比企谷八幡 「・・・もう一度会いたかった」   作:TOAST

9 / 35
9. 比企谷八幡は携帯番号を交換する

 

俺が高校生活の再スタートを切ってから数週間が経った。

 

あのクッキーの一件以来、結衣が奉仕部に頻繁に顔を出すようになり、雪乃と俺だけの静かすぎて若干気まずい空間が、少しばかり賑やかになった。

 

しかしクラスでは、やはり俺は誰にも話しかけることなく、引き続き孤独な時間を過ごしていた。

二日目以降、俺は相変わらず、結衣と沙希の二人を離れた席から眺めていたが、その際、やけに結衣と目が合う頻度が多くなった。

 

結衣が俺の視線に気づいて警戒している可能性がある。沙希もそのうちそうなるだろう。

そう考えた俺は、彼女達を凝視するようなマネは極力控えるように心掛けた。

 

そうなると、俺は更に暇を持て余した。3日目にして早くも学校生活にうんざりした俺は、資格試験の参考書を読むようになっていた。

簿記、証券アナリスト、ファイナンシャルプランナー、TOEIC、中国語検定等々。俺は一先ず昔取得した資格を取り直そうと考え、手当たり次第に試験を申し込んだ。

 

殆どは今更勉強し直さなくても余裕で受かる、または高得点が狙える簡単なものだが、万が一不合格となれば、俺の金融マンとしてのなけなしのプライドが崩壊する可能性がある。

雪乃を支える等と啖呵を切った手前、少しでも自分に箔をつけておきたいという、ちょっとした自己顕示欲もあった。

 

 

それから、新しい動きと言えばもう一つ。

俺は自室の机の引き出しに入っていたお年玉と、ゲームや小説の類を売り払って得た数万円の資金を元手に、資産運用を開始した。

別に欲しいものがあるわけではなかったが、先立つものは沢山あるに越したことは無い。

5年間投資銀行でトレーディングを行ってきた俺の頭には、主要株式指数の動きがほぼ完全にインプットされた。

 

――何このチート?高校生にして第二のウォーレンバフェット(※)になっちゃうよ、俺?

(※米国の著名投資家)

 

 

資産運用を思いついた時、俺は久々に浮き足立った。だが、現実はそんなに甘くなかった。

 

第一に、未成年による口座開設には親の同意が必要であり、これを取り付けるのに非常に苦労した。

仕事帰りで疲れ切った親父に話しかけても、「ふざけたこと言ってないで勉強しろ」の一点張りだった。

これを説得するため、俺は小町を抱き込んだ。「儲かったら好きなもの買ってやる」そんな一言で小町はいとも簡単に俺の味方となり、小町が口添えした結果、親父は契約書類の内容に目も通さずに印鑑を押した。

 

しかし、その後すぐに第二の問題に直面した。

未成年口座では、信用取引も空売りも出来ないという痛恨の制限があった。

自分の元手はわずか数万円。借入でロット(金額)を拡大しないまま売買を繰り返しても、得られる儲けはたかが知れている。そして、空売りが出来ないということは、下げ相場のタイミングを知っていても、損失の回避が出来るだけで、全く儲けに繋がらないということを意味していた。

 

そうなると取引可能なのは、売買単位価格の小さい中小銘柄か、ミニ株と呼ばれる制限付きの商品だけだ。

TOPIXや日経平均、S&P500のような主要インデックスならともかく、流石に中小銘柄の株価の動きまで記憶できるほど俺の頭は上等ではない。

ミニ株は日中の値動きに合わせた売買が出来ないため、取引時間中に株価を動かすようなニュースが出た場合、大きな損失を負うリスクがあった。

 

 

 

――しばらくは小遣い稼ぎ程度か。何がバフェットだよ、恥ずかしい。

 

これならバンカーではなく、競馬オタクにでもなっていた方が、よほどマシだっただろう。

 

古き名作映画、Back to the Futureの悪役は、未来からやってきた自分からスポーツ年鑑を手渡たされ、スポーツ賭博で大金持ちとなった。

 

20歳くらいの俺が、この先何年分かの四季報を持ってこの時代に来てくれないだろうか。

一瞬、そんな期待を抱くが、そのシチュエーションを想像してゲンナリする。

 

33歳の精神が乗り移った17歳の俺に、20歳の俺が会いに来る。どんなカオスだ。

 

 

かくして、投資銀行職員改め、高校生トレーダー比企谷八幡の資産運用が始まったのだった。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 

昼休み。

俺は再び暇を持て余していた。ここ2日程続けていた中国語検定の問題集を、ちょうど先の授業時間中に全て解き終わってしまったのだ。生憎今日は他の参考書は持ってきていない。

 

――午後の授業が思いやられるな。

 

俺は深いため息をつきながら、鞄から新聞を取り出した。国内最大手の経済新聞と、FT、WSJと略称される外国の経済紙だ。最近、毎朝コンビニでこの3誌を購入してから登校することが俺の日課となっている。

 

早朝や昼休みの教室で、パンをかじりながら一人で新聞を読んでいる高校生がいれば、そいつは相当人目を引くだろう。

だが、幸いなのか、悲しむべきことか、俺の行動を不思議がったりする人間はクラスには一人もいなかった。どうやら俺は、よほど皆から関心を持たれていないらしい。

 

 

 

朝読み切れなかった三面以降の記事に目を通していく。

ふと、俺の目に留まる特集記事。とあるゲーム会社のシリーズ最新作の開発状況と、それに対する期待による当社の株価高騰の話だった。

 

 

――こいつぁ、あの時のゲーム会社じゃねぇか。

 

俺が宮田さんの下でトレーダーをやっていた時に投資したことのある企業だった。

当時、この銘柄は株価が何年も低迷しており、相当に割安と踏んで投資を実行した。

投資をするに当たり、俺は当社の過去の業績、株価推移、ニュースに関する報告書をまとめ、適正株価の算出を行った。

その記憶が蘇る。

 

 

結論を言うと、今開発されているこのシリーズ次回作とやらは、とんでもない糞ゲーだった。

総資産500億円程度の中堅企業が、社運をかけて100億円近くの開発費を投入し、世に送り出したゲームは、瞬く間に世間からの非難を浴びた。

そして、何としてでも過去シリーズからのユーザーを繋ぎ留めようとした当社は、このゲームの修正・拡張パッチを開発するために、更に資金を投入し続ける。

 

これが、長期に渡る株価低迷の要因となったのだ。

 

 

新聞を下ろすと、目の前でゲームに興じるクラスメートが二名。

目を細めて画面を覗き込むと、正に、新聞で特集されていた人気タイトルだった。

 

「なぁ、それ、面白いのか?」

 

「「え・・・?」」

 

んだよ、俺が話しかけるのがそんなにおかしいのか?

すこしイラッとするが、俺もいい歳の人間だ。ここは大人の対応を心がけよう。

 

「あ、いやすまん。構わず続けてくれ。この新聞で特集されてたから、ちょっと気になって聞いてみただけだ」

 

「あ、ごめん。普段話さないから、ちょっとびっくりしただけで・・・・このゲーム、今超人気なんだけど知らない?俺達、ここのところコイツのせいで寝不足気味で・・・」

メガネをかけていた方がそう答えた。

 

「そうそう、来月シリーズの新作が出るんだけど、その時はもっとヤバいかもな。もう待ちきれないっていうかさ!」

もう一人が期待に満ちた目でそう答えた。

 

ほう、新作の販売は来月か。悪いが、その希望は粉々に打ち砕かれることになる。

 

 

「おい、この敵ヤバいって。早く魔法浴びせないと!」

「いや、今このキャラは物理攻撃中心で育ててるから。ここは切り浴びせ一択だ」

 

二人が再びゲームに画面を戻して騒ぎ出した。

 

 

――いや、浴びせるなら「売り」の一択だろ。

 

売り浴びせ。未成年口座で空売りが出来れば、俺はいくら稼ぐことが出来ただろうか。

 

別に金がそこまで欲しいかと聞かれれば、決してそういう訳ではない。だが、絶好の収益機会をみすみす見過ごすことは、金融マンとして、株主に対する背信行為だ。

いや、今は別に雇われていないから、全く関係ないんだけどね。

専業主夫希望とか言ってたけど、10年で俺も社畜根性が骨の髄まで染みついちまった。

 

 

 

「結衣さー。なんか最近、付き合い悪くない?」

 

俺の思考は突然の声に強制中断された。

いささか高圧的な声の主にクラス中の視線が集まる。

 

――あぁ、三浦か。

 

放課後、奉仕部へ顔を出すようになった由比ヶ浜は、クラスのグループの誘いを断るようになっていた。

それに対し、苛立ち交じりの声で事情を聴きだそうとする、グループのリーダ格女子である三浦。

三浦の高圧的な態度に対し、ハッキリと事情を説明することに尻込みする結衣。

そんな結衣の態度が更に三浦を刺激する。

 

 

結衣は雪乃と飯を食う約束でもしていたのだろう。

確かこの後、部室で待つことに教室に痺れを切らせた雪乃が教室にやってきて、三浦をやり込めてしまうはずだ。

 

 

 

――結衣の奴・・・やっぱりまだ無理か。

 

一度言い聞かせたくらいで性格が変われば、本人も苦労はしないだろう。

それに、雪乃が三浦をやり込めてしまうのはあまりよろしくない。

 

雪乃が彼女の論理を以て他人をこき下ろす時、その内容は往々にして正しいのだが、彼女にも未熟さゆえに間違いを犯すことがある。

雪乃には同年代で彼女に並び立つような友人やライバルがいない。だから、そんな自身の未熟さを指摘してもらう機会がない。これは彼女の成長機会を奪うことに繋がっている。

 

雪乃の嫌われ役は、今後俺が買って出れば問題ないだろう。だが、友達は自分で作るしかない。

何でもかんでも持論で相手をやり込めてしまっていては、周囲から、付き合いにくい人間としかみなされなくなる。

そういうトラブルの芽は、俺が先回りして摘んでおいた方がいいだろう。

 

 

 

――ならここは、オッサンの出番ってことか

 

そう思って俺は立ち上がった。

 

「なぁ、三浦・・・」

 

「うっさい!」

 

ピキ!!っと自分の額の血管が音を立てて盛り上がった。

こんのアマ、ブッ殺・・・だめだ、押さえろ。落ち着け。

 

 

 

「あんまピリピリすんなって。他のクラスメートが怯えてんぞ」

 

「ヒキオの分際でエラそうに何?あーし、別にあんたなんかに用はないんだけど」

 

「由比ヶ浜は最近部活に入ったんだ。俺と国際教養科の雪ノ下ってやつもその部員だ。付き合いが悪くなった、ってのはたぶんそのせいだろう。お前も由比ヶ浜の友人ならコイツの性格は良く知ってるはずだ。由比ヶ浜がお前に遠慮してるのが、分からんわけじゃないだろ?」

 

 

ちっ、と舌打ちしながら三浦は俺から視線を逸らす。

 

 

「概ね、部活を始めたことを伝えて、お前たちに誘ってもらえなくなったらどうしようとか、悩んでたんじゃないのか?だから、なかなか切り出せなかったんだろう。ならお前は、今後どう由比ヶ浜に接してやったらいいか、少しくらい考えてくれるよな?」

 

 

「「「「・・・・」」」」

 

 

教室中が静まり返る。バツが悪そうな顔をする三浦。

葉山グループの面々は驚愕した表情で俺を見ていた。

 

結衣は泣きそうな顔で俺を見つめている。

 

結衣、俺は何時でもお前の味方だ。だが、お前にも成長はしてもらいたい。

 

「・・・由比ヶ浜、お前もお前だ。対等な友人だと思っていた相手が、自分の顔色を窺うような態度ばかり取ってきたら、お前はどう感じる?信頼されていないのか、嫌われているのか、不安にならないか?」

 

「・・・ヒッキー」

結衣はうなずいた。

 

「三浦の言っていること、俺は正しいと思うぞ。友達なら堂々と説明してやれよ」

 

「うん」

 

結衣の声には若干の元気が戻っていた。

批判されても素直にそれを受け入れるあたり、結衣は本当に性格がいい。

頭を撫でてやりたくなるが、それはぐっとこらえる。

 

三浦は引き続き、居心地の悪そうな顔で、携帯を弄っている。

だが、結衣への苦言は一応三浦に対するフォローにもなったようで、俺に対する敵意は消え失せた様子だった。

 

 

――ケツもちは頼んだぜ、弁護士先生

 

俺は三浦の傍に立っていた葉山に目をやると、無言のまま顎で三浦を差した。

葉山は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、俺の言いたいことを直ぐに理解し、うなずいた。

結衣と三浦の間に生じた小さな亀裂も、こいつがキッチリ修復してくれるだろう。

 

 

そんな安心感を覚えてから、俺は教室を後にした。

 

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

「雪ノ下、来てたのか」

 

俺は廊下で立っていた雪乃に出くわした。どうやら一連のやり取りを外から聞いていたようだ。

 

「あなた・・・本当にあの比企谷君なの?」

 

「え!?」

 

雪乃の言葉に対する驚きで、心臓が止まりそうになる。

 

「あなたが初めて奉仕部に来た時のオドオドした姿を思い出すと、さっきのようなやり取りが出来る人間だとは到底想像もつかないのだけれど」

 

「・・・男子三日会わざれば、っていうだろ。お前に会って俺は変わったんだ。世界を変えるパートナーは頼もしい方がいいんじゃないか?」

 

「それは口説いているのかしら。申し訳ないのだけれど、私はあなたに助けてもらおうなんて考えていないわ。それに、その話は恥ずかしいから、あまり口外しないでもらえるとうれしいのだけれど」

 

「どう受け取ってもらっても構わん。俺にとってお前や由比ヶ浜が大事な人間であることは変わらないからな」

 

「よくもそんなことを恥ずかしげもなく言えるわね」

 

顔を赤くして俯く雪乃。雪乃は回りの人間から、ストレートに好意を示されることにあまり慣れていないのだろう。

無論、こいつの見た目だけを見て告白をするような人間は腐るほどいるのだろうが、そういう人間の発する言葉には重みがない。

俺が言っているのは、本当の意味での好意を向けられる経験、という意味だ。

 

 

――雪乃よ。今日はドキドキしないで言ってやったぞ。オッサンの勝利だ。

 

よく分からない優越感に浸っていると、結衣が教室から出てきた。

 

 

「あ、ヒッキー、さっきはありがとう!ちゃんと優美子に伝えたよ。これからも友達だって言ってくれた。本当にヒッキーのおかげだよ」

 

「いや、ちゃんと勇気を出して仕切り直したのはお前だ。よく頑張ったな」

 

「えへへ」

 

少し赤くなって嬉しそうに笑う結衣。可愛らしくてつい見惚れてしまった。

 

 

「何鼻の下を伸ばしているのかしら、比企谷君。みっともないわよ」

 

「ぐっ・・・」

 

雪乃の言葉を受けて、自分の情けない姿を認識する。

 

「あ、ゆきのん、遅くなってごめんね」

 

「さっきのやり取りは聞いていたわ。本来なら連絡くらいして欲しいと思ったのだけれど、私たち、まだ番号も交換していなかったのだから仕方ないわね」

 

「そっか!じゃあ3人で交換しよ!奉仕部でグループチャットも開いてさ!」

 

 

嬉しそうな結衣の声に、俺と雪乃は目を合わせ、やれやれ、といった笑みを浮かべて、携帯電話の番号を交換した。

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。