転がるように山を駆け下りていく。重力に身を任せると、自然と脚が遠くまで伸び、徐々に加速していくのが分かる。迫り来る障害物を避けながら進むが、ぶつかってしまわないか少しだけ不安だ。これだけの速度を出してぶつかったらちょっとの傷では済まないだろうから。
幸い、何かにぶつかることもなく足を引っ掛けることもなく速度を落とすこともなく山を駆け下りた。そのままの速度を出来るだけ維持しながら走り続ける。特に急ぐ理由があるわけではないけれど、とにかく走る。
全力疾走を続け、霧の湖が見えてきた。チルノちゃんとリグルちゃんが湖の上でスペルカード戦をし、大ちゃんが岸に座ってそれを見上げている。よし、あそこまでは走り続けようかな。そしたら、いい加減息をするのも辛くなってきた体を休めないと。…水はちょっと少し休んでから飲もう。今飲むと吐き出してしまいそうな気がする。
ガリガリと地面と削りながら無理矢理減速し、大ちゃんとすぐ近くでようやく止まる。
「ハァ、ハァ、ハァ…。ふぅ…、休憩っと」
「うわっ!…まどかさん、何かあったんですか?」
「…何か、ねぇ…。引っ越し、先が、決まった、こと、くらい…?」
「それはよかったですね。先日言っていた通り、迷い家に?」
「ええ。今、家を、建てて、いる、途中、です…」
「あの…、これだけ訊いておいて言うのもおかしいですけど、無理に喋らなくてもいいんですよ?」
「そう、ですか…?」
お言葉に甘え、呼吸を整えることにする。肺一杯に息を吸い、空になるように一気に吐き出す。それの繰り返し。
その間、スペルカード戦をしている二人を眺めていたが、これとした進展はなく、勝負は拮抗していた。ただ、リグルちゃんがチルノちゃんの放つ氷の弾幕をすり抜ける弾幕を使っていたことが目に入った。その割合は本当に一握りで、指先から数発連射して時間を空けてからまた数発を繰り返す程度。けれど、確かに光を扱う弾幕を放ってる。
「あ、戦況ですか?お互いにスペルカードを二枚使っていますが、被弾は一回です。今は、どっちのほうが先に集中力が途切れるかの勝負、といったところでしょうか」
確かに、その状況だと動き辛いだろう。ここでの勝負は基本的にスペルカード三枚で被弾三回。スペルカード一枚を使って二回被弾させる、というのは意外と難しいものなのだ。
「リグルちゃん、最近凄く頑張ってるんですよ」
それは見れば分かるし、知っていた。過去に出来なかったとこを出来るようにする、というのは言うほど簡単なことではない。分野がまるっきり違うということは、つまり零からだ。そこからの一歩は難しい。ましてや、苦手分野だと下手すれば零よりも下からの開始。そこから実用圏内に進むのは並大抵の努力じゃ出来ないと思う。
それでも、リグルちゃんは先へ進もうとしている。もう惨めな負け方はしたくない、って。
「もしかしたら、私達の中で一番強くなっちゃうかも。ふふっ」
「…嬉しい、ですか?」
「どうなのかなぁ…。けど、リグルちゃんが本当に努力してるのは知ってますよ」
氷柱のような氷の中を屈折した光の弾が、チルノちゃんの額に当たって弾けた。
「なっ…」
「よしっ!蠢符『ナイトバグトルネード』!」
「あーもうっ!氷符『アルティメットブリザード』ッ!」
そして、畳みかけるようにスペルカード宣言。それに対し、反撃の如く宣言し返す。うぅむ、これはチルノちゃんには厳しいものがあるかな?
…本当に、綺麗だ。ああ、わたしとは違う。わたしとは違う。わたしとは、全然違う。
「…どうしましたか、まどかさん?」
「いえ、何でもないですよ」
けれど、わたしは負けても構わない。もちろん、好き好んで負けるつもりはない。けれど、やっぱりどこかでは、どんなに惨めで醜く負けても構わない、と思っている。
「あっ、そこまで!この勝負、被弾三回でリグルちゃんの勝ち!」
強気に攻め立てるリグルちゃんが、チルノちゃんを押し切った。チルノちゃんは被弾した腕を押さえながら、悔しそうにむくれている。そして、大ちゃんの見たつもりだっただろうチルノちゃんが、その隣にいるわたしに気付いて大きく手を振ってきた。
「ん?あ、まどかじゃん!」
「え?本当だ!幻香ー!私勝ったんだよー!」
二人がこちらへ降り立ち、わたしと大ちゃんを挟むように座った。大ちゃんの隣にはチルノちゃんが座り、談笑を始めていた。わたしの隣にはリグルちゃんが座り、満面の笑みを浮かべている。
「ねえ、見てた?」
「ええ、見てましたよ。光の弾幕、出来るようになったんですね」
「あ、分かった?いやー、凄く頑張ったんだよ。サニーと一緒にね」
「それはよかった」
一種類を尖らせるのも悪くないけれど、多彩な手段を持ち合わせたほうが応用性が利く。何より、違うものを組み合わせることで全く別の結果を生み出したり、相乗効果を起こしてより強力なものにすることも出来る。
「ねえ、幻香はこれから暇?」
「…どうなんでしょう。夜になる前に行きたいところがあるんですけど」
「えーっと、新しい引っ越し先探し?」
「それはもう見つけました」
「え、もう?早いじゃん」
「けれど、まだ家がない。だから、一緒に手伝ってくれるよう頼もうかと思ってるんですよ」
「何処にいるの?その手伝ってくれる人」
「迷いの竹林」
そう言うと、腕を組んで少し考え始めた。ブツブツと呟く言葉には、距離、迷う、時間、疲れ、といった言葉が聞こえてきた。
…断片的な言葉からの推測だから間違っているかもしれないが、何となく分かった。
「リグルちゃん、スペルカード戦しましょうか」
「え、何で分かったの?」
「何となく」
「何となく、って…」
呆れられても困る。リグルちゃんが呟いていた言葉と、その表情から挑戦心を感じたからそう思った。わたし相手にどこまで出来るか試してみたいのかな、と思った。それだけ。
「まあ、いっか。じゃあ、一応訊くけど、迷いの竹林は凄く迷うとこだよね?幻香は迷わないの?」
「迷いますよ。ですが、目的のところへは確実に行ける」
「えー、何それ」
「場所が分かるんですよ。ここからでも大体正確な距離が」
妹紅の家の一部はわたしの複製だ。意識すれば複製の探知範囲が拡がることが分かった以上、迷うことはほぼないだろう。…消えてさえいなければ。
「それに、夜になる前に行きたいって言ってたじゃん」
「それも大丈夫。そのために、ちょっとルールを変えさせてください」
「どういう風に?」
「スペルカード二枚、被弾二回。貴女もちょっと疲れてるでしょう?」
「う。…そうだね。そうしよっか」
わたしもまだちょっと全力疾走の疲労感が残っている。お互い多少なりとも疲れているのだ。このくらいが丁度いいだろう。
そこまで言うと、談笑していたと思っていた二人が静かになっていることに気付いた。そして、チルノちゃんがわたし達に食いついてきた。
「あれ?リグルとまどか戦うの?」
「まどかさん、審判は私がやりましょうか?」
「あ、聞いてましたか?」
「ええ、バッチリと」
わたし達のスペルカード戦のお話って、そんなに気になるものなのかなぁ?せっかく楽しそうに談笑してたのに、それを打ち切ってまで聞くほどのことじゃないと思うけど。…まあ、話が丁度区切れたところだったのだろう。そういうことにしておこう。
リグルちゃんが大きく伸びをしながら立ち上がり、大ちゃんの肩を叩いた。
「それじゃあよろしく。さ、幻香行こっか」
「ええ、行きますか」
「まどかー!リグルをブッ飛ばせー!」
「ちょっ、チルノちゃん!…リグルちゃん、頑張ってくださいね」
…チルノちゃん、いくら負けちゃったからってそんなこと言わなくてもいいと思いますよ?