長椅子で横になった幻香の瞼がゆっくりと落ち、そのまますやすやと眠り始めてしまった。この魔術には意識混濁や催眠効果はないはず。それなのにこうして眠ってしまうということは、それだけ肉体的、もしくは精神的に無理をしていたのだろうと思う。
そもそも、幻香はこの前緋々色金を二つ複製していた。その妖力消費量は、彼女の感覚を信じるならば約六割。吸血鬼であるレミィやフランを超える妖力量。そんなものがたかが数日で治るとは思えない。その状態でロケットの大半を補って余りある材木を複製し続けた。妖力枯渇寸前で倒れるのも無理はない。
栞を挟んでから魔導書を閉じ、幻香をここに連れて来た妖精メイドに問いかける。
「ねえ」
「何でしょうかぁ?」
「木は十分だと思うけれど、他はどうなの?」
「うぅーん…、どうだったかなぁ…。問題なかったと思いますけどぉ…」
「いざ必要になって足りないじゃ作業が止まる。至急確認してちょうだい」
「分かりましたぁ!」
そう言うとクルリと反転し、大図書館の出入り口へと飛んで行った。もし足りないとなると、また幻香がその能力を行使するだろう。それだけなら構わないけれど、こうして倒れてしまっては困る。
「…起きたらまた貴女に頼ることになりそうね」
ロケットの推進力の基礎となる魔法陣。それを幻香に創ってもらおうと考えていたのだから。純粋な妖力塊。その効果は既に分かり切っている。それを利用しない手はない。
私の予想が正しければ、彼女の妖力塊はエネルギーを最も多く含むことが出来る物質に成り得る。彼女が過剰妖力と呼んでいるものは、複製する対象が保有するエネルギーそのまま。それに複製自体の妖力が加わる。つまり、この世で最も多くエネルギーを保有する物質に過剰妖力を最大まで保有させ、その双方を完全に使い切ることが出来れば、理論上最高の物質となる。…飽くまで私の予想でかつ理論上だけど。
まあ、そんなとんでもないものが私の手持ちにあるはずもなく、その代わりの緋々色金だって使い捨てる気にはなれないし、魔法陣一つ分も作れるかどうか怪しいから別の物質を使う予定なのだが。それで一つ魔法陣を作れば、あとは幻香が量産出来る。…既にそうだと言われればそうなのだが、本当にロケットの大半は彼女頼みになってしまう。時間を幻香の妖力で買っている気分。本当に申し訳ない。
「…それにしても、どうして最初に組み立てたロケットを解体したのかしら」
「もったいないから」
「っ!…急に後ろから話しかけないで」
一瞬ビクッとした体を落ち着かせつつ、いつの間にか後ろにいた妖精メイドが言ったことを考える。そしてすぐに答えは導けた。確かにもったいないからね。
「消費ほぼ零」
「代わりに幻香が消耗し切ったのだけれどね」
再びばらした材木は、薪にでもなって再利用されるだろう。
「そうだ。このままだと悪いから、幻香に毛布でも掛けてあげて」
「分かった」
そう言って大図書館を出て行ってから僅か一、二分。毛布が持って戻って来た妖精メイドはサッと幻香に毛布を掛け、そのまま長椅子の横にチョコンと丸くなって座った。
それを確認してから、私は推進力となる魔法陣をどのようなものにするか考えることにした。ロケットは三段になっているから、各段に最低でも一つずつは必要になるのだけど、一番下が魔法陣一つで飛べるとは思えない。そもそも、一つだと飛ぶ際にあまり安定しない。多過ぎると幻香の負担となる。…けれど、幻香はそんなのお構いなしに創ろうとするだろう。そんな確信があった。
とりあえず、一番下は八つ、真ん中は六つ、一番上は三つにしようと思ったら、机に置かれた球が二回瞬いた。…二人?つまり、さっき確認しに行った妖精メイドとは違うのだろうか。
「…パチュリー」
「あら、フラン。どうしたの?」
苦笑いを浮かべた妖精メイドを引き連れたフランが、私の前に現れた。その表情はあまりいいものとは言えない。
「『問題ないことを見せつければどうにかなるでしょ』っておねーさんが言ったから、それまではここを往復するつもり」
「そう。何か不満でも?」
「不満とは多分違うよ。一度出されたものが即行取り上げられてムカついてるだけ」
「レミィも大変ねぇ…。ま、どうでもいいけど」
そこまで好かれていないことは自覚しているようだし。…まあ、好んで嫌われようとはしていないようだけど。対応は的を外れてはいないとは思うけれど、やり過ぎて的はもう針鼠。行き過ぎた保護は枷でしかない。
「ここで何もしないのはつまらないでしょう?何かすることはあるかしら?」
「うーん、そうだなぁ…。あ、そうだ。見様見真似の魔法陣をちゃんとしたい」
「あら、そう?それならあそこの本棚の上から二段目、右側に比較的分かりやすく魔法陣について載ってる魔導書があるわ」
「ありがと。それじゃ、取ってくる」
そう言ってその本棚のほうを向こうとしたところで、急に止まる。そして、長椅子に横になった幻香を見た。
「おねーさん、何で寝てるの?」
「あそこにロケットがあるでしょう?」
私が指差したところでは、たくさんの妖精メイド達が大量にある材木を切ったり削ったりしながら、ロケット製作の作業をしている。
「ふぅん。頑張って組み立ててるみたいだね」
「それの材料が足りない、って聞いたらすぐに複製して補充したのよ」
「…もしかして、妖力枯渇?」
「その手前」
「大丈夫だよね?」
「呼吸も正常、心拍も安定、体温も平常。問題ないわ」
「…なら、いいんだけど」
…あまり安心していないようね。妖力枯渇寸前に不安を覚えているからか、平常のはずなのに一週間眠り続けていたことを知っているからか、その両方か。
それでもフランは幻香に何かするでもなく、本棚へと飛んで行った。その後ろを慌てて追いかける妖精メイドを見ていると大変ね、とは思う。何かするつもりはないけれど。
「どう?」
「うーん…。難しい…」
フランは『Magic square for Beginners』を開いて頭を抱えている。魔法陣とは、という説明が長々と書かれているのだが、私の考えとは少し違う内容が書かれている。まあ、時代と共に移り変わるものだってあるでしょうし、考え方は人それぞれ。
それよりも、私は気になったことがある。
「フラン。さっきは見様見真似、と言ったわね。何を見たのかしら?」
「部屋の魔法陣」
「…そう」
今は破壊耐性付加の魔法陣だけになっているけれど、前は内側から扉を開くことが出来なくなる魔法陣もあった。恐らく、この二つだろう。
「それで、ちゃんと効果はあったのかしら?」
「分かんない。けど、一つは上手くいったよ」
「そう。なら、他の魔法陣だって出来るわよ」
あの二つの魔法陣は、かなり複雑な部類になる。あれが見様見真似で出来るなら、問題ないだろう。…何百年もずっと見ていたから、と言われてしまえば確かにそうだけど。
眉間に皺を寄せながら食い入るように魔法陣を見詰めるフランは、視線を魔導書から移すことなく私に言った。
「とりあえず、使い勝手がいいのはどれかな?」
「そうねぇ…。そう言われても目的がないと何とも言えないわよ」
「水が出ないのがいい」
「でしょうね」
「スペルカード戦で使えるのがいい」
「魔法陣を…?」
「あれ、使えないの?」
「使えないとは言わないけど…」
魔法陣は飽くまで準備しておくものであって、その場で描くものではない。そんな悠長なことをしていたら、被弾してしまう。
「そっか。ま、使えないならそれでもいいや」
私の否定的な雰囲気を察したのか、フランは軽くそう言った。
「スペルカード戦でしか使わないわけじゃないし。…むぅ。やっぱり一日や二日じゃ出来なさそう…」
「これから当分ここに通うつもりでしょう?分からないことがあれば言ってちょうだい。ちゃんと教えてあげるから」
「うん、分かった」
そして、パタリと魔導書を閉じてしまった。目を瞑り、ふぅーっと長く息を吐いてから、フランは口を開いた。
「…ねえ、パチュリー」
「もう何かあったの?」
「違うよ。これとは別のこと」
そう言うと、フランは私の目をじっと見詰めながら、問い掛けた。
「パチュリーはさ、私をどう思ってる?」
「そうねぇ…、今は努力して魔法陣を学んでいるわね。いいことだと思うわ」
「そうだね。ありがと」