「…へえ、いいわよ」
「いいんですか?」
「ええ。どうせ行き詰っているのだし、それまでならこっちに専念してもいいかも」
多少なりとも戸惑うと思ったが、意外にもアッサリとパチュリーの協力が得られた。
「ふふ。それにしても、よく思い付くわね。貴女のそういう発想、私は好きよ?」
「そんなおかしなこと考えてるつもりはないんですけどねぇ…」
「普通ならチェス盤を広げようなんて考えないでしょ」
「そうですか?」
相手が格上なら、相手の予想の外側へ。当たり前でしょう?だって、そうでもしないと状況が変わらないのだから。まあ、同格だろうと格下だろうとそうするのだけど。
「まあ、わたしのことはいいですよ。…どのくらい時間が欲しいですか?」
「そうねぇ…。大体二日欲しいわ」
一週間なら早いほうだと考えていたのだけど、想像以上に早い。
「そんな短くていいんですか?」
「似たようなことは既に昔やったことがあるのよ。…まあ、今すぐにと言われても出来るけれど」
「けれど?」
「出来るだけいい品質にしたいの。そのときは出来た、で終わらせて次にいっちゃったから」
「こだわってくれるなら、それは嬉しいですよ。最低でも、出来ないってことはなくてホッとしてます」
もし出来ないと言われたとしても、また別の手段を考えればいいだけだったのだけど、一番最初に思い付いたのがそのまま出来ることはやっぱり嬉しい。
「ねえ、幻香。貴女は知ってたかしら?」
パチュリーが自分の頬と髪の毛を撫でながら、突然わたしに言った。
「永遠の美貌は古来から女性の憧れってことを」
「へー、そんなこと全く考えたこともありませんでした。じゃあ、パチュリーもそれなりに気にしてたりしてるんですか?」
「気にしてたらもうちょっと気を使ってるわよ」
気を使わなくても美しい人は美しいが、齢を重ねればその美しさは徐々に失われていく。そう考えると、永遠の美貌に憧れるのは当然なのかもしれない。
わたしから見れば、パチュリーは十分な美しさを持っていると思うんだけどなぁ…。
「ま、わたしにとってはどう考えても無縁なのでどうでもいいですが」
「そうね。…貴女は鏡のよう」
「映りの悪い鏡ですよ。決して、貴女と同じとはいかない」
「鏡でも全てが映るわけじゃないのよ。それに、貴女は貴女。そうでしょう?」
「…そうでしたね。わたしは鏡宮幻香」
わたしがどんな存在であろうと、鏡宮幻香であることに変わりないのだから。
パチュリーが付け替えてくれたネックレスを首に取り付け、立ち上がる。
「もう行くの?」
「ええ。二日しかないと分かった以上、止まってる暇はないですから」
「…本は?」
「また今度で」
パチュリーが最善を尽くそうとしてくれているんだ。だから、提案したわたしもそうしないといけないでしょう?
◆
紅魔館の間取りは、必要な通路なら覚えている。出入口から大図書館へ行く通路やフランのいた地下への通路などのことだ。しかし、使わない通路はほとんど知らない。そもそも、外見とは全くそぐわない空間の広さを持つ紅魔館。その全てを把握している人なんて、下手したら咲夜さんだけじゃないだろうか。
しかし、そういうわけにもいかない。これからやろうと思っていることは、知らないじゃ済まされない。覚えろ。最悪空間把握で乗り切れるかもしれないが、いつまでもそういうわけにはいかない。
そんなことを考えながら廊下を進んでいたら、真っ青な髪の妖精メイドさんとすれ違った。
「こんにちは」
「こんにちはー。…あれー?もうお昼ー?」
「多分まだです。けれどおはよう、って言うほど早くはないですよ」
「そうだねー。難しいよねー」
おはようとこんにちはの境目は本当に曖昧だ。人によって異なる。こんばんはは日が沈んで暗くなったらと非常に分かりやすいのに。まあ、そのあたりも紅魔館では決まり事があるかもしれない。そんな些細なことを厳格に決めているとは思いたくないけれど。
そんなことは頭の片隅に留めておき、わたしは妖精メイドさんに尋ねた。
「すみませんが、今は暇ですか?」
「えー?んー…、大丈夫だよー」
「そうですか。それじゃあ、調理室ってどこにありますか?教えてくれると嬉しいんですが」
「調理室ー?じゃあ、付いて来てー!」
元気のいい返事と共に歩き出した妖精メイドさんに付いて行く。その足取りに戸惑いは一切ない。
「紅魔館って、やたらと広いですよね」
「そうだねー」
「間取りって、全部覚えてるんですか?」
「まっさかー!覚えきれるわけないじゃーん」
「あ、そうなんですか…」
そうだとは思っていたけれど、改めてそう言われると、ちゃんと調理室に到着出来るのか心配になってくる。
「到着ー!ここが調理室だよー」
まあ、そんな心配は杞憂だった。妖精メイドさんが扉を開けたその先は、確かに調理室。中では既に数人の妖精メイドさんが調理をし始めていた。
「それで、ここで何したいのー?…もしかして、盗み食いー?」
「確かに盗むつもりですよ。食料じゃなくて、技術のほうを」
「…?まー、よく分かんないけどー、頑張ってねー!」
そう言うと、タタタと駆け出して行った。ああは言っていたけれど、もしかしたら彼女には何か仕事があったのかもしれない。そう思うと、少し申し訳なく思えてくる。
まあ、過ぎてしまったことはしょうがない。そうだとしてもそうじゃないとしても、時間を割いてくれたあの妖精メイドさんには感謝しよう。
「お邪魔します」
「あれ?お客さ…、幻香さん?」
「こんにちは」
「すみませんが、お話は調理が終わってからでいいですか?」
わたしが調理室に入ってきたことに反応したのは、たった一人だけだった。その妖精メイドさんが言ったことに対して頷いて肯定すると、すぐに調理へと戻っていった。まあ、他の妖精メイドさん達は目の前の調理に意識を向けているのだろう。
さて、ここに来た目的を始めよう。調理をしている妖精メイドさんの邪魔にならないように、遠目の位置から見回すことにした。
「塩小さじ一杯、っと」
「ちょっと、それ砂糖だよ?」
「うぎゃっ!間違えたー!」
…ちょっとそれは流石にないんじゃないかな?塩と砂糖の見た目は似ているけれど、触感は大分違うし。間違えちゃうなら、容器にちゃんと書いておけばいいと思うよ?
「ちょっと薄い?」
「んー…、十分じゃない?」
「じゃあ、塩一つまみ入れようかな」
「…ちょっと、十分って言ったじゃん」
「前にそれで怒られたからいいの」
そう言いながら、鍋に塩を少し入れていた。ここからでも十分美味しそうな香りがするスープ。味見してみたいけれど、今そんなことを言ったら迷惑だ。
「あのさあのさ、肉ってどのくらい焼くんだっけ?」
「焼き過ぎたら怒られた」
「じゃあじゃあ、このくらい?」
「…それは流石に焼かな過ぎ」
ここからだと何の肉か分からないけれど、今朝食べた猪肉と比べてかなりの厚みがあるように見える。確かに、その程度じゃあ中身はほぼ生肉同然だろう。誰が食べるのかは知らないけれど、わたしは食べたいとは思わない。
んー、こうして見て回ったけれど、そこまで必要な技術はなかった。それより気になったのは、妖精メイドさん達の調理の技術差。上手な妖精メイドさんはわたしより上手だ。ただ美味しく調理するだけじゃなく、見た目まで美しく飾られている。しかし、わたしが見た最底辺はわたしの手抜きより酷いと思う。包丁で指を切るのは流石にどうかと思うよ…。
「…こんな感じか」
「あのー、幻香さん?ここには何をしに…?」
最初にわたしに声をかけてくれた妖精メイドさんが調理を終え、わたしに問いかけてきた。
「技術を盗むため。美味しく調理する方法を知りたいだけですよ」
「あ、そうなんですか。それじゃあ、一緒に作りますか?」
「申し訳ないですけど、今日はもう時間がないので見るだけです」
「それは残念です」
ここで知りたかったことは十分得られた。そう思い、会釈してから調理室を出る。
さて、続けて紅魔館の間取りをキッチリと覚えることにしましょうか。普段は歩かないところまで、隈なく頭に叩き込まないと。出来れば、夜になる前には終わらせたいなぁ…。