東方幻影人   作:藍薔薇

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第203話

「よい、しょっと。…ふぅ、こんなところでいいかな」

 

硬いものが砕ける感触を味わいながら、しっかりと踏み抜く。『禍』に無謀にも挑んできた者に対する代償として、肘と膝合わせて四つある中でどれか一ヶ所を砕かせてもらった。ただし、既に四肢か顔が壊れている者は除外した。既に壊れているのに、追加でやる必要はない。なぜこんなことをしているかと言えば、飽くまで『禍』として末路を伝えるため。挑んで敗北した者はどうなるか、しっかりと広めてもらうため。

ただ、これはわたしから見てもやり過ぎの部類に入るだろう。何せ、九人死亡し、残された者も一日や二日では戻れない傷を負わせた。しかも、これで二回目だ。分かってる。そんなこと、重々承知だ。

死体含めて五十四人に対する事後処理を終え、何となく空を見上げた。とても晴れやかでわたしとは大違い、なんてちょっと思ったけれど、改めてわたしの心象を考えるとそこまで違うようには思えなかった。罪悪感は多少あっても、黒い靄がかかるようなことはない。やり切った、という小さな充足感すら覚えている。ま、晴れやかというほどではないけれど。

 

「…さて、どうしようかなぁ」

 

一回目のときは、彼女のことがあってすぐにその場を離れた。けれど、今回は違う。心臓の件でさっさと永遠亭に行きたいとは思うけれど、このまま放っておいて人喰い妖怪によって無残に喰い散らかされた亡骸と化すのはどうかと思う。…まぁ、出血多量で死者が追加されることをよしとしている時点で放っておくのが正しいのだろうけど。

いや、そうじゃないな。わたしが放っておけないのは、多分『禍』としてやったことが他の見知らぬ妖怪の助けになってしまうことが嫌なんだ。…そういうことにしておこう。自分でもよく分からなくなってきた。

言い訳のような何かで自分を誤魔化していると、こちらに飛んで来ている人影が見えた。『禍』として、ここに来るその人をどうするべきか考えようとしたのだが、その必要はなかったらしい。

 

「…え。あ、あのぉ…、久し、振り…?」

「えぇ、久し振りですね。…ミスティアさん」

 

目を白黒させながらわたし、ではなく周りに転がっている人間共を見遣っているミスティアさんだ。頬は引きつっているし、浮かべる笑顔はかなり無理がある。ま、そりゃそうか。久し振りに会ったわたしが血塗れで、その周りが血の海になっているんだし。

 

「あのさ、幻香…。これ、もしかして…」

「そうですよ。『禍』として叩きのめした結果です。『禍』として、ね」

「うん、それは何となく分かってるんだけど…」

 

そう言ってわたし、というより血の海から目を逸らしたミスティアさんの目が皿のように見開かれ、実に嫌そうな顔を浮かべながら後退った。どうしたものか、と思い、ミスティアさんが見ていた方向を見てみると、見知らぬ人が一人こちらへ歩いて来ていた。その表情はとてもじゃないが、穏やかであると言えるものではない。…どうしてそんなにわたしを睨むんですかねぇ?やっぱりやり過ぎたかなぁ。

 

「知ってる人ですか?」

「…うん。出来れば二度と会いたくない人」

 

隣にいるミスティアさんに訊ねてみると、非常に分かりやすい答えをいただいた。顔色が一気に悪くなっていることも加えて、本当に会いたくない人らしい。

わたしを睨み殺すんじゃないか、なんてことを思いたくなるようなほど鋭い眼。一歩一歩歩み寄る姿は威風堂々としている。その手に持っている細長い板には不思議な模様が描かれていて、緑色の髪の毛が左右で不揃いなのがちょっとだけ気になった。

 

「四季映姫・ヤマザナドゥ。…閻魔様だよ」

「…ふぅん、そう」

 

閻魔様、ねぇ。だとすれば、わたしはこの場で裁かれちゃうのかなぁ?…んー、よく分からない。閻魔様の話なんて一回か二回しかされていない。それにほんの僅かだけ。知っていることは、死後裁かれることくらいだ。天国か地獄か、と問われたとすれば、わたしは間違いなく地獄行きだろう。

どうするか考え、とりあえず『幻』を六十個展開させて待機する。不自然な動きをしたら、まずはこめかみにギリギリ当たらない軌道で撃ち、それで止まらないなら眼を穿とう。それでも止まらないなら、心臓でも狙いましょうか。…出来ればやりたくないけど。

 

「そこで止まれ」

「…ふむ。どうやら警戒されているようですね」

「そりゃするよ。そこから不用意に動くなら狙撃も辞さない」

「そうですか、ドッペルゲンガー」

 

…今、何て言った?『ドッペルゲンガー』だって?そう言った?聞き間違いじゃないか?いや、そんなはずない。確かに言った。

閻魔様は動揺するわたしから目を離し、隣にいるミスティアさんを見遣った。

 

「さて、今日は貴女が私の言いつけを守っているか見に来ました」

「…守ってるよ。無闇に歌うな、でしょ?」

「どうやらそのようですね」

 

無闇に歌うな?あんなに美しい歌声だったじゃないか。それなのに、歌うな?

そう思っていると、ミスティアさんが小さな声でわたしに囁いた。

 

「私の歌は普通とは違ったの。霊を狂わせるとか言ってたっけ。けど、私は歌いたかったから、そうならないように歌うことにしたの。普通で普通な歌。気が抜けると、今でもあの歌声が出ちゃうんだけどね。…もう六十年も前の話かなぁ」

 

わたしが考えていた疑問の答えを的確に教えてくれたことを感謝しつつ、再びわたしに目を合わせてきた閻魔様の表情を伺う。…ふむ。

 

「ミスティアさん。今すぐ人間の里に行って慧音をここに呼んでくれませんか?『禍』が人間を返り討ちにした。死傷者多数とも伝えてください」

「え?…けど今は」

「早く。いえ、ここに戻ってくるのは時間がかかったほうがいいかな」

 

視線をわたしと転がっている人間共と閻魔様の三ヶ所を行ったり来たりさせている。迷っているその姿を見て肩に手を乗せようとしたが、寸前で止めた。この血塗れの手で触れるわけにはいかない。彼女から触れたならまだしも、触れられた血痕はこの場合違和感となる。しかし、そんなわたしの手を見てミスティアさんは決意を固めてくれたようだ。

 

「…うん。行ってくる」

「よろしくお願いしますね」

 

そう言ってミスティアさんに託し、目の前にいる閻魔様を改めて見遣る。相変わらずに睨み殺されるんじゃないかと感じるような刺々しい目付き。雰囲気が重く苦しい。目線はわたしを僅かに見上げているはずなのに、明らかに見下している。そう感じさせる。

そんな雰囲気は風見幽香のそれより軽いと切り払い、閻魔様がどう動くか待つ。一対一を望んでいたのは貴女だ。さぁ、どう来る?

 

「まだ生き残っていたのですね。…ドッペルゲンガー」

「ええ。まるで全滅してほしいみたいな言い方ですね」

「そうですね。ここ二百年はこちらに来なかったので、もうそうなっていると思っていました」

 

二百年…?わたしはまだ三桁なんて程遠い年齢だ。二百年とか言われても、よく分からない。フランが地下にいた時間の半分以下かぁ、なんて実感のないものと比べるくらいしか出来ない。

 

「貴女達の所為で私達は面倒を背負うことになったのです。記録が二重に残され、死んだ者が生き続け、罪のない者の冤罪を生み地獄へ飛ばされた。…貴女達の所為で」

「知りませんよ。記録が二重なんて、書き間違えたんじゃないですか?死んだ者が生き続けるなんて、よかったじゃないですか。罪のない者が冤罪で地獄行き?罪のない人間なんかいるかよ。善行を積めば悪行が帳消しになる?そんなわけないでしょう。罪は罪のままだ」

 

そう言うと、僅かに俯きながらガリ…、と閻魔様が歯を軋ませる音を立てた。そして、顔を上げてわたしに黒い言葉を吐いた。

 

「私は人の選択を一方的に奪う貴女達が嫌いです。私は人の願いを無作為に貪る貴女達が嫌いです。私は人の罪を身勝手に償う貴女達が嫌いです。私は人の命を賭けた挑戦を有耶無耶にする貴女達が嫌いです。私は人の人生を狂わせて生きる貴女達が嫌いです。…私はそんな貴女達が大嫌いです」

「あっそう。嫌われるのは慣れてるよ。その結果がこれだから」

 

一目見て驚いて、罪をこじつけて、流れに任せて悪意を向けて、自分の事だけを考えて襲って、歪んだ正義を掲げながら処刑しようとする。そんな人間共に嫌われた。だからわたしは傷付けた。だからわたしは殺した。

 

「それに、わたしのことをドッペルゲンガーって言っていますけれど、半分違う」

「はい?」

 

そう言うと、閻魔様は調子が崩されたのか、さっきまでの重い雰囲気を崩した、まるで素であるような声を出した。

 

「わたしは確かにドッペルゲンガーなんです。それは紛れもない事実で、わたし自身も認めている」

 

スキマ妖怪、八雲紫にそう言われたから。さらに言えば、閻魔様である貴女にもそう言われたから。わたしだってそう思うよ。確かにこれはドッペルゲンガーだ。

 

「わたしは確かにドッペルゲンガーではない。それも紛れもない事実で、わたし自身が認めている」

 

フランドール・スカーレットのドッペルゲンガー。純粋な破壊衝動。『破壊魔』。彼女は言った。『ドッペルゲンガーだよ』と。彼女は自分がドッペルゲンガーである、という自覚があった。

けれどね、わたしはそうじゃない。わたしは彼女とは違う。わたしにはそんな自覚はない。わたしがドッペルゲンガーであると思える根拠がない。そう言われたから、そう思っている。そう気付いたとき、わたしは何者なのか分からなくなった。

 

「ねぇ、閻魔様。わたしって、何者なんでしょうか?」

 

そんなわたしの問いに何故か悔しそうに顔を歪める閻魔様だが、その答えが返ってくることはなかった。

 


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