オリンポス十二神族、それはこの世界の頂点に立つ十二人のデジモンだ。
そして私はその内の一人、ユノモン様のお付きをしている。
朝は早く、日が昇る前に私は目を覚まし、同じ様にこの神殿で働くデジモン達の住居で発声練習をする。これを合図代わりに起きてくるデジモン達がいるのだ。
そして喉のコンディションが万全にして私はユノモン様の朝のために緩やかな歌を歌う。歌詞のないメロデイだけの歌、また朝が来て夜が来る様に平和な日がいつまでも続く様に願う歌だ。ユノモン様お気に入りの曲で毎日この歌で起床される。
「おはよう、今日もいい声ね」
「おはようございます、ユノモン様」
寝起きのユノモン様は美しい。
普段編まれている髪ははらりと広がり一本一本が太陽の光を浴びて輝いている。ゆっくりと開かれた空色の瞳は底なしに吸い込まれてしまいそうで、躊躇なくユノモン様に飛び込んでいくことができる日光に、ユノモン様に触れる空気に僅かばかりの嫉妬すら覚える。
絵にも描けない、言葉にもできない、私の語彙力ではその美しさはとても表現しきれてはいない。しかしそうとわかっていても誰かにこの美しさを伝えねばという使命感に駆られる。
そんな寝起き姿を見たことがあるものは両の手で数えられるほどしかいない。その内の一体が私であることに毎朝誇らしさと幸せが込み上げ胸が詰まりそうになる。
ユノモン様の着替えを手伝う権利を持っているのも私だ。服装は肌の露出が多く如何なものかと思うのだが、ユピテルモン様が似合うだろうと仕立てさせた服なのだそうで、ユノモン様は導くものとして包み隠さず常に民に誠実たれということだと私にほほを綻ばせておっしゃっていた。
だとしても時に邪な目で見るものがいる。ユノモン様の御心はわかっていてもそれを悔しいと思うし、そんな心がけのものにはユノモン様の靴の先すら見せるべきではないと思っている。
コンコンと、ノックの音がする。
「お食事の用意ができました」
ユノモン様は黙々と服を着替え、朝食の席についてもユピテルモン様を待つことはなかった。やはり神殿に戻ってきておられないのか。
ユピテルモン様はユノモン様のパートナーである。ユノモン様の最愛の人である。故にユノモン様はユピテルモン様がどこにいるのかいついかなる時でもわかるのだという。愛の力はすごいものだ。
粛々と、しかし時折料理の味に少し笑みを浮かべ、賞賛の言葉を紡ぎながらの食事を終えられると、ユノモン様はフェイスガードを着用される。ユノモン様の口元を見られるのはこの神殿の中でも限られた者のみだ。
ユノモン様は次に執務を為される。ユピテルモン様が実際にその場に行って治めることが多いため、机の前ですることの割合が高くなるのだ。結果、ユノモン様はほとんど神殿から出られない。
そしてここで私は一旦ユノモン様のお側を離れる。私は執務に向いたデジモンではない、ユノモン様がユピテルモン様に会えない気持ちを紛らわす為に側にいる。
ユノモン様の前に立ち剣を持って守る護衛でもなく、その仕事の補佐ができるわけでもない、かつてはそんな私でいいのだろうかと考えたものだが今ではできることをしっかりとと考えている。
今できることは朝食をとり、万全の体制を整えることだ。食べ過ぎると歌えなくなるのであまり食べることはできないが。
ユノモン様はお昼まで執務を続けられる。次に私が為すべきことはユノモン様のお付きとして最低限の武術の鍛錬。短い手足ではあるが私の声は武器にもなる声がある。されどやっぱり鍛錬も必要なのだ。
木剣でジョアンナさんが斬りかかってくる。それをどうにかして歌えなくてはユノモン様の近くでただうろちょろするだけになってしまうからだ。私は避け、かい潜り、ヴァルキリモンの懐に入って喉を小さい手で突く。数歩下がった隙に大きく息を吸い三半規管を壊す重低音の歌を歌ってその動きを止める。
究極体といえど動きを止められるこの技はユノモン様を危険から遠ざけるには十分すぎる時間を作れる。
「……ッ腕を上げましたね。ではもう少し疾くしてみましょう」
私が歌を止めると頭を振ってジョアンナさんが木剣を鞘に入れたままの魔剣フェンリルソードに換えて構え直す。それから二時間、ジョアンナさんに歌を聴かせることはおろか攻撃を当てることもできなかった。
「ジョアンナさん、一気にレベルを上げすぎなんじゃ……」
「ユノモン様を狙うものの中に手練れがいなければ今の貴女でもどうにかできるでしょう。しかしそうではありません。護衛として、私はユノモン様に絶対の安全を確保しなければいけませんから」
「しかしですね……フェンリルソードで水分を氷にするものだから空気が乾燥して、喉が……」
護衛能力を手に入れる為に本来の役目を疎かにしてはならない。喉に攻撃を当てに来ないでくれるなど配慮はしてくれているのだが、難しいところだ。
「なるほど……なら今日はここまでとしましょう。私は今訓練中のはずの兵達に混ざって来ます」
お互いに礼をして訓練を終わる。すぐに喉をケアしなければいけない。部屋にまだ薬草が数種あったはずだ。薬湯を飲もう。
薬を作るのは得意だ、歌の道を究めようとする私の種のデジモンは薬で精神の状況までも歌に合わせて調整しようとする者も少なくない。私もその一体である。ケレスモン様の背で取れる薬草数種を煎じた薬湯の効果は折り紙付きだ。ちょっとした喉風邪なんかも飲んだところから治っていく。
飲んで少し喉を休めたらまた軽く発声練習をする。そのための部屋も用意して頂いている。期待に応えるために私は全力を尽くさなければいけない、その点でジョアンナさんと私は変わらない。ユノモン様から直々に名前も頂戴した身でもあるのだ。
「トリラーレ!ユノモン様が発作を起こされた!!」
部屋に入ってきた小さな狐の口から聞き知った声がする。執務、スケジュールの補佐が仕事のジョルジーナの声だ。
すぐさま向かってみればユノモン様はジョルジーナの張った結界の中央で膝を付き、その顔からは生気が今にも消えていきそうで、その背では触手の様に伸びた一対の槍がもがき結界を壊さんと暴れ狂っている。壊れていないのはユノモン様の自制心が何とか残っているからだろう。
私は落ち着いて槍の届かない遠くから小さな音量でまず歌いだす。穏やかな調子から、徐々に、しかしもたもたはせず素早く、でも違和感を感じさせない様に調子を上げ、発作を起こしているユノモン様と同調させる。
同調したら今度はそこからゆっくりとゆっくりと落ちつけていく。火がろうがなくなって自然に消える様な雨が弱くなって止むような太陽が地平線に沈むようなそんなイメージを、ユノモン様の容体を見ながら即興のメロディーに託す。
「あぁ、トリラーレ。ありがとう……」
私はその言葉に小さく礼をしつつも歌は止めず、精神安定の薬をユノモン様に手渡す。よく効くが副作用が強い薬でもあり、その日その日の発作の程度に合わせて処方するため、ユノモン様が発作の時に自分だけで調合し飲むことはできない。
私の歌と薬の効果でユノモン様は徐々に落ち着かれる。しかしそれでも極寒の大地にずっといたかの様に青ざめ、滝の様に冷や汗をかかれている姿を見ると何故私は発作を完全に抑えられないのだと自身と原因に怒りを覚える。
「執務が一段落したものだからユピテルモン様がどうされているかと思って……」
「ユノモン様、無理をされないで下さい」
敬意を話し出したユノモン様にジョルジーナが不安そうに心配そうに声をかける。それはいっそ悲痛な色を帯びている、ジョルジーナも予兆をもっと早く捉えられればと考えているのだろう。
大丈夫よ、トリラーレがいるものとおっしゃられるユノモン様に私はすっと意識を集中させる。ユノモン様はきっと説明したいのだ。心の内に留めていたらまたすぐに再燃してしまうとお考えなのだろう。確かにそれではいけない、精神安定の薬も飲んでいて私が歌を歌って管理できている今言うのは最適解かもしれない。ユノモン様がずっと心の内に留められることは難しいのだ。いつか発作を起こされる。
「ユピテルモン様がどこにいるのか、どうされているのか確認したの。そうしたら、そこに、あの……年中春頭が……春頭が……」
明らかに興奮され出すユノモン様に対して私はすぐに曲を変える。これは落ち着ける曲ではいけない、押さえつける様な重低音が必要になる。メロディーをいったん切って全く別のメロディーを作り歌う、そうするとユノモン様は一瞬びくっと身を振るわされてまた元の調子に戻る。
「そこに、ウェヌスモンがいて、お優しいユピテルモン様が一言二言褒めると調子に乗った様に頬を赤く染めたの……そう、頬を赤く、いけないわ。絶対にあってはならない……赦されない絶対に……」
また不穏な空気を纏われるが、今度は一気にまた興奮される様子はないし、顔から生気も失われていかない。歌がなかったとしても薬だけでどうとでもなる範囲だ。
「ユノモン様、ユピテルモン様の貞淑な妻でいるのではなかったのですか、怒りに心を奪われてはなりません……」
ジョルジーナの言葉にぶつぶつと言いながらもまた落ち着きを取り戻される。ふぅと小さく息を吐かれるのはユノモン様が本当に落ち着きを取り戻された時の癖だ。納得いかない気持ちをしっかりとどこかに落した合図。
それを見れて私達はほんの少しだけほっとする。本当の意味でもう大丈夫だと言える状態になったのだ。また明日にでも発作は起こるだろうが、今日は今までのデータから言って発作は起きない。
「……そうね、私はユノモン。ユピテルモン様の妻……私は貞淑な妻でなければいけない。一時の激情にその身を任せそうになるなんて……いつも貴方達に助けられる。ありがとうトリラーレ、ありがとうジョルジーナ」
ありがとう、その一言を聞くために私は生きていると言ってもいい。呼吸がしやすいようにとフェイスガードを外されたユノモン様の小さな笑みが、穏やかに細められる瞳が、凛とした声が、ただ私に向けられる。この瞬間こそが私の幸福の極みなのだ。
しかし、同時に苦しくもある。私が発作の度にありがとうと言っていただけるという事は発作を抑えきれていない未熟さの表れだ、常に発作を抑え、ふと思い出した様に声をかけて頂ける。いや、声をかけて頂かなくてもいい、ユノモン様があんな風に苦しむ姿をこの世からなくしてしまいたい。
「午後は静かに過ごすことにするわ。少し穏やかな気分になりたいの、トリラーレ」
「はい、すぐに」
ユノモン様は読書をよくされる。読むジャンルはその時々の状況や気分によって様々だ。
三十五年前、未曽有の災害が起きた後には小規模での復興についての事例や、災害を予測しその後の復興についての本をお求めになられた。その時一睡もしないユノモン様に、差し出がましい事と知りながらお体に障りますと言った私に、民の苦しみを和らげられる目途が立つまでこの心は大しけの海の様に荒れ続けるとおっしゃられた。
かと思えば、明日はユピテルモン様が一日神殿におられるという日にはそれこそとびっきりのロマンが詰まった恋愛小説などを読まれることもある。俗物的だと十二神族の方々の中でも賛否両論あり、ネプトゥーンモン様なんかは部下にも読ませない小説であるが、ユノモン様はハッピーエンドのものに限って読まれる。ユノモン様はとても感受性が強いお方なのだ。バッドエンドのものを読まれると三時間以内にほぼ間違いなく強い発作を起こされる。
今日は穏やかな気分になりたいとおっしゃられたから、詩集などがいいだろう。朗読の係のゴートモンにいくつか見繕ってもらおう。
さて、朗読の係がいるなら私が何をするのかと言えば背景音楽である。詩の邪魔にならない程度の音量で声質でそれでいて詩の内容に合わせたものでなければならない。ゴートモンとの打ち合わせは必須だ。
そしてユノモン様の昼食が終わる。
大体三時間程詩を楽しまれ、ユノモン様は訓練をしに行かれた。
いつも思うのだが詩の内容に耳を傾けるユノモン様の背景音楽を担当するのは私一人では荷が重い。ユノモン様の美しさの引き立て役となるには最低でも五十体規模の同種の合唱団がいる。私一人の歌では詩を彩るには足りてもユノモン様の美しさにはただ呑まれるのみだ。
ユノモン様の訓練に私は同行することはない。ジョアンナさん始め護衛のデジモン達は究極体ばかり、ユノモン様に数体でかかるその際の気迫の余波だけで私は気絶したことがある。完全体の身には非常にきつい。
それにこの時間を逃すと昼食を取れない。喉のケアもできない。夜にはまた大切な日課があるのだ、ユノモン様の一日を締めくくる大事な役目である。
すなわち眠りの歌である。ユノモン様を快眠へと誘う歌。実はユノモン様が発作を起こされるのは睡眠中も少なくない、それを解消する術が睡眠の導入と終わりを私達の種の歌によって行うというものだ。これによって睡眠中の発作の数は九割減った。これを大事な役目と言わずなんと言おう。
ユノモン様は訓練を終えると湯浴みをされ、食事を取られる。
そして神殿より見える麓の住民達を眺めるのだ、神殿に最も近いそこには活気が溢れ、夜だというのに暖かな光が見える。
ユノモン様はその光を民の幸福の証と呼ぶ。特別夜に行う生産的な行為というものは基本ない、それでも灯りをつけているのは誰かと語り合っているからだとユノモン様は言う。今日あった些細な幸せを共有し、不幸を一緒に嘆き、一緒に憤り、一緒に喜ぶ、そう言った幸せが溢れているのだと。
その光を見てユノモン様は微笑みながらフェイスガードを外し、寝床に着く。私は夢の中でユノモン様の隣にユピテルモン様がずっといますようにと願いを込めて、歌詞なき曲を歌うのだ、願いに言葉を乗せればそれは安くなる。思いを言葉で表現し切ることはできない。
ユノモン様の寝息が聞こえたら私の一日もほぼ終わりを迎える。
夕食を軽く取る。調合して置いておける薬は調合する。不足がないか確認し、減っているものがあればジョルジーナに伝える。ユノモン様の発作の程度を十段階で表し、その時の周辺状況や歌った曲の調子、ユノモン様の一言一句をカルテに書く。
そして最後に日記を書くのだ。今日あったこと、今日のユノモン様はどのように美しかったか、ユノモン様の見る限りの様子、今日の私の思い。
最初、ユノモン様のお付きになった時は日記を書いてはいなかった。しかし、十八年前先任の同種の日記を見つけた日から書くようにした。
そこには先任が大々的に過去千年以上にも渡る記録を遡ってまとめた研究成果が書かれていた。
ユノモン様は発作の果てに暴走すると別の人格に体を取って代わられること。
その状態のユノモン様にはユピテルモン様以外は皆同一の敵に見えていて、話が通じないこと。
その状態を収めるには十二神族の誰かに力で押さえ込んでもらうか、または数百というデジモンの命を捧げることであること。
私達の種の寿命は約二百五十年だが発作を抑えるには二百歳を超えた同種の声量では無理が出てくるため、百八十歳を超えたら交代することが望ましいこと。
特別強い発作の時にはお付き一人が歌った程度では抑えきれないこと。そして特別強い発作はその直近の暴走から三百五十年ほどで起こること。
そして、先代は直近から三百五十年が自分の寿命の内にないことを嘆いた。先代の死はユノモン様によるものだ、研究していながら二百歳を超えても引き継ぎをしなかった。
そしてユノモン様は暴走した。先代はその槍で貫かれて死んだ。
日記の中で先代は懺悔と自身の欲望を告げていた。
私の身勝手によりユノモン様の暴走を引き起こすことを申し訳なく思う。被害は甚大であるだろうしユノモン様は心を痛められるだろう。ユノモン様を悲しませること、それが私の最も大きな罪である。
しかし、一方でその罪によってユノモン様の中に僅かばかり私が生きる。永遠を生きるユノモン様のその御心にわかっていながら予防しなかった愚か者としてか、老齢になろうと側にいた忠義者としてか残れることに私は喜びを覚える。
私の人生をユノモン様に終わらせて頂けること、至上の光栄と思う。
この日記を見た私は、三百十五年後にユノモン様が暴走する可能性が非常に高いことを表明する義務がある。しかし、誰にも告げられていない。
この日記を見た私は、百十五年後には次の者に引き継ぐべきであることを表明する義務がある。しかし、誰にも告げられていない。
かといってこれを捨てることもできない。まだ決めかねているのだ。どちらを選ぶのか。私は一度だけ会った先任の顔とユノモン様のことを思って寝床に着く。