翌日、ユリスは最悪の気分で目を覚ました。
(今日から私は、奴の奴隷……)
思い出しただけでため息が漏れた。そもそも、あの絢辻真斗とかいう奴の顔と剣が気に食わない。一見、整った顔立ちはしているものの、軽薄そうで覇気の欠片もない顔、それに追加して自分の焔をかき消す謎の剣。
(本当にムカつく……。だが、これから先は手を出せない。今にして思えば、どちらにしろ奴の一人勝ちじゃないか。本当にムカつく奴だ)
またまた、「はぁ……」と深いため息をついた。
(あんな簡単に乗せられるようでは、私もまだまだだな)
少し反省しつつも、ふああと小さく欠伸した。で、ベッドから降りて顔を洗い、のんびりと朝食を済ませてふと時計を見ると、遅刻まで時間が迫っていることに気付いた。
「っ⁉︎ 何をぼんやりしてるんだ私は!」
慌てて自室に向かい、着替え始める。パジャマを脱ぎ捨てて下着姿になると、上からブラウスを羽織りつつ、スカートに手をかけた。その時だ。風にハンカチが煽られ、飛ばされた。
「ええい!よりにもよって、こんな時に……!」
幸い、風はそんなに強い風ではなかったのか、遠くまで飛ばされたようには見えない。だからと言って下着姿で外に拾いに行くわけにも行かず、慌てて着替えを再開する。
「とにかく、遠くまで飛ばされないうちに追いかけねば……!」
が、慌てている時ほど上手くいかないもので、スカートを履くのに手間を掛けてると、不意に後ろから声を掛けられた。
「えっと、こんなところからすいません。ひょっとしてさっき、ハンカチを……」
「え……?」
「あれ……?」
後ろにハンカチを持った男が立っていた。自分と同じ年齢くらいの。お互いに顔を見合わせること数秒、男の方が慌てて謝罪した。
「ご、ごめん!いや、あの、俺は別にそんなつもりじゃ全然なくて!」
そう言われて、ようやくユリスも状況を理解した。
「う、後ろを向いていろ!」
「え?」
「いいから、さっさと、後ろを向け!」
有無を言わせない口調に、慌てて従う少年。ユリス自身も、慌てて中途半端な状態だったスカートとブラウスを着て、その上にブレザーを着ていつでも学校に行ける状態にした。
「ふぅ……も、もういいぞ」
ようやく振り返る少年。
「で、ハンカチとは?」
「……はい?」
「さっきお前が言っていただろう?ハンカチがどうこうと」
「ああ、そうそう!えっと、これなんだけど……」
少年は確かにユリスのハンカチを持っていた。
「さっき風に飛ばされてきたのを拾ったんだ。これ、もしかして君の?」
「! 良かった……」
少年からハンカチを受け取ると、安心したようにホッと息を吐いた。
「すまない。これはとても……とても大切なものなんだ」
「いや、別に俺は偶然拾っただけで……」
「それでも助かった。本当に感謝する」
言いながらユリスは深々と頭を下げた。
「……さて、これで筋は通したな?」
「はっ?」
「では、くたばれ。『咲き誇れ、六弁の爆焔花』!」
「《魔女》⁉︎」
慌てて少年は窓から飛び降りて逃げた。上を見上げると、巨大な炎の花がその蕾を開いている。
「………いやいやいや」
「ほう、今のを躱すとは、中々やるではないか。いいだろう、だったら少しだけ本気で相手をしてやる」
「わわっ、ちょっと待った!」
「なんだ?大人しくしていればウェルダンくらいの焼き加減で勘弁してやるぞ?」
「それは中までしっかり火を通す気満々ってことだよね?……じゃなくて、とりあえず命を狙われる理由を聞きたいんだけど……」
「乙女の着替えを覗き見たのだから、命をもって償うのは当然だろう」
「だったら、さっきお礼を言ってくれたのは?」
「もちろんあのハンカチを届けてくれたことには感謝している。だが……それとこれとは別の話だ」
「……そこは融通を利かせてくれてもいいんじゃないかな」
「生憎、私は融通という言葉が大嫌いでな。そもそも届けるだけなら窓から入ってくる必要はないだろう?ましてや女子寮に侵入してくるような変質者は、それだけで袋叩きにされてもおかしくないのだぞ」
「え?女子寮?」
「まさか……知らなかったのか?」
「知らないもなにも、俺は今日からこの学園に転入する予定の新参者で、しかもここにはちょっと前に着いたばかりなんだ。誓って嘘じゃない」
「………」
言われてユリスは、ジロジロとその少年を見る。
「……わかった。それは信じてやろう」
ホッとする少年。だが、
「だが、それとこれとは話が別だがな」
再びユリスは火球を生み出した。少年が「おいおいマジかよ!」とでも言わんばかりに逃げようとした時だ。いつの間にか自分達を囲んでいた野次馬の中に、目の前の少年よりよっぽどムカつく奴が視界に入り、そっちに火の玉を飛ばした。
「いっ⁉︎」
その少年は慌てて剣を抜いて火の玉を搔き消した。
「お、おいユリス!何すんだよ!」
真斗が人の群れから出て来た。
「黙れ!今日こそ決着を……!」
「いや、それは昨日の段階で無くなっただろ!」
「あっ……」
覗き少年のお陰でその事をすっかり忘れていた。自分は世界で一番腹立つ男の奴隷。
「グッ……お、おはようございます……ご主人様」
「はっ?ご主人?」
覗き男がポカンと口を開いた。
「オイィ!人前でそれはやめろって言っただろうが!」
「じ、じゃあどうしろと言うのだ!」
「どうしろも何も、他人のフリでいいだろ!何でわざわざお前は絡んで来るんだよ!」
「お前が視界に入るのが悪い!」
「何だそれ!」
と、いつもの口喧嘩になったので、少年は今のうちに逃げ出した。