お腹空いた…。まあ、とりあえず現状確認。笹の葉が擦れるような音が聞こえてくる。誰かが話しているのだけれど、碌に聞いてなかった。体に圧し掛かる、温かくて重い何か。…うん。多分永遠亭の病室のベッドの上。これで三回目である。
しかし、今起きるのはあまりよくないと思う。話の腰を折りかねないし、突っかかってきたら面倒だ。というわけで、寝たふりをさせてもらおう。それで、丁度よさそうなところで目覚めよう。その間はやることがないので、話を聞くことに努めるとしよう。
「――言えば『あと一週間は目覚めない』かしら?」
おや、この声はレミリアさん?一体、どうしたんだろう。紅魔館の誰かが倒れたのかな?…いや、ちょっと違うかな。そこまで心配しているような言い方じゃないから。
そんなことを考えていたら、何かが倒れる音と共に、誰かが力強い足音と共に近付いてきた。が、その音はわたしのベッドを通り過ぎていく。
「おいテメェ!ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」
妹紅さんだ。妹紅さんが珍しく怒りを露わにしている。足を踏み鳴らしながら、レミリアさんがいるであろう方向へ向かってゆく。
「ふざけてなんかないわ、運命よ」
「知るかよそんなの!運命とかほざく暇があったら――」
「待って。…ね?」
「――悪ぃ、人に言っときながらこの様だ」
「いいよ。…ありがと」
…どうやら、フランさんもいたようだ。そのフランさんが、妹紅さんを止めてくれたみたい。
「だからフラン、一度帰りましょう?何もここに行くなって言うわけじゃないのだから」
え?フランさんは、わたしが目覚めなかったからここにいたの?もしかして、わたしが倒れてからずっと?…わたしの所為で、フランさんの自由を阻害してしまったのだとしたら、それは悲しいことだ。
「帰らない。おねーさんが起きるまでどんなことがあっても、曲げないよ」
いや、要らない心配だったかな。フランさんは、自らの意思で決めたんだろう。その決意は、声色だけでも十分伝わってくる。
「…そう。ならしょうがないわね。力尽くで行かしてもらうわよ。たとえ四肢をもぎ取ってでも連れて帰るわ」
はい?今なんて言った?四肢をもぎ取ってでも、だって?…ふざけるな。いくら吸血鬼だとしても、再生が容易だとしても、妹相手にそれをするか…?…黙って寝たふりをするのもここまでだ。
空間把握。ベッドが、フランさんが、ナイフを手に取ったレミリアさんが、妹紅さんが、萃香さんが、咲夜さんが、椅子が、机が、壁が、柱が、廊下が、永琳さんが、うどんげさんが、姫様が、永遠亭が、妖怪兎達が、因幡てゐが、庭が、鬱蒼と生える竹が、頭の中に形として浮かび上がる。レミリアさんが持っているナイフの形には覚えがある。ぼやけつつあったが覚えている。咲夜さんのナイフ。銀製のナイフ。対吸血鬼用だと思う、ナイフ。どうして吸血鬼の従者である咲夜さんがこれを持っているのか不思議に思ったことはあるけれど、今はどうでもいい。もしかして、それでもぎ取るつもりなのか?フランさんの四肢を?
『幻』展開。最速の直進弾用を四つ。狙いは、右手首、左手首、右膝、左膝。行動を阻害し、出来れば得物を取り落すのが目的の狙撃。発射した妖力弾はレミリアさんの手首、膝があった位置で消えたので、多分被弾したのだろう。カァン、といった金属の甲高い音が響いた。
外に生えていた天井に届かない程度の長さの竹を選び、わたしに重ねて複製。体が竹から弾かれようとするのを、自らの意思で上へ進む。布団を跳ね飛ばし、天井ギリギリまで弾け跳ぶ。
呼吸を止めると、時間が止まったような感覚が襲いかかる。重力に逆らうことなく落ちているはずなのに、それが何十倍にも引き伸ばされる感覚。ゆっくりと、正確に体勢を整える。息を吐き出し、一気に吸い込む。時の流れが戻り、落下の始まりを錯覚する。目標は定まった。
「――ハァッ!」
「グゥッ!?」
全体重を右脚に乗せ、前方三回転の加速を乗せた踵落としを頭頂部に叩き込む!
「それ以上はいけませんよ。いくら何でも許されない…!」
床に潰れたレミリアさんを見下ろし、言った。聞いているかどうかはどうでもいい。ただ、言いたかった。
「…あ、貴女…どう、して」
「あー、そう言われれば、なんか言ってましたね?あと一週間目覚めないとか何とか。あれ、誰のことです?」
わたしの他に寝ている人がいなかったけれど、と思いながら言う。もしかして、わたしのことだったの?もしそうなら、貴女の言う『運命』って何なのかな?
ま、どうでもいいや。そんなことよりも今、わたしの後ろには待たせてしまった人がいる。レミリアさんの頭から足を退け、振り返る。一歩ずつ近付きながら、言うべき言葉を。
「ただいま、フランさん」
「ッ、……おねーさんっ!」
そう言いながら、抱きついてきた彼女を何とか倒れずに支え、支えを失った竹が一緒に倒れてきたのですぐに回収する。
さて、まずは確認から。椅子からゆっくりと立ち上がった二人の嬉しそうな顔を見ながら、わたしは問いかけた。
「妹紅さん、萃香さん、待たせてしまったみたいですみませんね。わたし、どのくらい寝てました?」
「一週間だとよ」
「一週間って言ってたけど?」
「い、一週間ですか…」
…想像以上に長い。うどんげさんか姫様か知らないけれど、いくら何でも長過ぎでしょう。
「…ま、起きたならそれでいいか」
「うんっ、うんっ!」
「そうだな。とりあえずどうする?残るのか?帰るのか?」
「…帰っていいのかな?」
勝手に帰っていいのか分からない。あとで呼び戻されたら面倒だし。
「出来れば帰ってくれよー。食えるのも飲めるのも大体無くなっちゃったからさー」
「…えー。いや、それだけ長かったら仕方ないかな…?」
そっか、食べ尽くされたのか…。ということは、あの茸も食べたのか…。
「とりあえず、残りますよ」
「ちぇっ。残るのか」
「ん、そうか。なら寝とけ」
「そうしますよ。…と、その前に」
抱き着いて離さないフランさんをゆっくりと引き剥がし、未だに倒れているレミリアさんの高さに出来るだけ合わせるために、しゃがんで話しかける。
「気分はどうですか?」
「ぐぅ…さ、最悪よ…」
「でしょうね。意識を刈り取るつもりで叩き込んだのに、下手に丈夫で堪えちゃったから気持ち悪いでしょう」
頭が急に強く揺れると本当に辛い。妹紅さんに体術を教えてもらっているときに言われたことだが、殺さないで勝つのに最も簡単なのは、不意討ちからの気絶だ。実際にやってみたけれど、なかなか上手くいかないものだ。
「さて、フランさんが帰るのはもう少し待ってくれませんか?一応、わたしも目覚めたわけですし」
「…いつ、まで。ああ、痛い…」
「ま、明日には退院出来るでしょうし、それまでは」
「そう。…ふぅ」
そう言うと、頭を押さえながらようやく立ち上がった。脚はまだ力無く震えているけれど、見なかったことにしておこう。そんなすぐに気分が直るとは思えないし、しょうがない。
脚から目を離すついでに、部屋の端で静観を続けていた咲夜さんを見る。
「遅くなりましたが咲夜さん。こんばんは」
「こんばんは。久方振りですね」
「…どうして止めなかったんですか?」
訊いたことには答えてくれず、曖昧に微笑まれてしまった。まあ、複雑な事情があるんだろう。命令か、理性か、意思か、感情か、はたまたそれ以外か。
「ま、いいか。とりあえず、帰ってくれませんか?フランさんは帰らないと決まった以上、これ以上用はないでしょうし」
「ハァ…、そうね。貴女の言う通り。…咲夜、帰るわよ」
「承知いたしました、お嬢様。それでは、幻香さん。お元気で」
「あ、出来れば永琳さんを呼んでくれると助かります」
二人が部屋から出る寸前、思い出したことを言っておく。伝わったかどうかは知らないし、呼んでくれるかどうかも分からない。してくれたら嬉しいけれど、してくれなくても問題ない程度の感覚。
「フランさん」
「何?おねーさん!」
「勝手に決めちゃいましたけれど、よかったですか?」
「いいよ。私も大体そのつもりだったし」
「そうですか。ならよかった。…さて、起きたばかりですけれど、わたしは少し横になることにしますね…」
永琳さんが来るまで、少しでもいいから休みたい。もし来なければ、そのまま寝てしまってもいい。空腹を紛らわすのに最も簡単なのは寝てしまうことだ。
「分かった。それじゃあ、お休み」
「気絶と睡眠は違うからな。出来るなら、朝まで寝とけ」
「何かあったら起こすから、安心しろよ?」
「ええ、それでは」
ベッドの上から落ちている布団を拾い、そのまま被る。もし永琳さんが来るとしても、五分くらいは横になれるだろう。