「おかえりー。…あれ?一人増えた?」
「幻香の友人の上白沢慧音だ。妹紅に頼まれて少し手伝いに来たのだが、迷惑だったか?」
チラリとわたしに目を向けた橙ちゃんに、嘘ではないという意味を込めて軽く頷く。
「そっか、幻香の友達なんだね!私、橙って言うんだ!」
「うむ。幻香の無茶な願いを聞き入れてくれたこと、感謝してるよ」
「ううん、気にしないでいいよ」
よかった。そうはならないだろうとは思っていたが、慧音と橙ちゃんの間には特に衝突はなく、とても穏便だ。
ホッと胸を軽く撫で下ろしたわたしの肩にポンと手を乗せた妹紅が耳元で呟いた。
「悪い、ついでに萃香も探したんだがな。見つからんかった」
「そうですか…。まあ、いつか見つかったら連れて来てください。そうしないと、渡したいものも渡せませんから」
「普段から持ち歩くのは、やっぱ面倒か?」
「ちょっとの可能性にすがって持ち歩くより、貴女のところに来るほうがよっぽど高いですよ」
「そうか?そういうもんか…」
「そういうものですよ、多分。さて、続き、やりましょう?」
少し前で話し合っている慧音と橙ちゃんの肩を軽く叩きながら、樹の元へ歩く。わたしの主な仕事は丸太を創ることだ。あとは、余裕があれば床に敷き詰めるための角材に加工することくらいかな。
次々と複製していくと、各々が作業を開始し始めた。妹紅は屋根に、慧音は妹紅の補助に、橙ちゃんは床張りに。
「ところで幻香」
「何でしょう、慧音?」
「屋根を作るのに釘はないのか?」
「必要ねぇよ。無くても屋根くらい出来る」
わたしへの問いは、腕や手の平を使って屋根に必要な木材の長さを調べていた妹紅が代わりに答えてくれた。
確かに、新しく建てた妹紅の家の建築に携わったから分かるのだが、彼女は一切釘を使っていなかった。木材の組み立てだけで、十分な強度を持った屋根を作ってしまったのを見た。強度を試すためか、屋根の各所で数回跳ねていたが、軋む音もしなかったのを覚えている。
「ま、あったほうが楽だけどな」
「ですよね」
とは言うものの、やっぱり釘はあったほうが楽らしい。あのときは、非常に細かく丁寧に少しずつ削っていた。もし釘があれば、そのような細かい作業は大体削減できるのだろう。
…まあ、あのときは前の家にあった釘が全部錆びついていて使い物にならなくなっていて、わざわざ里に買いに行くのが面倒だったからなのだが。特に、わたしは里に行くわけにはいかないし。
「ちょっと待ってて!」
「うぉっ、危ねぇな…」
突然、橙ちゃんが壁の中から一っ跳び。わたしが家の中にたくさん入れた角材を並べているはずだったが、取ってきてくれるらしい。
「それじゃ、他にも工具持って来てくれないか?あるだけ全部」
「え。…分かった!時間かかると思うけどね…」
そう言うと、一目散に走り出した。おー、早い早い。わたしもあのくらい早く走れるようになりたいなぁ。…あれ?もしかして、わたしって基本的に遅い?走るのはそれなりに早く走れるつもりだけど、橙ちゃんよりちょっと遅いし、フランにはわたしを引っ張った状態でとんでもない速度を叩き出した。飛ぶのに至っては、走るより遅い始末。
まあ、靴の過剰妖力噴出、模倣「ブレイジングスター」、複製重ねによる弾き出し。主にこの三つを使えば、わたしは普段の何倍も速く加速出来るのだけど。しかし、どれも妖力使用が前提だ。
「っと。色々揃うまでちょっと休むか」
「そうだな。来て早々休むのは気が引けるが…」
「そうですか?ま、出来ることをすればいいんですよ。わたしは丸太をたくさん創り続けますが」
出来ないことを出来るようにするのは重要だけど、出来ないことはやっぱり出来ないのだから。出来るようになるまで待つことだって必要だ。努力することだって必要だ。
「ところで慧音。今の里って、どうなんですか?」
「…橙がいない今だからこそ、か?」
「そうですね。ま、聞かれても特に支障はないですが」
『禍』について、ある程度は知っているみたいだし。それを知っていながら、ここに住むことを認めてくれたことは非常に嬉しいけど。
慧音は壁を背にして腕を組み、長く息を吐いた。
「そうだな、何から話そうか…。まず、あの八十五人は大体日常に復帰したよ」
「へぇ。やっておいて言うのもなんですが、意外と早いですね」
「里の医者だってそれなりに腕はあるさ。まあ、今回はそれ以外にもあるがな」
「それ以外?」
「どうせ永琳の薬でも出回ってたんだろ」
「そうだ。よく分かったな、妹紅。よく分からんが、傷に非常によく効くらしい。ペニシリンだのテトラ何とかだのセフィム何とかだのといった抗生物質がどうとか、カルバ何とかだのヘモコア何とかだのといった止血効果のある物質がどうとか言ってたな」
「なんじゃそりゃ」
…確かに、止血効果は分かるが、抗生物質とか言われてもサッパリだ。きっと、妹紅が言っていたデオキシリボ核酸みたいな、非常に難解な専門用語がズラズラと並んでいたのだろう。
「まあ、実際に効いていたのだから詳細はいいだろう。とにかく復帰したんだ」
「…分かってはいますが、一応訊きましょう。復帰していないのは、どういった人間ですか?」
「骨を折った者はまだ完治していない者が多いな。あと、暗くなると急に震え出すような者もいる。…まあ、精神的なものだな」
「しょうがないんじゃねぇの?
「あの程度なら、極度の暗所恐怖症で片付けられるか…?微妙なところだな」
骨を砕くような攻撃は、後半のほうが多くなっていたと思う。何というか、手加減なしだったのは杭で貫かれてからだけど、そこからさらに躊躇が抜けていった気がする。傷付くから抑えめにとか、壊れてしまうから優しくとか、そういったものが。最後の一線、殺しは超えないようにしていたつもりだ。…ただし、あの爺さんは除いて。
…止めよう。これはもう覆しようがない結果。戻ることのない過去のことだ。これから思い返すときはまたあるだろうけれど、これ以上蒸し返すことはもうないだろうから。
「それで、他にはどうですか?」
「そうだな…。『禍』関連の新聞の続報、読ませてもらった。あれはつまり『里に襲いに行くことはない』と伝えたかったんだろう?」
「ええ、伝わってくれてよかったですよ」
そう言うと、何故か慧音は苦い顔をした。壁の上に座っている妹紅は僅かに首を傾げた。
「へえ、そんな新聞出回ってたのか。知らなかったな」
「また今度、読みたければ読ませてやる」
「…考えとく」
どうやら、妹紅は文々。新聞の『禍』の記事を読んでいないらしい。最低でも、わたしがあの射命丸文とかいう虚構記者に言ったことは。
「…さて、幻香には悪い知らせだ。里の者は、いつ『禍』が来るか戦々恐々としている者が多い」
「は?」
「…恐怖とは、人を盲目にするものだ。『許さないとか抜かす奴は直々に叩きのめしますよ』と書かれていれば、尚更な」
「…うわぁ」
改変された文章を知り、わたしは頭を抱えた。…あの虚構記者め、余計なことしやがって。重要な部分刈り取られてるし。いや、この文章でよく慧音はわたしの意図を読み取ることが出来たと言いたい。
いや、頭を抱えていても仕方ない。意味はなくても、真実を伝えよう。
「あのー、わたしはあの虚構記者に『許せないって言うなら好きなだけかかってきな。わたしはいつでも待っている』と言ったのですが?」
「…相当捻じ曲げられてね?」
「はぁ…。確かにそうだな…。特に後半」
「その『待ってる』さえあればそんなことにならなかっただろうに…」
「いや、どうだろうな。少しは減るかもしれんが、大して変わらなかったかもしれん」
「えー、それは予想外ですよ…」
無駄足どころか藪蛇じゃないですか…。けれど、そんな記事が書かれなかったとしても、それはそれで変わらなかったのだろう。つまり、どう進んでも大して変わらなかっただろう、ということ。…悲しいなぁ。
「里の主なことはこのくらいか。他に訊いておきたいことはあるか?」
「いえ、今は特に」
「そうか。…ちょうどよく、橙も戻ってきたみたいだしな」
そう言って指差したところに、大きな箱を両腕で重そうに運んでいる橙ちゃんがいた。その大きな箱からは、鉋や金槌といった工具、麻縄や毛糸などの多種多様の紐がはみ出ていた。
いや、一度に持ってこなくてもよかったんじゃないかな?そんな足をふら付かせてまで頑張る必要はないと思うよ?
「ちょっと行ってきますね」
「おう、行ってこい」
「そんなこと言うなよ、妹紅。さ、行くぞ」
妹紅が慧音に引っ張られながら、わたし達三人は橙ちゃんの元へと向かった。