しんで練習すればいい。お前の友人が料理をしないってんなら、俺たちがいつでも一緒にやってやるよ」

 

「・・・ヒッキー」

 

「もう一回、作ってみないか?今度は俺も一緒にやらせてくれ」

 

「うん!」

 

 

俺は、結衣の隣に立ってクッキー作りを開始した。

雪乃が指示を出し、俺がボールを抑え、結衣が生地をこねる。

広く伸ばした生地を3人で、形を使って切り出していく。

 

途中、雪乃が俺の顔に粉が付いていることを指摘し、結衣が楽しそうに笑った。

 

焼きあがったクッキーの見栄えは、雪乃が切り出した綺麗なものと、俺と結衣が形造った歪なものが入り混じっていたが、味はどれも上出来といえるものだった。

 

「ヒッキー!ユキのん!ありがとう!あたし、家でも練習してくるから!」

 

結衣はうれしそうに家庭科室を後にした。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「・・・おつかれさん」

 

二人残された家庭科室。結衣の依頼解決の立役者である雪乃にねぎらいの言葉をかけた。

 

「・・・あなたは私のことが好きなものだとばかり思っていたけど、そうではないようね?」

 

「へっ!?」

 

雪乃の唐突な言葉に度肝を抜かれる。

 

―――いや好きだ。むしろ好きすぎて辛い。

そんな本音を隠しながら雪乃に切り返す。

 

「俺がお前のことを好きって、何でそう思った?」

 

「だって私、可愛いもの」

 

「俺は見た目だけで人を好きになったりしない」

 

「すべての人が、あなたのようなら、私も苦労せずに済んだのでしょうね」

 

―――ああ、そうか。

 

帰国子女で頭脳明晰、容姿端麗。周りからねたまれ、爪弾き者にされた過去がある。

雪乃は出会ったばかりの頃、そんな話をしていたような気がする。

 

 

さっきまで、結衣の問題を解決することしか考えていなかったが、雪乃も心に闇を抱える人間なのだ。出来ることなら、彼女のことも俺が何とかしてやりたい。

 

彼女のために俺に出来ることは何だ?

俺は再び考えながら質問する。

 

 

「・・・雪ノ下は奉仕部で何がしたいんだ?」

 

「・・・私は変えたいの。この世界を、人ごと」

 

「なら、俺が全力でお前を支えるよ」

 

 

―――自分が変われば世界も変わる。それに気付けば雪乃の願いは叶うだろう。

だが、それには最後まで無条件で雪乃の味方をしてくれる人間と、雪乃の傍に立って彼女を導けるような存在の、両方が必要だ。

そのどちらかが欠落しても雪乃の本質は変わらない。根拠はないが、そう思える。

 

俺がそのどちらか、または両者になれる器かどうかは分からない。

だが、人生経験を重ねた者として、そういう人間でありたいと強く思う。

 

 

雪乃は俺の言葉に対し困惑の表情を浮かべていたが、しばらくすると落ち着きを取り戻して口を開いた。

 

「あなたが誰に対してもそういうことを言う軽薄な人間だというのは分かったわ・・・正直、幻滅ね」

 

 

―――何故そうなる!?

 

 

 

 

硬直する俺を一瞥し、雪乃は家庭科室を後にした。

 

 

 

だが、その口元にはうっすらと優しい笑みが見えた。

 

 


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