鬱陶しいほど視線を感じる。しかし、視線だけなら実害はないだろう。ただ、チリチリとしたものが首筋に感じるくらい。
最初に見上げた距離感と歩幅と歩数からして中腹に到達したころ。奥に人影が一人目に入った。獣人の仲間だろうか、犬のような耳がひょっこりと出ている。右手には剣、左手には盾。そして、何というか全体的に白い。そんな彼女が、真っ直ぐと私を睨み続けている。…もしかして、彼女がわたしを見続けていたのだろうか?だとしたら、彼女はわたしがちょっと危惧していた超視力の持ち主かもしれない。
「止まれ」
わたしが彼女の横をそのまま通り抜けようとすると、剣でわたしを制した。言われた通り止まり、改めてわたしを妨害している者を見る。…見覚えがあるような気がしないでもないが、思い出せない。遠くから見た程度ならあるかもしれないが、話したことはないだろう。
「ここから先は妖怪の山の領域。化けて出ても無駄だ。立ち去れ」
「…はぁ。そうですか」
縄張りみたいなものだろうか。頂上から見下ろして見つける、という漠然とした目的は諦めたほうがいいかもしれない。無理矢理突破してもいいのだが、それをするとこの先にいるだろう大勢を敵に回すわけだ。それは非常に面倒臭い。
穏便に済む確率は、面積だけなら単純計算で大体四分の三。しかし、前に行ったときにはこんな見張りみたいな人に引っ掛からなかったけど…。あの時は異常気象だったからなぁ。いや、異常気象だからこそ警戒が強くなるのかな?うーむ…。
「この先に、迷い家はありますか?」
「迷い家?それなら下だ。辿り着けるとは思えないが…」
そっか。それならよかった。面倒事にならないで済みそう。
「ま、辿り着けたらでいいんです。そこに用があるもので」
「あそこは迷わなければ決して辿り着かない場所だ」
「迷ったら道を失いますよ。だから、今迷うわけにはいかないんです」
迷わないと駄目なら、そんなところは願い下げだ。わたしは、迷わずに辿り着く可能性に賭けているのだから。駄目なら次の場所に行くだけ。全部回っても駄目なら…そのときはそのときだ。
さっきまで昇ってきた道に引き返そうとしたとき、何かが轟音と共に降り立った。
「あやや、まさかこんなところで出会うことが出来るなんて…」
「…天狗?」
誰だ、この天狗。見たことないぞ。記憶にない。
「…文さん。一体何処で道草食ってたんですか?」
「食ってません。『禍』の続報を求めてたんですよ。…まあ、収穫は全然でしたが」
「『禍』…ねぇ」
それにしても、この天狗が射命丸文か。彼女にする礼は二つだと思っていたけれど、どうやら一つだけだったようだ。それと、出来ればやっておきたかったことがある。それが出来る幸運に少しだけ感謝してもいいかもしれない。
わたしに歩み寄ってきた射命丸文が、手を伸ばしてきた。
「諦めかけたときほどいいものに巡り合える…。こんにちは『禍』」
「…何の用ですか?虚構記者」
「え!?わ、『禍』!?本当にいたんですか!?」
伸ばされた手を無視し、目の前の天狗の目を見る。その感情は、好奇。…ふぅん。
「いますよ。私が嘘を書いたことがありますか?」
「…その台詞から嘘ばっかですよ」
「そうですね。確かに嘘っぱち」
一瞬で視線をその手に持つカメラに移し、ピッタリと重ねて複製。そして即炸裂。ガシャガシャと中身が暴れ出し、レンズが内側から吹き飛んだ。その内側から薄く煙が上がる。誰がどう見ても、修正不可能に破損したカメラの完成だ。
「え?あッ!カ、カメラが…」
「どうしました?何か、不吉なことでも、ありました?」
可能な限り平然と、それでいて嫌らしい言い方。そして、顔を壊れたカメラを見下ろす射命丸文の間に割り込ませる。目を細め、頬を僅かに上げながら。さて、ここからどうするべきか…。まさか、ここで新聞記者に会えるとは思っていなかったから、碌に考えてない。相手の対応から即興で対応していかないと。
「…いえ、大したことじゃ、ないです…うぅ」
「確か、高かったと言ってませんでしたか?」
「中身にいい写真がなかっただけマシですよ…」
どれだけの価値があるのだろうか?複製したときに少しだけ空いていた隙間から内側まで流れたから何となく形は分かったけれど、相当複雑な機構をしていた。一円や二円ではきかない気がする。まあ、あの新聞の礼はこのくらいでいいだろう。うん。
「まあ、この際写真は諦めますか…。『禍』、私は貴女に取材をしに来ました」
「…取材」
「ええ。これ以上ない話題になりますよ」
「ふむ」
来た。
「それなら、わたしが言うことは一つだけですよ」
「ほぅ?それは一体?」
「『許せないって言うなら好きなだけかかってきな。わたしはいつでも待っている』。…これだけですよ」
「え、それだけですか?」
「ええ、それだけですよ。それでは」
後ろで何か言っているようだが無視し、振り返ることなくさっきまで来た道を降りていく。
◆
ある程度降り、二人が見えなくなったところで道を曲がる。一度来たことがあるかどうかは、近くに石ころの複製があるかどうかで判断する。
さて、あの新聞記者はあの言葉をそのまま載せてくれるだろうか?出来るだけ改変されないことを願うが…。出来るだけ変えられないように、礼も兼ねてカメラを壊したし、言い回しだって挑発的なものにした。まあ、多少なら許すけど。
『許せないって言うなら好きなだけかかってきな。わたしはいつでも待っている』。つまり、わたしは里へ出向くことはないということだ。何故なら、待つ者は襲うことはないのだから。それでも許せない、と言うような奴は仕方ない。そのときは丸ごとやり返して追い返すつもり。里の中は安全に保護されているなら、里の外は危険に晒されている。だから、わたしはそうして出てきた膿を切り捨てる。けれど、出来ればそんなことしないで済みたい。だから、わたしは探すのも容易にはいかないような居場所を探している。
足元に転がる石ころを複製して放置しながら進んでいく。それにしても、たった数年で様変わりするものだ。いや、あの頃は周りなんて碌に気にしてなかったか?未視感を覚える。
それにしても、やっぱり簡単には見つからない。近くにない事は確かなのだが…。
「…ん?あ、そうだ」
閃き。時折訪れる、突飛な発想。近くに存在する複製の位置と種類が分かる。遠くに存在する複製を霧散させる。両方ともわたしの複製という共通項がある。この二つを組み合わせれば…?
「やってみようかな、うん」
意識しろ。それらはわたしの体の一部。切り離されても、それは決して変わらない。
目を瞑り、呼吸を整える。近くに転がっている石ころの数々の形と場所が浮かび上がっている。ここまではいつも通り。わたしが行きたいのは、その先だ。意識を集中させつつ、外側へと拡げていく感覚。すると、その範囲が徐々に広がっていくのが分かる。少しずつ石ころの数が増えていく。そうだ。そのまま拡がれ。
「…あった」
ボンヤリと浮かぶ形には見覚えがある。目的地である迷い家に残した複製。霊夢さん達が勝手に持ち出した家財の数々。かなり遠いが、このまま真っ直ぐ進めば到着出来るはずだ。
だけど、今のわたしは迷いなんてない。そんな状態で大丈夫だろうか?普通に到着すればそれでいいのだけど、抜け穴や抜け道を探す必要があるなら、少し時間がかかりそうだ。特定の手順を踏むことで突破出来るなら、偶然と幸運が味方すれば出来る。特定のものを所有することで突破出来るなら、ちょっとお手上げだ。複製でどうにかなればいいのだが。
そんなことを考えながら歩き続けて数十分。開けたところに着いたと思ったら、そこには見覚えのある寂びれた里があった。そして、その中の一つの家に家財の複製を感じる。
「あれぇ?」
…抵抗なく到着してしまったのだが。いや、辿り着いたことは嬉しいけれど、ここまですんなりとは入れてしまうと逆に不安になってくる。実は、迷わなくても普通に辿り着けるなんてことだったらどうしよう…。