相手はあの博麗の巫女、博麗霊夢だ。普通に戦っても私に勝ち筋はないだろう。その程度、私自身が一番分かっている。それでも私はやらねばならない。負けるわけにはいかない。
「くっ…!」
キラリと光るものを目に捉えた瞬間身を屈め、飛来した針を避ける。後ろの生えている竹から微かな音が響き、僅かに揺れた。
何はともあれ、何の策もないまま対峙しても勝ち目はない。そのまま碌に体勢も整えずに距離を取った。その際に逃げる方向は、少しでもあそこから離れるようにすることだけは忘れない。
「逃がすかっ!」
矢継ぎ早に飛んでくる針を、竹を盾にしつつ避けていく。その隙に、体を流れる妖力をいくつかに小分けして展開する。小さな白いものが十個、フワリと現れた。これは私が弾幕を張る余裕がなくても、勝手に弾幕を張ってくれる。私は特に名を付けていないが、幻香は『幻』と呼んでいたな。
竹林の中を駆け抜けながら、頭を急速に回転させる。私が彼女に勝つためにはどうすればいい?私が彼女に勝っている点は何だ?齢、知識、知恵、地の利…。駄目だ、まともなものが出て来ない。
「…ッ!」
「ちょこまかと鬱陶しいわね」
前方に霊夢が現れた瞬間、近くに生えていた竹を掴む。そして、円柱状になっているのを利用し、手を滑らせながら直角に曲がる。まさか、先回りされたのか?…まずいな、どうやら相手はまともに考える時間を与えるつもりはないらしい。
「…ちっ。神霊『夢想封印・瞬』!」
後方から、スペルカードの宣言が聞こえてきた。その次の瞬間、私の真横を何かが通り過ぎた。一瞬、何か全く分からなかったが、その正体はすぐに分かった。霊夢だ。一瞬で私を追い抜き、目の前に浮かんでいる。袖口に両手を入れ、取り出したその手には大量の札があった。
投げ付けられた札の弾幕。その数は尋常ではなく、視界を覆い尽くす。とてもじゃないが避けられそうにない。だが、どれだけ強力なものであろうと札は所詮紙。熱を与えれば燃える!
「光符『アマテラス』ッ!」
右腕を天に掲げ、光と共に全方位に強烈な弾幕を放つ。太陽の如き光は札を穿ち、周囲を焼き尽くしていく。この場ではあまり使いたくはなかった。一つは、攻めるためではなく護るためにスペルカードを使ってしまったことだ。そしてもう一つは、ここの竹林が生きていればいいのだが、枯れかけていたら燃え盛ってしまうことだ。私の記憶が正しければ、この場所の竹林は枯れていなかったはずだが、果たして…。
「くっ、ああもう!面倒臭いったらありゃしない!」
「…悪いな。だが、そんな簡単にくたばるつもりはないんだよ」
竹の表面の色が変わり一部は黒くなってしまったが、幸い火が噴き出すことも破裂することもなかった。
人間業とは思えないほどの速度で周囲を飛び回り、私の放つ弾幕の隙間を抜けていく。その合間を縫うように大量の札を投げ付けられるが、光から放たれる弾幕の熱がその全てを焼き尽くす。そのまま被弾することもなく、時間だけが過ぎていった。
お互いのスペルカードが終わり、先程までの激しい応酬が嘘のように静寂に包まれた。
「なあ、博麗の巫女」
「…何よ」
静寂を破る私の問いかけに、霊夢は止まった。フワリと浮かぶその姿に隙はなく、不意討ちは効かないだろう。もちろん、私はそのようなことをするつもりはない。
私は、たった一つ訊くだけだ。
「…どうしても、先へ進まねばならないのか?」
「ええ」
「そうか。…始符『エフェメラリティ137』」
なら、もう何も言うまい。ものを投げるように大きく振りかぶり、霊夢へ妖力弾を放つ。
それに対し霊夢は、何時の間にやら人差し指から小指までの四指に挟んだ三本の針を放ち、それと同時にその場から離脱していった。
針が私の放った妖力弾に触れた瞬間、泡沫の如く弾ける。飛沫を上げて飛散するが、霊夢は既に範囲外。
「この程度、造作もないわね」
次々と弾幕を放っていくが、ヒラリフワリと風に舞う木の葉のように掠りもしない。それを目の当たりにし、僅かに焦りが浮かぶ。その焦りが緊張を呼び、動きが僅かに鈍る。
「ぐっ…!」
その隙を穿つ針が、私の右腕に突き刺さった。鋭い痛みが走るが、肉体的なものよりも精神的なもののほうが強く響いた。しかし、今はとてもじゃないが気にしていられない。
右腕を振るうたびに血が滲むが、構わず弾幕を放つ。我武者羅、と言ってもよかったかもしれない。ところ構わず投げ付け、竹林や地面に触れた傍から儚く弾けていく。
「はぁ…、はぁ…」
「これで被弾一、よ」
時間いっぱい放ち続けたが、結局当たるどころか掠りもしなかった。それに加え、痛む右腕が私の気持ちをさらに重くする。
有れる息を整え、今の状況を再確認する。私はスペルカードを二枚使い、一回被弾した。それに対し、あちらはスペルカードを一枚使っただけで、被弾していない。
「…ふふ」
「どうしたのよ」
乾いた笑いが口から零れ落ちる。
…どうやら、私の勝ち筋はもう潰えてしまったようだ。ここから勝利へ進むのはあまりに絶望的だ。奇跡的な偶然がいくつも重なれば、あるいは変わるかもしれないが、そのようなことが起こるとは思えない。
だが、それでもこの勝負を投げるつもりはない。どんな状況になろうと、たとえ敗北が避けられないものだとしても!
「この程度で引くつもりなど最初からない!国符『三種の神器』!」
◆
博麗の巫女が、頬を軽く抑えながら私の目の前に降り立った。手と頬の間に挟まれた白い布地は、じんわりと赤く染まっていた。
「どうやら、私の勝ちみたいね」
「…そうだな」
出来ることはしたつもりだが、敵わなかった。負けてはならない勝負だった。それなのに敗北を喫してしまった自分が情けない。
いや、最初から分かっていたことなのだろう。彼女は、私が知る歴史の中で最強の博麗の巫女なのだから。
右腕に刺さったまま針を引き抜き、血を拭う。綺麗になった針を手渡し、そのままその手を握った。
「負けたのを承知で言う。…どうか、引いてくれないか?」
「…アンタみたいなのがそこまで言うようなのが、奥にいるのね」
「そうだ」
私自身、とても信じられないし、信じがたいことだ。想像も絶する破壊衝動、なんて言って信じるだろうか?幻香がフランドールになって死なない少女を殺し続けているなんて、信じられるだろうか?
そんな私の考えは口に出したくない。出してはならない気がする。
私の握った手を振り払いながら、霊夢は強い意志を宿した目付きで言った。
「異変は、私が解決する」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題よ」
どういう問題、か。幻想郷を巻き込みかねない問題だ。本来ならば、博麗の巫女に頼むのが正しいことなのだろう。だが、これは同時に個人的な問題であり彼女の問題だ。
「…いや、もう止まるつもりはないのだろう?」
しかし、そんなことを言っても意味のない事は分かり切っている。それに、霊夢がここで止まるつもりがない事は、既に分かっている。
「そうね」
私の問いかけに対する答えは、とても短いものだった。それだけ言うと、背を向けて歩き出した。その方向は、ほぼ正確に妹紅と幻香のいる方向だった。
それを止める資格はない。それでも、私はその背に語りかけた。
「一つだけ言わせてくれ。これで最後だ」
「…何よ」
脚を止め、顔だけをこちらに向けた霊夢に短い一言を投げかけた。
「殺すな」
「…当たり前でしょう」
そして、霊夢は迷いの竹林の中を迷いなく進んで行った。
博麗霊夢。お前も、お前自身を殺さないでほしい。死なないでほしい。博麗の巫女がいなかった幻想郷は、荒れに荒れていたのだから。